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左からキューブリック、ハリス、スー・リオン、セブンアーツのエリオット・ハイマン、ジェームズ・メイソン。『ロリータ』のプレミアにて
ジェームズ・B・ハリス:キューブリックと私が『突撃』を完成させたとき、マーロン・ブランドが私たちに電話をかけてきて、君たちと一緒に映画を作りたいと言ってきたんです。彼は『現金に体を張れ』と『突撃』を見て、私たちとビジネスでやっていくべきだと思ったんです。一緒に映画を作る計画を立てようとミーティングを始めたんですが、どんな映画を作るかについてマーロンと合意することができませんでした。それは私たちの好みが全く違っていたのか、あるいは彼がスタンリーに『片目のジャック』を撮らせるためにずっと交渉していたのか、どちらかだと思うんです。この種の会議を何度も何度も重ねた末に、彼は最終的にそれを私たちに押し付けたのです。パラマウント社での義務があるのだからハリスには素材を探し続けさせて、その間にスタンリーと私で『片目のジャック』をやろうと。彼がずっと望んでいたのは、スタンリーに監督してもらうことだったと思いますが、それが発展して自分が監督したいと思うようになったのでしょう。
私が『ロリータ』の権利を得た時には、スタンリーは『片目のジャック』の仕事を終えていました。マーロンはスタンリーにとって非常にやりにくい相手となり、スタンリーは自分が認めた相手以外とは仕事をしたことがなかったのです。私たちはとにかく同じように感じていたので、誰かに説明することもありませんでした。そして私たちは『ロリータ』の仕事に戻り、脚本を練り上げることになったのです。スタンリーはもうパラマウントでマーロン・ブランドと仕事をしていなかったので、自分たちのオフィスに戻るとすぐに電話が鳴りそれはカーク・ダグラスからで、『スパルタカス』の件で困っているのでスタンリーに監督をやってもらえないか、ということでした(※評伝では自宅でポーカーをしているとき、となっていた)。ダグラスは3日間の撮影でアンソニー・マンをクビにしました。まあ、私はスタンリーがマーロンと終わるのを待っていたのだから、ある意味落ち込みました。幸運にもその取引は決裂し、スタンリーは映画を撮らずに去っていました。私たちは『ロリータ』の脚本を練り始め、そこに『スパルタカス』の話が舞い込んできました。私たちは、スタンリーが大きなクレジットを得るのは悪くないし、チャールズ・ロートン、ピーター・ユスティノフ、ローレンス・オリヴィエの3人の監督になるのだから、私たちにとっていい影響があるだろうと考えました。それで結局スタンリーをカークの会社に貸して、『スパルタカス』の監督をさせることにしたんです。
『ロリータ』の初稿はカルダー・ウィリンガム(『突撃』『卒業』の脚本家)に依頼していたのですが、スタンリーはその原稿を気に入っていなかったのです。彼はスペインで『スパルタカス』の戦闘シーンを撮っていたんです。私はカルダーの原稿が好きでした。すごくいいと思ったんです。でも、私たちはナボコフに脚本を書いてもらうことにしたんです。
ファイブ・オー :ナボコフは、殺人事件から始まり、過去にさかのぼって、そこに戻ってくるという入れ子構造を導入したのでしょうか?
ハリス:いいえ、それは私のアイデアです。スタンリーと私は脚本について話し合っていて、これは奇妙なラブストーリーだといつも言っているじゃないか、と言ったんです。そして、観客が汚い年寄りだと認識していることを覆すために、観客を本当に巻き込みたいのです。映画が終わるころには、彼に本当に同情しているはずです。クレア・キルティを殺すシーンで映画を終わらせると、観客にコミカルな印象を残すことになり、私たちがやりたいことを本当に達成できない、と私は言いました。そのシーンを冒頭でやって、ハンバートがロリータを見つけて帰ってきてくれと懇願し、泣きながら失恋する悲しみで映画を終わらせた方がいいのでは?と言ったら、スタンリーはすぐに、その通りだ、そうしよう、と言いました。その方が観客に余韻を残せると思ってね。
ファイブ・オー:観客の共感を覆すという茶目っ気もあったのでしょうか?
ハリス:私たちの頭の中には生き残るための巧妙さ、狡猾さがある程度ありました。まず第一に私たちにとってこの物語の最も興味深い部分は、それが奇妙なラブストーリーであること。そして巧妙さは次のとおりでした。:ハンバート・ハンバートの小さな女の子に対する偏見に陥った場合、検閲と敗北以外に何を得る必要がありますか?なぜそれを持ち込むのですか?これをラブストーリーにしてみませんか?彼がこの女の子を見た瞬間、恋に落ちるのです。彼が一生女の子を追いかけ続けるという考えをなぜ紹介しなければならないのですか?これは小説からの大きな逸脱です。
私たちは、批評家やこの小説を傑作だと考える人たちから地獄を見ることになるだろうとわかっていましたし、実際そうでした。しかし、私たちの立場は自分たちの映画を作るということでした。私たちは自分たちの映画を作るのであって、自分たちの考える最高の映画を作ること以外には何の義務もない。だから本に忠実であろうとすることは忘れよう。私たちが考えたようにストーリーをドラマチックにしよう。私たちはどれほど愚かで、誰かにひどく心を奪われたとき、何が起こるかを示したかったのです。
カルダーの脚本がスタンリーを満足させなかった後、私たちはナボコフにスイスから来てもらって、マンデヴィル・キャニオンの家で脚本を書きましたが、それは使いませんでした。彼はおそらく少女に対する要素を入れたかったのだと思います。
それでカルダーが第1稿、ナボコフが第2稿を書き、撮影に使った本当の稿は、スタンリーと私がイギリスの屋根裏部屋で書き直したものです。そして完成したとき、この脚本に誰の名前を付けようかという話になり、ナボコフの名前を入れることにしました。もし、この小説に固執するような頑固な人がいたら、この変更を見たときに私たちを恨むでしょう。ナボコフの名前を単独脚本家としてクレジットに書けば、原作者が脚本を書いたのだから、小説からの逸脱に文句を言われるわけがないでしょう?どうなったか知っていますか?ナボコフはアカデミー賞(※脚色賞)にノミネートされたんです。素晴らしいと思いませんか?
ロリータのプロデュース
ハリス:映画を作るのもそうですが、そこに至るまでの資金集めが大変でした。誰もこの映画に出資する勇気がなく、コードシール(※プロダクションコード、ヘイズコード)がもらえないというリスクを負うことになります。当時は、MPAAからコードシールをもらわなければ、ほとんどの配給会社は映画に手を出さなかった。それに加えてカトリックの良識派議員連盟もありました。脚本が承認されないと誰も映画を作らないし、それでも検閲官がシーンの撮り方はいろいろあるから映画を見なければならない、と言うんです。MPAAにジェフリー・シャーロックという検閲を担当する人がいました。彼は一般論として、大人と12歳の子どもの関係が描かれた映画にはコードシールを与えない、と言いました。小説の中のロリータはその年齢でした。
[そこでハリスは50州の法律を調べ、すぐに自分の目的に合う法律を見つけた]
スー・リオンの調査をした後、私は戻ってこう言いました。ジェフリー、ちょっと聞きたいんだけど、もしあることがが合法だったら、あなたは本当にそれが不道徳だと言えますか?つまり、あなたはできないとは言えのではないですか?彼はいや、それはできないだろうと言いました。つまり、それは合法なのです。そこで、私は彼らに結婚してもらおうと言いました。ある州では、南部かもしれませんが12歳の少女と結婚することが合法でしたから。私はそのような状況下で、承認を手に入れることができると思うかと尋ねました。すると彼はああできる、と答えました。ただし露骨なことはしないようにと。当時は大人同士でもそうでした。ワーナー・ブラザーズはコードシールを手に入れることができれば、100万ドルの取引をすると言ってきたのです。その時、私はポケットにコードシールを忍ばせていました。
[しかし、ハリスとキューブリックが弁護士のルイス・ブラウに相談すると、スタジオが突然、創造的コントロールに後ろ向きになって、あらゆる要素の承認を保持するようになったことがわかった]
音楽、キャスト、カット、すべて渡さなければなりませんでした。だから私たちはこの契約から手を引いたんです。そこまでするのはとても大変なことで、良い映画を作るのはとても難しく、苦痛で、妥協が必要だと思ったのです。100万ドルを断りました。
[そこでハリスはもう1度100万ドルを調達した。それは、後に長編映画配給会社セブンアーツの代表として知られる、金融業者のエリオット・ハイマンが融資したものだった。ハリスとキューブリックが最終選考に残った。大きなハードルの1つはクリアされたように見えたが、他のハードルも残っていた。出演者を決めるのが一番の難関だった。当時のエージェントは、自分のクライアントがロリータのようなスキャンダラスな作品の主役を務めることにあまり乗り気ではなかったのだ]
メイソン、オリビエ、ニーヴンが候補に
ハリス:ジェームズ・メイソンとローレンス・オリヴィエ、この2人が候補に挙がっていました。そして、彼らに何か問題があったとき、デビッド・ニーヴンが可能性として挙がってきたのです。この3人は、それぞれ違う時期にこの映画をやることに同意していました。ジェームズ・メイソンには最初に声をかけました。彼はとても興味があると言ったが舞台劇の約束があり、出演できないとのことだった。オリヴィエも同意したが彼のエージェントの関係で手を引きました。面白いことに彼らは私たちのエージェントでもありました。多分、彼のはもっと大きなクライアントだったのでしょう。ランチタイムに取引があったのですが、彼は後はエージェントに言うだけだと言い、4時になって取引は中止となりました。メイソンやオリビエがいなかったので、ニヴンを試したんです。そして彼はそのアイデアを気に入り、それをやることに同意しました。しかし彼のエージェントも、ディック・パウエルやアイダ・ルピノ、チャールズ・ボイヤーとのテレビ番組『フォースター・プレイハウス』での契約による出演のため彼は手を引いたのです。スポンサーもついていました。
するとジェームズ・メイソンが電話をかけてきて、この芝居は実現しないと言っている、その役はまだ空いているのか?と。彼はいい時に来ました。私たちは落ち込んでいたんです。誰もいなかったし、魅力的なハンバートと、どんな男性にとっても魅力的な性の対象となるような女性が必要だった。そうすれば、嫌悪感や反感、狂気を感じさせずにすむ。ロリータは賢かったので、自分の容姿が持っている魅力と、男性の感じ方を知っていたのです。だから『悪い種子』のパティ・マコーマックのように、彼女を本当の子供のように見せる必要はなかったのです。
エロール・フリンはキャスティング募集で来たんです。彼は自分がハンバートを演じ、彼女がロリータを演じられるようにと、つきあっている小さなガールフレンドを連れてきました-それは広く知られていたことですが-。彼女の母親から事務所に手紙が来て、彼女はこの役を生まれてから誰よりもうまく演じられると主張したんです。恥知らずなことです。
スー・リオンは見過ごされていました。私たちは面接を続けていました。ある日、スタンリーがオフィスに来て言ったんです。昨晩『ロレッタ・ヤング・ショー』のエピソードを見たんだ。ここにいた女の子を覚えてる?ああ、彼女がどうしたんだ?すごい女優だと。ここに連れ戻して読ませないと。明るくてユーモアのセンスもあると。
セラーズ&キューブリック 第1戦
ハリス:『ロリータ』でピーター・セラーズと仕事をしたとき、私たちは素晴らしい関係を築いていました。そして、私たちが考えたネタのほとんどは人を笑わせるためのものでした。バルコニーでのシーン、ダンスのシーン、ゼンプ教授がハンバートを苦しめてロリータを学園祭に出すように仕向けるシーン。問題ありません。スタンリーは彼と『博士の異常な愛情』をやったときは違ったと言っていました。セラーズは午後には深い憂鬱に陥っていたそうです。
キューブリック、イギリスを発見する
ハリス:88日間、180万ドルの予算で撮影しました。今やそれが昼食代です。エージェントの手数料です(笑)。撮影後、私は音楽の仕事に追いやられていました。弟のボブ(・ハリス)がロリータの愛のテーマ(70年代のTVアニメ『スパイダーマン』のテーマ曲も作曲)を担当し、私はネルソン・リドルを起用することを提案しました。リドルはイギリスにやってきました。私たちが使えるお金で映画を作れると考えた場所です。スタンリーはイギリスが好きになった。子供を育てるにはもっと文化的な場所をと思っていたのです。ニューヨークに住んでいた彼は、子供を学校に行かせることに恐怖を感じていました。暴力が多すぎる。イギリスは居心地がいい。言葉も通じるし、映画を作るための設備も整っている。彼はどこでも映画は撮れる、と言っていました。重要なのは子供たちと一緒に住む場所だと。彼はカリフォルニアがあまり好きではありませんでした。アウトドア派でもなかった。スタンリーは外に出て太陽の下に座っているような人ではなかった。
キューブリックは普通の男なんです。多くの人が知らないのは、彼がいかに他人や人のやることに興味を持っていたか、ということです。彼は 「俺が俺が」ではないんです。もし、うぬぼれがあったとしても決して自慢はしなかった。自分がどれだけ才能があるか知っていたに違いない。天才という言葉は使いたくないですが、彼はそうでした。そして、そういう人たちと同じように失敗を恐れていた。自分がノックアウトされる可能性を知っているのです。ノックアウトされることを考えない拳闘家は、自分を守らないからKOされるんです。スタンリーは常にノックアウトされないように気を配っていました。彼は上映されないとわかっているシーンは撮らないようにしていました。キューブリックは解説が嫌いなんです。誰もがそうでしょう。
不安はありませんでしたか?
ハリス:『ロリータ』が悪名高いという事実には怯みませんでした。聞いてください、怖いもの知らずだったのです。私たちは若かったし、すでに2本映画を撮っていました。『現金…』から始まりましたが、私はそれまで一度も映画を製作したことがありませんでした。スタンリーはまともな映画など作ったことがありませんでした。『突撃』では「あまりに地味だ」「ありえない」「女の子が出てこない」と言われ、すべて反対されました。だから私はできないはずはない、一生懸命やればできるはずだ、と信じていたのです。絶対にくじけないことでしか成功できないんです。玄関から放り出されても、横から、裏口から、窓から入ってきても、どんどん向かっていくんです。それは大抵若いころの話です。失敗した人たちや、落とし穴を知り尽くしている賢い人たちに「これでは大金を失うかもしれない」と言われても、臆することはないんです。私たちは失うものは何もないのです。
ポストスクリプト-60年代へ向かって
『ロリータ』は、ハリス・キューブリックのコンビの最後の作品となった。二人は生涯の友であり続けた。ジミーは後に『博士の異常な愛情』となる映画の契約を実際に取り付けた。当初はピーター・ジョージの小説『破滅への2時間』を基にした核戦争サスペンス『恐怖の微妙な均衡』というタイトルで製作される予定だった。『ロリータ』の製作にハリスに1億9千万円を賭けた投資家エリオット・ハイマンは出資の準備が整っていた。その時、今はロンドン郊外で幸せに生活しているスタンリーは方向転換し、テキサス育ちの風刺作家テリー・サザーンの協力を得て核戦争コメディとしてこの映画を撮るという電話がかかってきたのだ。ハイマン氏はこの賭けを断った。
今日、ハリスはスタンリーの180度の方向転換に対する自分の反応を思い出して笑っている。「10分も放っておくと、彼は自分のキャリアを台無しにするんです!」
キューブリックは彼の新しい発案に対して資金を調達し、映画人としての視野を広げるために親友をサポートした。リチャード・ウィドマーク、シドニー・ポワチエ、ドナルド・サザーランドが出演した冷戦スリラー(今日のトム・クランシーの前身)である『駆逐艦ベッドフォード作戦』(1965)でハリスは監督デビューを果たすことになる。
(引用元:The Five-O Interview/2002年秋)
キューブリックの初期のパートナー、ジェームズ・B・ハリスの2002年のインタビューです。いくつかの記事のソースになっているインタビューですね。
ハンバート役にローレンス・オリヴィエ、そしてデビッド・ニーヴンが挙がっていたのは初めて知りました。エロール・フリンが自分のガールフレンドを連れてオーディションに来たとのことですが、エロール・フリンはリアルなロリコンで、そのカールフレンド、ビヴァリー・アードランドは当時17歳だったそうです。これじゃさすがにキャスティングは無理ですね。
キューブリックがスー・リオンを認めた『ロレッタ・ヤング・ショー』のエピソードはこちら。
「スタンリーは外に出て太陽の下に座っているような人ではなかった」
うん、どう見てもそんな感じですね(笑。