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【関連記事】原田眞人氏が『フルメタル・ジャケット』のセリフ翻訳担当の経緯と、その作業内容を語ったインタビュー記事

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原田眞人(wikipedia)  字幕翻訳者交代劇から始まったキューブリック監督との絆 原田:日本では一般的にFワードに対して「バカヤロー」とか「クソガキ」とか、通り一遍の訳し方をしちゃう。でもキューブリックは一言一言全部チェックしてたから、何がどういうふうに間違っているかっていうのを把握していた。英語圏の人にとっても初めて聞いたような罵倒の言葉を使ってるわけだから、それは日本人にとっても、初めて聞く罵倒の言葉じゃなきゃダメだって。「セイウチのケツにド頭つっこんでおっ死ね!」とかね。ああいうのが、その通りに訳されてなかった。それで、誰かそういう感覚が分かる奴いないのかってことで僕に話がきた。僕はキューブリックの気持ちも分かるので、喜んでやりましょうって。そのあとは、メールもネットもない時代だから、ほとんど毎晩のようにキューブリックと直接電話で連絡し、少し訳しては向こうに送って、それをキューブリックがチェックして。キューブリックからダイレクトに「ここはオリジナルとは変わっているけど、どういう理由なの?」と質問がきて、理由を説明すると、「元に戻そう」という時もあれば、「それでいこう」という時もある。そんな、細かいやり取りをしていった。でも、途中からはお互いの感覚が分かったし、僕は基本的にキューブリックの意向に沿ってやりたい、っていう気持ちを彼も分かってくれて、「任せるよ」ということになっていったんだ。 衝撃の事実!劇場公開用に製作された日本語吹替だった! 原田:キューブリックの意向で日本語吹替版を作ることになったっていうことは、劇場版として日本語吹替版をやりたいっていうことだったと思うよ。だけど日本語吹替版は劇場公開されなかった。でも素材としては存在していたから、水曜ロードショーでやろうって話になったんじゃないかな。ところが内容的に放送禁止用語が結構いろんなところに出てきている。それで放送できなかった、ということかもしれない。 だけどテレビ用の日本語吹替版とは比較にならないくらいお金かけているんで(笑)キャスティングも含めて。観たいと思っていたけど、なんで出ないんだろうってずっと思っていた。 キューブリックからもお墨付き!原田眞人翻訳・演出の日本語吹替版 原田:キューブリックも利重剛と村田雄浩をすごく気に入っていた。彼は各国の吹替え版を全部持っていて、言語バラバ...

【関連記事】リドリー・スコット「『2001年宇宙の旅』以降、SFは死んだ」

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Ridley Scott(IMDb)   2007年のベネチア国際映画祭で、彼の代表作であるノワール・スリラー映画「ブレードランナー」の特別上映会でのスピーチで、 「エイリアン」の伝説的監督、リドリー・スコット卿は、SFというジャンルは西部劇と同じ道を辿り、すでに死んでいると考えている、と発表した。  スコットは、デイリー・ギャラクシーの私たちと同様に、映画『マトリックス』『インデペンデンス・デイ』 『宇宙戦争』といった大作の派手な特殊効果は興行収入では売れるかもしれないが、スタンリー・キューブリック監督の1968年の忘れがたい大作『2001年宇宙の旅』に勝るものはないと考えている。この映画は、公開当時と同じくらい新鮮で(そしておそらくより現代的でもある)、今日でもなお健在だ。 〈中略〉  「独創的なものは何もありません。私たちはこれまで全てを見てきました。そこに行き、やり遂げてきました」とスコットは言った。  アメリカとソ連の「宇宙開発競争」が最高潮に達した時期に制作された『2001年宇宙の旅』は、悪意あるコンピューターと日常的な宇宙旅行が蔓延する世界を予見していました。キューブリックは細部にまでこだわり、宇宙船の設計にはNASAの専門家を起用しました。  リドリー卿は、『2001年宇宙の旅』は照明、特殊効果、そして雰囲気の使い方において「最高傑作」だと述べ、それ以降のSF映画はすべてこの作品を模倣、あるいは参考にしてきたと付け加えた。「現代のSF映画は特殊効果への過度の依存と、ストーリー展開の弱さが見られます」と彼は述べた。 〈以下略〉 (引用: THE DAILY GALAXY/2009年7月10日 )  かなり古い記事ですが、リドリー・スコットが刺激的なことを言っていたのでご紹介。この発言は2007年のベネチア国際映画祭のものですが、2025年現在、この発言を覆すほどの傑作SF映画が誕生したかと言えば・・・やはりそうとは思えません。リドリーが言うように「特殊効果への過度の依存と、ストーリー展開の弱さ」の問題は解決していないように見受けられます。もちろんそれなりの「良作」は頭の中にいくつか浮かびますが、それらが『2001年…』に並ぶ、もしくは超えるものなのかと問われば・・・やはりイエスとは言えないと思います。無論そんな現状をわれわれ映画ファン...

【ブログ記事】キューブリックの義理の伯父、ナチスの反ユダヤ主義プロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』を監督したファイト・ハーランについて

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Veit Harlan(IMDb)   キューブリックの義理の伯父(妻クリスティアーヌの伯父)のファイト・ハーランはナチス政権下のドイツで、反ユダヤ主義のプロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』(1940)『コルベルク』(1945)の監督を務めました。ハーランは1922年にユダヤ人女優でキャバレー歌手のドラ・ガーソンと結婚し、1924年に離婚しています(ガーソンは後に家族とともにアウシュヴィッツで殺害された)。つまりハーランは当初、反ユダヤ主義者ではなかったのです。  1933年、ヒトラー政権が始まるとハーランはゲッベルスによってプロパガンダ監督に任命されます。理由は他の優秀な監督がドイツから逃げ出しからだと言われています。そして1940年、ハーランは悪名高き反ユダヤ主義プロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』を監督します。  『ユダヤ人ジュース』の監督ファイト・ハーランは戦後 、この映画との関わりを否定しようと全力を尽くした。ゲッベルスはもともと、ペーター・パウル・ブラウアーに監督を任せていたが、一九三九年末に心変わりして、ハーランを起用した。もとの脚本がハーランではなく、ルートヴィヒ・メッツガーとエーバーハルト・ヴォルフガング・メラーの作品だということも事実である。そして、ハーランは圧力をかけられていたのかもしれない。ハーランはのちに、ヒトラーは『ユダヤ人ジュース』制作を厳命し、ゲッベルスは承諾しなければダハウに送ると脅したと主張しているが、これを証明するものはない。ゲッベルスの日記には、ハーランは協力的だと書かれている。たとえば、ゲッベルスはもとの脚本に納得していなかったが、ハーランには「たくさんの思いつき」があり、「脚本を手直し」しようとしている、ハーランによる改変は「大仰だ」と記している。すでに存在していた脚本の反ユダヤ主義を緩和したという戦後の主張に反して、彼はそれを強化している。メッツガーとメラーによるもとの脚本とハーラン版を比較すれば明らかである。 (全文はリンク先へ: じんぶん堂 「人種主義」なナチ映画の起源『ヒトラーと映画 総統の秘められた情熱』/2020年6月18日 )  以上の引用によると、ハーランは積極的にこの映画に関与し、反ユダヤ主義色を強めることさえしています。その本心は推し量るしかありませんが、自身が過去にユダヤ人と結婚していた事実が...

【関連記事】『2010年』製作の裏話を語るピーター・ハイアムズのインタビュー

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Peter Hyams(IMDb) 〈前略〉 —『2010年』を引き受けることに不安はなかったのですか?  MGMから『2010年』を依頼されたとき、私はやりたくなかったんです。私がスタンリー・キューブリックと比較されるのは、背の低い人がシャキール・オニールと比較されるようなものだからです。私はこの本を読んでMGMに「このプロジェクトを引き受けるには2つの条件がある」と言ったんです。ひとつは、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの許可が必要なこと。もうひとつは、私の経歴と、この本がロシア人とアメリカ人が協力して宇宙を航海をするという内容であることから、冷戦をもっとテーマにした作品にしたいということです。宇宙にいる間は、地球上ではあまり良い状態ではない、平和ではない状態を作りたかったのです。レーガン政権の時代です。MGMは「問題ない」と言ってくれました。  スリランカにいるアーサー・C・クラークと長距離電話をしたのですが、彼はとてもいい人でした。彼は私がやりたいことに賛成だと言ってくれました。私は彼と密接に協力し、脚本を書きながら彼にページを送り、コメントをもらいたいと伝えました。当時はまだコンピュータがない時代。Kプロは私のオフィスとアーサー・C・クラークの家にコンピュータを設置しました。毎日、私が書いたものをバイナリ送信して朝には彼のコメントが届くのです。  スタンリー・キューブリックと話をする時間を設けました。私がオフィスにいると、秘書が入ってきて、「スタンリー・キューブリックから電話です」と言ったのを覚えています。私は電話に飛びつき、文字通り立ち上がりました。彼と話している間、ずっと立っていたんです。私は「こんにちは、キューブリックさん」と言いました。すると彼はすぐに「『アウトランド』で、あのショットはどうやって撮ったたんだ・・・」と言い出し、私がどうやったか、なぜそうしたか、どのレンズを使ったか、F値はいくつかなど、撮影に関するあらゆる技術的な質問をし始めたんです。会話の約1時間半後、私は「聞いてください。あなたは私が・・・を行うことを認めますか?」と尋ねました。そして私が言葉を発する前に彼は「ああ、ええ、結構です。あなたはそれによって素晴らしいことになるでしょう」。そして彼は技術的な質問を続けました。電話を切る前に、彼は「これが私があなたに伝...

【関連動画】1999年3月21日、第71回アカデミー賞でスティーブン・スピルバーグが述べたキューブリックへの弔辞と謝辞

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  その人は、私たちが想像もつかないような所に連れて行こうとして、私たちのために創り出してくれました。その人の名はスタンリー・キューブリックです。  彼は『2001年宇宙の旅』で有名になった次の世紀を見届けることなくこの世を去りました。スタンリーは自分の映画を絶対に自分の思い描いたとおりに観て欲しいと願っていて、そのためには彼は一歩も譲りませんでした。そしてその勇気に応えることができたなら、私たちは彼の世界へ直接連れて行かれ、彼のビジョンの中に入り込むことができたのです。映画の歴史上、あのようなビジョンは他にありませんでした。それは希望と驚異、優美さと神秘のビジョンでした。それは私たちへの贈り物であり、そして今、遺産となったのです。  彼の挑戦を受ける勇気を持ち続ける限り、私たちはその挑戦と糧を得ることができるのです。そしてそれは私たちが感謝と別れを告げた後も、ずっと続いていくことを私は願っています。 -スティーブン・スピルバーグ  キューブリックが1999年3月7日に逝去してから半月後に行われたアカデミー賞におけるスティーブン・スピルバーグのスピーチです。  キューブリックはアカデミー監督賞も作品賞も獲っていない、というは有名な話ですが、キューブリックが受け取ったオスカーは『2001年…』の特殊視覚効果賞で、これも一部門にエントリーできる人数は3人までとアカデミーに言われ、仕方なく自分の名前を記入した、という経緯です。  記入すべきその4人とはウォーリー・ヴィーヴァース、ダグラス・トランブル、コン・ペダーソン、トム・ハワードですが、それぞれ特撮全般、HALのアウトプット画面とスターゲート・シークエンス、モデル製作と複雑な合成過程の管理、高精細フロントプロジェクションシステムの構築と、この4人のうち誰一人として欠くことのできないスタッフであることは言うまでもないでしょう。たとえそういう事情があったとしても、キューブリックが代表でオスカーを受け取ってしまったことはその後に遺恨を残し、特にダグラス・トランブルはたびたび不満を表明していました。でもそれも「もういいんだ」とキューブリックの亡骸の前で涙を流したので、心中穏やかに旅立てた(2022年2月7日に逝去した)のではないでしょうか。  キューブリック冷遇の理由で考えられるのは、巨大産業である映画製作をイギリスで...

【関連動画】WatchMojo.comが選んだ「偉大な映画監督オールタイムベスト10」

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10位:イングマール・ベルイマン 9位:ウディ・アレン 8位:スティーブン・スピルバーグ 7位:オーソン・ウェルズ 6位:フランシス・F・コッポラ 5位:黒澤明 4位:フェデリコ・フェリーニ 3位:マーティン・スコセッシ 2位:アルフレッド・ヒッチコック 1位:スタンリー・キューブリック 選外:クエンティン・タランティーノ、ロマン・ポランスキー、ジャン・ルノワール、ジャン=リュック・ゴダール、コーエン兄弟、デヴィッド・リンチ  順位はともかくも、10人となると妥当な線だとは思います。あと当落選上で思い浮かぶのはリドリー・スコット、ジェームズ・キャメロン、アンドレイ・タルコフスキー、ジョン・フォード、フランソワ・トリュフォー、小津安二郎などでしょうか。(他にありましたらごめんなさい。汗)  そういえばチャップリンがいませんが、いわゆる「現代的映画」はトーキー以降なので、除外されてもやむなしかと。トーキー以前と以降では「映画の語り方」がカラー化以前、以降以上に根本から違うので、トーキー以前の名監督はそのカテゴリで選ぶべきだと思います。もっともキューブリックは「トーキー以降にトーキー以前の方法論を好んで使った」映画監督なんですけどね。  スピルバーグやスコセッシ以降の世代が圏外なのは、まだバリバリの現役なので評価が定まっていないからでしょう。優秀な監督はたくさんいますが、「偉大」となると「巨匠感」が必要になってきます。今後に期待ですね。

【関連記事】クリストファー・ノーランがスタンリー・キューブリックに聞いてみたい質問とは?

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Christopher Nolan(IMDb)   アカデミー賞のノミネート発表を間近に控え、70ミリプリント版「ダンケルク」が全米50館のIMAX劇場で再上映されるにあたり、同作でメガホンをとったクリストファー・ノーラン監督がプロモーションのため米MTVのポッドキャスト「Happy Sad Confused」に出演。自ら大ファンだと常々公言している巨匠スタンリー・キューブリックにまつわる質問に、ノーランらしい興味深い回答が飛び出した。 〈中略〉 「確かキューブリック監督は、スコアリング作業を終える前に亡くなったんだよね。彼が思い描いていた通りの映画に仕上げようと、スタジオが最善を尽くしたことは評価するけど、僕自身の経験から、スコアリングが最後にくる工程だと知っているだけに、惜しくてならない。本当に些細で表面的な、技術的あらに過ぎないとはいえ、キューブリック監督が生きていれば、もっと完璧な映画に仕上げてくれたはずだと思うからね」と理由を説明したノーラン監督。さらに、「最初に見た時は、正直期待はずれだと感じたし、あまり好きな作品ではなかった」と明かした上で、その後何度か繰り返し見るうち、「真に偉大な傑作」だと確信するようになったと語った。 (引用元: 映画.com/2018年1月2日 )  『アイズ…』公開をリアルタイムで経験した方はよくご存知ですが、キューブリックの死後、『アイズ…』が勝手に編集されるという噂が流れた際、即座にトム・クルーズが「フィルムは誰にも触らせない」と非難声明を出したことを覚えているはず。このように疑うべくも無く『アイズ…』は「厳密には未完成(逝去後、残されたスタッフの手によって完成させた)」なのですが、こだわり主義者の権化たるキューブリックの面目躍如のなせる技(笑 なのか、未完成にもかかわらず、あまりにも完成度が高いためにそのことを忘れがちです。  このノーランのインタビューはその事実を改めて思い出させてくれますが、本人が不在である以上、これ以上はどうしょうもないわけで、それを云々するのは詮ないだけですが、このコメントにはノーランのキューブリックに対する「思い入れの深さ」が伺えて興味深いです。それに 「最初に見た時は、正直期待はずれだと感じたし、あまり好きな作品ではなかった」「その後何度か繰り返し見るうち、「真に偉大な傑作」だと確信す...

【交友録】クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski)

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Krzysztof Kieślowski(IMDb)   『トリコロール三部作』で有名なポーランドの映画監督。キューブリックはキェシロフスキを高く評価していて、特にTVドラマ『デカローグ』に感激。「この作品を監督できていたらどんなによかっただろう」と感想を洩らしている。また、出版された『デカローグ』の脚本の序文を寄稿している。  主な監督作品は『初恋』(1974)、『地下道 』(1974)、『ある党員の履歴書』(1975)、『スタッフ 』(1976)、『傷跡』(1976)、『アマチュア』(1979)、『平穏』(1980)、『短い労働の日 』(1981)、『偶然 』(1981)、『終わりなし』(1985)、『殺人に関する短いフィルム』(1988)、『愛に関する短いフィルム 』(1988)、『ふたりのベロニカ』(1991)、『トリコロール/青の愛』(1993)、『トリコロール/白の愛』(1994)、『トリコロール/赤の愛』(1994)など。死後『ヘヴン』(2002)、『美しき運命の傷痕』(2005)の脚本が映画化された。  1941年6月27日ポーランド・ワルシャワ出身、1996年3月13日死去、享年54歳。

【監督】リー・アンクリッチ(Lee Unkrich)

  CGアニメーション制作会社、ピクサーで編集や監督を担当。『トイ・ストーリー』で『シャイニング』への言及が多いのはこの人の仕業。『シャイニング』コレクターで、『シャイニング』のレアな情報が集まるブログ 『OVERLOOK HOTEL』 の管理人をしている。キューブリック展で展示されたダニーのアポロセーターは彼の所有物。キューブリックと直接親交はなかったが関係者とは交流があり、様々なレアアイテムを入手しているようだ。  主な参加作品は『トイ・ストーリー』(1995)、『バグズ・ライフ』(1998)、『トイ・ストーリー2』(1999)、『モンスターズ・インク』(2001)、『ファインディング・ニモ 』(2003)、『トイ・ストーリー3』(2010)、『モンスターズ・ユニバーシティ』(2013)など。

【関連記事】キューブリック、コッポラ、タランティーノなど10人の偉大な映画監督が愛した映画100本

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 巨匠と呼ばれる10人の偉大な映画監督が愛していた映画のリストです。各監督たちが大好きだった映画のリストですが、共通する映画やなるほどと思わせる映画などがラインナップされています。日本からは黒澤明、大島渚、溝口健二監督作品が海外の映画監督に影響を与えているようです。 スタンリー・キューブリック 「青春群像(I Vitelloni)」:フェデリコ・フェリーニ監督作品、1953年 「野いちご(Wild Strawberries)」:イングマール・ベルイマン監督作品、1957年 「市民ケーン(Citizen Kane)」:オーソン・ウェルズ監督作品、1941年 「黄金(The Treasure of the Sierra Madre)」:ジョン・ヒューストン監督作品、1948年 「街の灯(City Lights)」:チャールズ・チャップリン監督作品、1931年 「ヘンリィ五世(Henry V)」:ローレンス・オリヴィエ監督作品、1944年 「夜(La notte)」:ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品、1961年 「The Bank Dick」:エドワード・F・クライン監督作品, 1940年 「ロキシー・ハート(Roxie Hart)」: ウィリアム・A・ウェルマン監督作品, 1942年 「地獄の天使(Hell’s Angels)」:ハワード・ヒューズ監督作品 , 1930年 マーティン・スコセッシ 「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」:スタンリー・キューブリック監督作品、1968年 「8 1/2」:フェデリコ・フェリーニ監督作品、1963年 「灰とダイヤモンド(Ashes and Diamonds)」:アンジェイ・ワイダ監督作品、1958年 「市民ケーン(Citizen Kane)」:オーソン・ウェルズ監督作品、1941年 「山猫(The Leopard)」:ルキノ・ヴィスコンティ監督作品、1963年 「戦火のかなた(Paisà)」:ロベルト・ロッセリーニ監督作品、1946年 「赤い靴(The Red Shoes)」:マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー監督作品、1948年 「河(The River)」:ジャン・ルノワール監督作品、1951年 「シシリーの黒い霧 (Salvatore Giuliano)」:フランチェスコ・ロ...

【関連記事】デヴィド・クローネンバーグは「キューブリックはホラーを理解していないし『シャイニング』は偉大な映画ではない」と語った。

デヴィッド・クローネンバーグ「スタンリー・キューブリックはホラーを理解していなかった」  クローネンバーグ監督は『シャイニング』を酷評し「私はキューブリックよりも親密で個人的な映画製作者だ」と語る  監督のデヴィッド・クローネンバーグによると、スタンリー・キューブリックは「商業志向」の映画製作者であり、スティーブン・キングのカルト的名作『シャイニング』を映画化した際にホラーの本質を理解できなかったという。  先週、トロント映画祭で自身の作品を振り返るイベントでスピーチをしたカナダのボディホラーの先駆者であるキングは、20世紀で最も背筋が凍るようなスリラー映画の一つとしての『シャイニング』の地位に異議を唱える最新の著名人となった。キング自身も最近、 1977年の自身の著書の続編となる新作小説『ドクター・スリープ』の宣伝活動中に、1980年の映画に対する否定的な立場を改めて表明した。  「私はキューブリックよりも親密で個人的な映画製作者だと思っている」とクローネンバーグはトロント・スター紙に語った。「だから『シャイニング』は素晴らしい映画ではないと思う。彼はホラーというジャンルを理解していなかったのだろう。自分が何をやっているのか理解していなかったのだと。原作には印象的なイメージがいくつかあり、彼はそれを理解していたが、それを本当に感じていなかったと思う」  クローネンバーグ監督はこう付け加えた。「奇妙なことに、彼は高水準の映画芸術家として尊敬されているが、もっと商業志向で、ヒットし、資金を得られる作品を探していたと思う。彼はそのことに非常に執着していたと思う。私ほどではないが」 〈以下略〉 (引用: The Guardian/2013年11月5日 )  カナダの映画監督デヴィッド・クローネンバーグのキューブリック批判記事ですが、クローネンバーグならそう言うだろうな、という内容です。批判の文脈はほぼスティーブン・キングと一致しますね。「原作にはいくつか印象的なイメージがあったが、キューブリックはそれを感じ取れていない」なんてキングやかつてのキングファンと同じ事言っています。また、「彼はハイレベルな映画アーティストとして尊敬を集めているが、彼は遥かに商業志向であり、きっちり資金のチャンスを得られる題材を探していたと思う」とも。  『シャイニング』は今までのホラーの概念を覆...

【スタッフ】アンドリュー・バーキン(Andrew Birkin)

Andrew Birkin(IMDb)  『2001年宇宙の旅』にロケーション・スカウト/アシスタント・ディレクターしてスターゲート・シークエンスの『海』の空撮や「人類の夜明け」のナミブ砂漠ロケを担当している。その後監督・脚本家として成功し、キューブリックが映画化を検討した『ウィーンに燃えて』(1988)では監督を、『パフューム ある人殺しの物語』(2006)では脚本を担当した。名作『薔薇の名前』では脚本を担当し、出演もしている。女優のジェーン・バーキンは実妹。  アシスタント・ディレクターとして参加したビートルズのTV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』では『博士の異常な愛情』のオープニングの空撮部分を流用するのに一役買っている。  1945年12月9日ロンドン出身。

【関連記事】イングマール・ベルイマン3大傑作『第七の封印』『野いちご』『処女の泉』がスクリーンに降臨!

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Ingmar Bergman(IMDb)  黒澤明、フェデリコ・フェリーニとならび「20世紀最大の巨匠」と称されるイングマール・ベルイマンの生誕95周年を記念した特別上映が決定。「イングマール・ベルイマン3大傑作選」と題し、『第七の封印』『野いちご』『処女の泉』の3作が7月20日(土)より4週間限定で公開されることになった。  1918年スウェーデンに生まれたイングマール・ベルイマンは、2007年に世を去るまで、60年以上にわたるキャリアの中、『ファニーとアレクサンデル』『サラバンド』など、約50本以上の傑作を発表。  北欧の光と影を生かしたシャープな映像感覚と、人間の本質に迫る演出は、世界の映画人たちに大きな衝撃を与えており、スティーブン・スピルバーグは「僕はベルイマンの時代をくぐり抜けてきた。彼が作った作品は全て観ている。素晴らしいものばかりだ!」。マーティン・スコセッシは「もし君が50~60年代に、映画を撮りたいと志す青年だったら、ベルイマンに影響を受けない訳にはいかないよ!彼は世界中の、多くの映画作家にとって、強大な影響力をもつ存在だった」。18歳で『処女の泉』と出会ったというアン・リーは、「『処女の泉』でいままで味わったことのない衝撃を受けた私は、映画の道に進むことを決めたんだ」。  そして1960年、スタンリー・キューブリックはベルイマンに宛てたファンレターで、「あなたの映画は常に、私の心を揺さぶった。作品の世界観を作り上げる巧みさ、鋭い演出、安易な結末の回避、人間の本質に迫る完璧な人物描写において、あなたは誰よりも卓越している」と記しているほか、ウディ・アレン、フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダール等ヌーヴェルヴァーグの作家まで、そうそうたる映画人たちが、ベルイマンから影響を受けたことを明かしている。  今回、デジタルリマスター版でスクリーンに復活するのは、ベルイマンが50年代に発表した“世界遺産的傑作群”と呼べる3作品。ウディ・アレンが「最も好きで、最も影響を受けた映画」と語る『第七の封印』、アンドレイ・タルコフスキーがオールタイム・ベストの1本に挙げる『野いちご』、そして黒澤明監督の『羅生門』に強い影響を受けて誕生し、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞を受賞した『処女の泉』。これらの作品は現在DVDが入手困難なこともあり、今回の上映は...

【考察・検証】真性ロリコン監督とロリコンを演じた俳優との知られざる交流

 もちろん「ロリコン監督」といってもキューブリックの事ではない。キューブリックが尊敬し、影響を受けた世界的に著名で偉大な監督、チャールズ・スペンサー・チャップリンの事だ。キューブリックはそのチャップリンの最高傑作の一つ『街の灯』をベスト10ムービーの第5位に挙げている。  その偉大さや作品の清廉さから、実直で品行方正なイメージのあるチャップリンだが、実は真性のロリコン(つまり厳密な意味での少女偏愛者)であった事は有名な話。当時15歳だった『黄金狂時代』のヒロイン、リタ・グレイの処女を奪って妊娠させてしまったために結婚した(させられた)のを始め、合計4人の妻をめとっている。なんとその内十代は三人で、最後の妻のウーナ・オニールに至っては当時17歳、この時チャップリンは既に54歳だったのだ。そんなチャップリンも晩年は穏やかにスイスで隠居生活をして過ごしていたのだが、その頃交流があったのが隣村で同じく隠居生活を送っていたジェームズ・メイソン。そう、『ロリータ』でハンバート役を演じたあの俳優だ。  そのメイソン、1983年にイギリスのテレビ局が製作したチャップリン映画のアウトテイク集のドキュメンタリー『チャップリン・その素顔と未公開映像』でナレーションを担当している。これだけみてもその友好関係がいかに良好だったかを伺わせるエピソードだが、このDVDにはあのリタ・グレイも登場している。もちろんかの事件には一言も触れられていないが。  リタ・グレイは好んで自身を「リリータ」と自称していたという。これをヒントにウラジミール・ナボコフは『ロリータ』を執筆した、という話もある。もしこれが事実だとすれば、チャップリンの少女偏愛癖にインスピレーションを得た小説家が『ロリータ』という小説を書き、チャップリンに憧れた監督がそれを映画化し、その主人公を演じた俳優が晩年にその元凶たる監督と親交を温める・・・という奇妙な四角関係が成立してしまうのだ。  その内の二人、チャップリンとメイソンが現在3mの距離で同じ墓地に埋葬されているのは何か皮肉な巡り合わせを感じなくもない。当時、隠居中二人の間で一体どんな会話が交わされたのであろうか、そして死後、僅かな距離の墓の中に居るものどうしで何を語り合っているのか・・・。今となっては誰も知る由もない。

【家族】ファイト・ハーラン(Veit Harlan)

 キューブリックの三番目の妻、クリスティアーヌ・スザンヌ・ハーランの叔父。ただドイツ映画史に詳しい方なら、ナチの悪名高きプロパガンダ御用達監督であり、ゲッペルスのお気に入りの監督だった事で有名。その最たるものが『ユダヤ人ジュース』(1940)、そしてベルリン陥落二週間前に完成した戦意高揚映画『コルベルク』(1945)だ。キューブリックはこの叔父と実際に会った事があり、その際に「本当は嫌だったがあの時は従うしかなかった」と話していたそうだ。それが本心かそうでないかは知る術はないが、姪がユダヤ人と結婚してしまったのだから本音を語るはずはないだろう。  戦後は軽い処罰の後、監督業を続けていたそうだ。クリスティアーヌはキューブリックと出会う前、ドイツのTVや映画に出演していたのは、この叔父の影響力があってこそだろう。そのTVで見たクリスティアーヌをキューブリックは見初めてしまうのだから、運命というものは分からない。  主な出演作品は『あかつき』(1933)、『別れの曲』(1934)、『ジャン・ダーク』(1935)。主な監督作品は『支配者』(1937)、『青春』(1938)、『偉大なる王者』(1942)、『支配者』(1937)など。  1899年12月22日ドイツ・ベルリン出身、1964年4月13日死去、享年64歳。

【交流録】スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg)

 現在最高の映画監督の一人。キューブリック・フォロワーとしても有名で、しかも実際親しく交流していた数少ない同業者。キューブリックは中でも『E.T.』を高く評価していて、実際「ファンタジーでは君にかなわない」と言わしめた。キューブリックにはない子供のような純粋な視点と高いエンターテイメント性、親しみやすいストーリーは万人受けするもので、そういった映画を作らせたら右に出る者はいない、と言えるほど。その印象が強いせいか、メッセージ性や芸術性の高い作品は軽視されがちだったが『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』ではその面でも高い評価を得、オスカーに輝いている。  映画ファンには何かと軽く見られがちなスピルバーグだが、個人的にはキューブリックに匹敵するほど偉大な監督だと認識している。ただその方向性と間違えなければ、という但し書きが付く。上記の『シンドラー…』も『ライアン』も、そしてキューブリックが長い年月をかけ、人間と機械の存在意義を問いかけようとした『A.I.』も、そこにどうしようもない「軽さ・浅さ」を感じてしまう。そんな小難しい事は他の監督に任せて是非エンターテイメントに徹して欲しい。そうすれば間違いなく第一級の素晴らしい作品を撮ってくれるに違いない。  主な監督作品は『ジョーズ』(1975)、『未知との遭遇』(1977)、『1941』(1979)、『E.T.』(1982)、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989)、『ジュラシック・パーク』(1993)、『シンドラーのリスト』(1993)、『ロストワールド/ジュラシック・パーク』(1997)、『プライベート・ライアン』(1998)、『宇宙戦争』(2005)、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008)、『リンカーン』(2012)など。製作として参加した作品も多数あり。  1946年12月18日アメリカ・アハイオ州出身。

【スタッフ】原田眞人

  映画監督・俳優・字幕翻訳家。『フルメタル・ジャケット』で戸田奈津子氏の和訳に納得しなかったキューブリックはそれを拒否、代わりに字幕の翻訳を担当したのが原田で、本作が字幕翻訳家デビューとなった。主な監督作品は『さらば映画の友よ インディアンサマー』('79)、『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』('86)、『さらば愛しき人よ』('87)、『ガンヘッド』('89)、『金融腐蝕列島〔呪縛〕』('99)、『金融腐蝕列島〔呪縛〕』('99)、『突入せよ! あさま山荘事件』('02)、『魍魎の匣』('07)、『クライマーズ・ハイ』('08)、『わが母の記』('12)。俳優としての出演作は『ラストサムライ』('03)。  1949年7月3日、静岡県沼津市生まれ

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 オスカー監督マーティン・スコセッシが、最新サスペンスホラー「シャッター・アイランド」とハロウィンにちなんで、米WebサイトThe Daily Beastに「映画史上最も怖いホラー映画11本」を発表した。  同サイトは、バニティ・フェア誌(84~92)やニューヨーカー誌(92~98)の元名物編集長だった「雑誌編集者の殿堂」ティナ・ブラウンが08年4月に立ち上げたオリジナルのニュース記事を集めたサイト。  たとえば「シャイニング」なら、ジャック・ニコルソンが妻(シェリー・デュバル)が籠もるホテルのドアに斧で穴を開け、あの穴に顔を出して笑いながら「ジョニーが来たぜ」と言う“最も怖いシーン”が動画として添えられ、スコセッシ監督らしいコメントが付いている。「私は決してスティーブン・キングの小説を読まないから、それがどんなに忠実に映画化されたかどうか分からないが、キューブリックは堂々と怖すぎる映画をこしらえている」  「キャット・ピープル」のジャック・ターナー監督が1957年に手がけたホラーの古典「Night of the Demon」は日本未公開だが、81年に「淫獣の森」としてリメイクされている。 「たたり」(ロバート・ワイズ監督、1963) 「吸血鬼ボボラカ」(マーク・ロブソン監督、1945) 「呪いの家」(ルイス・アレン監督、1944) 「エンティティー/霊体」(シドニー・J・フューリー監督、1982) 「夢の中の恐怖」(アルベルト・カバルカンティ監督ほか、1945) 「チェンジリング」(ピーター・メダック監督、1979) 「シャイニング」(スタンリー・キューブリック監督、1980) 「エクソシスト」(ウィリアム・フリードキン監督、1973) 「Night of the Demon」(ジャック・ターナー監督、1957) 「回転」(ジャック・クレイトン監督、1961) 「サイコ」(アルフレッド・ヒッチコック監督、1960) (引用: 映画.com ニュース/2009年11月2日 )  スコセッシはキューブリック好きですからね。あとはなかなかマニアックなチョイスではないでしょうか?でもモノクロってそれだけで怖さ5倍増し(当人比)になるので、古い作品の方が有利になる気がしますけどね。

【監督】映画監督スタンリー・キューブリックについて

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Stanley Kubrick(IMDb)  1928年7月26日、ニューヨーク・ブロンクス出身。ルック社のカメラマンとしてキャリア積み、いくつかのドキュメンタリ-作品を制作した後、1953年 自主制作映画『恐怖と欲望』で監督デビューを果たす。代表作は『2001年宇宙の旅』(1968)、『時計じかけのオレンジ』(1971)、『シャイニング』(1980)、『フルメタル・ジャケット』(1987)など。1999年7月公開へ向けて『アイズ ワイド シャット 』を制作、試写の段階までこぎつけたが、 1999年3月7日、 ロンドン郊外の自宅で心臓発作で急逝した。享年70歳。

【俳優】シドニー・ポラック(Sydney Pollack)

  『アイズ ワイド シャット』で、ヴィクター・ジーグラーを演じた製作兼監督兼俳優。監督としては『ひとりぼっちの青春』(1969)、『追憶』(1973)、『トッツィー』(1982)、『推定無罪』(1990)、『サブリナ』(1995)などがある。『ザ・ファーム/法律事務所』(1993)ではトム・クルーズを起用、『ザ・インタープリター』(19'93)ではニコール・キッドマンを起用している。『愛と哀しみの果て』(1985)でアカデミー監督賞を受賞した。  他の出演作には『夫たち、妻たち』(1992)、『シビル・アクション』(1999)、『チェンジング・レーン』(2002)などがある。  1934年7月1日アメリカ・インディアナ州生まれ。