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2001年制作のドキュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャーズ』出演時のシェリー・デュバル

〈前略〉

 『三人の女』のクライマックスは、医者を呼んでくれというミリーの頼みを無視して、ピンキー(シェリー・デュバル)が見守る中、無気力なミリーが死産を強いられるという生々しいシーンです。このシーンには生々しい恐怖があり、キューブリック監督は、コロラド州のロッキー山脈にある幽霊ホテルを舞台にしたスティーブン・キングの小説を映画化するにあたり、デュバルを妻役として起用することに決めました。デュバルは、会ったことのないキューブリック本人(「彼は私が泣くのがうまいと言った」)からの電話でオファーを受けました。台本はありませんでした。キューブリックはシェリーにキングの小説『シャイニング』のコピーを送り、それを読むように言いました。

 デュバルは当時、マンハッタンでポール・サイモンと暮らしていました。「本当に怖い場面で、ポールが入ってくるのが聞こえなかった。彼は後ろから忍び寄ってきて「ちぇっ!」って言ったの。「わっ!」「なぜそんなことをしたのって言ったの」。2年間一緒に暮らしていた2人ですが、次第に疎遠になっていきました。1ヶ月後の1979年(1978年の間違い?)の元旦、デュバルが『シャイニング』の撮影を始めるためにロンドンへ向かうコンコルド機に乗ろうとしていた時、空港でサイモンは彼女と別れました。彼女は大西洋を横断する旅の間ずっと泣いていましたが、この先に待ち受ける感情的なマラソンのための単なるウォーミングアップに過ぎなかったことがわかります。彼女がロンドンに到着すると、キューブリックは娘のビビアンを連れてデュバルに会いました。「私たちは素敵なディナーを食べて、それだけでした」とデュバルは言います。「残りの時間は仕事をしていました」。

 『三人の女』が撮影開始から終了まで6週間を要したのに対し、『シャイニング』は56週間を要しました。これは1979年2月にEMIエルスツリー・スタジオで発生した火災が原因の一つで、当時建設されたオーバールック・ホテルのセットが焼け落ち、再建が必要になったからです。しかし、それはキューブリックの有名な厳格なプロセスによるものでもありました。スケジュールは過酷で、監督は週6日、1日最大16時間の撮影を行いました。その間、デュバルは、雪に覆われたリゾートホテルの中で、最終的には家族を斧で切り刻もうとする正気を失った作家(ニコルソン)の妻を演じ、絶対的なヒステリー状態になるまで自分自身を追い込む必要がありました。当時ガールフレンドだったアンジェリカ・ヒューストンと一緒にロンドンの自宅を借りたニコルソンとは異なり、デュバルはハートフォード・シャーのスタジオ脇にアパートを借り、撮影期間中は犬と2羽の鳥と共に暮らしていました。「誰もそんなことはしないわ」と69歳のハッストンは言います。「ロンドンへの行き来では2時間の渋滞に巻き込まれるかもしれないのに」。しかし、シェリーは1年半の間、そのようなことをしていました。彼女は自分でアパートを買ってそこに住んでいました。とても献身的だったからです。自分や他の人を犠牲にしたくなかったからです」

 デュバルは「(キューブリックは)少なくとも35テイク目までは何も撮影しません。35テイク、走って泣いて、小さな男の子を抱きかかえる。大変でした。最初のリハーサルから本番まで。難しいです。シーンの前には、ソニーのウォークマンをつけて悲しい曲を聴くんです。あるいは、自分の人生の中でとても悲しいことや、家族や友達がいなくて寂しいことを考えたりするんです。でも、しばらくすると体が反発してくるんです。〈私にこんなことをするのはやめて。毎日泣きたくない 〉と。その思いだけで泣いてしまうこともありました。月曜日の朝にとても早く起きて、一日中泣かなければならない予定だったことに気づきました。私はただ泣き始めました。〈いいえ、無理だ、無理だ 〉。それでもやってしまいました。どうやってやったんでしょう。ジャックもそう言っていました 〈どうやってやったのか分からない 〉って 」。

 キューブリックが彼女の演技を引き出すために、彼女に異常で残酷な行為や虐待をしたと感じたかどうかを聞かれ、デュバルはこう答えています。「彼はその気質を持っています。彼は確かにそうなんです。でもそれは、過去に誰かが彼にそういう態度をとったことがあるからだと思います。彼の最初の2作は『非情の罠』と『現金に体を張れ』でした」。私は彼女にそれが何を意味するのかを聞いてみました。キューブリックはスキャットマン・クローザース演じる親切なシェフ、ディック・ハロランよりもジャック・トランスだったのでしょうか?「いいえ、彼はとても温かくて親切でした」と彼女は言います。「彼はジャックと私と一緒に多くの時間を過ごしました。クルーが待っている間、彼はただ座って何時間も話したがっていました。クルーは「スタンリー、60人ほど待っているんだけど」と言っていました。でもそれもとても重要な仕事でした。

 しかし、ヒューストンが覚えているように、監督は、そしてニコルソンは、デュバルに過度に乱暴な態度をとることがあったそうです。「当時、ジャックが言っていたことですが、シェリーはこの作品の感情的な内容に対処するのに苦労していたように感じました。そして、彼らは同情的には見えませんでした。それは、少年たちがいじめているように見えました。それは完全に私の状況に対する読み違いだったかもしれませんが、私はそう感じました。あの頃の彼女を見ていると、全体的に少し拷問されているような、動揺しているような感じがしました。誰も彼女に気を使っていなかったと思います」。それでも、最終的に出来上がった作品の強烈な力を否定できないとヒューストンは認めています。「彼女は実際に映画を背負っていたんだんです。ジャックは、ある種の喜劇的なものと恐ろしいものとの間で揺れ動き、キューブリックにとって、それが最もミステリアスで興味をそそるものでした」とヒューストンは言います。「しかし、彼女がその混乱の真っ只中にいることは大変だったに違いありません。そして彼女はそれを引き受けました。彼女は信じられないほど勇敢だったと思います。」

 『シャイニング』には、ギネス世界記録になった「セリフのある1つのシーンのほとんどがリテイク」のシーケンスがあります。クローザースとダニー・トランスを演じた幼い俳優のダニー・ロイドが、ホテルの恐ろしい過去をイメージできる超能力である「輝き」について話し合っているシーンです。キューブリックは俳優に148回それをさせました。しかし、もう1つはるかに要求の厳しいシーンである階段のシーンは127回撮影されました。「それは難しいシーンでしたが、映画の中で最高のシーンの1つであることがわかりました」とデュバルは言います。「もう一度映画を見たいです。久しぶりです」

 彼女の提案で、私はシーンをグーグルで検索し、彼女の車のダッシュボードにiPhoneを置いて再生ボタンを押しました。71歳のデュバルが30歳の自分にジャック・ニコルソンが「脳天をかち割る」と脅されて、弱々しくバットを振るのを見ている体験を忘れることはないと思います。

「なんで泣いているの?」とデュバルに聞いてみました。

「これを約3週間かけて撮影したからです」と彼女は答えます。「毎日。とても大変でした。ジャックはとても良かったですが、とても怖かったです。私は何人もの女性がこの種のことを経験するか想像することができるのです」

〈以下略〉

(引用:Hollywood Reporter/2021年2月11日




 シェリーにとってこの『シャイニング』での経験はとても大変だったことは否定できません。そしてキューブリックはシェリーに対して特別厳しく当たったことも事実です。実はキューブリックが俳優に対して公衆の面前で、こんなにも高圧的で接したのはシェリー以外にいません。キューブリックはたいていの場合は俳優をセットの隅に引っ張っていき、そこで一対一で話し合うというのが常でした。しかしシェリーの場合は違いました。その理由は証言がありませんので推察するしかありませんが、ヒントは伺うことができます。それは『シャイニング』のメイキングのドキュメンタリー、『メイキング・オブ・シャイニング』にあります。

 『メイキング…』でのキューブリックとシェリーのやりとりは非常に激しいものがあります。キューブリックが「皆の時間をムダにするな」と言えば、シェリーも「このクソドア」と言うなど、キューブリックに食ってかかっています。このインタビューの通り、キューブリックはシェリーをオーディションなしでキャスティングしました。それは「いじめられやすそうな女性」というキューブリックが望んだウェンディのキャラクターにぴったり(原作では自立した強い意志を持つ美女)だったからです。しかし、当のシェリーは非常に気の強い女性でした。それは『メイキング…』でも、本編『シャイニング』でも見て取ることができます。多くの場合、シェリーの演技はキューブリックが言うように、「本当に怖がっているように見えない」のです。特に顕著なのはジャックが食糧倉庫に閉じ込められ、「雪上車を見に行ってみろ!」と煽るシーンです。「なあに?」と振り返るシェリーの表情にはあきらかに「演技」の要素が見えます。また、有名なトイレのドアをぶち破るシーンも本当に怯えているようには見えません(その反面、階段で言い争うシーンは素晴らしい演技をしている)。キューブリックはシェリーから漂ってくる「演技臭さ」を消そうと躍起になっていました。ですが、それは完全に成功したとは言えず、キューブリックも最終的には妥協を強いられたのだと思います。

 シェリーはルックス的、持っている雰囲気的にはキューブリックが望む「いじめられやすそうな女性」にぴったりでした。キューブリックが想定外だったのはシェリーの「気の強さ」であり、それが「演技から透けて見えてしまう」点でした。忍耐と妥協を強いられたのはキューブリックも同じだったと思います。そのことはおそらくシェリーも気が付いていたんでしょう。それは上記の記事に「シェリーはこの作品の感情的な内容に対処するのに苦労していたように感じました」にある通りです。

 シェリーがポール・サイモンと同棲していたという話は初めて知りました。父親は1995年に74歳で死去、母親はコロナで昨年3月に亡くなり、1994年1月17日のノースリッジ地震で被災者になってしまったことも知ることができました。シェリーは2002年頃まで女優業やプロデュース業に活躍していましたが、それ以降パタリと姿を見せなくなります。それが久しぶりに表舞台に登場したのが、2016年11月にあの悪名高いフィル博士の番組で、精神疾患を患っている姿を晒し者にされた時</a>です。これには数多くの非難の声が挙がりました(かつて一緒に仕事をしたキューブリックの娘、ヴィヴィアンも激しく非難した)。シェリーの精神疾患の原因は定かではありませんが(キューブリックが原因とする批判も目立ちましたが、それを言うならなぜシェリーは『シャイニング』以降、2002年まで元気に映画業界で活躍できたのかを、説得力ある知見で説明して欲しいものだ)、現在のシェリーは安定しているようだし、映画業界にも未練はなさそうなので、このまま穏やかな隠居生活を送って欲しいものだと思っています。

 なお、記事には『シャイニング』マニアのリー・アンクリッチ監督が『シャイニング』の詳細なメイキング本を制作中のとの記述があります。それが『2001年宇宙の旅』の『2001:キューブリック・クラーク』のような良著になることを期待しつつ、この記事をお読みになった出版関係者の皆様には、是非とも邦訳をお願いしたいですね。

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