【考察・検証】『時計じかけのオレンジ』のラストシーン「レイプ・ファンタジー」を考察し、解説を試みる
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※一部画像加工済 |
『時計じかけのオレンジ』のラストシーン、アレックスが「完ぺきに治ったね」とつぶやく際に見る夢、いわゆる「レイプ・ファンタジー」ですが、この名称はコールシート(撮影予定表)で便宜上そう名付けられていたものです。実はこのシーン、当初は「全裸の女性をアレックスが追いかける」カットが存在し、その後削除された(おそらく検閲の問題)のですが、その件につきましては以前記事にしました。
その「レイプ・ファンタジー」、原作小説では「カミソリで地球を切り裂く」という暴力夢でしたが、キューブリックは性夢に変更してしまいました。どんな夢であれ、登場人物が見る夢を映像化する際には「現実離れ」した映像でないと、そのシークエンスが「夢」であることを表現できません。逆に言えば「現実離れした(性夢の)映像ならなんでもいい」ということになり、結局はキューブリックのセンス次第、となってしまいます。そんなキューブリックのセンス(感覚)で作られたこの「レイプ・ファンタジー」を、キューブリックの頭の中を覗くなど到底不可能だということを承知の上で考察してみたいと思います。
(1)19世紀風の衣装に身を包んだ紳士淑女たち
どうして「19世紀風」と言えるのかというと、男性全員がシルクハットを被っているからです。シルクハットの流行は19世紀前半が最盛期でした。そして19世紀前半といえばベートーベンが活躍した時代です。つまりこのシーンは自分(アレックス)がベートーベンと同時代の19世紀に存在している夢を見ている設定なのです。
(2)スタンディング・オベーション
その19世紀の紳士淑女たちは、全裸で性行為をするアレックスをスタンディング・オベーションで讃えています。これで思い出されるのは「第九」の最終楽章が終わった瞬間、観客がスタンディング・オベーションで指揮者や楽団を讃えるということが定番化しているという事実です。つまり、聴衆(一般民衆)もアレックスの暴力性や性衝動の復活を第九のスタンディング・オベーションという形で「讃えて」いる(と少なくともアレックスは思っている)のです。
結論:(1)(2)の観点から、アレックスが病院のベッドの上で、ベートーベンの第九を浴びながら見ている夢は、性行為(レイプ)をしているという喜びを、自身はおろか聴衆(一般民衆)でさえ讃えているということであり、それは自身のルドビコ療法からの完全開放のみならず、社会でさえそれを容認した(内務大臣がそれを許可した)ことを表していると言える。結果、社会状況は物語開始時(少なくともアレックスの暴力は容認されていない)からより醜悪な方向へと悪化しており、「物事をより良い方向に無理やり矯正することは、結果としてより悪い方向へ向かわせてしまう危険性を孕んでいる」ことへの警鐘を鳴らしたものだと理解できる。
この最後の「レイプ・ファンタジー」のシークエンスは、単にアレックスの性的・暴力的性向の復活としてだけ捉えられていることが多い様ですが、もう少し細かい点まで考察してみました。キューブリック本人はこれについて明確な説明はしていませんので、解釈は各々の判断になりますが、当ブログは現時点においてこれを「レイプ・ファンタジー」の解説としたいと思います。