【考察・検証】キューブリックは何故「撮影はスタンダード、音声はモノラル」にこだわったか?


 『アイズ ワイド シャット』のDVDには「キューブリックの意図した撮影時のアスペクト比(スタンダード)で表示されています」との表記がある。1999年の時点ではテレビはまだブラウン管が主流だったからだと思われる。なお、BDにはこの表記はなく16:9での表示

 書籍『ザ・スタンリー・キューブリック・アーカイブ』に掲載されている撮影アスペクト比の一覧。ただ、『バリー・リンドン』の1.77にはファンの間から疑義の目が向けられている(個人的には1.66ではないか?と判断)。



 ステディカムの使用やビデオのモニター使用に代表されるように、撮影方法や制作システムなどでは新しい技術を大胆に取り入れていたキューブリックでしたが、肝心の作品は最期まで「撮影はスタンダード、音声はモノラルが基本」(一部を除く)を貫き通しました。今回はこの件に関して考察したいと思います。

 キューブリックが映画製作を始めた1950年代は撮影・上映はスタンダードでモノクロ、音声はモノラルが一般的でした。キューブリックも当然それに倣って映画を作り始めます。ところがその後映画は急速な発展を遂げ、カラー化はもちろん、視覚的にも迫力が増すワイド化の道を進み始めます。しかしその際、全世界共通の上映基準を設けなかったために、あちこちで規格が異なるという混沌とした状況を招いてしまいました。また、音声もステレオからサラウンド、THXなど規格が乱立してしまいます。

 さらにテレビの一般家庭への普及が事態をいっそう混乱させます。映画がテレビでオンエアされるようになると、スタンダードサイズであるブラウン管にワイドサイズの映画が収まるはずはありません。今では考えられませんが、当時は無理矢理左右を圧縮して歪みまくった映像や、左右をバッサリとカットするという、制作者の意図をまるで無視した映画が平気でオンエアされていました。当然音声は当時のテレビではモノラルが標準です。

 画面の配置やレイアウトに人一倍こだわるキューブリックがこの事態を深く憂慮していただろう事は想像に難くありません。視聴者側がどのような再生装置で作品を鑑賞するかによって全く印象が異なってしまうのですから、製作者が採るべき方法は限られてきてしまいます。すなわち「音響設備の悪いどこの映画館でも、家庭用のテレビでもなるべく同じ印象を持たれるようなフォーマットで映画を作る」という方法です。その回答が「撮影はスタンダード(上下カットでワイドで上映)、音声はモノラル」だと思います。

 現在テレビはワイド化が進み、音声もステレオが標準と言っていいでしょう。キューブリックがもしあと10年長く生きていたら、ワイドである映画をトリミングする事なくテレビでステレオ再生できるこの状況を喜んでいたでしょう。そうなれば「撮影/上映はワイド、音声はステレオを基本」としていたかも知れません。そう考えるとキューブリックの急逝は返す返すも残念でなりません。

 尚、一部にキューブリックがスチールカメラマン出身であったためにスタンダード撮影にこだわった、との論を見かけますが、個人的にはその可能性は低いと見ています。実際『2001年宇宙の旅』ではシネラマに挑戦していますし、『時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』ではヨーロッパビスタ、『シャイニング』ではスタンダードの上下にアメリカンビスタのマスクをかけて編集作業をしています。そもそもそんなにスタンダードにこだわっているなら映画館に向けてスタンダードで上映せよとの指示が出ている筈です。

 キューブリックは状況が許せば斬新なアスペクト比にも挑戦したかったように思えます。それを思いとどまった大きな理由は上記にもあるように「映画館の設備の劣悪さや映画のTVオンエア時の酷さ」だと思います。実際、映画のTV放映がビデオ化が一般化した70年代中盤以降製作の『シャイニング』からは「撮影はスタンダード、映画上映時はワイド、TV放映やビデオはスタンダード」のフォーマットが定着しています。『バリー…』まではTV放映やビデオ化は考慮されていなかったので、ワイドで撮影したのだと推察しています。

加筆修正:2018年9月4日

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