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【関連記事】アメリカ最大の映画レビューサイト、ロッテン・トマトの「トマトメーター」ではかるキューブリック作品のトップ10

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Dr.Strangelove(IMDb)  アメリカ最大の映画レビューサイト、「ロッテントマト」(腐ったトマト)の肯定的レビューのパーセンテージ「トマトメーター」でキューブリック作品をトップ10ランキングした記事からの引用です。 wiki よるとロッテン・トマトとは、  サイト内には直近で公開された約270本の映画レビューのログが残され、肯定的なレビューの割合が一覧化されている。肯定的レビューが60%以上の場合は「レビュアーの大多数がその映画を推奨した」ものとして"fresh(新鮮)"、60%未満の場合は "rotten(腐敗)" の格付けがされる。加えてロジャー・イーバート、デッソン・トムソン、スティーヴン・ハンター、リサ・シュワルツバウムなどの著名映画レビュアーによるレビューは、"Top Critics(トップ批評家)"と呼ばれる別リストへ載せられ、別途一覧化されている(批評は全体レーティングにも影響する)。レビューが数値集計の可能な量に達すると、各レビュアーによる意見を整理するため、総意としてのまとめ記事が掲載される。年末にはその年の最高得点を得た映画が "Golden Tomato(ゴールデン・トマト賞)"を獲得するシステムとなる。  と、一般的なユーザーレビューサイトとは異なり、著名な評論家が参加していることから、一見公平性が担保されている様に思われますが、実際は問題もあり、  2010年1月、ニューヨーク映画批評家協会会長のアーモンド・ホワイト(英語版)は会の75周年に際し、「レビュアーを一箇所に押し込め、それぞれのレビューに見せかけのお気に入り得点を取ってつける。あれはインターネットが如何に個人の表現に復讐しうるかの例である。ああしたサイトは、評論の代用として大勢の総意を提示しているにすぎない」と、特に当サイトを名指しして映画レビュー集サイト全般を批判した。 とあります。  まあ優劣を点数で決めるスポーツではなく、主観で良し悪しを決める「映画」や「グルメ」などは抽象的な評価に頼らざるを得ず、それを数値化したりランク付けすること自体にどこかしら偏りや無理が生じるもので、こういったレビューサイトやランキングは参考程度か、「にぎやかし」程度に思っておけばいいと思っています。ですが...

【ブログ記事】キューブリック、『時計じかけのオレンジ』について「かく語りき」

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A Clockwork Orange(IMDb)  キューブリックはあまり自作について語りたがらない印象がありますが、少なくとも『時計じかけのオレンジ』の頃までは饒舌に語っています(この後、『時計…』が暴力的だとマスコミに糾弾され、露出を避けるようになります)。以下は評伝『映画監督スタンリー・キューブリック』からの抜粋です。理解している方にとっては蛇足でしかありませんが、とまどった方には参考になるかと思い、一部を掲載したいと思います。  小説は二部構成になっている。それは、ある個人を監禁し、その自由や自由意志を奪って時計じかけのオレンジ、つまりロボットのような人間に作り変えることが道徳的に許されるのかという社会学的な問いかけだ。そしてこの話の魅力はアレックスの性格にある。リチャード三世もそうだが、アレックスはその賢さと回転の速さと素直さで、どういうわけか観客を自分の味方に引き入れてしまう。彼が象徴するものはイドだ。それは我々の中にある抑圧された残酷な側面、罪にならないけど、レイプを楽しむのと同じようなものをもっている側面なのだ。  みんな偽善的な態度を取るけれど、みんな暴力に惹かれているというのが実情だ。何と言っても、この地球上でもっとも無慈悲な殺し屋は人類なのだ。私たちの暴力に対する関心は、潜在的なレベルでは遠い祖先と大差ないことを示唆している。  アレックスが受けるルドヴィコ療法は、社会的規範と自分自身の間の葛藤に由来する神経症と見ることができる。だからこそわれわれは、アレックスが『矯正』された最後のシーンを愉快に思う。仮に映画を『白日夢』と捉えるならば、この幻想のような象徴的なメッセージは、見る者を左右する強力な要因だ。夢は意識化されないものを見せるものだと考えると、映画も夢と同じような作用を持っていると言える。  そしてキューブリックは書籍『キューブリック』でのミシェル・シマンとのインタビューで、この問題を以下の様に総括しています。  今日私たちが確実に直面している最も挑戦的で困難な課題の一つとは、国家が抑圧的にならないで、如何に社会を制御するのに必要な節度を保つことが出来るのかということだ。それに、合法的で政治的な解決が遅すぎると考え始めているせっかちな有権者に対峙しながら、国家は如何にしてそれを達成できるかだ。国家はテロリズムや無秩序の向こうに亡霊がぼん...

【関連書籍】スクリーン アーカイブス『スタンリー・キューブリック監督復刻号』がTOHOシネマズ日本橋・新宿、スクリーン・オンラインで発売

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 公開時のスクリーン誌の復刻記事を集めた特集号『スクリーンアーカイブズ スタンリー・キューブリック監督 復刻号』がTOHOシネマズ日本橋・新宿のほか、スクリーン・オンラインで限定販売中です(TOHOシネマズ新宿は10月18日より販売開始)。  掲載作品は『スパルタカス』『ロリータ』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』。内容は作品解説が主なので、特に目を引く記事はありません。ただ、故荻昌弘氏の解説は「映画愛」に溢れていて読んでいて嬉しくなりますね。  あとは例の星新一氏による『2001年…』に対する「勘違い批判」ですが(詳細は ここ で)、これは星氏に限らず、当時の多くの「大人たち」がこういった反応を示したそうです。「映像志向」の作品を「言語志向」で批判しても的外れ以外の何ものでもないのですが、公開当時の「空気」を知るにはいい資料と言えるでしょう。  当事者のインタビューは『アイズ…』のトム・クルーズとニコール・キッドマンだけですが、残念ながら内容はあまりありません。ただ、キッドマンが語る「彼(キューブリック)は最初から夫婦の俳優を使うと決めていた」は、この作品を読み解くのに役立ちそうです。  本書に頻出する「クーブリック」という表記ですが、小説『2001年宇宙の旅』の翻訳者である伊藤典夫氏を中心に、「発音はクーブリックなのでそう表記すべし」としてSFファンを中心に一部に広まりました。しかし一般に定着するまでは至らず、当の伊藤氏も「本人も亡くなったのでこれからはキューブリックで」と白旗を上げたので、現在は「キューブリック」で統一されています。  対面販売はTOHOシネマズ日本橋・新宿だけですので、ネットで購入するのが現実的かと思います。A4版48ページで1,800円(税別)という価格は割高感を覚えますが、掲載号数が書いてありますので古本を漁る際に目安になりそうです。スクリーン・オンラインのキューブリックページは こちら からどうぞ。 2025年8月11日追記:現在本誌は Amazonで入手可 。

【考察・検証】『時計じかけのオレンジ』のラストシーン「レイプ・ファンタジー」を考察し、解説を試みる

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※一部画像加工済  『時計じかけのオレンジ』のラストシーン、アレックスが「完ぺきに治ったね」とつぶやく際に見る夢、いわゆる「レイプ・ファンタジー」ですが、この名称はコールシート(撮影予定表)で便宜上そう名付けられていたものです。実はこのシーン、当初は「全裸の女性をアレックスが追いかける」カットが存在し、その後削除された(おそらく検閲の問題)のですが、その件につきましては以前記事にしました。  その「レイプ・ファンタジー」、原作小説では「カミソリで地球を切り裂く」という暴力夢でしたが、キューブリックは性夢に変更してしまいました。どんな夢であれ、登場人物が見る夢を映像化する際には「現実離れ」した映像でないと、そのシークエンスが「夢」であることを表現できません。逆に言えば「現実離れした(性夢の)映像ならなんでもいい」ということになり、結局はキューブリックのセンス次第、となってしまいます。そんなキューブリックのセンス(感覚)で作られたこの「レイプ・ファンタジー」を、キューブリックの頭の中を覗くなど到底不可能だということを承知の上で考察してみたいと思います。 (1)19世紀風の衣装に身を包んだ紳士淑女たち  どうして「19世紀風」と言えるのかというと、男性全員がシルクハットを被っているからです。シルクハットの流行は19世紀前半が最盛期でした。そして19世紀前半といえばベートーベンが活躍した時代です。つまりこのシーンは自分(アレックス)がベートーベンと同時代の19世紀に存在している夢を見ている設定なのです。 (2)スタンディング・オベーション  その19世紀の紳士淑女たちは、全裸で性行為をするアレックスをスタンディング・オベーションで讃えています。これで思い出されるのは「第九」の最終楽章が終わった瞬間、観客がスタンディング・オベーションで指揮者や楽団を讃えるということが定番化しているという事実です。つまり、聴衆(一般民衆)もアレックスの暴力性や性衝動の復活を第九のスタンディング・オベーションという形で「讃えて」いる(と少なくともアレックスは思っている)のです。 結論:(1)(2)の観点から、アレックスが病院のベッドの上で、ベートーベンの第九を浴びながら見ている夢は、性行為(レイプ)をしているという喜びを、自身はおろか聴衆(一般民衆)でさえ讃えているということであり、それは自身の...