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【関連記事】「十代のキューブリックがニューヨークの地下鉄であなたの祖母を密かに撮影したのでしょうか?」キューブリックのルック社時代の写真『地下鉄シリーズ』、新たに18枚のプリントが見つかる

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写真集『Through a Different Lens』に掲載された『地下鉄シリーズ』。これによるとルック誌掲載は1947年3月。キューブリックは当時18歳。  あり得る話だ。『博士の異常な愛情』の監督となる人物が撮影した、新たに発掘された膨大な数の写真には、17歳のキューブリックが夜をどのように過ごしていたかが写っている。コートの下にカメラを忍ばせて。 ベンジャミン・スヴェトキー 著  たいていの場合、10代の少年がコートの下に隠したカメラで地下鉄内で見知らぬ人をこっそり撮影していたという話を聞くと、最後は誰かが交通警察に連行されるという結末を迎える。  しかし、この場合、そのティーンエイジャーはスタンリー・キューブリックだった。そして、彼が1946年にニューヨーク市の地下鉄を深夜に乗車中にこっそり撮影した写真が、80年ぶりに日の目を見た。ロサンゼルスのギャラリーオーナー、ダニエル・ミラーが最近入手した400万枚の写真アーカイブの中に埋もれていた18枚のヴィンテージプリントだ。  「アーカイブを漁っていたら、どこかに『サブウェイズ』と走り書きされた小さな封筒を見つけたんです」とミラーは回想する。「開けてみたら、『これは本当に面白いものだ』と思いました。」  確かに。これらの写真は、キューブリックがカメラを構えた初期の作品として知られているもので、彼がわずか16歳か17歳の時に、ルック誌の依頼で撮影されたものだ。ルック誌は1945年、後に『博士の異常な愛情』や『2001年宇宙の旅』の監督となる彼を、当時最年少の専属カメラマンとして採用した。   もちろん、ミラーが最初に封筒を開けたとき、彼は上記のことについて何も知らなかった。  「ChatGPTに写真を入力して、誰が撮影したのか検索してみたところ、全く違う写真家が出てきたんです」と彼は言う。しかし、ミラーは何か重要なことに気づいてはいるものの、それが何なのかはまだ分からなかったため、諦めずに調査を続けた。「何人かの人や他のギャラリーに送ってみたところ、十分な調査の結果、ついに写真の本当の撮影者が判明したんです。」  今思えば、誰が彼らを撮影したのかは明白だ。「キューブリックは物語性を重視する監督で、これらの映像には多くの謎が隠されている」とミラーは言う。「この人たちは地下鉄で一体何をしているのか...

【関連記事】イラストレーター、フィリップ・キャッスル(スタンリー・キューブリック監督作品のポスターデザイナー)へのインタビュー

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フィリップ・キャッスルがキューブリックから送られた『フルメタル・ジャケット』のヘルメットを着用している はじめに 〈中略〉  フィリップ・キャッスルはイギリスのイラストレーターで、スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』や『フルメタル・ジャケット』の象徴的なポスターの制作で最も広く知られていますが、ケン・ラッセルの『ボーイフレンド』、ティム・バートンの『マーズ・アタック』、ジャック・ニコルソンの『ゴーン・サウス』なども制作しています。また、アルバムカバーのアートワークも手がけていて、デヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』、パルプの『ヒズ・ナ・ハース』、メトロノミーの『ナイツ・アウト』、ローリング・ストーンズの『イッツ・オンリー・ロックンロール(バット・アイ・ライクス・イット)』やポール・マッカートニーの『ウィングス』ツアー、さらに広告キャンペーンのポスター、本の表紙、イラストなど数え切れないほどのアルバム・ジャケットのアートワークも手がけています。私は連絡を取り、フィリップの自宅を訪ねました。元気で物腰の柔らかいフィリップは、時間を惜しまず、思いがけず40年以上にわたる彼の素晴らしい作品のアーカイブを撮影することができました。彼は紅茶を淹れてくれ、キューブリックが『フルメタル・ジャケット』のデザインのために彼にコンタクトをとった経緯から話を始めました。 第一部:キューブリックとの対面と『フルメタル・ジャケット』のデザインについて スティーブ・メプステッド :こんにちは、私の名前はスティーブ・メプステッドです。私はここでフィリップ・キャッスルと話をしています。フィリップの人生と仕事について話をするためにお伺いしたのですが、歴史を振り返る前に、フィリップは近いうちにギャラリーでの展覧会のための仕事をいくつか控えているようですね? フィリップ・キャッスル :フィリップ・キャッスルです。2つのギャラリーが興味を示していて、どちらも私に声をかけてきました。どちらも実現しそうな気がしています。『時計じかけのオレンジ』関連の展示は今年中に、もうひとつは来年末になると思います。だから、これ以上やることがあるとすれば、2つ目のショーのためにやることになるでしょうね。最初の展示は、『時計じかけのオレンジ』のアーカイブと、販売用のプリントを展示する予定です。そして、『時計じ...

【関連動画】『フルメタル・ジャケット』にあらず! 実際のアメリカ海兵隊ブートキャンプの一コマ

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 ・・・まるっきり『フルメタル・ジャケット』ですね。私たち門外漢には『フルメタル…』のリアル度ってなかなか理解できないのですが、元海兵隊員などによると「まるっきりそのまま」という反応をよく耳にします。このような実際の映像を目にすると、従軍経験者がそう言うのも納得できますね。

【関連記事】クリス・アイザックの『ベイビー・ディド・ア・バッド・バッド・シング』が『アイズ ワイド シャット』に採用された経緯

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  1999年のMTV Newsとのインタビューで、アイザックは『ベイビー・ディド・ア・バッド・バッド・シング(Baby Did a Bad Bad Thing)』は一緒にいてはいけない人と一緒にいたいと思うことについての曲だと語った。注目すべきは『アイズ ワイド シャット』が同様のテーマに触れていることだ。アイザックは、かつて『シャイニング』や『2001年宇宙の旅』などの映画を監督したキューブリックに強い思い入れがあることを明かしている。  「『トゥナイト・ショー』に出演する準備をしていた時に電話がかかってきて初めて知ったんだ」とアイザックは振り返る。「彼らは僕の音楽を映画で使いたいと言ってきたんだ。そして今夜すぐ返事を知らせてくれって言うんだよ。いつもなら返事を急かされたら「もういいや」って言うんだけどね。でも、彼らは「スタンリー・キューブリックだ」と言ったんだ。それで私は「マジかよ?もちろんだよ!!」ってね」  アイザックは『アイズ ワイド シャット』において『Baby Did a Bad Bad Thing』が使用されることで、具体的な影響が得られると信じていた。興奮して「もしこれが映画に使われたら、どこかの時点でスタンリー・キューブリックに会うことになる、と考えていた 」とアイザックは回想している。「あのレベルで仕事をする人はそう多くないからね」  悲しいことに、キューブリックは『アイズ ワイド シャット』の公開前に亡くなってしまい、アイザックは彼と会うことはなかった。しかし『Wicked Game』のシンガーは、自分の曲が映画に登場したことを喜んでいる。「スタンリーがどこかに座っていて、俺のレコードをかけて"ああ、こいつは完璧だ "と言ったのを想像するのが好きだよ」とアイザックは語っている。 〈以下略〉 (引用元: Showbiz CheatSheet/2022年3月6日 )  クリス・アイザックがキューブリック(の関係者?)からオファーがあった時のことをインタビューで応えている記事がありましたのでご紹介。そりゃキューブリックからオファーがあったら誰もが飛び上がっちゃいますよね。存命時はそれだけ高い知名度と影響力を有していたのですから。でも、一緒に仕事をしているうちに「もう・・・勘弁してくれ・・・」になるのもお約束(笑。とにかくキュー...

【関連記事】原田眞人氏が『フルメタル・ジャケット』のセリフ翻訳担当の経緯と、その作業内容を語ったインタビュー記事

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原田眞人(wikipedia)  字幕翻訳者交代劇から始まったキューブリック監督との絆 原田:日本では一般的にFワードに対して「バカヤロー」とか「クソガキ」とか、通り一遍の訳し方をしちゃう。でもキューブリックは一言一言全部チェックしてたから、何がどういうふうに間違っているかっていうのを把握していた。英語圏の人にとっても初めて聞いたような罵倒の言葉を使ってるわけだから、それは日本人にとっても、初めて聞く罵倒の言葉じゃなきゃダメだって。「セイウチのケツにド頭つっこんでおっ死ね!」とかね。ああいうのが、その通りに訳されてなかった。それで、誰かそういう感覚が分かる奴いないのかってことで僕に話がきた。僕はキューブリックの気持ちも分かるので、喜んでやりましょうって。そのあとは、メールもネットもない時代だから、ほとんど毎晩のようにキューブリックと直接電話で連絡し、少し訳しては向こうに送って、それをキューブリックがチェックして。キューブリックからダイレクトに「ここはオリジナルとは変わっているけど、どういう理由なの?」と質問がきて、理由を説明すると、「元に戻そう」という時もあれば、「それでいこう」という時もある。そんな、細かいやり取りをしていった。でも、途中からはお互いの感覚が分かったし、僕は基本的にキューブリックの意向に沿ってやりたい、っていう気持ちを彼も分かってくれて、「任せるよ」ということになっていったんだ。 衝撃の事実!劇場公開用に製作された日本語吹替だった! 原田:キューブリックの意向で日本語吹替版を作ることになったっていうことは、劇場版として日本語吹替版をやりたいっていうことだったと思うよ。だけど日本語吹替版は劇場公開されなかった。でも素材としては存在していたから、水曜ロードショーでやろうって話になったんじゃないかな。ところが内容的に放送禁止用語が結構いろんなところに出てきている。それで放送できなかった、ということかもしれない。 だけどテレビ用の日本語吹替版とは比較にならないくらいお金かけているんで(笑)キャスティングも含めて。観たいと思っていたけど、なんで出ないんだろうってずっと思っていた。 キューブリックからもお墨付き!原田眞人翻訳・演出の日本語吹替版 原田:キューブリックも利重剛と村田雄浩をすごく気に入っていた。彼は各国の吹替え版を全部持っていて、言語バラバ...

【関連記事】手塚治虫『惑星ソラリス』『2001年宇宙の旅』を激賞する

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  SF映画の魅力  今年はSF映画の年だなんていうんで、ずいぶん期待していたのに、上半期はロクなのがこない。  ただひとつ、これは、『Apache』を買う金があったらみにいってちょうだいよ。いや、 間違い。『Apache』を買って映画へいこう。ソ連製SF映画「惑星ソラリス」だ!  これはもう、NHKのニュースセンター9時でも紹介したくらいだから、みたがっている人が 多いだろう。残念なことに特殊な配給方法なので、東京、大阪など大都市以外の地方館では上映しないようだ。この映画の、なんてったってみどころは、あの主役のナタリヤ・ボンダルチュク。 このコの演技がまず、アカデミー賞もの。  このコの役は、ハリーという、死んじまった若い人妻の役。この人妻そっくりに、得体の知れ ないものが化けて、スーッと現れるのだ。そして主人公の男に惚れちまって寝ようってわけなんだが、亡き妻そのままの姿に、男は気味悪がって逃げの一手。  まといつこうとする、にせハリーの執念がすさまじい。金属のドアを手でブチやぶって、血だらけになって出てくるのだ。ついに彼女は液体酸素を飲んじまって、そり返ってのたうちまわって、凍ってしまう。  いやなんとも、こんなものすごい女優の演技は、めったにお目にかかれないよ。  この「惑星ソラリス」、どうも、アメリカSF映画「2001年宇宙の旅」をひどく意識して つくったみたい。そういうわけで、いよいよ来春再公開がきまった「2001年―」 には、みていないヤング諸君も、もうゼツ大の期待をもっていてほしい。  さっきぼくが、今年はSF映画の年なのにロクなのがこないといったのは、実は、「2001 年―」が今年の夏に封切られるハズになっていたのに、都合で来年にまわされたから、いよいよヤケクソ気味なのだ。というのは、この春に、題名のまぎらわしい「2300年未来への旅」 なんていうのが封切られてしまったせいだという説がある。「2001年―」に比べれば「2300年―」は、やはり、格がかなり落ちる。  なんてったって、「2001年宇宙の旅」は史上最高にして唯一のSF大作なのでありますぞ、 お立ちあい。  ぼくは、なにも配給会社から金一封もらって宣伝しているのではない。仲間のSF作家が口を 揃えて絶賛しとるのだ。それに、この映画には、ぼくは、ちょっとした思い出がある。この映画の監督...

【関連記事】『シャイニング』は実話に基づいている? コロラド州の実在する恐ろしいホテルについて

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小説版とTVドラマ版の舞台になった「スタンリー・ホテル」   スタンリー・キューブリック監督による1980年公開の『シャイニング』。映画史上最高のホラー映画と名高い同作は、1977年に出版されたスティーブン・キングの小説を原作に作られたものとして知られ、実際に起きた事件を基にした作品ではないが、実は、キングがインスピレーションを受けたというホテルが実在している。  同作は、コロラド州ロッキー山中にある人里離れたホテルで、閉鎖される冬の間暮らすことになった3人家族を追う物語だが、キングが自身のウェブサイトで明かしたところによると、彼が1974年に家族とともに宿泊したという、ロッキーマウンテン国立公園にほど近いスタンリー・ホテルからインスピレーションを受けたそうだ。 〈以下略〉 (引用: クランクイン/2025年11月1日 )  記事は小説版とスティーブン・キングが監修したTVドラマ版『シャイニング』の話であって、キューブリックの映画版とは関係ない話です。ただ、商魂たくましいこのスタンリー・ホテルは一番有名な映画版『シャイニング』の意匠を利用して集客を図っているようで、記事にある 「シャイニング・スイート」 を始め、 庭には生垣迷路 まであるそうです。  一方でキューブリックの映画版の外観モデルとなったティンバーライン・ロッジや内装のモデルとなったアワニー・ホテル(ここには是非泊まってみたい!)は(詳細は こちら )特に目立ったプロモーションなどはしていません。まあ、どちらとも元より有名なホテルなので、そんなことをしなくても集客には苦労していないのでしょう。  上記の写真の通り、原作小説とTVドラマ版に登場したスタンリー・ホテルは、映画版のオーバールック・ホテルとは随分と趣を異にしています。これについては過去に 「【考察・検証】なぜキューブリックは小説『シャイニング』のオーバールック・ホテルを改変したか?を検証する」 という記事で考察していますので、ぜひご覧ください。

【関連記事】抽象的で理解の難しい『2001年宇宙の旅』が世に残り続ける理由

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2001: A Space Odyssey(IMDb) <1968年に公開され、世界を驚愕させたキューブリック監督の『2001年宇宙の旅』。説明が足りないからこそ宇宙への畏怖を僕は実感した> 3カ月ほど前からChatGPTを使い始めた。遅い。自分でも思う。いつもこうだ。人より遅れる。鈍いのだ。気付けばみんなはずっと前を走っている。 でも周回遅れで集団から離れるからこそ、見えたり発見できたりすることがある。 〈以下略〉 (引用: ニューズウィーク日本版/2025年08月21日 )  映画監督の森達也氏によるコラムです。論に特に目新しいものはありませんし、さんざん語り尽くされてきたことを繰り返しているだけに思えますが、それでも公開から半世紀以上経た現在もなおこうしてこうして語り継がれ、記事にされるということは素晴らしいことです。ですが、やたら特撮だったり未来予想だったり、難解(説明不足な)ラストシーンについての話題ばかりで、肝心のテーマについては今も昔も(一般層に)理解が進んでいないな、と感じるのは私だけではないでしょう。それは記事にある通り、 キューブリックは、人間の最大の問いをラストに提示した。われわれはどこから来たのか。何者なのか。どこへ行くのか。 という「人類のレゾンデートル(存在意義)への問いかけ」だったのですが、それを「神(宇宙)視点で描いた」点にこの作品の偉大さがあるのです(ちなみにクラークは小説版を「人類視点」で描いている)。  そういう意味で本作品は「永遠に越えられないSF映画の金字塔」と言われているのですが、それが必ずしも「特撮」や「未来予想」を指しているわけではない(もちろんそれはそれで素晴らしいのですが)、という事実をもっと多くの人に知ってほしいですね。

【関連記事】リドリー・スコット「『2001年宇宙の旅』以降、SFは死んだ」

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Ridley Scott(IMDb)   2007年のベネチア国際映画祭で、彼の代表作であるノワール・スリラー映画「ブレードランナー」の特別上映会でのスピーチで、 「エイリアン」の伝説的監督、リドリー・スコット卿は、SFというジャンルは西部劇と同じ道を辿り、すでに死んでいると考えている、と発表した。  スコットは、デイリー・ギャラクシーの私たちと同様に、映画『マトリックス』『インデペンデンス・デイ』 『宇宙戦争』といった大作の派手な特殊効果は興行収入では売れるかもしれないが、スタンリー・キューブリック監督の1968年の忘れがたい大作『2001年宇宙の旅』に勝るものはないと考えている。この映画は、公開当時と同じくらい新鮮で(そしておそらくより現代的でもある)、今日でもなお健在だ。 〈中略〉  「独創的なものは何もありません。私たちはこれまで全てを見てきました。そこに行き、やり遂げてきました」とスコットは言った。  アメリカとソ連の「宇宙開発競争」が最高潮に達した時期に制作された『2001年宇宙の旅』は、悪意あるコンピューターと日常的な宇宙旅行が蔓延する世界を予見していました。キューブリックは細部にまでこだわり、宇宙船の設計にはNASAの専門家を起用しました。  リドリー卿は、『2001年宇宙の旅』は照明、特殊効果、そして雰囲気の使い方において「最高傑作」だと述べ、それ以降のSF映画はすべてこの作品を模倣、あるいは参考にしてきたと付け加えた。「現代のSF映画は特殊効果への過度の依存と、ストーリー展開の弱さが見られます」と彼は述べた。 〈以下略〉 (引用: THE DAILY GALAXY/2009年7月10日 )  かなり古い記事ですが、リドリー・スコットが刺激的なことを言っていたのでご紹介。この発言は2007年のベネチア国際映画祭のものですが、2025年現在、この発言を覆すほどの傑作SF映画が誕生したかと言えば・・・やはりそうとは思えません。リドリーが言うように「特殊効果への過度の依存と、ストーリー展開の弱さ」の問題は解決していないように見受けられます。もちろんそれなりの「良作」は頭の中にいくつか浮かびますが、それらが『2001年…』に並ぶ、もしくは超えるものなのかと問われば・・・やはりイエスとは言えないと思います。無論そんな現状をわれわれ映画ファン...

【関連記事】『ロリータ』の暗部。主演の少女女優の処女を奪ったプロデューサーのジェームズ・B・ハリスとその後のスー・リオンの人生

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『ロリータ』のセットでのハリスとスー。この写真を撮ったキューブリックは、この時すでに二人の関係を知っていたのかも知れない ハリスとスーが『ロリータ』で共演した演劇のシーン。画像一番左がハリス スーの最初の夫、ハンプトン・ファンチャー。結婚期間は1963年12月〜1964年12月 『ロリータ』の暗部  スー・リオンがこの映画に出演した時、彼女は14歳だった。プロデューサーはいずれにせよ彼女と寝たのだ。 サラ・ウェインマン著 2020年10月24日   1996年、エイドリアン・ライン監督による新作『ロリータ』の映画化が発表されると、スタンリー・キューブリック監督の1962年作品で主演を務めたスー・リオンが長年の沈黙を破って登場した。当時15歳だった新ロリータ役のドミニク・スウェインより(撮影当時)1歳年下のリオンはこう語った。「私の人間としての破滅は、あの映画に端を発しています。『ロリータ』は、あの年頃の少女が経験すべきではない誘惑に私をさらしました。14歳でセクシーなニンフ役でスターダムに駆け上がった可愛い女の子が、その後も安定した道を歩み続けられるとは到底思えません。」  そして、15歳のリオンは、この「成人向け映画」のロサンゼルスとニューヨークでのプレミア上映への出席を禁じられた。  『ロリータ』はリオンをスターにした。それはまた、ナボコフのニンフ(注:ニンフェット〜妖精的美少女)が経験したような破滅の始まりでもあった。彼女の未来は、数十年にわたる精神的不安定、5度の結婚、最終的に捨て去ることになる子供、そして長引く肉体の衰えと、2019年に73歳で亡くなるという結末を迎えた。リオンは自身の「破滅」の原因は初期のスターダムにあったと主張したが、撮影中に起こり、そして彼女を破滅させたのは、プロデューサーのジェームズ・B・ハリスとの性的関係だったという噂が長く囁かれていた。もしリオンの破滅が『ロリータ』から始まったとしたら、たった一人の人間がこれほどのダメージを与えた可能性はあるのだろうか? 『ロリータ』以前のリオン  リオンは『ロリータ』のオーディションを受けるつもりはなかった。幼なじみの親友ミシェル・ギリアム(後にママス&パパスのフィリップスとなる)とモノポリーに興じている最中、フィリップスの記憶によれば、リオンの母親が真新しいドレスと靴下を持って飛び込...

【関連記事】1972年1月30日、ザ・ニューヨーク・タイムス紙に掲載されたキューブリックのインタビュー

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A Clockwork Orange(IMDb) ブロンクスの素敵な男の子? クレイグ・マクレガー ロンドン発―では、スタンリー・キューブリックのようなブロンクス出身のユダヤ人の好青年が、『時計じかけのオレンジ』のような奇抜な映画を撮っているのはなぜだろう? まあ、誰でも最初はどこかの好青年から始まるもんだ、とスタンリーは言う。彼は微笑む。ユーモアのセンスもある。レストランでオヒョウを食べ、いつもの地味なオリーブ色の防弾チョッキを着て、陰気な髭面は、次回作の主人公となるナポレオンにそっくりだ。天才には見えないし、黙示録的な光輪も頭上には見えない。柔らかなニューヨーク訛りで、まるでブロンクスのあの伝説の好青年のようでもある。  しかし、43歳になり、年間最優秀監督賞を受賞し、カルト的な人気を得る頃になると、あなたは変わった。高い壁に囲まれた大きな屋敷に住み、メルセデスを乗り回し、無線電話でコミュニケーションを取り、現実世界で目にするものは往々にして気に入らないものだ。そして数年後、ついに『時計じかけのオレンジ』のような映画を作ることになる。レイプ、暴力、性的サディズム、残虐行為、そして人間の永遠の野蛮さを主題とする、不気味で単純、そして身の毛もよだつほど悲観的な映画だ。  「人間は高貴な野蛮人ではなく、卑劣な野蛮人だ」とキューブリックは氷水に手を伸ばしながら言う。「人間は非理性的で、残忍で、弱く、愚かで、自分の利益に関わることに関しては何事にも客観的になれない。それが人間の本質を言い表している。私が人間の残忍で暴力的な性質に興味を持つのは、それが人間の真の姿だからだ。そして、人間の本質についての誤った見解に基づいて社会制度を作ろうとする試みは、おそらく失敗する運命にある。」  例えば、どんなことですか?「そうだな、リベラル神話の多くの側面が今、破綻しつつある。しかし、私は例を挙げたくはない。そうするとウィリアム・バックリー(アメリカの保守思想家)のように聞こえてしまうからだ…」  キューブリックの社会観も同様に暗い。社会は人間を本来の姿よりもさらに悪くしてしまう可能性がある。「社会的な制約がすべて悪いという考えは、ユートピア的で非現実的な人間観に基づいている」と彼は言う。「しかし、この映画では、社会制度が少し暴走した例が描かれている。法と秩序の問題に直面した社会制度は...

【関連動画・関連記事】1980年10月24日、矢追純一氏によるキューブリックへのインタビューとその裏話

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JY=矢追純一 SK=スタンリー・キューブリック JS=ジュリアン・シニア JS  –ええ、ミッシェルです。やあスタンリー、探したよ。今ちょっと話せるかい?ミスター矢追と今一緒に立っている。 SK – 準備できているかい? JS  –できているよ、ちょっと待って。 JY –はじめまして。私の名前は矢追純一です。いくつか質問してもよろしいでしょうか? SK – はい、もちろんです。 JY – 最新作にホラーを選んだのはなぜですか? SK – まず、直接お話しできないことをお詫びします。ジュリアンが説明したと思いますが、私はラボやサウンドスタジオを駆け回っていて、実は今は電話ボックスからあなたに電話しています(注:キューブリックはカメラ嫌いなので避けている) JY – はい、分かりました。 SK – ホラーストーリーを選んだのはなぜですか・・・うーん、私がこれまでに制作したすべての映画について同じ質問をされたとしても、答えるのは難しいでしょう。私はたくさん本を読み、もちろん常に映画のストーリーを探しています。それはなぜ奥さんに恋をしたのかと聞かれるようなものなのです。好きなストーリーを読むと、映画の可能性が示唆されることがあります。このプロットはそのジャンルで最も巧妙で、最も興味深いものだと思いました。そして、それを読んだとき、私はこれを映画にしたいと思ったのです。 JY – なるほど。超能力についてはどう思いますか? SK – つまり、本当にどう思っているのかということですか? JY – はい。 SK – わかりませんが、オカルト体験をした人々の興味深い話や報告はたくさんあると思います。有名な天文学者が宇宙、つまり世界と宇宙における生命について語り、「私は宇宙に生命があると思うが、いずれにしてもそのような考えは驚異的だ」と言ったのと少し似ています。生命があったとしても、なかったとしても、ある意味驚異だと思います。 JY – ええと、何か超能力みたいなものをお持ちですか? SK – もう一度言ってください。 JY - あなたには超能力がありますか? SK – いいえ、あればいいのですが。 JY – (笑)あなたは未来を予測したり、役者の心を読んだり、異次元からイメージを考えたりする能力があるはずだとみんな言っていました SK – そうですね、私には超能...

【関連記事】早川書房社長の早川浩氏、アーサー・C・クラークと一緒に『2001年宇宙の旅』を鑑賞した思い出を語る

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『2001年宇宙の旅』(1968年) 〈前略〉   あるとき「ヒロシ、スタンリーのあの映画は見たか?」と聞かれた。クラークの小説をスタンリー・キューブリック監督が映画化した「2001年宇宙の旅」である。まだ見ていないと答えると「じゃあ一緒に見よう」と2人で映画館に入った。見終わった後、「自分で切符を買ってこの映画を見るのは実は初めてだ。実にいい作品に仕上がっている」と珍しく笑顔を見せていたのを覚えている。 〈以下略〉 (引用: 日本経済新聞『私の履歴書』(16)巨人の面影/2025年6月17日 )  クラークの著作を数多く翻訳・出版している早川書房の社長、早川浩氏がアーサー・C・クラークと一緒に『2001年宇宙の旅』を鑑賞した話を日本経済新聞の『私の履歴書』で語っていたのでご紹介。  ずいぶんとご機嫌なクラークの姿が目に浮かぶようですが、試写会時や公開当初は映画『2001年…』を気に入っていないどころか、失望すらしていたとは思えないほどの厚遇ぶりですね。鑑賞した日時は不明ですが、文章の内容から評価が酷評から激賞に変化した1968年夏以降だと思われます。ちょうどその頃に小説版が発売され、その邦訳版の出版契約か何かで渡米された時のエピソードではないでしょうか。  上記記事は有料とありますが、無料会員登録すれば月1回まで有料記事が無料で読めます。全文が気になる方はぜひ登録を。 情報提供:Kさま

【関連記事】音楽を怖がってください。『シャイニング』『2001年宇宙の旅』『アイズ・ワイド・シャット』・・・巨匠キューブリックが愛した恐怖クラシック

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左からバルトーク、リゲティ、ペンデレツキ  「別に怖い音楽を書いたわけじゃないんだけどね?」という作曲家たちの声が聞こえてきそう。なぜか、ホラー映画御用達の現代音楽。巨匠キューブリックは、バルトークやリゲティ、ペンデレツキといった作曲家を愛し、偏執的に映画の中で用いました。とっつきにくいと思われがちな現代音楽、こうなったら「怖がる」楽しみ方はいかがですか⁉  キューブリック・ファンに嬉しいプレイリスト付きでご紹介します。 〈以下略〉 (引用: ONTOMO/2018年8月13日 )  少し古い記事ですが、目に留まったのでご紹介。キューブリックがバルトーク、リゲティ、ペンデレツキを使ったのは「無調音楽」の匿名性、つまり主役のメロディがあってないような音楽なので、BGMではなく効果音的な使い方ができるということもあったかと思います。逆にメロディがどっしり主役を張る音楽は、特定のシーンに意図的に使うことで、ある種のメッセージを伝えようとする場合が多いです。(こう書くと特定の曲が思い浮かぶ方も多いはず)  キューブリックの自宅には図書館ほどの膨大なレコード・ライブラリーがあり「これほどたくさんの曲があるんだから、いろいろと使ってみないといけない」と語っていたそうです。使用する音楽は撮影中に思いついたりすることもあったようですが、やはり編集中にあれこれ試しては最適な曲を選び出していたようで(もちろん選んだ曲が100%使えるわけではない。使用許可が下りない場合もある)、それはそれは「楽しい作業」だったのだと思います。(キューブリックは編集作業が大好き)  記事では『2001年宇宙の旅』でのリゲティの「無許可使用」にも触れていますが、キューブリックがリゲティの使用を決めたのは公開直前のことで、その時はリゲティと連絡が取れなかったそうです。やむなく無許可で使用したところ(キューブリックはそれだけどうしてもリゲティを使いたかったのでしょう)、後でそれを知ったリゲティは「私の曲をハリウッド映画に使うなんて!』と大激怒!(当時は映画音楽は低く見られていた)無許可使用も相まって訴訟問題に発展するのですが、『2001年…』が画期的な傑作と評価されるようになると態度も軟化、後に無事に印税も支払われ、後のインタビューではキューブリックやその作品について好意的に語っています。(記事にはここ...

【関連記事】スタンリー・キューブリックが『シャイニング』の制作中に住んでいた英国の邸宅が900万ドルで売りに出される

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キューブリック一家が居住していた当時のアボッツ・ミード  まさにセントラルキャスティングから出てきた物件です。  スタンリー・キューブリックがかつて住んでいたハートフォードシャーの邸宅―彼が『シャイニング』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』などの作品を制作した場所―が、約900万ドル(12億円)という破格の価格で売りに出された。  アボッツ・ミードとして知られる8ベッドルームの英国邸宅は、ロンドン郊外エルストリーのバーネット・レーンに位置している。金曜日に送られた不動産会社からのリリースによると、サヴィルズが販売している。   ニューヨーク生まれの故キューブリックは1965年にこの土地を購入し、14年間をそこで精力的に制作活動に費やしました。そして1999年に亡くなりました。  エルストリー・スタジオのすぐ近くにあるおかげで、この隠遁生活を好む映画監督は、緑豊かな2エーカーの敷地を離れることなく、制作や編集から特殊効果の開拓まで、あらゆる作業を管理することができました。  「豊かで多様な歴史を持つ素晴らしい住宅を数多く販売できることは、私たちにとって大変幸運なことです。しかし、映画撮影のロケ地として使われた場合を除き、これほど映画制作と直接的なつながりを持つ物件は稀です」と、サヴィルズ・リックマンスワースのオフィス責任者、スティーブン・スペンサー氏は声明で述べています。   スペンサー氏はさらに、「エルストリー・スタジオに近いことがキューブリック氏とその家族にとって完璧な拠点となりましたが、キューブリック氏は自宅で多くの仕事をし、スタジオ内で彼の並外れた作品群のうち4本の映画のあらゆる側面を注意深く管理していました」と付け加えました。 (引用: THE NEW YORK POST/2025年5月23日 )  キューブリックが『2001年宇宙の旅』〜『シャイニング』の制作中に住んでいた英国の邸宅「アボッツ・ミード」が900万ドル(約12億円)で売りに出されているそうです。内装は当時と変わっていると思いますが、記事には室内写真がいくつか。それに当時はプールはなかったはず。  キューブリックはそれまでたびたび映画製作のためロンドンは訪れていましたが、あくまで拠点は自身の出身地であるニューヨークでした。(ハリウッドが嫌で舞い戻ってきていた)。で...

【関連記事】トム・クルーズ独占インタビュー「ただ映画を作るために映画を作ったことは一度もない。常に映画作りの探求だった」

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〈前略〉 - 『アイズ ワイド シャット』は近年再評価され、多くの批評家から傑作と評されています。あなたは今、この作品についてどう思われますか?  素晴らしい経験でした。とても興奮していました。スタンリーの映画はよく知っていて、シドニー・ポラックを通して彼を知りました。それでスタンリーはシドニーに電話をかけ、私に映画を作ってほしいと言って、ファックスを送ってきたんです。  彼の家まで(ヘリで)飛んで、裏庭に着陸しました。前日に脚本を読んで、一日中それについて話しました。彼の出演作は全部知っていましたし、スコセッシ監督にも彼とシドニー・ポラックについて話しました。だから、彼の仕事ぶりや仕事のやり方は知っていました。それから、彼と私はお互いを知るようになりました。そうしているうちに、私はニコールに(アリスの)役をやってくれないかと提案しました。彼女は明らかに素晴らしい女優ですから。  撮影が長引くことは分かっていました。彼は「いやいや、3、4ヶ月で終わるよ」と言っていましたが、私は「スタンリー、いいかい、君のためにここにいる。どんなことがあっても、やり遂げる」と言いました。この映画はとても興味深いと思い、ぜひそういう経験をしてみたいと思いました。映画を作るときは、実際に依頼する前に綿密な調査を行い、関係者とじっくり時間をかけて話し合います。そうすることで、彼らが何を求めているのか、そして彼らが私のことを理解し、どのように一緒に仕事をすれば特別な作品が作れるのかを理解してもらえます。  とてもユニークな経験でした。クルーはそれほど多くありませんでした。夏に到着して、基本的にはテスト撮影を始めたばかりでした。脚本はまだアイデアの段階でした。映画のトーンを本当に見つけるために、シーンを何度も書き直し、撮影し、そしてまた撮影し直しました。 -映画の夢のようなクオリティを実現するために、キューブリックとどのように協力しましたか?  レンズを操作しながら、構図やシーンのリズムを探っていました。カメラの動かし方。それぞれのシーンに独特のリズムがあって…催眠的で夢のような体験を生み出します。まさに私のキャラクターが経験していたことと同じでした。そして、最終的に彼がたどり着いたのは、ジェルジ・リゲティの作品を使うことでした。彼はリゲティが大好きだったんです。 - プロデューサーのヤン・ハ...

【ブログ記事】カンヌ国際映画祭のカンヌ・クラシックで『バリー・リンドン』が4Kで上映

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 ライアン・オニールとマリサ・ベレンソンが主演を務めるスタンリー・キューブリック監督による、ウィリアム・メイクピース・サッカレーの18世紀の古典小説『バリー・リンドンの回想録』は、繊細で颯爽とした悪党の栄枯盛衰を描いた作品。アイルランドを追われたハンサムな若者レドモンド・バリー(オニール)は、決闘でイギリス軍将校を殺害したためアイルランドを追われ、プロイセンで兵士、スパイ、そしてヨーロッパのエリート層の間でギャンブラーとして一攫千金を夢見る。彼は名前を変え、富を求めて貴族(ベレンソン)と結婚するが、求め続けた成功はついに果たせない。 アカデミー賞4部門受賞:撮影賞、美術賞、衣裳デザイン賞、作曲賞 監督:スタンリー・キューブリック 製作年:1974年 製作国:イギリス、アメリカ 上映時間:184分 (引用: カンヌ映画祭公式サイト )  2025年5月23日、カンヌクラシックスのクロージング作品として上映された『バリー・リンドン』はクライテリオン社による新しい4K修復版で、35mmのオリジナルカメラネガの4Kスキャン、撮影時の正しいアスペクト比1.66:1で上映、サウンドはオリジナルの35mm磁気トラックから作成されたそうです。  上映当日、主演の一人であるマリサ・ベレンソンが登壇。映画はキューブリックとファンにはおなじみの映画評論家ミシェル・シマンに捧げられました。 4K版はクライテリオンから7月に4KUHDでリリースされる ことが決まっていますが、残念ながら日本語字幕はなし。まあなくても内容は知っているし困らないのですが、特典映像はないと困ります。ワーナーは出す気あるのでしょうか?でなければ『午前十時の映画祭』あたりでの上映を期待したいですね。

【関連記事】トム・クルーズ、『アイズ ワイド シャット』の役にニコール・キッドマンを「推薦した」と語る。「彼女は素晴らしい女優だ」

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クルーズとキッドマンは2001年に離婚するまで11年間結婚生活を送っていた。  トム・クルーズは、離婚から25年近く経った今でも、元妻のニコール・キッドマンを高く評価している。  Sight and Sound(The Independent経由) との最近のインタビューで、俳優は1999年の映画『アイズ ワイド シャット』を振り返り、スタンリー・キューブリック監督のエロティック・スリラーで、ドクター・ビル・ハーフォードの相手役としてアリス・ハーフォード役にキッドマンを推薦したと語った。  「彼の家まで(ヘリで)飛んで、裏庭に着陸したんだ。前日に脚本を読んで、一日中それについて話した。彼の作品は全部知っていたんだ」と彼は回想する。「それから、彼と私はお互いを知るようになった。そうしているうちに、ニコールに(アリスの)役を演じてはどうかと提案したんだ。だって、彼女は素晴らしい女優だからね」  クルーズはこの映画に特に熱心で、撮影が予想よりずっと長引いたにもかかわらず、キューブリックに「(映画を作るために)何が起ころうとも、我々はやるつもりだ」と語った。 〈中略〉  「この映画はとても面白かったので、自分もそういう経験をしてみたかったんだ」と『ミッション:インポッシブル』のスターは振り返る。「映画を作るときは、実際に手がける前に綿密な調査をし、出演者たちとじっくり時間をかけて話し合う。そうすることで、彼らが何を求めているのか、そして彼らが私のことを理解してくれるかを理解し、どうすれば一緒に特別な作品を作ることができるのかを理解できるからだ」  キッドマンは以前、一部の視聴者がスクリーン上の二人の関係と現実の関係を比較したため、クルーズと『アイズ ワイド シャット』で共演したことで、当時の二人の結婚生活について「否定的な感情」が生じたかどうかについて言及していた。 「それは人々が思い描いていた物語には当てはまるけれど、私は絶対にそうは思っていませんでした」と彼女は2020年にニューヨーク・タイムズ紙に語った。「私たちはそういったことを乗り越えて幸せな結婚生活を送っていました」 〈以下略〉 ( The Hollywood Reporter/2025年5月11日 )  実はそのトムのキャスティングもワーナー側からの提案でした。最初ハリウッドスターを起用することを渋っていた(『...

【関連記事】「名監督スタンリー・キューブリックと、19歳の私」『2001年宇宙の旅』の制作に参加したブルース・ローガンのインタビュー記事

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宇宙ステーションVのセットに立つブルース・ローガン  1965年、私はイギリスのボアハムウッドにあるアニメーションスタジオで働いていました。BBCと軍向けの小さなアニメーションプロジェクトを制作していました。ロンドン・サンデー・タイムズ紙の記事で、私の大好きな監督、スタンリー・キューブリックが、通りの向かいにあるMGMスタジオでSF映画を制作するという記事を見つけました。その映画のタイトルは『2001年宇宙の旅』でした。 名監督スタンリー・キューブリックと、19歳の私  それから間もなく、運命の出会いがありました。VFXのパイオニア、ダグラス・トランブルが、この映画のアニメーションアーティストを探しに、私たちの会社にやって来たのです。当時、優良企業で安定した仕事をしていれば、半年ほどフリーランスの仕事に就くことなど考えられませんでした。しかし、私は気まぐれで気ままな性格だったので、面接を受け、そして採用されました。  まさかこの仕事が2年半(この業界での生涯最長の収入源)も続き、私のキャリアの中で最も影響力のある経験になるとは、その時は夢にも思っていませんでした。そして、その後数年間、スタンリー・キューブリックと一緒にテスト上映に座り、作品を批評することになるとは、夢にも思っていませんでした。もし今これをやらなきゃいけないと誰かに言われたら、きっと神経衰弱を起こしてしまうでしょう。でも、当時は19歳で、何も分かっていませんでした。 では、スタンリー・キューブリックとはどんな人だったのでしょうか?  彼との出会いは、深い思いやりと優しさ、そして共感力を持ち、ユーモアのセンスも抜群の人でした。しかし、それが彼の人柄でした。映画監督として、彼は自身のビジョンを形にするために、非常に強い意志と容赦ない精神力を持っていました。私が数日間体調を崩したとき、彼は自宅に電話をかけてきて、救急車を呼んで担架で運び込み、アニメーション撮影をさせると脅すほどでした。  彼には、『博士の異常な愛情』で演じたジャック・D・リッパー将軍によく似た、特異な癖もありました。彼はボトル入りの水しか飲まなかった(60年代のイギリスでは考えられないことだった)。ポケットを空っぽにしておくのが好きで、車のキーを車に置きっぱなしにして、私たちからタバコをせびっていた(注:妻のクリスティアーヌに禁煙を厳命され...

【関連記事】手塚治虫が選ぶ「SF映画ベスト10」

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天国への階段 幽霊紐育を歩く メトロポリス 月世界征服 光る眼 原子人間 宇宙戦争 2001年宇宙の旅 地底探検 猿の惑星  SF映画の面白さはSF小説の面白さとは違う。映画は画期的に面白く、ゲテモノでなく、見た目に面白いものがよい。最近では『猿の惑星』が傑作だ。  『時計じかけのオレンジ』は社会風刺としては面白いが入れるのをためらった。そういう意味では『博士の異常な愛情』などはSFというよりもSF番外編としてはトップに入れたいところだ。総体的に原作がある作品にあまり面白いものがなく、オリジナルな映画が面白いというのは、原作にしばられて思うように画像の飛躍ができないからだろう。『日本沈没』は小説は面白いが映画は失敗するだろう。  小松左京氏、筒井康隆氏などにぜひシナリオを書いてもらいたいものだ。マンガ家にもSF映画の発想ぐらいには参画させてほしい。 (引用:『ロードショー』1973年10月号)  手塚治虫が『2001年宇宙の旅』を高く評価しているのは周知の事実ですが、コメントとして『時計じかけのオレンジ』『博士の異常な愛情』にも触れ、結局3つもキューブリック作品を選んでいますね。どんだけキューブリック好きやねん!と思いますが、他はまあ1973年当時としては順当な気がします。ちょっとクラシック寄りな気もしますが。1、2は存じ上げなかったので調べてみましたが、SFというよりファンタジー要素が強そうな作品です。意外なのは『地球が静止する日』『地球最後の日』『禁断の惑星』あたりを挙げていないこと。単に忘れていただけな気もしますけど。  「総体的に原作がある作品にあまり面白いものがなく、オリジナルな映画が面白いというのは、原作にしばられて思うように画像の飛躍ができないからだろう」という指摘は自身もクリエーターである立場からの発言だと思います。実は映画は原作ものばかりですが、権利関係や契約などで映画製作者の創作の自由が縛られてしまうとつまらなくなってしまう、という意味に取っておきましょう。キューブリックはまさにそれを嫌がって契約には白紙委任状態を求め、製作はハリウッドの目が届きにくいロンドンでという判断をしました。  あと、『日本沈没』は興行的には成功しましたね。内容(評価)的に失敗するという意味かも知れないですが。手塚先生はその場の思いつきでぱぱっと言ったりする方なので、こう...