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【愛機】IBM XT

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 1984年1月にIBM XTと写真に収まるキューブリックです。詳細な型番まではわかりませんが、1984年といえば丁度『フルメタル・ジャケット』を製作中の頃、まだWindowsは存在していませんでした。こんなに早くからPCを導入していたのですね。妻であるクリスティアーヌによると、キューブリックはずっとコンピュータが一般化するのを待ちわびていて 「パーソナル・コンピュータの登場は彼が生まれてこのかたずうっと登場を待ち望んでいたものが実現したようなもの」(引用:『写真で見るその人生』) だったそうです。  こういった記念写真を残しているところを見ると、キューブリックにとって初パソコンだったんでしょうね。プリンターもありますし当時総額いくらくらいだったのでしょうか?どこかしら誇らしげなキューブリックがとても微笑ましいです。撮影場所は「セント・オールバンズの近くの自宅」とありますので、死去するまで住んでいたハートフォードシャーの邸宅だと思われます。  その後どういうPC遍歴を辿ったかは不明ですが、フレデリック・ラファエルの『アイズ・ワイド・オープン』によると「シフトを押しながらF8を押す。そうするとメニューが出てくる・・・」などとラファエルに指示していた所を見ると、最期までPC+Windowsだったようです。機種は『2001年…』で多大な協力をしてくれたIBMだったと思いたいですね。

【愛機】ライカIII(Leica III)

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セルフポートレート、1940年代  キューブリックが愛用したライカIII、写真集『ドラマ&影:写真1946-1950』が発表されて一気にメジャーになった感のある上記の写真で手にしているのがライカIIIです。  この写真、『ドラマ&影』には1940年代としか表記がありませんでしたので、撮影時期と場所の特定を試みたのですが、『あるコーラスガールの日常生活』のアウトテイクと思われますので、撮影日時は1949年3月、場所はニューヨークである事が分かります。上記写真は顔全体と両手まで入る大きい鏡の前で撮影していますから、コーラスガールが出演中の待ち時間の楽屋で撮ったのではないでしょうか。最初は宿泊していたホテルで撮ったのかと思いましたが相当大きい鏡ですからね。ただ日にちは違うかも知れません、時計をしていないですから。数日に渡る同じ一連の取材で撮った物とするならば、キューブリック20歳、ニューヨークでの写真という事になります。  でもご存知の通り、キューブリックって同じ格好ばっかりするので有名ですからね・・・。髪型も少し違うような気がします。服装で特定できないのが辛いところです(笑。  ところでキューブリックは35mmではコンタックスも愛用していました。『地下鉄車中での秀作』(1946年)はコンタックスで撮影した事が知られています。しかもレリーズをポケットに隠し、盗み撮りだったみたいです。そのコンタックスですが詳細な型番までは不明ですので、情報が分かれば記事にしたいと思います。

【愛機】コダック・モニター620(Kodak Monitor 620)

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コダック モニター Six-20(写真は当人のものではありません)  キューブリックが16歳の誕生日に父親から贈られた、生涯初めての記念すべき自分専用のカメラ。13歳の誕生日には父親が所有していたスピード・グラフィックを譲られています。キューブリックはこのカメラや35mmをぶらさげ被写体を探しては学校や街を歩き回り、学校のチアガールの撮影ではプリントの裏に「スタンリー・キューブリック撮影」とスタンプを押して被写体になった人に渡していたそうです。それにしても・・・ずいぶんとウザい奴です(笑。  このコダック・モニター620、フィルムは620サイズで6×9cm(ロクキュウ)になりますからスピグラと比べるとコンパクトです。キューブリックは後に「あんなにカメラを安定して持てる人を他に知らない」とカメラマンからも高い評価を得ていますが、その基礎は子供の頃にスピグラを使いこなすことによって身体で憶えたのかも知れません。そして次がこのコダック、そして更にコンパクトなローライへと続くのですが、スピグラが扱えればどうってことないでしょうね。現在でも「カメラを本格的に始めるならまず一眼から」と言われますが、こういう事も関係しているんでしょう。 【ご注意】現在キューブリックが初めて使用したカメラについて、スピード・グラフィックとコダック・モニター620と両方のソースがあるようです。評伝『映画監督スタンリー・キューブリック』によるとグラフレックス(スピード・グラフィック)となっていますが、これは父親所有のものだった事が記されています。一方の1948年10月のカメラ誌の記事には「キューブリックは19歳の誕生日を向かえたばかりだが、丁度3年前に父親からコダック・モニター620を贈られた」とあります。両方のソースを考慮すると、上記のように13歳の誕生日に父親所有のスピード・グラフィックを譲り受け、16歳の誕生日に改めて新品のコダック・モニター620を贈られたのではないか、と判断して記事にいたしました。

【愛機】スピード・グラフィック(Speed Graphic)

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LACMAで開催された『スタンリー・キューブリック展』に展示された本人所有の「スピグラ」  キューブリックが初めて手にした記念すべきカメラ。「父親からのプレゼント」と言われていますが実際は父親所有の物で、当時13歳だったキューブリックに使用許可を与えただけではないかと推察しています。まあキューブリックの事ですから、そんな事はおかまいなしに自分の物として使い倒していたであろう事は容易に想像できます。評伝によると、アパートの階下に住むマーヴィン・トローブと一緒になって写真を撮りまくり、彼の家にあった暗室にしょっちゅう通い詰めるという事態に。そんなキューブリックを見たマーヴィンの伯母に「あの子には自分のアパートがないのかしら」と皮肉まで言われる始末なのでした。  そんなキューブリックに自分のカメラを独占されたお父さん、しょうがないんで3年後の16歳の誕生日には正式にキューブリック専用の物としてコダック・モニター620を贈っています。  さて、このスピードグラフィック(俗にスピグラと呼ぶそう)というカメラ。よくギャング映画などでマスコミがバシャバシャとフラッシュを焚いて写真を撮っているシーンを見ますが、まさにそれになります。以前紹介したローライフレックス・スタンダートより大きい大判カメラと呼ばれるもので、子供が扱うにはとても大変だったろうと思います。フィルムは4×5判(シノゴ)で、デジタル全盛以前はプロ用フィルムとして定番のサイズでした。とにかくフィルムが大きいのでポスターやカレンダー、看板など、大きく引き伸す必要のあった撮影には必ず用いられていました。  難点はフィルムが12枚しか装填できず、1枚撮るごとに感光防止シートを引き抜かなければならなかった点です。昔の人は本当に良く考えてシャッターを切らないとシャッターチャンスを逃していたんですね。「下手な鉄砲(数撃ちゃ当たる)方式」でOKなデジカメとは雲泥の差、シビアな世界です。  現在LACMAで開催中のキューブリック展には実物のスピグラが展示中です。もちろんキューブリックの物ですが、父親の遺品でもあります。大切に取っていたんですね。両親の葬式には出席できなかったキューブリックですが、それなりに想いはあったのでしょうね。 【ご注意】現在キューブリックが初めて使用したカメラについて、スピード・グラフィックとコダック・モニター6...