【関連書籍】戸田奈津子 金子裕子著『KEEP ON DREAMING』で語った、『フルメタル・ジャケット』翻訳家降板事件の戸田氏の言い分

これが戸田氏の訳だったらどんな「甘い」ものになっていたのやら・・・

※P144より抜粋

Q『フルメタル・ジャケット』の字幕訳者を交代した理由は?

 そのマシュー・モディーンが主演した『フルメタル・ジャケット』の監督、スタンリー・キューブリックは究極の完璧主義者でした。自分の映画が公開されるときは、あらゆる国のポスターデザイン、宣伝コピーなどの宣材を全て、フィルムの現像の焼き上がりチェックまで、とにかく全てに目を通します。たとえば日本で印刷したポスターは色が気に入らないと言って、自分が住んでいて目の届くイギリスで印刷させていたほどです。

 じつは『2001年宇宙の旅』(1968年)、『時計じかけのオレンジ』(1972年)など、過去の作品は大先輩の高瀬鎮夫さんが字幕をつけられていて、「キューブリックは字幕原稿の逆翻訳を要求するバカげたことをなさる大先生だ」とぼやいておられました。その高瀬さんが亡くなられ、私に回ってきたのが『フルメタル・ジャケット』だったのです。

 ベトナム戦争たけなわの頃、アメリカ国内の陸軍基地(注:海兵隊基地の間違い)でしごき抜かれた新兵たちが、やがて地獄のようなベトナムの戦地へと送られて行く。これだけで言葉の汚さは想像つくでしょうが、とくに前半の鬼軍曹のしごき場面のすさまじいことといったら!日本人にはまったくないののしり文句を、新兵に浴びせまくるのです。たとえば、「Go to hell, you son of a bitch!」というセリフに「貴様など地獄へ堕ちろ!」という字幕をつけたとします。キューブリック監督の要求通り、その字幕を文字通り英語に直すと、「You - hell - drop」となり、英語の構文に整えるとなると「You drop down to hell !」のようなことになる。「Go to hell, you son of a bitch !」が「You drop down to hell !」になって戻ってきたら、キューブリック監督でんくても「違う!」と怒るでしょ。英語とフランス語のように語源を共有し(注:語源が語族という意図なら英語はゲルマン語族、フランス語はラテン語族で全く異なる)、いまも血縁関係を保っている言語同士ならともかく、まったく異質の言語の間で翻訳・逆翻訳をやって、元の文章に戻ることはありません。

 「a son of a bitch !」の気持ちは「貴様」という「you」とは違う日本語の人称でじゅうぶん表現されていると思います。〈中略〉そういう言語の違いを考慮せず、逆翻訳の文字ずらだけを見るのはナンセンスです。

 「a son of a bitch !」を直訳すれば「メス犬の息子」「ふしだらな女の息子」です。でも、日本人同士でケンカしている時に、「メス犬の息子め!」と言われてもなんのこっちゃ?で、気が抜けてしまいます。〈中略〉

 映画を観ている時に、観客が感情移入してドラマに浸りたいのは当然。その時に「メス犬の息子め!」と聞きなれない表現に訳しても、観客は「??」と戸惑うばかり。「コノヤロー!」と抵抗のない表現にして、自分をケンカしている気分になってもらうのが字幕の役目だと思います。

Q:字幕の役目とは?

 〈中略〉「字幕を読む」という行為は、映画鑑賞に割り込んでくる余分な作業。字幕はそもそも、あってはほしくない余分な存在なのです。その余分なものに、観客がその表現に一瞬でも戸惑ったり、画面が変わっても読みきれなかったりして、鑑賞を妨げられるような字幕は、良い字幕とは言えません。

 そこで『フルメタル・ジャケット』ですが、日本人には唖然とするほど、卑猥な侮蔑語やフレーズが機関銃のような早口で乱射されます。監督は、これもすべて忠実に字幕にのせろと要求して来ましたが、そんな翻訳は絶対に読み切れるものではありません。字幕を読むのに追われて、観客は映像など見ている余裕がありません。「ケツの穴でミルクを飲むまでしごき倒す!」という文章を読んで、そのイメージが瞬間に咀嚼できますか?もちろんシナリオは一言一句磨き抜かれたもので、どの言葉もなんらかの意味があって、そこにあるのですから、勝手に切り捨ててよいものではない。でも読み切れず、内容のイメージも即座に把握できない「画面の字の羅列」にどういう意味があるのでしょうか?

 字幕の担当者としては、オリジナルの台詞をあくまで尊重しつつも、「字幕を読む=余分な作業」が、観客の負担にならず、映画のすべてー映像、芝居、音楽、その他の要素ーをトータルに楽しんでもらいたい。そこにはおのずと正しいバランスがあるはずで、そのバランスを第一に考えることが、字幕を作る者の持つべき姿勢であり、責任だと思っています。

Q:キューブリック監督に、字幕事情を説明しましたか?

 残念ながら、この問題は一方通行で進んで、結局『フルメタル・ジャケット』の字幕は、映画監督の原田正人さんが手がけることになりました。

 原田さんはキューブリック監督の要求通りに翻訳しても字幕は読めると考えていました。シナリオがすでにしっかり頭に入っていて、2度も3度も映画を見返せば、むろんそれで問題はないでしょう。でも、入場料を払って映画館に来る観客は、まったくの白紙の状態で字幕を読むのです。ややこしい文章では、理解するのに翻訳した人間の2倍、あるいは3倍はかかる。そのあとに映画そのものを楽しむ余裕はどれほど残っているのでしょうか?

 当時、ある映画評論家が「フィルム・メーカーが心血を注いだシナリオの言葉は一語たりとも切るべきではない。読み切れなければ2度でも3度でも観ればいいのだ」と言いました。そりゃあ、評論家は2度でも3度でもタダで試写を観られます。しかし2000円近い入場料を払い、2時間あまりの娯楽を求めて映画館に足を運ぶ一般の観客はどうなるの?腹を立てていた私に清水俊二先生は「映画は評論家のためにつくられているものではない」と、一刀両断。溜飲の下がるひと言でした(笑)。

Q「誤訳だ」と批判されることに対しては、どんな気持ち?

 お叱りや間違いの指摘は真摯に受け止めますが、基本的には気にしないことにしてます。ほとんどの指摘が文字数の制限とか、字幕に課せられる制約を理解していないので・・・。〈中略〉

Q:新しいスターたちが次々と誕生した90年代。来日と字幕作りで大忙し?

 年間50本近く、フル回転で字幕をつけてたでしょうか。若手のスターが続々と来日してきましたから、二枚目好きのミーハーとしては楽しかったですね(笑)。

(引用元:戸田奈津子 金子裕子『KEEP ON DREAMING』〈2014年発行〉)


 なんだ、そうだったのか!戸田先生、誤解して申し訳ありませんでした!!・・・と思った方は・・・いらしゃらないと思います。もうどこからツッコンでいいのやら(笑。

 「a son of a bitch !」を直訳すれば「メス犬の息子」

—一般的には「売女の息子」ですね。割と日本人でも知っている方は多いのではないでしょうか。

 「ケツの穴でミルクを飲むまでしごき倒す!」という文章を読んで、そのイメージが瞬間に咀嚼できますか?

—できますが何か?

 そんな翻訳は絶対に読み切れるものではありません。

—そもそも『フルメタル…』の公開当時も、映像ソフト化時も、そして現在に至るまで、観客や視聴者から「字幕が読み切れない」「字幕を追い切れない」という話を聞いたことがありません。その時点で戸田氏の言っていることに説得力はゼロです。

 そこにはおのずと正しいバランスがあるはずで、そのバランスを第一に考えることが、字幕を作る者の持つべき姿勢であり、責任だと思っています。

—バランスが正しい、正しくないと、訳のニュアンスが正しい、正しくないは別の問題です。問題をすり替えないでいただきたい。

 そりゃあ、評論家は2度でも3度でもタダで試写を観られます。しかし2000円近い入場料を払い、2時間あまりの娯楽を求めて映画館に足を運ぶ一般の観客はどうなるの?

—2014年時点でこんなこと言う人がまだいるとは。とっくに気に入った映画はDVDやBDで繰り替えし鑑賞する時代です。戸田氏の時代感覚は昭和で終わっているようです。

 お叱りや間違いの指摘は真摯に受け止めますが、基本的には気にしないことにしてます。

—いや、気にしてください!「間違い」なんですから。

 若手のスターが続々と来日してきましたから、二枚目好きのミーハーとしては楽しかったですね(笑)。

—はい、自覚はあるようですね。だったら自分の字幕翻訳家としてのスキルの低さも自覚して欲しいです。

 とまあ、みなさまの代わりにツッコンでみましたが、そもそも戸田奈津子というお方、自身のスキルの低さや誤訳を頑として認めないというプライドの高さに加え、問題を「映画字幕の技術的事情」に巧みにすり替え、さらに言えばその言い訳が世間に理解されるだろうと考えている「甘さ」「世間知らず」が見え隠れします。そしてそれが映画ファンから蛇蝎のごとく嫌われている原因なのですが、まあそれさえもご本人は理解できていないでしょう。

 ところで本書は主に映画スター交友裏話という体裁で、戸田氏のミーハーぶりがいかんなく発揮されています。それに表紙にはバッチリとご本人のご尊顔が登場していますので、書影は当ブログには載せません。Amazonへのリンクを一応貼っておきますが(こちら)、ぶっちゃけ図書館で借りて読めば十分な本ではあります(管理人はそうしました)。

 管理人は原田氏の訳を全面的に支持するわけではありませんが(意味が通らない日本語がある)、それでも『フルメタル…』のハートマン軍曹語録(詳細はこちら)がネットミームとして定着した功績を考えればそれもまた「味」と肯定的に捉えています。ですがもし戸田氏の訳がOKになっていたら・・・『ロード・オブ・ザ・リング』ファンの苦労がこちらにのしかかってきたわけですから、それが避けられただけでも御の字だと、キューブリックファンは思わなければいけないのかも知れませんね。

TOP 10 POSTS(WEEK)

【台詞・言葉】ハートマン先任軍曹による新兵罵倒シーン全セリフ

【考察・検証】キューブリック版『シャイニング』でオーバールック・ホテルに巣食う悪霊の正体とは

【台詞・言葉】『時計じかけのオレンジ』に登場したナッドサット言葉をまとめた「ナッドサット言葉辞典」

【関連記事】1972年1月30日、ザ・ニューヨーク・タイムス紙に掲載されたキューブリックのインタビュー

【関連記事】音楽を怖がってください。『シャイニング』『2001年宇宙の旅』『アイズ・ワイド・シャット』・・・巨匠キューブリックが愛した恐怖クラシック

【考察・検証】『2001年宇宙の旅』に登場する予定だった宇宙人のデザイン案を検証する

【関連動画・関連記事】1980年10月24日、矢追純一氏によるキューブリックへのインタビューとその裏話

【インスパイア】『時計じかけのオレンジ』と「アイドル」に親和性?『時計じかけのオレンジ』にインスパイアされた女性アイドルのPVやMVのまとめ

【パロディ】『時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法の被験者にさせられたアニメキャラのみなさまのまとめ

【関連記事】早川書房社長の早川浩氏、アーサー・C・クラークと一緒に『2001年宇宙の旅』を鑑賞した思い出を語る