【考察・検証】キューブリックのキャリアの分水嶺となった『ロリータ』
「How did they ever make a movie of "LOLITA"」のキャッチコピーが登場する『ロリータ』の予告編
キューブリックは「お金にうるさい監督」だった事は数々の証言から明らかになっています。自宅で株取引をしていたという証言や、『バリー・リンドン』ではロウソクの数さえ気にしてノートに付けさせたり、キューブリックの側近だったレオン・ヴィタリは「彼は芸術家だったがビジネスマンでもあった」と答えています。
キューブリックは何故お金にこだわったか?もちろん贅沢な暮らしがしたかった訳ではありません。キューブリックは自主制作で映画を始めました。なので映画製作の資金集めの苦労は痛い程よく分かっていました。キューブリックは身なりに構わず、高級車や装飾品には目もくれず、自宅にはプールさえありませんでした。要するに持てるお金の全てを映画製作につぎ込んでいたのです。
それは『突撃』のラストをハッピーエンドにし、映画を当てようと試みたり、自分の名前が宣伝されればそれで構わないと『スパルタカス』では脚本のクレジットに載せるよう進言してみたり、芸術家らしからぬその言動からも伺えます。そんなキューブリックが『ロリータ』に目をつけたのは、誰もがその題材ゆえに尻込みするこの映画化を成功させ「自分は稼げる監督だ」という事を示したかったのではないでしょうか。メジャー4作目の本作は、大ヒットした前作『スパルタカス』(1960)の記憶も新しい1962年に公開になっています。小説『ロリータ』はその内容から全世界で物議を醸していました。その『ロリータ』を映画化し公開できれば多大な興行収入が見込めたのです。(『ロリータ』のキャッチコピーは「我々は如何にして『ロリータ』の映画化を成し得たか?」でした)キューブリックは処女作『恐怖…』で自分の芸術性に拘るあまり興行的に大失敗し、あげくには場末のポルノ映画館に二束三文で売られるという苦い経験をしています。つまりキューブリックにとって興行成績は映画製作の自由度に直結するのです。だからキューブリックはこの『ロリータ』までは自分の芸術性を抑え、数々の妥協をしてでも興行成績に拘ったのです。
何故そう言えるのか、その理由はキューブリックの思惑通り大ヒットした『ロリータ』の後、ハリウッドの出資者の信頼を確実な物した、と判断したキューブリックが次作の題材に選んだのが幼い頃から興味を持っていた核戦争(『博士の異常な愛情』)とUFO(『2001年宇宙の旅』)だからです。キューブリックは生まれてから20代半ばまで住んでいたニューヨークから引っ越ししたがっていました。それは本気で核攻撃の可能性を心配していたからです。また『2001年…』に多大な貢献をしたアーサー・C・クラークはキューブリックが本気でUFOや異星人を畏れていたことに驚いた、という旨の発言をしています。また1950年代には日本のSF映画を取り寄せてまで観ていたそうです。
撮りたい映画を撮ってその二作ともヒットさせたキューブリック。この頃のキューブリックは撮りたい映画をいくらでも撮れる状況にありました。当然その野心は次作『ナポレオン』へと向かって行きます。でも結局この企画は様々な事情から実現しませんでした。諦めきれないキューブリックは『バリー・リンドン』を映画化します。しかし興行的に大失敗。『恐怖と欲望』や『非情の罠』でお金に苦労した頃のトラウマが蘇ったとしても何の不思議でもありません。そのキューブリックがヒットを狙ったのが『シャイニング』で、それは本人の「正真正銘のコマーシャルフィルム」という発言げんからも伺えます。
多少の浮き沈みはあったものの、キューブリックは高い芸術性と安定した興行成績(『バリー…』も後に再評価され、それなりの収益をスタジオにもたらしている)そして何よりも映画製作の絶対的自由をメジャー持ち続けた希有な監督です。これはキューブリック以外誰も成し遂げていません。日本ではあまり興行面や製作環境面でのキューブリックの評価は聞かれませんが、ハリウッドの名だたる監督がキューブリックをリスペクトするのはこういった理由もあるのではないでしょうか。