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【関連記事】原田眞人氏が『フルメタル・ジャケット』のセリフ翻訳担当の経緯と、その作業内容を語ったインタビュー記事

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原田眞人(wikipedia)  字幕翻訳者交代劇から始まったキューブリック監督との絆 原田:日本では一般的にFワードに対して「バカヤロー」とか「クソガキ」とか、通り一遍の訳し方をしちゃう。でもキューブリックは一言一言全部チェックしてたから、何がどういうふうに間違っているかっていうのを把握していた。英語圏の人にとっても初めて聞いたような罵倒の言葉を使ってるわけだから、それは日本人にとっても、初めて聞く罵倒の言葉じゃなきゃダメだって。「セイウチのケツにド頭つっこんでおっ死ね!」とかね。ああいうのが、その通りに訳されてなかった。それで、誰かそういう感覚が分かる奴いないのかってことで僕に話がきた。僕はキューブリックの気持ちも分かるので、喜んでやりましょうって。そのあとは、メールもネットもない時代だから、ほとんど毎晩のようにキューブリックと直接電話で連絡し、少し訳しては向こうに送って、それをキューブリックがチェックして。キューブリックからダイレクトに「ここはオリジナルとは変わっているけど、どういう理由なの?」と質問がきて、理由を説明すると、「元に戻そう」という時もあれば、「それでいこう」という時もある。そんな、細かいやり取りをしていった。でも、途中からはお互いの感覚が分かったし、僕は基本的にキューブリックの意向に沿ってやりたい、っていう気持ちを彼も分かってくれて、「任せるよ」ということになっていったんだ。 衝撃の事実!劇場公開用に製作された日本語吹替だった! 原田:キューブリックの意向で日本語吹替版を作ることになったっていうことは、劇場版として日本語吹替版をやりたいっていうことだったと思うよ。だけど日本語吹替版は劇場公開されなかった。でも素材としては存在していたから、水曜ロードショーでやろうって話になったんじゃないかな。ところが内容的に放送禁止用語が結構いろんなところに出てきている。それで放送できなかった、ということかもしれない。 だけどテレビ用の日本語吹替版とは比較にならないくらいお金かけているんで(笑)キャスティングも含めて。観たいと思っていたけど、なんで出ないんだろうってずっと思っていた。 キューブリックからもお墨付き!原田眞人翻訳・演出の日本語吹替版 原田:キューブリックも利重剛と村田雄浩をすごく気に入っていた。彼は各国の吹替え版を全部持っていて、言語バラバ...

【関連記事】手塚治虫『惑星ソラリス』『2001年宇宙の旅』を激賞する

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『惑星ソラリス』(1972)と『2001年宇宙の旅』(1968) 配給会社の思惑で『2001年…』とは何も関係がないにも関わらず、勝手に『2300年未来への旅』(1976)という酷い邦題にされた『Logan's Run(ローガンの脱出)』 『2001年宇宙の旅』の美術監督をオファーされた漫画の神様、手塚治虫 SF映画の魅力  今年はSF映画の年だなんていうんで、ずいぶん期待していたのに、上半期はロクなのがこない。  ただひとつ、これは、『Apache』を買う金があったらみにいってちょうだいよ。いや、 間違い。『Apache』を買って映画へいこう。ソ連製SF映画「惑星ソラリス」だ!  これはもう、NHKのニュースセンター9時でも紹介したくらいだから、みたがっている人が 多いだろう。残念なことに特殊な配給方法なので、東京、大阪など大都市以外の地方館では上映しないようだ。この映画の、なんてったってみどころは、あの主役のナタリヤ・ボンダルチュク。 このコの演技がまず、アカデミー賞もの。  このコの役は、ハリーという、死んじまった若い人妻の役。この人妻そっくりに、得体の知れ ないものが化けて、スーッと現れるのだ。そして主人公の男に惚れちまって寝ようってわけなんだが、亡き妻そのままの姿に、男は気味悪がって逃げの一手。  まといつこうとする、にせハリーの執念がすさまじい。金属のドアを手でブチやぶって、血だらけになって出てくるのだ。ついに彼女は液体酸素を飲んじまって、そり返ってのたうちまわって、凍ってしまう。  いやなんとも、こんなものすごい女優の演技は、めったにお目にかかれないよ。  この「惑星ソラリス」、どうも、アメリカSF映画「2001年宇宙の旅」をひどく意識してつくったみたい。そういうわけで、いよいよ来春再公開がきまった「2001年―」 には、みていないヤング諸君も、もうゼツ大の期待をもっていてほしい。  さっきぼくが、今年はSF映画の年なのにロクなのがこないといったのは、実は、「2001年―」が今年の夏に封切られるハズになっていたのに、都合で来年にまわされたから、いよいよヤケクソ気味なのだ。というのは、この春に、題名のまぎらわしい「2300年未来への旅」 なんていうのが封切られてしまったせいだという説がある。「2001年―」に比べれば「2300年―」は、やはり、格...

【ブログ記事】11人の映画監督がスタンリー・キューブリックを語る

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「キューブリック作品1本は、他の誰かの映画の10本に匹敵します。キューブリック作品を観るのは山の頂上を見上げるようなものです。見上げながら『どうしたらあんなに高い所に登れるのだろう』と思うのです」〜マーティン・スコセッシ 「この人には沢山傑作があるけど、この作品(『バリー・リンドン』)はローソクの明かりで感度の良いフィルムと特別なレンズで撮影したらしいんだ。それが素晴らしい、とても綺麗な画面でね。成功しているからね、その試みが」〜黒澤明(引用:文藝春秋編『夢は天才である』) 「スタンリー・キューブリックは私の大好きな映画監督の一人です。彼は私のキャリアの初期にとても名誉なことをしてくれて本当に励みになりました。私は『エレファント・マン』の制作中、イギリスのリー・インターナショナル・スタジオの廊下に立っていました。『エレファント・マン』のプロデューサーの一人、ジョナサン・サンガーがジョージ・ルーカスと一緒に仕事をしていた何人かの男たちを連れてきて、「彼らが君に話があるそうだ」と言いました。私は「わかりました」と言いました。彼らは「昨日私たちはエルストリー・スタジオにいて、キューブリックに会いました。彼と話していると、彼は『今夜私の家に来て、私の好きな映画を観ないか?』と言いました。私たちは「それはいいね」と言いました。私たちは上階に行き、キューブリックは『イレイザーヘッド』を見せてくれました」その瞬間、私は安堵し、幸せになることができたのです」〜デビッド・リンチ 「『2001年宇宙の旅』のカットを見れば、この大きな飛躍がわかります。それを実現するには実に膨大な自信が必要です。自分の作品でそのようなことをやりたいのか? はい。でも、私にはそんな自信はないと思います。だからこそ、スタンリー・キューブリックはただ一人しかいないのです。彼は真似できない存在だと私は信じています。でも、インスピレーションを受けることはできます。その自信を持てるよう、インスピレーションを受けることはできるのです」〜クリストファー・ノーラン 「彼は偉大な監督だが、まだ偉大な映画を作っていない。私が彼に見るのは、彼のすぐ前の世代の偉大な監督、つまり(ニコラス・)レイや(ロバート・)アルドリッチなどが持っていない才能だ。おそらくそれは彼の気質が私に近いからだろう」〜オーソン・ウェルズ 「スタンリー・キュ...

【ブログ記事】手塚治虫、キューブリックを語る

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 『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』はもっと『2001年』が向こう(アメリカ)で受けていたら、ぼくはキューブリックがつくった映画じゃないかって気がする。ぼくは『スター・ウォーズ』はともかく『未知との遭遇』的なものはキューブリックが狙っていたのではないかという気がする  つまりキューブリックもある意味では一つのカリスマというか、哲学的な思考を持っているでしょう。そういうものをずっとつきつめていくと宇宙心理みたいなものに走っていく。ただキューブリックの映画が受けなかったのは(で)、僕は(スピルバーグが)それを引き継いでかたきをとったという、そんな気がする  ただ『スター・ウォーズ』にしても『未知との遭遇』にしてもぼくはクラシックになる恐れがあると思う。『2001年』はクラシックにならない気がする。何か新しいとか古いを超越しているような・・・キューブリックのものは何を見てもそんな感じがする。『時計じかけのオレンジ』を見てもそうだしね  つまりルーカスもスピルバーグも完成されすぎているんですね〈中略〉ところがキューブリックは未知数なんですね。おそらくキューブリックは最後まで未知数の男で、受けるのか受けないのか、本当に名人なのか、素人なのかわからないという感じで、それが、ぼくはやはり未知の面白さみたいな感じだと思う (引用:季刊映画宝庫 SF少年の夢)  手塚治虫はキューブリックのファンで、自作の漫画やアニメにもその影響はそこかしこに感じられます。また本人の弁として「キューブリックにどうしても会いたくて、ニューヨークに何回か行ったんだけれど、いつでもいなかったですね。いなかったのは当然で、撮影であちらこちら飛び回っていたのでしょうね(手塚はキューブリックが旅行嫌いでイギリスに定住したことを知らない)」と語っています。一部では逆にキューブリックが手塚治虫のファンだった、という言説が流されていますが(その元凶は事もあろうか手塚眞氏)、そういった事実はいっさい確認されていません。キューブリックの興味は常に映画にあり、アニメはその対象外でした。では なぜ『鉄腕アトム』を観ていたのか? ということですが、キューブリックは自宅マンションで子供が観ていたのをたまたま見かけて「これは・・・」と思ってNBCに連絡先を聞いたのだと思います。常にアンテナを張っていたキューブリックのことですから...

【関連記事】『2010年』製作の裏話を語るピーター・ハイアムズのインタビュー

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Peter Hyams(IMDb) 〈前略〉 —『2010年』を引き受けることに不安はなかったのですか?  MGMから『2010年』を依頼されたとき、私はやりたくなかったんです。私がスタンリー・キューブリックと比較されるのは、背の低い人がシャキール・オニールと比較されるようなものだからです。私はこの本を読んでMGMに「このプロジェクトを引き受けるには2つの条件がある」と言ったんです。ひとつは、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの許可が必要なこと。もうひとつは、私の経歴と、この本がロシア人とアメリカ人が協力して宇宙を航海をするという内容であることから、冷戦をもっとテーマにした作品にしたいということです。宇宙にいる間は、地球上ではあまり良い状態ではない、平和ではない状態を作りたかったのです。レーガン政権の時代です。MGMは「問題ない」と言ってくれました。  スリランカにいるアーサー・C・クラークと長距離電話をしたのですが、彼はとてもいい人でした。彼は私がやりたいことに賛成だと言ってくれました。私は彼と密接に協力し、脚本を書きながら彼にページを送り、コメントをもらいたいと伝えました。当時はまだコンピュータがない時代。Kプロは私のオフィスとアーサー・C・クラークの家にコンピュータを設置しました。毎日、私が書いたものをバイナリ送信して朝には彼のコメントが届くのです。  スタンリー・キューブリックと話をする時間を設けました。私がオフィスにいると、秘書が入ってきて、「スタンリー・キューブリックから電話です」と言ったのを覚えています。私は電話に飛びつき、文字通り立ち上がりました。彼と話している間、ずっと立っていたんです。私は「こんにちは、キューブリックさん」と言いました。すると彼はすぐに「『アウトランド』で、あのショットはどうやって撮ったたんだ・・・」と言い出し、私がどうやったか、なぜそうしたか、どのレンズを使ったか、F値はいくつかなど、撮影に関するあらゆる技術的な質問をし始めたんです。会話の約1時間半後、私は「聞いてください。あなたは私が・・・を行うことを認めますか?」と尋ねました。そして私が言葉を発する前に彼は「ああ、ええ、結構です。あなたはそれによって素晴らしいことになるでしょう」。そして彼は技術的な質問を続けました。電話を切る前に、彼は「これが私があなたに伝...

【関連動画】1999年3月21日、第71回アカデミー賞でスティーブン・スピルバーグが述べたキューブリックへの弔辞と謝辞

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  その人は、私たちが想像もつかないような所に連れて行こうとして、私たちのために創り出してくれました。その人の名はスタンリー・キューブリックです。  彼は『2001年宇宙の旅』で有名になった次の世紀を見届けることなくこの世を去りました。スタンリーは自分の映画を絶対に自分の思い描いたとおりに観て欲しいと願っていて、そのためには彼は一歩も譲りませんでした。そしてその勇気に応えることができたなら、私たちは彼の世界へ直接連れて行かれ、彼のビジョンの中に入り込むことができたのです。映画の歴史上、あのようなビジョンは他にありませんでした。それは希望と驚異、優美さと神秘のビジョンでした。それは私たちへの贈り物であり、そして今、遺産となったのです。  彼の挑戦を受ける勇気を持ち続ける限り、私たちはその挑戦と糧を得ることができるのです。そしてそれは私たちが感謝と別れを告げた後も、ずっと続いていくことを私は願っています。 -スティーブン・スピルバーグ  キューブリックが1999年3月7日に逝去してから半月後に行われたアカデミー賞におけるスティーブン・スピルバーグのスピーチです。  キューブリックはアカデミー監督賞も作品賞も獲っていない、というは有名な話ですが、キューブリックが受け取ったオスカーは『2001年…』の特殊視覚効果賞で、これも一部門にエントリーできる人数は3人までとアカデミーに言われ、仕方なく自分の名前を記入した、という経緯です。  記入すべきその4人とはウォーリー・ヴィーヴァース、ダグラス・トランブル、コン・ペダーソン、トム・ハワードですが、それぞれ特撮全般、HALのアウトプット画面とスターゲート・シークエンス、モデル製作と複雑な合成過程の管理、高精細フロントプロジェクションシステムの構築と、この4人のうち誰一人として欠くことのできないスタッフであることは言うまでもないでしょう。たとえそういう事情があったとしても、キューブリックが代表でオスカーを受け取ってしまったことはその後に遺恨を残し、特にダグラス・トランブルはたびたび不満を表明していました。でもそれも「もういいんだ」とキューブリックの亡骸の前で涙を流したので、心中穏やかに旅立てた(2022年2月7日に逝去した)のではないでしょうか。  キューブリック冷遇の理由で考えられるのは、巨大産業である映画製作をイギリスで...

【関連動画】『岡村洋一のシネマストリート』にゲストで登場した手塚眞氏が語る『手塚治虫とキューブリック』の動画

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手塚眞氏が語る、手塚治虫とキューブリックとのエピソードは5:07から  手塚眞氏は過去に幼い頃に父、手塚治虫に連れられて『2001年宇宙の旅』を観に言ったエピソードを語っていましたが、例の「キューブリック手紙事件」に言及したのを初めて見ました。興味深いのは手塚氏自ら「父は『2001年…』から逆影響を受けた」と語っていること。主に宇宙船のデザインなど未来イメージについてですが、それは手塚治虫だけでなく、日本中、いや世界中のクリエーターが影響を受けまくったのは周知の事実です。  その「キューブリック手紙事件」は、長い間「手塚治虫のホラ話」と疑われていました。と、いうのも時系列が合わなかった(手塚治虫の証言通りならキューブリックはまだ『2001年…』の制作に着手していない)からです。それは「【考察・検証】キューブリックが『2001年宇宙の旅』の美術監督を手塚治虫にオファーしたのは本当か?を検証する」の記事で検証した通り、手塚治虫自身が単に1年勘違いしていただけ、ということを証明してみせました。手紙の中身は焼失してしまいましたが、封筒は現存しているので現在この件を疑う人はもういないでしょう。  このラジオ番組「岡村洋一のシネマストリート」は、かわさきFM(79.1MHz)で毎週月曜日13:00~15:00放送だそうです。興味のある方は聴いてみてはいかがでしょうか。

【考察・検証】キューブリックが『2001年宇宙の旅』の美術監督を手塚治虫にオファーしたのは本当か?を検証する

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キューブリックから手塚治虫に届いた手紙の封筒。中身は本人によると「お袋が燃やしてしまった」そうだ  キューブリックから手塚治虫に「『2001年宇宙の旅』の美術監督を担当して欲しい」とのオファーがあり、それを断ったという有名な逸話がありますが、一部ではこれを「手塚治虫のホラ話」とする論調も見られます。今回はこの真偽を主に3つの資料から検証したいと思います。 (1)キューブリックが手塚治虫に当てた手紙の封筒の写真  上記の写真です。これによると差出人のキューブリックの住所は「239 Central Park West New York City」となっています。またニューヨークの郵便局の消印は1965年、石神井郵便局の消印は昭和40年(1965年)1月9日です。もし美術監督の話が「手塚治虫のホラ」であるならば、この封筒は偽造された事になります。 (2)自叙伝『ぼくはマンガ家』(毎日新聞社・1969年)に於ける記述  日本に帰ってしばらくしたら、S・キューブリックと署名した手紙が来た。「博士の異常な愛情」や「スパルタカス」「突撃」などで、ぼくの好きなニューヨーク派の映画監督、スタンリー・キューブリック氏だとわかって、とびあがった。 「わたしは、小さなプロダクションで映画を作っている一製作者であります」と、手紙は謙虚に始まった。「あなたの作られた『アストロ・ボーイ(※鉄腕アトムの英題名)』を見て、NBCにあなたの住所を訊いてお便りするのですが、実は、こんど、わたしは、純粋なSF映画をひとつ作ろうと思っています。それは二十一世紀の月世界を舞台にしたもので、科学的根拠に基づいた、シリアスで、真面目なドラマであります。ついては、あなたにその映画の美術デザインのことで協力を求めたいので、次のわたしのお訊ねにご返事いただければ幸いです。一、あなたは英語ができるのか?二、一年ほどの間、あなたが家族とはなれ、ロンドンのわれわれのスタッフといっしょに生活してもらえるか?以上、なるべく早くご返事を賜れば幸甚」 というていねいな文面で、これはぼく個人にとっては、またとないチャンスであった。  だが、残念なことに、すでに「鉄腕アトム」は製作を進行し、虫プロダクションを一年も留守にすることは、到底できない。 「非常によいお話で興味を持ったが、なにしろうちには、食わせなければならない人間が二百六十名...

【交友録】クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski)

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Krzysztof Kieślowski(IMDb)   『トリコロール三部作』で有名なポーランドの映画監督。キューブリックはキェシロフスキを高く評価していて、特にTVドラマ『デカローグ』に感激。「この作品を監督できていたらどんなによかっただろう」と感想を洩らしている。また、出版された『デカローグ』の脚本の序文を寄稿している。  主な監督作品は『初恋』(1974)、『地下道 』(1974)、『ある党員の履歴書』(1975)、『スタッフ 』(1976)、『傷跡』(1976)、『アマチュア』(1979)、『平穏』(1980)、『短い労働の日 』(1981)、『偶然 』(1981)、『終わりなし』(1985)、『殺人に関する短いフィルム』(1988)、『愛に関する短いフィルム 』(1988)、『ふたりのベロニカ』(1991)、『トリコロール/青の愛』(1993)、『トリコロール/白の愛』(1994)、『トリコロール/赤の愛』(1994)など。死後『ヘヴン』(2002)、『美しき運命の傷痕』(2005)の脚本が映画化された。  1941年6月27日ポーランド・ワルシャワ出身、1996年3月13日死去、享年54歳。

【交友録】ジョン・ミリアス(John Milius)

 『ダーティーハリー1/2』や『地獄の黙示録』の脚本家。後に監督業にも進出。黒澤明のフォロワーでも有名。  好戦的だとか右翼だとか批判の多いミリアスですが、キューブリックとも親交があり、『フルメタル・ジャケット』では『地獄の黙示録』の経験から色々キューブリックにアドバイスしたそうです。リー・アーメイは『地獄…』にも参加していますので、ミリアスかマイケル・ハーの推薦があったんではないでしょうか。  その『地獄…』のラストシーン、ミリアスが書いた当初の脚本では、ウィラードを含むカーツ軍団VSベトコンの大規模戦闘シーンが予定されていて、BGMは大音響でドアーズの『ハートに火をつけて(Light My Fire)』が流される予定でしたが、様々な事情から中止になり、現在の形になりました。  1944年4月11日、ミズーリー州セントルイス出身。

【関連記事】キューブリック、「博士の異常な愛情」続編をT・ギリアムに撮らせたがっていた

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Terry Gilliam(IMDb)  故スタンリー・キューブリック監督が生前、傑作「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1964)の続編の構想を温めており、そのメガホンをテリー・ギリアム監督にとってほしいと考えていたことが明らかになった。  ギリアム監督が米Twitchとのインタビューで明かした。ギリアムは、「キューブリックの死後、彼と交渉のあった人物から聞いた話だが、キューブリックは『博士の異常な愛情』の続編を私に監督させたいと考えていたらしい。彼の死後に初めて知った話だが、それはぜひともやりたかったよ」と話した。  事実、同作の脚本をキューブリックとともに手がけたテリー・サザーンは、1995年に死去する以前に「Son of Strangelove」と題された続編の脚本に着手していたという。続編では、オリジナル版でピーター・セラーズが演じたストレンジラブ博士が、自分以外は女ばかりという地下シェルターにいるという設定だった。残念ながら、ギリアム以外はキューブリック、サザーン、セラーズ全員が故人となっている。  「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」は、東西冷戦時代を背景に、戦争が世界の破滅を導くことをシニカルに描いたブラックコメディ。ストレンジラブ博士、米大統領、英国空軍大佐の3役を演じたセラーズの主演男優賞ほか、作品賞、監督賞、脚色賞の4部門でアカデミー賞にノミネートされた。 (引用: アメーバーニュース/2013年10月20日 17時30分 )  続編?・・・いやこれはちょっとマユツバですね。ソースがキューブリック本人や家族ではなく「交渉のあった人物」というのがどうもね。それにあれだけ自作を大切にするキューブリックが続編を望むというのもありえない。あの『2001年宇宙の旅』の続編『2010年』も「あいつら全部説明してしまいやがった!説明した途端に全ての意味は失われるのに!」と、たいそうご立腹だったというのに。  でも、そんな伝聞でも「ぜひやりたかった」と語るギリアムはよっぽどキューブリックが好きなんでしょうね。

【インスパイア】『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』のオープニングシーンに「スターチャイルド」登場?

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  いきなりのスターチャイルドの登場で(実写?)、その影響を隠しもしない手塚治虫の1980年のアニメ映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』。作画は丁寧ですがストーリーは退屈で凡庸な作品という印象。手塚作品ってマンガで読むと抜群に面白いのにアニメにするとどれもイマイチ。なぜなんでしょうね?

【考察・検証】見えざる影響を及ぼし合う、キューブリックとコッポラ

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『シャイニング』撮影時のキューブリックと『地獄の黙示録』撮影時のコッポラ  キューブリックがロンドンで『シャイニング』を制作していた頃、フィリピンである巨匠監督の大作が破綻寸前まで追い込まれていました。そうフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』です。キューブリックとコッポラ、直接交流があったかどうかは証言が残されていないので分かりませんが、キューブリックはコッポラの『ゴッドファーザー』を高く評価し、嫉妬さえしていました。そんな「意識している」コッポラの最新作『地獄の黙示録』の製作現場がまさに「地獄」と化していたその状況が、キューブリックの耳に届いていたとしても不思議ではありません。  『ゴッドファーザーPART1/2』で名声を確たるものにし、巨匠として名高いコッポラでさえ思い通りに映画を作れない・・・巨額の制作費、キャスティングの変更や俳優の病気、わがまま放題のマーロン・ブランドやデニス・ホッパー、台風によるセットの破壊、やがて製作は完全に行き詰まり、ヒットどころか公開まで危ぶまれる事態に、『バリー・リンドン』のアイルランドロケで同じような(テロリストを名乗る何者かに脅迫された)経験をしていたキューブリックはとても他人事だとは思えなかったでしょう。  結局1979年に『地獄…』は公開され大ヒット、無事制作費は回収され、カンヌ映画祭でグランプリを獲得するのですが、それまでの苦労と苦悩を考えれば、コッポラはこの快挙を手放しでは喜べなかったでしょう。しかも完成した作品は当初の予定とは似ても似つかないものになってしまっていたのですから。  1979年といえば『シャイニング』は丁度ポストプロダクションに入った頃です。前作『バリー…』で興行的に失敗していたキューブリックは、この度こそヒットさせなければなりませんでした。あれだけトラブっていると聞き及んでいた『地獄…』がヒットした事もプレッシャーに感じていたのかもしれません。いったん公開され、のちに削除された明らかに説明的すぎる 病院シーンのラストシーン も、その迷いのひとつの証左のように思えます。  その後、ロケに懲りたコッポラはその『シャイニング』を参考にしたのか、次作『ワン・フロム・ザ・ハート』で全編セットでの撮影を敢行します。でもそれが裏目に出て興行的に大失敗、個人のスタジオを手放してしまいます。一方のキュー...

【交友録】カール・セーガン(Carl Sagan)

 『2001年宇宙の旅』制作時、キューブリックが取材した天文学者のひとり。後に作家としても成功し、TVドキュメンタリー『コスモス』のパーソナリティーや映画『コンタクト』の原作者としても有名。  キューブリックとの会談時、話は異星人の姿をどうするかに終始したようで、キューブリックはヒト型を、クラークは非ヒト型と想定していたのを、カールは「どうしても嘘っぽくなってしまうから、宇宙人は描かずに観客に想像させたほうが良いのではないか」と提案したそうだ。ただキューブリックはこの科学者の横柄な態度に辟易し、「二度と会わない」とクラークに言い放っている。  結局キューブリックはカールのアイデア通り宇宙人の描写を避ける判断をしたが、自作『コンタクト』でもこの問題を秀逸なアイデアで回避している。  1934年11月9日ニューヨーク・ブルックリン出身、1996年12月20日死去、享年62歳。  

【関連記事】イングマール・ベルイマン3大傑作『第七の封印』『野いちご』『処女の泉』がスクリーンに降臨!

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Ingmar Bergman(IMDb)  黒澤明、フェデリコ・フェリーニとならび「20世紀最大の巨匠」と称されるイングマール・ベルイマンの生誕95周年を記念した特別上映が決定。「イングマール・ベルイマン3大傑作選」と題し、『第七の封印』『野いちご』『処女の泉』の3作が7月20日(土)より4週間限定で公開されることになった。  1918年スウェーデンに生まれたイングマール・ベルイマンは、2007年に世を去るまで、60年以上にわたるキャリアの中、『ファニーとアレクサンデル』『サラバンド』など、約50本以上の傑作を発表。  北欧の光と影を生かしたシャープな映像感覚と、人間の本質に迫る演出は、世界の映画人たちに大きな衝撃を与えており、スティーブン・スピルバーグは「僕はベルイマンの時代をくぐり抜けてきた。彼が作った作品は全て観ている。素晴らしいものばかりだ!」。マーティン・スコセッシは「もし君が50~60年代に、映画を撮りたいと志す青年だったら、ベルイマンに影響を受けない訳にはいかないよ!彼は世界中の、多くの映画作家にとって、強大な影響力をもつ存在だった」。18歳で『処女の泉』と出会ったというアン・リーは、「『処女の泉』でいままで味わったことのない衝撃を受けた私は、映画の道に進むことを決めたんだ」。  そして1960年、スタンリー・キューブリックはベルイマンに宛てたファンレターで、「あなたの映画は常に、私の心を揺さぶった。作品の世界観を作り上げる巧みさ、鋭い演出、安易な結末の回避、人間の本質に迫る完璧な人物描写において、あなたは誰よりも卓越している」と記しているほか、ウディ・アレン、フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダール等ヌーヴェルヴァーグの作家まで、そうそうたる映画人たちが、ベルイマンから影響を受けたことを明かしている。  今回、デジタルリマスター版でスクリーンに復活するのは、ベルイマンが50年代に発表した“世界遺産的傑作群”と呼べる3作品。ウディ・アレンが「最も好きで、最も影響を受けた映画」と語る『第七の封印』、アンドレイ・タルコフスキーがオールタイム・ベストの1本に挙げる『野いちご』、そして黒澤明監督の『羅生門』に強い影響を受けて誕生し、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞を受賞した『処女の泉』。これらの作品は現在DVDが入手困難なこともあり、今回の上映は...

【アーティスト】バート・スターン(Bert Stern)

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 マリリン・モンロー最期の写真を撮ったと言われているヴォーグ誌のカメラマン、バート・スターン。そのスターンが『ロリータ』のポスターやパッケージ等でさんざん目にしてきた、あのハートマークのサングラスにロリポップを舐めている写真を撮った、というのは殆ど知られていない事実なんじゃないでしょうか。  『ロリータ』をご覧になった方ならご存知ですが、あのビジュアルのシーンは本編には登場しません。純粋に宣材写真として別に撮られた物です。キューブリックはルック社時代に同僚だったスターンに声を掛け、一連のフォトセッションの中からあの写真をチョイスしました。  ところであのビジュアル、髪の毛やあごから下は写っていません。どうしてそうなったのか長年疑問だったのですがトリミング前の写真を見てその謎が解けました。あれは車のルームミラー越しに写したものだったんですね。上下がカットされているのはルームミラーのふちがボケていたからです。つまりあのビジュアルはスー・リオンの鏡像、という事になります。  その後スターンは悪童の名を欲しいままに、モンローを始めオードリー・ヘップバーン、エリザベス・テイラー、ブリジット・バルドー、ツイッギー、マドンナ、カイリー・ミノーグ、ドリュー・バリモアなどそうそうたる女性たちの写真を撮っています。また『真夏の夜のジャズ』(1959)というドキュメンタリー映画の監督としての方がジャズファンには有名でしょうか。キューブリックもジャズ好きでルック時代にシカゴのジャズメンの写真を残しています。そういう意味ではウマが合ったのかも知れません。  2011年にDVDとして発売されたバート・スターンのドキュメンタリー『Original Mad Man』のトレイラーにはロリータのフォトセッションの写真も登場しています。(それにしてもツイッギー若い!)  当時モデルをしていた『非情の罠』のヒロイン、アイリーン・ケーンをキューブリックに紹介したのもスターン。  1929年10月3日、アメリカ・ニューヨーク州ブルックリン出身、2013年6月26日死去。享年83歳。

【交友録】テリー・セメル(Terry Semel)

 キューブリックに全幅の信頼を置いていた元ワーナーブラザースのCEO。その後2001年4月に米Yahoo!のCEOに就任しましたが、ネット上では「米ヤフーを凋落させた元凶」としてすこぶる評判が悪いです。でもキューブリックファンにとっては「キューブリックに好きに映画を撮らせてくれたいい人」という評価が決定的になっています。  もちろんキューブリックの興行的価値を熟知した上での、経営者的判断に他ならないのですが、当のキューブリックはそのセメルに対して 「電話してこっち(イギリス)に来てもらう。どうなるかというと、やつは大急ぎでこっちに飛んでくる。それでロンドンにホテルをとってやって24時間くらいは電話もしないで放っておく。そうすると、やつは体を休めて元気になると同時に〈中略〉話を聞きたくてうずうずしてくる。次にどうするかというと、迎えの車を出してこの家に彼を連れて来させ、椅子を勧めて、脚本を手渡して読んでくれと言う。そして、これが今度私が撮りたいと思っている映画だと告げる。やつはどうすると思う?わざわざイギリスまでやって来て、私の自宅で私の目の前に座っているんだ。どうしょうもないってわけさ」(引用:『アイズ・ワイド・オープン』)  とラファエルに対してその策略家ぶりを披露しています。まあこれはキューブリックなりの照れの裏返しのような気がします。ワーナーには多大な恩義を感じている旨の発言はありましたし。キューブリックは自分を信頼してくれた人に対しては最大限恩義を尽くす義理堅いところがあったようです。そのかわり自分を裏切った人間に対しては徹底的に辛辣でしたが。  1943年2月24日生まれ、アメリカ・ニューヨークのブルックリン出身。

【考察・検証】手塚治虫、スタンリー・キューブリックをかく語りき

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同じ1928年(昭和3年)生まれの二人  キューブリックと手塚治虫、有名な『2001年宇宙の旅』における美術監督オファーの件はこちらで紹介済みですが、その手塚がキューブリックをどう評したか、手元にある「季刊映画宝庫 SF少年の夢」の座談会から抜粋してみましょう。  「『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』はもっと『2001年』が向こう(アメリカ)で受けていたら、ぼくはキューブリックがつくった映画じゃないかって気がする。ぼくは『スター・ウォーズ』はともかく『未知との遭遇』的なものはキューブリックが狙っていたのではないかという気がする  「つまりキューブリックもある意味では一つのカリスマというか、哲学的な思考を持っているでしょう。そういうものをずっとつきつめていくと宇宙心理みたいなものに走っていく。ただキューブリックの映画が受けなかったのは(で)、僕は(スピルバーグが)それを引き継いでかたきをとったという、そんな気がする」  「ただ『スター・ウォーズ』にしても『未知との遭遇』にしてもぼくはクラシックになる恐れがあると思う。『2001年』はクラシックにならない気がする。何か新しいとか古いを超越しているような・・・キューブリックのものは何を見てもそんな感じがする。『時計じかけのオレンジ』を見てもそうだしね」  「つまりルーカスもスピルバーグも完成されすぎているんですね〈中略〉ところがキューブリックは未知数なんですね。おそらくキューブリックは最後まで未知数の男で、受けるのか受けないのか、本当に名人なのか、素人なのかわからないという感じで、それが、ぼくはやはり未知の面白さみたいな感じだと思う」  いかがでしょうか、なかなか鋭い観察眼ですね。今から35年も前の発言とはとても思えません。合いよる魂とでも言いましょうか、手塚はキューブリックの中に自分と似たものを感じ取っていたのかもしれませんね。  ・・・と、ここまで書いておいてなんなのですが、個人的には手塚はクラークの方がより近いイメージがあります。多作家だったりとか、シニカルではありながらもやっぱりオプチミストだったりとか、その強力なエゴやプライドの持ち方とか、やたらマスコミに出て喋りまくる姿とか。ちょっとロマンチストなところも両者共通してますね。一方のキューブリックにはロマンチストの印象はないですし、マスコミ嫌いで有名、徹底して...

【インスパイア】手塚治虫の『時計仕掛けのりんご』

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時計仕掛けのりんご Kindle版(Amazon)  以前、 ここで 手塚とキューブリックのつながりを紹介したのだが、手塚はこんな作品も発表している。もちろん元ネタは『時計じかけのオレンジ』。ただしキューブリックの映画版ではなくアンソニー・バージェスの小説版だ。なにしろこの短編が発表されたのは1969年4月。キューブリックの『時計…』の製作発表が1970年3月、公開は1971年の12月だった事実を考えると当然手塚はキューブリックの映画版を観ていないどころか、キューブリックが映画化を決定する以前にこの作品を描いたことになる。  当時手塚は小説は読んでなく、小説の紹介記事を元にこの短編を執筆したそうだ。そのため内容は小説とは全く関係なく、完成度が低くオチもいまいち。だが偶然とはいえ、キューブリックと手塚がほぼ同じタイミングでこの小説に興味を示したという事実に、なにがしかの因縁めいたものを感じずにはいられない。

【交流録】ダイアン・アーバス(Diane Arbus)

 畸形者や障害者、性倒錯者などを被写体にした作品で知られる著名な女性写真家。キューブリックがルック社にカメラマンとして在籍していた頃、彼女に気に入られ可愛がられたそうだ。ただし、その頃は夫妻でファッションカメラマンをしており評価は高くなかった。彼女の代表作は 「一卵性双生児 ローゼル ニュージャージー州 1967年」 で、一般的には『シャイニング』に登場した双子の少女はこれのオマージュ(「もしくは着想元)と言われるが、キューブリックがそのような発言をした事実はないので注意が必要。もちろん師弟関係でもない。  1923年3月14日アメリカ・ニューヨーク生まれ、 1971年7月26日自殺により死去、享年48歳。