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Stephen King(IMDb)  ホラー作家のスティーヴン・キング(Stephen King)氏(66)に、何からアイデアを得ているかなんて聞かないほうがいい。彼自身、アイデアの由来については分からないのだから。  そんなキング氏だが、1977年に出版した「シャイニング(The Shining)」のインスピレーションをどこから得たかは覚えている。  当時、コロラド(Colorado)州に住んでいたキング氏が、ホリデーシーズンが終わる頃の週末に、妻と山へ行ったときだ。滞在したスタンリーホテル(Stanley Hotel)の宿泊客はキング氏らだけだった。  「私たちはかなりシーズンから外れていた。みんながチェックアウトしてるところに、チェックインしたのだから」と、キング氏は振り返る。「外は吹雪で風のうなる音が聞こえたし、いすは全てテーブルの上に乗せられていて、気味が悪かった」  夕食後、妻は部屋に帰っていった。誰もいない殺風景な食堂に残されたキング氏は、その「雰囲気に浸った」という。「それから私も部屋に戻ろうとしたとき、壁際の消防ホースを見て思ったんだ。『うわっ、もしこれがヘビになって襲ってきたらどうなるだろう』とね。部屋に帰るまでには、頭の中でストーリーが全部できていたよ」  「シャイニング」は、人里離れたホテルに閑散期の管理人としてやって来たジャック・トランス(Jack Torrance)が妻と息子を殺そうとする話だ。1980年には、スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)監督、ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)主演で映画化された。  そして初版から35年以上たった今年、キング氏は続編「ドクター・スリープ(原題、Doctor Sleep)」を出版した。続編の主人公は、前作では超能力を持つ少年として描かれていた、ジャックの息子ダニー・トランス(Danny Torrance)だ。死んだ父と同じようにアルコール依存に陥り、暴力性を抱えた中年になるが、ホスピスで働きながら超能力を使って患者の安楽死を手伝っている。そしてテレバシー能力を持つ子供アブラ(Abra)と出会い、過去が呼び覚まされる。  いつもは続編を書かないと、キング氏は言う。「ストーリーを書き終えたら、登場人物とも別れる。彼らを嫌いになるわけではなく、次に何が起こるかな...

【関連書籍】前哨(The Sentinel)/アーサー・C・クラーク 著

 『2001年宇宙の旅』のベースになった、 1950年に発表したクラークの短編小説。人類は月に謎のピラミッドを発見したが、謎のまま結局破壊してしまう。だがそれは異星人が残していった人類進化の進捗状況を知るための「警報装置」だったかもしれない・・・というお話。「映画の原作に使えそうだ」とクラークがキューブリックにこのストーリーを勧めたという点から「2001年の原作」と評する向きもあるようだが、『2001年…』は本作以外にも様々な作品から要素を取り込んでいるので、「映画『2001年…』を製作するにあたっての出発点の小説」という認識が正しい。  興味深いのは『2001年…』の元ネタの一つでもある『地球への遠征』が収録されている点だ。この作品は本書でしか読むことができないのでその意味では貴重だろう。  ちなみに本作は本書以外でも『失われた宇宙の旅2001』や『メイキング・オブ・2001年宇宙の旅』でも読むことができる。

【小説家】フレデリック・ラファエル(Frederick Raphael)

  『アイズ…』で、キューブリックと共同で脚本を担当した作家兼脚本家。自著『アイズ ワイド オープン』には、キューブリックの強い要望で、ストーリーを膨らむに膨らませた揚げ句、最後に物語の骨子部分だけを抜き出し、残りを全部棄られてしまった一部始終が綴られてる。キューブリックにとって、脚本は文字通り映画の骨子でしかなく、物語は映像で語るものだったのだろう。他の作品は『いつも2人で』('67)、『デイジー・ミラー』('74)、『マスカレード/仮面の愛』('90)など。『ダーリング』('65)でアカデミー脚本賞を受賞。  1931年8月14日アメリカ・イリノイ州生まれ。

【小説家】スティーブン・キング(Stephen King)

  『シャイニング』の原作者。'74年に『キャリー』を処女出版後次々に傑作を発表、「モダン・ホラーの旗手」と呼ばれるベストセラー作家に。映画化された主な作品だけ挙げてみても、『クリープショー』(1982)、『クリスティーン』(1983)、『スタンド・バイ・ミー』(1986)、『ペット・セメタリー』(1989)、『ミザリー』(1990)、『ショーシャンクの空に』(1994)、『グリーン・マイル』(1999)、『アトランティスのこころ』(2001)、『ドリームキャッチャー』(2003)、『シークレット ウインドウ』(2004)などめちゃくちゃ多数。1997年には、よほどキューブリック版が気に入らなかったのか、『シャイニング』のリメイク権をワーナーから買い戻し、TVシリーズとして製作・監督している。  1947年12月21日アメリカ・マイアミ出身。

【関連書籍】アイズ ワイド シャット(角川文庫)/スタンリー・キューブリック、フレデリック・ラファエル 著、高橋 結花 訳

  『アイズ…』の脚本と原作がセットになったお得な文庫本。映画から書き出した脚本は字幕スーパーより丁寧に訳されているので、キューブリックの真意の確認にはもってこいの資料だ。  一方の原作は『夢奇譚』より現代語訳されているので読みやすい。そのかわり19世紀のウィーンの雰囲気が若干損なわれている気はしないでもないが、それは好みの問題だろう。そして巻末の解説は・・・やはりキューブリックの「真意」に気付いていない。「ノゾキに淫した映画」はそうなのだが、そのノゾキ感覚こそが「カリカチュアと寓話」そのものであり、キューブリックの「痛烈な批判」であるとは思い至っていないようだ。残念。

【関連書籍】『シャイニング(上・下)』スティーブン・キング著

  現在はホラーだけでなく、ありとあらゆる小説がベストセラーになり、そのかなりの作品が映画化されているスティーブン・キングのベストセラー傑作ホラー小説。  圧倒的な筆力と構成力で、読むものをぐいぐいと引き込んでゆく手腕は流石で、ホラーファンならずとも、一級のエンターテイメントとして十分に堪能できる作品に仕上がっている。こんなに楽しめる小説を、ああいう形で映画化したら、原作者が怒るのも無理はない、と読後に納得させられる程の高い完成度だ。  だが、それは小説という、映像を頭の中で描く媒体だからこそ成立する話であって、映画という、映像をそのまま受け手に見せてしまう媒体では、B級ホラー映画に成り下がってしまうのは避けられない。キューブリックが、そんな陳腐な代物を撮るはずもなく、慎重に原作を取捨選択や改変・追加し、独自の世界観を創出してみせたという事実は、もっと評価されてしかるべきだろう。  しかしキングは、その映像センスは認めつつも、原作をズタズタにされ、骨抜きにされた恨みからか、長年に渡りキューブリックを酷評してきた。ところが'97年になって、突然この『シャイニング』をリメイクするというチャンスが訪れ、「映画版『シャイニング』について、今後いっさいあれこれ言わない、との条件を呑めば映像化権を渡す」との取り決めをキューブリックと交わし、自身で製作したTV版『シャイニング』を完成させる。つまり現在では、小説版、映画版、TV版と三種類の『シャイニング』が存在するのだ。  多少複雑な経過をたどった本作であるが、映画版・TV版は、その物語の消化の方法において、好悪が分かれるきらいがあるかも知れない。しかし、この小説版が誰の目にも傑作であることに異論はないだろう。

【関連書籍】『夢奇譚(夢小説)』アルトゥル・シュニッツラー著(原題:Traumnovelle)

 夢奇譚 (文春文庫)(Amazon)  初めてこの小説を読んだとき、あまりも映画のストーリーそのままなのにまず驚かされた。キューブリックはなんと、ストーリーラインを変えることなくほとんどそのままを映画に取り込んだのだ。だからと言って映画は、この小説の舞台と設定を、単に19世紀末のウィーンから、20世紀末のニューヨークに移し替えただけの代物、と言い切ってよいのだろうか?  小説は、表面的な幸福の中に潜むどす黒い欲望と裏切りが、夢や現実の形となって現われる不可思議な妄想の世界を描いたものだ。主に夫婦間や男女間の問題を扱っており(現に脚本を担当したフレデリック・ラファエルは、映画版のタイトルを『女性の問題(The Female Subject)』にしよう、とキューブリックに持ちかけている)、未婚者や若年層にはピンとこない物語かもしれない。また、不倫願望や不逞、スワッピングや乱交など、この時代ならともかく現代人には全くショックを感じない。  ところが映画はそういう表面的なモチーフは継承しつつもっと解釈を広げ、現代人にとって最も妄想を描きやすい「映画」という媒体を中心に、ありとあらゆるメディアを使って壮大な「夢の世界」を現出させよう、という大胆なものだった。その夢の世界へ、年齢、性別を問わず、あらゆる世代を呼び込みために、謎の物語を用意したり、セクシャルなトレイラーを流し続けたり、意味深なポスターで見るものを誘おうとしたのだ。  ただ、メディアに踊らされるままに映画館に「2時間の夢物語」を堪能しに出向いた観客に、小説とも、当初の脚本とも違うラストシーンを用意したキューブリック。そこには激しい憤りと深い失意。そして決別の意志が込められている。

【関連書籍】『フルメタル・ジャケット』グスタフ・ハスフォード著(原題:The Short-Timers)

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フルメタル・ジャケット (角川文庫)(Amazon)   作者のハスフォードは、この小説の主人公と同様に、ベトナム戦争に海兵隊の報道記者として従軍している。その体験をフルに活かして書かれた処女作が本作なのだが、とにかく、全編を貫くクールでドライな感覚に、まず驚かされる。登場人物の「個性」や「人格」を全く描写せず、まるで戦争を他人事かのように扱う淡々とした描き方は独特で、戦場のあまりにも醜悪な現実に、人間としての感覚が完全にマヒしてしまっているその姿は、実体験に基づかないと、とても描ききれるものではないだろう。  除隊する日を心待ちにしながら、目の前にある戦争という狂気の沙汰を、あたりまえの事として受け入れている海兵隊員達…。反戦・平和を標榜するでもなく、戦争や軍隊の不条理さを糾弾するでもなく、ただ、日常的にあっけなく殺し合いをする(たとえそれが味方同士であったとしても、戦略的に大きな意味を持たない作戦でも)という衝撃的な内容は、キューブリックが飛びつくのも頷ける、質の高い作品だ。

【関連書籍】『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ著(原題:Lolita)

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  まず、断っておかなければならないのは、この小説が出版された当時(1955年)、「少女愛」という嗜好は全く認知されておらず、更に作者のナボコフや映画化したキューブリックでさえ、それがどういうものなのかはっきりと認識していなかった、という事だ。  この小説がセンセーショナルな話題を呼び、少女を愛する嗜好の持ち主を「ロリータ・コンプレックス(ロリコン)」と呼ぶようになるのだが、時代を経るにつれて、その意味するところは微妙に変化し、現在では「成人した女性と正常な恋愛関係を持てない者などが、支配欲や性欲の捌け口として、自分に隷属する対象を弱者である幼い少女に求め、それを偏愛する」という傾向に陥ってきている。しかし当時、こんな現実が未来に待ち受けていようなどと、ナボコフもキューブリックも想像だにしていなかったに違いない。  もちろんロリコンではなかったナボコフは、この小説を執筆するに当たり、自分の趣味である蝶の収集を、少女の偏愛として置き換えることによって物語を創作している。街から街へ、安モーテルに泊まりながら当てもなく愛するロリータと共に車で旅するハンバートは、蝶の採集でアメリカ中を車で旅した作者自身の姿だ。そしてロリータは、その中でもとびきり美しい(もしくは貴重な)蝶であったに違いない。  それにロリータも決して従順で大人しい、薄幸の美少女などではなく、現在なら渋谷の繁華街でたむろするような、すれっからしの性悪な少女として描かれていて、決してハンバートの意のままになることはない(人間の意向を無視し、気ままに野山を飛び回る蝶のように)。知性も教養も社会的地位もあり、時折フランス語を交えながら文学的に語るハンバートが、他人には理解不能な「ニンフェット」の定義をくどくど説明したり、単なる変態的妄想を雄弁に力説したり、その割には簡単な罠に引っ掛かって地団駄を踏み続ける姿は、なんとも可笑しく、馬鹿馬鹿しく、そして哀れだ。  そんなロリータをやっとのことで捕まえたハンバートだが、すでに美少女の面影はなく、だらしない妊婦になっていて、 あれだけ忌み嫌った母親のシャーロットにそっくりなのにも気付いてしまう。だがハンバートは失望するどころか、自分はロリータを「一人の女性」として本当に愛していたことに初めて気が付くのだ。この皮肉なまでに遅きに失した愛の自覚…。キューブリックはこの点...