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  1972年に出版された、クラーク自身の筆による『2001年…』のアウトテイク集。これも早くから邦訳が望まれていたが、なんと38年も経ってからの出版となった。内容は、クラーク節全開のエンターテーメントSF然とした『2001年…』が満載で、もしこのままキューブリックが映像化したら、陳腐になること請け合いといった内容だ。クラークを「SFロマンの虜」として批判したキューブリックの気持ちが良くわかるような気もするが、小説版『2001年…』の、クラークらしからぬ筆致に少なからず違和感を覚えていたのも事実。クラークの本音は明らかにこちら側だ。

【クラークとキューブリックの共同作業の流れ】

1964年4月、クラークとキューブリックはニューヨークのレストラン、トレイダー・ヴィックスで初めて顔をあわせる。

1964年5月、原案として『前哨』を使うことに合意。製作期間を約2年と見積もる。(実際は4年)

1964年12月、スターゲート到着までの全体のおおまかな筋書きが完成する。

1965年2月、MGMにより、仮題『星々の彼方への旅(Journey Beyond the Stars)』のとして製作を発表する。

1965年春、一度は決定稿と思われていたセクションを次から次へと没にして、再度物語を練り直す。

1965年4月、タイトルをキューブリックが考えた、『2001年宇宙の旅』に決定する。

1965年5月、宇宙人をどう描けば良いのか悩むキューブリックは、クラークの『幼年期の終わり』の悪魔イメージを取り込みたい、と言い出す。

1965年8月、ロンドンのMGM撮影所でセットの立込みが始まり、クラークはそのアドバイスのためにロンドンに向かう。

1965年10月、物語の終わらせ方として、「ボーマンが子供に逆行し、赤ん坊となって地球軌道上に浮かぶ」という案を出し、キューブリックはそれに賛成する。また、キューブリックの判断で、ボーマン以外のディスカバリーのクルーは、皆殺しと決定する。

1965年11月、オリオン号のコクピットのセットを見学した時、思わず「中華レストランに似ている」と口走ってしまい、それを聞いたキューブリックはセットの改装をスタッフに命じる。

1965年12月、月のモノリス発掘現場から撮影が開始される。

1966年1月、「スター・ゲートのありかは土星の衛星ヤペタス以外に考えられない」という考えを、キューブリックに伝える。

1966年4月、小説が完成し、キューブリックに出版の許可を求めるが、「まだ出せる段階ではない」と拒否される。

1966年5月、俳優を使ったシーンの撮影が終了する。以降、特殊撮影の開発、編集、サウンドトラック等の作業が公開ギリギリまで続くとになる。

1966年7月、キューブリックは出版への許可のサインを拒み、クラークは窮地に追い込まれる。

1968年4月、『2001年宇宙の旅』が一般公開される。

1968年7月、ニュー・アメリカン・ライブラリー社から、小説版『2001年宇宙の旅』が出版される。

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