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【関連動画】キューブリックが賞賛したジャン・ミトリ監督、アルテュール・オネゲル作曲の短編映画『パシフィック231』

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  このマスターリストによると、キューブリックはアシスタントだったアンソニー・フュリューインに勧められてこの『パシフィック231』を鑑賞、その感想は「今まで観た中で最も完璧に編集された映画の一つ」だったそうです。  上記の動画をご覧いただければその理由は一目瞭然、様々なアングルから撮られた映像の細かいカットのつなぎあわせと、サウンドトラックに合わせたリズミカルな編集はいかにもキューブリックが好みそう。以前ご紹介したアーサー・リプセットの『ベリーナイス、ベリーナイス』もそうですが、こういうの大好きなんでしょうね。  監督はジャン・ミトリ、音楽はアルテュール・オネゲル。wikiによるとオネゲルは大の機関車好きで「私は常に蒸気機関車を熱愛してきた。私にとって機関車は生き物なのであり、他人が女や馬を愛するように、私は機関車を愛するのだ」と語ったそうです。作曲は1923年、映画の制作は1949年なので、この作品は既存曲に合わせて撮影・編集されたニードルドロップということになります。この点もキューブリックが好んだ要因のひとつでしょうね。

【考察・検証】キューブリックとロジャー・カラスの間でやりとりされた、HALの殺人に関してIBMへの問い合わせと回答の手紙

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1966年8月31日にキューブリックがニューヨークのロジャー・カラスに宛てた手紙 1966年9月13日にロジャー・カラスがロンドンのキューブリックに宛てた手紙  1966年8月31日、キューブリックはニューヨークの事務所にいるロジャー・カラスに宛てて、「IBMはストーリーのメインテーマが神経症にかかったコンピュータだということを知っているのか?私はトラブルは望まない」と確認の手紙を出しました。1966年9月13日、それに対するロジャー・カラスの返信は、「私はIBMにHALが実際に人を死に至らしめることを説明しましたが、IBMは、IBMの名前でコンピュータの故障に関連づけられていなければ問題ない。映画にクレジットを付与することに意義はないとのことでした」という内容でした。  この返信の手紙には重要な示唆が含まれていると思います。つまり逆に言えば「IBMの名前でコンピュータの故障に関連づけられていれば問題がある」ということになるからです。まさにこれが「IBM→HAL」問題の本質だと思います。おそらくキューブリックは「IBMより一歩進んだコンピュータ」という意味でそれぞれのアルファベットを「I→H、B→A、M→L」と一文字分進めた「HAL」という名称を考えだしたのでしょう。ですが、このトリックはあっさりとバレる可能性がありました。余計なトラブルを嫌うキューブリックは、その場合に備えてセットからIBMのロゴを外す決断をします。しかしそれは撮影がある程度進んだ段階だったので、撮影済みのフィルムにはいくつかロゴが残ってしまいました。そしてキューブリックやクラークが懸念した通り「I→H、B→A、M→L」のトリックはバレてしまいます。ですが、用心深いキューブリックは、そうなった際にも「腹案」を用意していました。それが例の「HALはHeuristically programmed ALgorithmic computerの略」という説明だったのではないでしょうか。  もちろん、キューブリックもクラークも故人となった今、これを確認する術はありません。ですが、二人の言う「Heuristically programmed ALgorithmic computer」を略せば通常は「HPAC」もしくは「HAC」となるのが自然です。どう考えても後付けくさいこの説を納得できないというファンは多いの...

【関連記事】イメージフォーラム1988年6月号に掲載されたキューブリックのロングインタビュー(一部抜粋)

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  『フルメタル・ジャケット』の日本公開に合わせ、イメージフォーラム1988年6月号に掲載されたキューブリックのインタビューをピックアップして掲載いたします。インタビュアーはキューブリックファンにはおなじみの河原畑寧氏。氏はロンドンに赴き、キューブリック本人に直接会ってのインタビューを行いました。その意味でも貴重なインタビューなので本当は全文を掲載したいのですが、さすがにそれは著作権的に問題がありますので、ごく一部のみのご紹介にとどめさせていただきます。 人間は映画のもつ素晴らしい潜在力を完全には解き放ってはいない スタンリー・キューブリック・ロングインタビュー インタビュアー=河原畑寧 ストーリーの第一印象は大切だ  自分で(ストーリーを)作ろうと思ったことはある。しかし、他人の書いたストーリーだと、客観的にその善し悪しを判断できるが、自分で書いたらその判断は難しい。ストーリーの第一印象はとても大切だ。一般の観客が初めて映画を見て感じるフレッシュな印象、それと共通するものがあるから大切にしなければならない。 重要なのはシュート(撮影)する前の段階だ  (脚本は)リハーサルでも状況に応じて変える。撮影現場で重点の置き方が変わることもあるから、シナリオ(脚本)の最終決定稿が完成するのは、撮影現場で最後のショットが終わった時だ。  監督にとって、どう撮るかは、むしろ簡単な決定で、楽な仕事だ。重要なのはシュート(撮影)する前の段階で、それは撮影するに足る何事かを起こしえるかへの挑戦なのだ、撮る内容をいかに充実したものにするかだ。 愚作の方に影響を受けた  (1950年頃の)偉大な監督の映画は、ほとんど見た。しかし、実際に私が映画を作って行こうと決心するきっかけを与えてくれたのは、優れた作品ではなく、毎週見に行った二本立ての映画だった。私なら、これほどひどい映画は作らない。自分は映画は大好きだから、これなら自分が作れば良い線まで行くんじゃないか、そう自信を持った。だから、私は愚作の方に影響を受けたということになる。  私はマックス・オルフェスの崇拝者だよ。フランス映画が席巻していた時代だ。『第三の男』なんかも見たな。マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーかい?とてもユニークな映画だった。今ときたま彼らに言及する人はいるけれど、彼らの価値はまだ十分に認められた...