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【関連動画】『シャイニング』のダニー役、ダニー・ロイドが出演したTVドラマ『WILL G. Gordon Liddy』

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凛々しいOA時9歳のダニー・ロイド  ちょっぴり大人になったダニーが出演したTVドラマ『WILL G. Gordon Liddy』の全編がYouTubeにアップロードされていたのでご紹介。  ダニー・ロイドはゴードン・リディの少年期の役として出演していますが、ゴードン・リディとはウォーターゲート事件(ニクソン政権が大統領選の再選を目指し、民主党本部に盗聴器を仕掛けようとした事件)の主犯として逮捕されたFBIの元長官です。1970年代前半のアメリカを揺るがした大事件だったのでこのようなドラマが制作(原作はゴードン・リディの同名の自伝)されたのです。  オンエアは1982年1月10日で、ダニーくんは当時9歳。ダニー・ロイドの出演作は『シャイニング』と当作品のみ(『ドクター・スリープ』ではゲスト出演)なので、貴重といえば貴重になります。全編YouTubeで視聴できますが、おそらく消されてしまうのでご覧になりたい方はお早めにどうぞ。

【関連記事】トム・クルーズ、『アイズ ワイド シャット』の役にニコール・キッドマンを「推薦した」と語る。「彼女は素晴らしい女優だ」

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クルーズとキッドマンは2001年に離婚するまで11年間結婚生活を送っていた。  トム・クルーズは、離婚から25年近く経った今でも、元妻のニコール・キッドマンを高く評価している。  Sight and Sound(The Independent経由) との最近のインタビューで、俳優は1999年の映画『アイズ ワイド シャット』を振り返り、スタンリー・キューブリック監督のエロティック・スリラーで、ドクター・ビル・ハーフォードの相手役としてアリス・ハーフォード役にキッドマンを推薦したと語った。  「彼の家まで(ヘリで)飛んで、裏庭に着陸したんだ。前日に脚本を読んで、一日中それについて話した。彼の作品は全部知っていたんだ」と彼は回想する。「それから、彼と私はお互いを知るようになった。そうしているうちに、ニコールに(アリスの)役を演じてはどうかと提案したんだ。だって、彼女は素晴らしい女優だからね」  クルーズはこの映画に特に熱心で、撮影が予想よりずっと長引いたにもかかわらず、キューブリックに「(映画を作るために)何が起ころうとも、我々はやるつもりだ」と語った。 〈中略〉  「この映画はとても面白かったので、自分もそういう経験をしてみたかったんだ」と『ミッション:インポッシブル』のスターは振り返る。「映画を作るときは、実際に手がける前に綿密な調査をし、出演者たちとじっくり時間をかけて話し合う。そうすることで、彼らが何を求めているのか、そして彼らが私のことを理解してくれるかを理解し、どうすれば一緒に特別な作品を作ることができるのかを理解できるからだ」  キッドマンは以前、一部の視聴者がスクリーン上の二人の関係と現実の関係を比較したため、クルーズと『アイズ ワイド シャット』で共演したことで、当時の二人の結婚生活について「否定的な感情」が生じたかどうかについて言及していた。 「それは人々が思い描いていた物語には当てはまるけれど、私は絶対にそうは思っていませんでした」と彼女は2020年にニューヨーク・タイムズ紙に語った。「私たちはそういったことを乗り越えて幸せな結婚生活を送っていました」 〈以下略〉 ( The Hollywood Reporter/2025年5月11日 )  実はそのトムのキャスティングもワーナー側からの提案でした。最初ハリウッドスターを起用することを渋っていた(『...

【ブログ記事】女優の上白石萌歌さん、『シャイニング』を語る

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マネージャーから「あまり顔を崩すな」と言われていたそうです  女優の上白石萌歌さんが2025年1月10日オンエアのフジテレビの番組『ぽかぽか』に出演し、『シャイニング』について語り、ジャック・ニコルソンの「例の顔」のモノマネまでしていたのでご紹介。  どうやらお気に召したそうで、鑑賞後いろいろ調べたそうです。「初めての鑑賞がスクリーン(劇場)ですごい自慢できる」とはご本人の弁ですが、確かに配信や円盤でいつでも鑑賞できるこのご時世に、初めての鑑賞が劇場というのはなかなかレアですね。その「劇場体験」があってこそのお気に入りなのかもしれません。1980年に日本で初公開された時は短縮された国際版ですが、この時(午前十時の映画祭11)上白石さんが鑑賞したのは長尺の北米版、そういう意味でもラッキーでしたね。  その上白石さんの MVは『シャイニング』のパロディ でした。上記番組は TVerで1月17日(金)11:49まで視聴 できます。興味のある方はお早めに。

【ブログ記事】シェリー・デュバル逝去の報に接して感じたこと

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おそらく生涯最後の出演になる、インディーズホラー映画『フォレストヒルズ』(公開未定)に出演したシェリー・デュバル  『シャイニング』でジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)の妻、ウェンディ・トランスを演じたシェリー・デュバルさんが2024年7月11日、糖尿病の合併症で亡くなりました。享年75歳でした。  シェリーが精神疾患と糖尿病を患っていたのは当ブログでも何度かご紹介した通りですが、当人が精神疾患の治療を拒否していたのは事実のようで、そうであれば糖尿病の治療も拒否していた可能性があります(投薬程度の治療はしていたかもしれません)。晩年は歩行も困難になり、車で移動していたという記事も目にしていました。ならば、糖尿病の合併症で死去いうのはある程度予想がつく結末であり、本人が望んだ穏やかな生活での結果だとしたら、遅かれ早かれ死は彼女のすぐ近くにあったのだろうと思います。  重度の糖尿病は精神の不調をきたすことが知られています。もしシェリーの精神疾患の原因が糖尿病によるものであれば、かなり筋の通った推察になりますが、これはあくまでも「推察」の域を出ません。過去には「『シャイニング』におけるキューブリックによるイジメのせい」などとデマが流布されたこともありますが、それは様々な事実や本人の証言から完全に否定されています。  実際のシェリーは『シャイニング』で演じたウェンディのような「ひ弱で怖がりでオドオドしたいじめられやすい女性」とは正反対で、自立した自我を持った強い女性でした。それは女優という与えられる仕事だけではなく、自らプロデュース業に乗り出し成功を収めたことからもわかります。ですが突然2002年にそれらを全て放棄し、テキサスに引きこもってしまいました。その原因はノースリッジ地震(1994年)と兄弟の重病(ガン)と説明しましたが、これがそのまま精神疾患の原因とは考えにくいです。なぜなら時期が合わないからです。  パートナーのダン・ギルロイ氏によれば、精神疾患は2000年代のある日突然に始まったそうで、その日以降、シェリーは目に見えない敵に怯える、指をパチパチと鳴らす、突然視界から消えるなど挙動不審を繰り返すようになったといいます。個人的には、その精神疾患による突然の精神の不調により、突発的に自死を選んでしまうことを危惧していて、それによってキューブリックに対して謂れ...

【関連記事】シェリー・デュバルはハリウッドから姿を消し、ずっとここにいます。

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キューブリックのドキュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャーズ』(2001年)で元気にインタビューに応えるシェリー・デュバル。  『シャイニング』や『ナッシュビル』など時代を象徴する映画での役柄で知られる女優が、20年を経て女優業に復帰した。しかし、彼女に何が起こったのだろうか? 〈中略〉  20年以上もの間、デュバルさんのキャリアは停滞していた。 2002年の『マンナ・フロム・ヘヴン』が 最後の 映画出演で、その後、女優としてもプロデューサーとしても多彩で、大方の見方では成功したキャリアだったが、その理由は謎のまま引退した。最近彼女の名前を検索すると、最もよく出てくる質問は、「 シェリー・デュバルに何が起こったのか?」と「シェリー・デュバルはなぜ姿を消したのか?」だ。  この根強い好奇心は 驚くようなものではない。自発的であろうと強制的であろうと、人目につかなくなるという行為そのものが、「ハリウッドの隠遁者」という比喩の核心であり、『サンセット大通り』や『何がジェーンに起こったか』などの古典映画で悲劇的な効果を出すために使われ、興味をそそり続けるからだ。  シェリー・デュヴァルも興味をそそられている。  「私はスターで、主役もやっていました」と彼女は厳粛に首を振りながら言った。 彼女は町の広場に車を停めて、チキンサラダ、キッシュ、甘いアイスコーヒーのランチをテイクアウトし、最後にパーラメントを一口吸った。彼女は声をひそめた。「みんなはただの老化だと思っているけれど、そうじゃない。これは暴力なの」  「暴力」について説明するよう促されると、デュバル氏は質問で答えた。  「本当に親切な人たちが、突然、」彼女は指を鳴らしながら言った。「あなたに背を向けたら、どう感じるでしょう? 自分に起こらない限り、あなたはそんなことは信じないでしょう。それが本当だと信じられないから、あなたは傷つくのです。」  「みんな、いつも没落の話に興味があるんだ」と、デュバルさんの30年以上のパートナーで、車の乗り降りを手伝ったり、時には家に戻ってくるよう懇願したりしているギルロイさん(76歳)は言う。デュバルさんを取り巻く憶測や噂、そして彼女の精神状態だけでなく体型についても語る彼の声には、疲れた調子がにじみ出ていた。  「インターネットでは『今の彼女を見て』『今の彼女の姿は信じられないよ』とい...

【関連動画】1980年9月29日に放送されたBBC Oneでシェリー・デュバルが『シャイニング』でのキューブリックについて語る

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ーNicholson's co-star in The Shining, Shelley Duvall, was actually discovered by Robert Altman, who cast her in pictures like Nashville and 3 Women. Since she finished The Shining, she's play Olive Oyl in Altman's Film of Popeye and made a guest appearance in London in The Time Bandits, directed by Terry Jones of Monty Python team. Well I talked to her while she was in this country, and I asked her about a rumour, then strongly going the rounds that the meticulous Stanley Kubrick had made her do 127 takes of one of her scenes. Oop! (Laughs) I don't know, I think I'm supposed to say 18. but, I don't know, I'll leave that to your imagination. ーWell, let us assume that 18 is a slight underestimate and 127 is possibly closer to the truth. What is it like doing a take that many times? I mean, is it possible ti just to keep going and produce a kind of freshness at the end? Yes, it is. It's funny, it's something that I discovered during the making of The Shi...

【関連動画】ニコール・キッドマンに73の質問 ─ 家族で暮らすオーストラリアの自宅/農場から。| 73 Questions | VOGUE JAPAN

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 VOGUE JAPAN公式から『ニコール・キッドマンに73の質問 ─ 家族で暮らすオーストラリアの自宅/農場から」というインタビュー動画がありましたのでご紹介。  キューブリックに関する質問は1つだけで、「キューブリックとの仕事は?」の問いに「最高の教授がいる大学のようなものだったわ」と応えています。キッドマンはキューブリックとの仕事に関しては非常に前向きな発言ばかりで、それは数々のインタビューからも伺えます。以下のリンクを参照してください。それにしても相変わらずお美しいですね。

【ブログ記事】Shelley Duvall ArchiveさんがX(旧Twitter)にポストした、シェリー・デュバルが『シャイニング』によって精神疾患を患ったというデマに対する「正しい説明」

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2001年発売の特典DVDドキュメンタリー『ア・ライフ・イン・ピクチャーズ』で元気にインタビューに応えるシェリー・デュバル  It seems to be of popular internet belief that Shelley Duvall was traumatized for life because of Stanley Kubrick/The Shining. Here’s a thread, by me a Shelley connoisseur, explaining why her life and career was NOT ruined. Shelley was intentionally cast by Kubrick because he liked her performance in 3 Women, 1977. He was drawn to the way she cried – and crying surely came in handy for Shining. He sent Shelley King’s book to read first as he didn’t have a script yet. Shelley is a professional actress (with nearly 10 years under her belt at the start of filming) and she knew what she was signing up for, which was a horror movie. It’s not like she was thrown into it and she was excited to work with Kubrick. Shelley first met Kubrick in October 1977 at the old Grosvenor Hotel a few months after she was cast in The Shining (May 1977). She describes liking him even upon the first meeting. “I liked his [Kubrick] humor. I felt...

【関連記事】トム・クルーズ(を)、『アイズ ワイド シャット』脚本家が「自己中心的な仕切り屋」と批評

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 トム・クルーズ(61)が、主演作『アイズ・ワイド・シャット』の脚本家フレデリック・ラファエル(91)から「自己中心的な仕切り屋」と非難されている。同1999年作で監督を務めた故スタンリー・キューブリックと仕事をした際に経験した問題について以前から語ってきたラファエルが、今回、一度も会ったことがないというトムを自身の新刊の中で批判したかたちだ。  ラファエルは新著『ラスト・ポスト』に掲載した手紙の中で、トムとキューブリックの妻クリスティアーヌ・ハーラン、その弟ヤンが自身のウィキペディアに不名誉な書き込みをして、キューブリックの「歴史」から自身を抹殺しようとしたと指摘している。  メール・オンラインによると、ラファエルはこう綴っているという。「私が最終版の『アイズ・ワイド・シャット』にはあまり関わらなかったというハーラン一家による絶え間ないキャンペーンが続いている」「ハーラン一家とクルーズ様は、私のウィキペディア・ページに誹謗中傷を書き込むことに成功した」  「名誉毀損で訴えることもできるだろうが、私はそのような現代的なスキルや、それを推し進める陰鬱なエネルギーも持ち合わせていない」「私はこれまで嘘つきと呼ばれたことは一度もない。ハーラン一族や、自己中心的な仕切り屋であり、私が一度も話したことのないトム・クルーズからはそう言われている」「撮影後、彼は私に仕事をくれた。私を鎖につないで置く方が良いということだろう」  また91歳のラファエルは、トムと当時結婚していた共演の女優ニコール・キッドマンについても言及。「クルーズとキッドマンが、キャリア的合併ではなく本物の情熱で繋がっていると本当に言えるだろうか?」「キッドマンは多くの人にとって長年スターであり続けているが、彼女の映画の中で1本でも、もう一度観たいというものを思いつくだろうか」と続けている。  ウィキペディアには、1999年のインタビューでトムが、ラファエルが回顧録『アイズ・ワイド・オープン』の中で、キューブリックとの経験を批判的に語っていることに対し、「彼(ラファエル)はスタンリーが生きていたら書いていなかっただろう。日和見主義で利己的、正確さに欠ける。僕はあの男を全く知らないし会ったこともない。後で人々がどのように行動するのか目にするのは興味深いことだった」と語っていたと記載されていた。 (引用: よろず〜ニ...

【関連記事】頼もしい!トム・クルーズ、トッド・フィールド監督のデビュー作をワインスタインの魔の手から救っていた

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「ビルとニック」で『アイズ ワイド シャット』に出演したトムとトッド  最新作『TAR/ター』(5月日本公開)で16年ぶりにメガホンをとり、賞レースを賑わせているトッド・フィールド監督。そんなフィールド監督がこの度、2001年の長編デビュー作『イン・ザ・ベッドルーム』について、俳優のトム・クルーズがワインスタインの魔の手から救ってくれたと明かした。 〈中略〉  本作はサンダンスで高評価を受けた後、ミラマックスが権利を獲得するが、当時ミラマックスを仕切っていたのは、近年数々の性暴力が明るみに出て有罪判決が下ったハーヴェイ・ワインスタインだった。彼は制作者から作品を取り上げ、好きに編集することで悪名高かったそうだ。  フィールド監督は「バスルームで泣いた」と当時を振り返り、トム・クルーズに電話して、酷いことが起きたんだと訴えたそうだ。するとトムは、「君がすべきことはこうだ。6ヵ月かかるけど、彼に勝てるぞ。僕がこれから言うことを1つずつ、確実に実行するんだ」とアドバイスをくれたそうだ。  すでにプロデューサーとしても活躍していたトムのアドバイスは、まず、ワインスタインに映画を好きに編集させ、試写で悪い評価を受けさせる。その上で、サンダンスでの高評価を提示し、オリジナルの編集で公開させるというものだったそう。フィールド監督はトムのアドバイスに従い、見事オスカー候補入りを果たしたというわけだ。 〈以下略〉 (引用: クランク・イン!/2023年1月17日 )  『アイズ ワイド シャット』のビルとニックの心温まる話が報じられていたのでご紹介。  『アイズ…』は撮影期間が一年以上と長期間に渡ったので、出演者同士で仲良くなる時間もたっぷりあったんでしょうね。トム・クルーズとトッド・フィールドは友人同士になったみたいです。そのトッドが映画監督に転身したのは知らなかったのですが、よりによってセクハラ・パワハラの権化、ハーヴェイ・ワインスタインと絡むことになってしまうとは。今更この御仁の擁護をする人などいないでしょうが、トムがトッドにしたたかな「生き残り戦略」を指南し、見事思惑通りに事が進んだようです。  業界をしたたかに生き抜いたキューブリックも他の映画監督や俳優などによく相談され、今回のトムと同じように業界で生き抜く戦略を指南していたそうなのですが、キューブリックの場合、悪評(しか...

【関連記事】ジョン・レノンとオノ・ヨーコのかつてのパーソナルアシスタント 2人について逸話を語る

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ジョンの写真を撮るダン・リクター。後ろにはヨーコの姿も  1969年から1973年まで、ジョン・レノン(John Lennon)とオノ・ヨーコ(Yoko Ono)のパーソナルアシスタントとして一緒に生活し、一緒に仕事をしていたダン・リヒター。2人について、英デイリー・テレグラフ紙で語っています。  現在83歳の俳優でパントマイマーのリヒターは、1968年のスタンリー・キューブリック監督の名作『2001年宇宙の旅』のオープニングシーンにも出演しています。  リヒターがヨーコと初めて会ったのは1964年の東京でした。当時、2番目の夫である映画プロデューサー兼アートプロモーターのアンソニー・コックスと結婚していたヨーコはリヒターと最初の妻ジルとロフト・スペースをシェアしていました。その後も、リヒターとジルはヨーコとの友情を保ち、1969年の夏にジョン・レノンとヨーコがロンドン郊外の家ティッテンハースト・パークを購入した後、レノンとヨーコと一緒に住むことになりました。 〈以下略〉 (引用: amass/2023年1月4日 )  ダン・リクター(リヒター)は『2001年宇宙の旅』で猿人の「月を見るもの」を演じていますが、そのリクターはジョンやキューブリックよりも先にヨーコと知り合っていたのですね。そういえばヨーコはパフォーマンス・アーティストでした。ヨーコとは東京で共通の友人を通じて出会ったそうですが、パントマイマーであるリクターとは同じパフォーマーとして意見があったのかもしれません。ジョンとヨーコの出会いの経緯は有名なので省きますが、その後ジョンとヨーコは恋人同士になり、その関係からジョンの邸宅「ティッテンハースト・パーク」に取り巻きとして住むようになったようです。  邸宅でリクターはカメラマン(主に記録係)として働いていて、名曲『イマジン』のPV、名盤『ジョンの魂』のジャケ写もリクターによるものです。リクターはジョン&ヨーコがニューヨークに引っ越した後、1973年頃に別れたらしいですが(失われた週末で別居した頃?)、ジョンのニューヨーク時代はドキュメンタリー『ジョン・レノン、ニューヨーク』に詳しいです。そこには「愛と平和」どころか「セックス&ドラッグ&ロックンロール(おまけに浮気に別居)」な悪童ジョン・レノンの姿が生々しく語られていますので、興味の...

【関連記事】マルコム・マクダウェルが『時計じかけのオレンジ』で主演したがっていたミック・ジャガーとビートルズについて語る

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 〈前略〉  『時計じかけのオレンジ』公開50周年を迎えたゲストのマルコム・マクダウェルは、ミック・ジャガーがこの映画に出演したかったことや、ポール・マッカートニーがマクダウェルの別の作品『レイジング・ムーン』の音楽を担当しそうになったことなどを語りました。 〈中略〉  マクダウェルは、ジャガーと映画とのつながりや、シンガーが 『時計じかけのオレンジ 』の主演を望んでいたことについて、次のように話しています。「俺たちは昔、友達だった。ニューヨークでつるんでいたんだ。当時はアンディ・ウォーホルとかの〈ダチ仲間〉だったんだ。ある晩、セントラルパークの東側にある誰かのアパートでたむろしていたんだ。ジャガーが『時計じかけのオレンジ』でアレックスを演じたいというので、窓際の席に座って話していたんだ。キューブリックがこの作品を手に入れる前に、ミック・ジャガーとストーンズが(『時計…』を)やりたがっていたんだ!」。すごい、それは見てみたい!  その晩、マクダウェルはイタリアの聴衆に他の2つのことを話した。「ミック・ジャガーは私にこう言ったんだ、マルコム、50歳でこれをやるなんて考えられない!」マクダウェルはストーンズのリードボーカルの動きを真似て言った。「50? それで、今、彼らはどうなっているんだ?80? ファンタスティック!」。その夜、セントラルパークの暗い空間を見て、ミック・ジャガーはジョン・レノンが住んでいたダコタ・ビルの方を指さした、とマクダウェルは回想している。「そして彼は私に『王様はあそこに住んでいる』と言ったんだ。その瞬間、もちろん彼らはジョンが何であるかを知り、彼が王であることを知った。『それでおしまいだ』とね」。  ビートルズと同じくリバプールで育ったこの俳優も、グループとの付き合いは長い。まだシルバー・ビートルズと呼ばれ、カバーばかり歌っていた頃の彼らのステージを、地元で何度も見たことがあるのだ。「ガールフレンドに連れられて見に行ったんだ。私は、人前で話す人があんなに下品な言葉を使うのを聞いたことがなかったので驚いた。でも、何度も何度も足を運んだ。もちろん、彼らはレノンとマッカートニーという、当時のモーツァルトだ。そして彼らの音楽は、今も発売当時と同じように人気がある」。マクダウェルの息子の一人であるシンガー、ベケット・マクダウェルが演奏したビートル...

【関連記事】「私は彼を映画人として尊敬しています」『フルメタル・ジャケット』のマシュー・モディーン、キューブリックを語る

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Matthew Modine(IMDb)  〈前略〉 —スタンリー・キューブリック監督と『フルメタル・ジャケット』を製作することは、どのようなことだったのでしょうか?  私は彼を映画人として尊敬しています。そして、一人の男性として、父親として、夫として、彼を知ることになったのです。彼はおそらく、私がこれまで一緒に仕事をした中で最も自立した映画人だったと思います。彼は20ヵ月間働き続けても経済的に存続できる方法を考え出したのです。彼がしたことは探求し、実験することができる環境を作ることでした。彼はよく「何テイクやったのか?と聞かれるのが滑稽だ」と言っていました。彼はこう言いました。「モーツァルトに『ヴォルフガング、あなたのコンチェルトにはいくつの音があるのか?』と言われるのを想像してみてくれ。あるいはピカソに『あの絵は何画なんだ?』と。それはとても失礼なことで、誰が気にするんだ? 結果にこそ興味があるはずだろう?」 —『フルメタル・ジャケット』は、あなたが最も誇りに思っている映画ですか?  誰も見たことのないような子供たちも、私は大好きなんだと思います。アラン・パーカー監督の『バーディ』は大好きです。あれは役者として並外れた経験でした。また、『アラバマ物語』を1962年に映画化したプロデューサー、アラン・パクラとは、アルバート・フィニー主演の『オーファンズ』という映画で一緒に仕事をしたことがあります。私は彼との仕事がとても好きで、マイク・フィギス監督の『明日にむかって…』に出演したのは、純粋に彼ともう一度仕事をしたかったからです。彼は本当に生きる喜びを持っていて、いざ仕事をしようとするととても集中し、準備をしていて、これまで一緒に仕事をしたどの俳優とも違うのです。おそらく次に比べるなら、もう一人の紳士である『運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した』で一緒に仕事をしたイアン・マッケランでしょう。 〈以下略〉 (引用元: The Guardian/2022年11月13日 )  マシュー・モディーンはキューブリックに対して、いつも肯定的な発言ばかりではありませんでした。ギリギリまで判断を先送りしテイクを際限なく繰り返すキューブリックのやり方、特に拘束時間の長さにはかなり苛立ちを感じていたようです。インタビューにある「一人の男性として、父親として、夫として」とは、『フルメ...

【関連記事】1980年12月14日、『シャイニング』公開直後のシェリー・デュバルのインタビュー(抜粋)

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The Shining(IMDb) 〈前略〉  キューブリックとの仕事はどうだった?と私は尋ねた。「ほとんど耐えられないくらい」と彼女はあっけらかんと言った。「でも、他の見方をすれば、本当にとても素晴らしいことだと思います」。 〈中略〉 「キューブリックと一緒に仕事をするチャンスが来たんです」彼女は紅茶を一口飲んだ。「毎日毎日、耐えがたい仕事をこなす。ほとんど耐えられないくらいにね。ジャック・ニコルソンの役は、常にクレイジーで怒っていなければならなかった。私の役は1日12時間、1日中、最後の9カ月間はずっと、週に5日か6日、泣き続けなければなりませんでした。1年1ヶ月間そこにいましたが、プライマル・スクリーム療法には何か意味があるのでしょう、1日が終わって12時間泣いた後、私はとても満足して家に帰りました。とても落ち着いた気持ちになることができました。日中の私は、絶対に惨めだったでしょう」。 〈以下略〉 (引用: Roger Ebert.com:Interview with Shelley Duvall/1980年12月14日 )  シェリー・デュバルにとって『シャイニング』の撮影は非常に苦労が多かったのは事実で、このインタビューでも「ほとんど耐えられないくらい」と語っています。しかし同時に「とても素晴らしいこと」と発言しており、これは他のインタビュー(例えばドニュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャー』)でも同様です。  このインタビューで『シャイニング』に触れたのは抜粋した部分のみですが、『シャイニング』の後、テリー・ギリアムの『バンデッドQ』の撮影に参加しあやうく大怪我をしそうになったり、『ポパイ』のオリーブ役は肉体的な試練だったと語ったりしています。その後もシェリーは映画界・TV業界で活躍し続けたのですから、彼女にとって『シャイニング』への出演は「大変だったけど(キャリアアップできたことについては)素晴らしいこと」だったというのが本音でしょう。  そして、シェリーは「本当は科学者になりたかった」と語っています。パーティーでロバート・アルトマンに見出され、ためらいながらも女優としてのキャリアをスタートさせるのですが、彼女は本来とても明るいキャラクターでした。つまり演じたウェンディ・トランスの性格とは真逆だったのです。そうであるがために、シェリーがウェンディ役にコ...

【関連記事】「日本語吹替版がもっとも素晴らしかった」と…トム・クルーズを演じ続けた森川智之が叶えた“念願の対面” 『声優 声の職人』より#1

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森川智之(wikipedia)  〈前略〉 とんでもない現場でのかけがえのない経験  鬼才キューブリックの横で一緒に作品を作ってきた人ですから、面接の迫力もすごいものでした。開口一番、「ミスター森川はキューブリックをどう思う?」「この映画をどう思う?」という話になるんです。僕なりにがんばって答えましたが、今思えば特別なことが言えたわけではありません。  その後、演じるにあたってのディスカッションをしました。そのとき彼から求められたのは、「トムとまったく同じことをしてくれ」というものでした。トムがどのように役を理解して、どのように演じて、何を思ってしゃべっているのか。それをゼロから理解して、そのうえで演じてほしい、と。  僕は、「とんでもない現場に来てしまったなぁ」と思いました。それまでにも吹替えの仕事はたくさんしていましたが、この現場はすべてがちがいました。  2時間から2時間半の映画の吹替えを収録するとき、僕らは10時に集まり、お昼休憩をはさんで20時から21時くらいには終わることが多い。遅くなる場合があっても、せいぜい1日がかりです。  しかし、『アイズ ワイド シャット』は僕だけで1週間かかりました。もちろん1週間といっても、丸々1日収録した日もあれば、他の仕事の都合で5時間しか収録できない日もありました。ただ、5時間かけて台本1頁しか進まなかったり、前回の収録が気に入らないからといって同じ時間をかけて撮り直したりということもありました。  レオンはアクターズスタジオで学んだ役者でもあります。だからか、僕に対しても同じ役者として接していました。そして、要求もとても高度なものでした。  一般的にはスタジオの中にマイクが3本ほど立てられていて、3、4人で同時に収録するんですが、『アイズ ワイド シャット』では1人ずつ、しかも動きを交えての収録でした。吹替えの声優は声だけを演じればいいのがふつうですが、ここではそうじゃないんです。  ベッドシーンだとスタジオにベッドが置いてあり、トムと同じような格好をしてセリフを話すんです。ベッドに横たわり、映像を見て、マイクに向かって話す。いくつものことを同時にやらなくてはいけなくて。僕はしまいにセリフをすべて覚えてしまいました。覚えないとできなかったからです。  セリフをしゃべると、レオンが言うんです。  「おまえ、今何...

【関連記事】トム・クルーズ、カンヌ国際映画祭でキューブリックについて語る

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Tom Cruise(IMDb)  トム・クルーズの映画人としての実直さ、並外れた情熱と映画愛 30年ぶりのカンヌで語る「トップガン マーヴェリック」とキャリア 〈前略〉  さらに「アイズ・ワイド・シャット」でスタンリー・キューブリックと仕事をした経験にも触れ、「僕らは多くの時間を掛けて、異なるレンズ、異なるライティング、そして彼が映画に望むトーンなどについて話し合いました。彼は自分の映画のスタイルのなかに観客を混乱させるようなものを求めていたので、僕らはそれがどんなものなのかを見つけていかなければなりませんでした」と語った。 〈以下略〉 (全文はリンク先へ: 映画.com/2022年5月25日 )  トム・クルーズがカンヌ国際映画祭で栄誉パルムドールを受賞した際のティーチインで、キューブリックに触れていたのでご紹介。  最初は映画スターをキャスティングすることを渋っていたキューブリックですが、よほどクルーズのことを気に入ったのか、映画製作に関する多くのことをクルーズに教えたそうです。そのことについてカンヌのティーチインで触れたようですが、詳しい内容は以前インタビューで応えていていました。それについては以前 こちら で記事にしましたが、それがいかにクルーズにとって素晴らしい経験であったはリンク先記事にある通りです。  このように、海外ではキューブリックの映画製作の舞台裏を明かしたインタビューが数多く出稿されており、その独特の方法論が広く知られるようになりました。つまるところキューブリックは、俳優やスタッフとのコラボレーションによって、一緒に作品を作り上げることを目指していたということです。それは俳優やスタッフにも自作への深い関わりを求めるものであり、その要求はキューブリックの高い判断基準に適合していなければならないため、自ずと非常に厳しいものになるのです。その「厳しさ」さえも「パワハラ」だというのなら、クリエイティブな仕事などしない方がいいでしょう。現に出演者もスタッフも誰一人としてキューブリックを「パワハラ」と呼ぶ人はいません。確かに要求は厳しく、辛く苦しい体験でしたが、誰よりも一番厳しい要求を突きつけていたのはキューブリックが自身に向けたものだったのですから。  海外では広く報じられている「キューブリックは俳優やスタッフとのコラボレーションで映画製作をす...

【関連動画】ジョン・オルコットのドキュメンタリー『Six Kinds of Light John Alcott』で、『シャイニング』の撮影について語るシェリー・デュバルのインタビュー

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The 18 and the tube Jack Nicholson and I would just cringe every time we heard him say okay give me the 18 in the tube and we were getting so disappointed it makes furniture look great but for face I don't think it does too well. We were begging for a 50,75 my god a 75. But it was very head to make us look good I think Stanley used the to make us look just slightly distorted which is a little bit more frightening.And for Jack who was going slowly mad.And for me god knows why I mean when we cry I think it always can be bizarrely distorted.I think it's like crying looking into a mirror that's distorted.And that's what the 18 did for us. John tried his best.John Alcott you tried incentive and put in a word for us a couple of times saying.Danny, why don't give him over a 50 at least, you know I would try to 50 on this one.Everybody know.  ジャック・ニコルソンと私は、スタンリーが「18mm(レンズ)をセットしろ」と言うのを聞くたびにそわそわして、家具はよく見えるけど、顔にはあまり効果がないんじゃないかとがっかりしていました。私たちは、50mm、75mm、75mmをお願いしていました。  でも、スタンリ...

【関連記事】ワーナーの元CEO、テリー・セメルとトム・クルーズがインタビューで愛すべき監督、スタンリー・キューブリックとその最期の瞬間について語る

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元ワーナー・ブラザースのCEOテリー・セメルとトム・クルーズ  〈前略〉 アネット・インスドルフ :スタンリー・キューブリックが名監督として不朽の名声を保っているのは、主にその芸術的、技術的スキルに起因すると思いますか?それともそれ以上のもの、つまり彼の世界観からくるものなのでしょうか? テリー・セメル :私は後者だと思います。トムと私は、スタンリーと一緒に仕事をした誰もが、彼を愛していたことを保証します。彼は本当に素晴らしい人物で、とても頭がよく、明晰で・・・。 トム・クルーズ :・・・そして、とても面白い。 セメル :そうです、彼は素晴らしいユーモアのセンスを持っていました。『バリー・リンドン』(1975)になる映画に取り組んでいたとき、私はワーナー・ブラザーズの同僚に、この監督は日々どう進めばいいか指示されることはない、と説明したのを覚えています。彼がすべてのショットを決定するつもりだったのです。彼はすべてを自分でやったのです。全編を撮影しただけでなく、撮影現場には主要な俳優以外のスタッフはほとんどいませんでした。だから彼の仕事のやり方はリスキーだった。疑問もあった。でも『バリー・リンドン』は、私たちが一緒に仕事をした一連の映画の最初の作品であり、その後のプロジェクトで私たちが守り続けたルーティンを確立してくれたのです。 クルーズ :テリー、あなた方が行っていたルーティンを話してください。私はこれが大好きなんです。 セメル :ルーティンは決して変わりませんでした。私はスタジオの責任者ですから、スタンリーに手錠をかけるのは無理だと判断しなければならないと思いました。だから、これが私のルーティンでした。とてもシンプルなものでした。スタンリーは何本かの脚本に取り組み、次の作品にどうしてもやりたい脚本があると思うと私に電話してきて、「どのくらいでロンドンに来れるか」と言うのです。彼はカリフォルニアのスタジオに脚本を送りたがらなかったんです。『時計じかけのオレンジ』が公開された後、彼はたくさんの死の脅迫を受けたので、ロンドンという地域から離れたくなかったんです。だから私はロンドンに飛んで行きます。彼の義弟(注:ヤン・ハーラン)が毎回、同じホテルの同じ部屋に泊めてくれたんです。そして、スタンリーが電話で「テリー、今は必ず早く寝てたくさん休んでくれ」と言うんです。「...

【関連記事】『2001年宇宙の旅』の主演俳優、キア・デュリアの2018年のインタビュー。キューブリックとの仕事を「天国」と語る

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2018年のカンヌ映画祭で70mmアンレストア版『2001年宇宙の旅』が記念上映された際に登場した左からキア・デュリア、カタリーナ・キューブリック、ロン・サンダース、ヤン・ハーラン、クリストファー・ノーラン(画像引用: wikipedia - Keir Dullea )  『2001年宇宙の旅』の主演俳優が、50年後に象徴的な映画を語る 〈中略〉 Q:デヴィッド・ボーマンの役をどのように得たのですが? A:ロンドンでローレンス・オリヴィエとキャロル・リンレイと一緒に『バニー・レークは行方不明』という映画を撮影していたんです。オットー・プレミンジャーの映画でした。楽しい経験ではありませんでした。オリヴィエとの仕事は例外でした。それは素晴らしいことで、彼は私にとても親切にしてくれました。ある日仕事が終わった後、妻が私のエージェントに電話するように言いました。それで電話をかけると、エージェントが 「座ってる?」と聞いてきたんです。私は「いいえ、なぜ?」と答えました。彼は「君にスタンリー・キューブリックの次回作の主役のオファーがあった 」と言ったんです。私は自分が候補に挙がっているなんて全く知りませんでした。その件で誰かに会ったこともありません。まったくの青天の霹靂でした(注:デュリアは『突撃』を観て以来キューブリックのファンだった)。 Q:キューブリック監督との仕事はどんな感じでしたか? A:昔から虐める人だったプレミンジャーの下で働いていたから、地獄から天国に行くようなものでした。私はキューブリックの下で働くのが好きでした。彼は穏やかで、天才の前にいることを実感させる人でした。彼は完璧主義者だったし、彼の完璧さについては大抵は正しかった。また彼はアイデアに対して非常にオープンでした。必ずしもそれが採用されるとは限りませんが、何かを提案しても見下されるようなことはありませんでした。素晴らしい経験でした。 Q:『2001年…』を初めてご覧になったとき、どのように思われましたか?ロック・ハドソンが試写会から退席したのは有名な話です。 A:2回目のプレミアがニューヨークでありました。その夜、ニューヨークだけで250人がプレミアの終了を待たずに外に出て行きました。評判は最悪でした。60~70%以上のレビューがひどいものでした。ところが、2、3ヵ月後に突然、興行収入1位にな...

【関連記事】『バリー・リンドン』のライアン・オニール、伝説的映画監督スタンリー・キューブリックについて語る

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1970年頃のライアン・オニール( wikipedia - Ryan O'Neal )  〈前略〉 —『バリー・リンドン』を何度も見直すのは楽しいですか?  私はいつも再見しているわけではないよ!。でも、みんなが覚えていてくれるのは嬉しいね。 —どのように覚えているのですか?  試練としてだね!まだ誰にも言われたことがないのか?自分を彼に委ね、いつか彼が自分を解放してくれることを願ってたね。1年半(の仕事)かかったよ。 —その若さで、このような偉大な監督のもとで働けたことは良かったのではありませんか?  ああ、私は持続性があったからね。演じることができたんだ。彼はたくさんのテイクを撮ったよ。代役を立てないんだ。照明に時間がかかるんだ。だから、彼が火をつけるまでに、新しい仕事のリズムを学ぶことができたんだ。 —キューブリック監督はたくさんの蝋燭の明かりを光源として使っていました。その分、火をつけるのは簡単だったのでしょうか、それとももっと複雑だったのでしょうか?  そうだな、時には蝋燭が全部溶けて100本必要になったこともあったよ。テイクが取れないと新しい蝋燭から始めなければならなかったんだ。キャンドルは芯が3本あるので、吹き消すのが大変だった。私は全部消えるまで吹き消すのを手伝ったもんだよ。 —誰かが『バリー・リンドン』を「ほとんど何も起こらない映画」と評しましたが、それは正確には正しくありません。戦闘シーンやケンカはありました。何もない映画だと思いましたか?  そうだな、それは鋭い質問だね。私にとっては平穏ではなかったよ。彼らは私を削り取っていったよ。彼(キューブリック)が何をするつもりなのか分からなかった。私は1年間、映画を観なかった。観るに耐えない状態だったんだ。そして、自分が何を観たのかよくわからなくなった。とてもユニークな作品だ。スタンリーは愛すべき男で、みんな彼を愛してたよ。私たちは彼に夢中だった。彼が望むことは何でもやってみようとした。俳優だけでなく、みんながそうだった。彼は私たちの神様だったんだよ。 —彼はあなたに多くのことを期待したと言われていますが、彼自身はそれ以上に多くのことを期待していました。  まずは音響の仕事、そして演出と手一杯だったよ。彼は逝ってしまった。彼が死ぬとは思っていなかった。彼は永遠に生き続けると思っていたんだ。 —何...