【キューブリックを知る】[その4]「俳優に演技内容を指示して可能性の芽を摘まない」キューブリック独自の「何も指示しない」という演技指導法
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| The Shining(IMDb) |
キューブリックはカメラマン出身ということもあってか、演技については基本的にその俳優に任せるのが常だった。「俳優は監督の意向を一貫として物ともしない、監督に対する絶対の自信と侮りを持つべきだ」と語る通り、自分がその俳優に惚れ込んでキャスティングしたのだから、自分が考える以上の良い演技をしてくれるはず、という思いがあったのだ。
『時計じかけのオレンジ』のマルコム・マクダウェルは演技指導もなければ、ちっとも説明もしてくれないキューブリックに業を煮やし「進行表に〈監督:スタンリー・キューブリック〉って書いてあるけど?」と皮肉を言うと、ただ笑っていただけだったという。また『バリー・リンドン』でブリンドン卿を演じ、後にアシスタントになったレオン・ヴィタリによると「思う通りにやれ、俺に見せてみろ。ただし本気でやれ、リハーサルだと思うな」と言われ、俳優が演じている間はその周りを歩き回ってカメラの位置やアングルや、使用レンズをいろいろと試していた。つまり、キューブリックにとって撮影は脚本を映像化する「作業」ではなく、良い映像を作り出す「創造」だったということだ。それは脚本や台本にも表れていて、大抵はそのシーンの概略が手短に書かれていただけだった(例えば『シャイニング』では「ジャックは本を書かずに何もしていない」としか書かれていなかったとニコルソンは語っている)。
レオン・ヴィタリは「彼にとってリハーサルが非常に重要だった。それは彼にとってシーンの手がかりを得るための生命線だったんだよ。そして彼が見つけた距離と高さからの最初のアングル、最初のレンズが決まると残りのショットが必然的に決まっていくわけだ」とキューブリックの意図を説明している。マルコムはキューブリックがアイデアに困るとズームレンズを持ち出してくるのを知っていて、キューブリックがズームを手に取ると「お!ってことは今はアイデア切れだね?」と言ってからかったそうだ。
キューブリックは俳優がそのシーンの意味と渡されていたセリフを完全に理解しているのを前提に、まずはその通りに演じさせ、それからより良いシーンを目指して模索をはじめるという、非常に手間と時間のかかるプロセスを踏んでいた。そうなると必然的にテイク数も日数もかかってしまうので俳優やスタッフの負担も大きく、そのことが「俳優を虐めるサディスティックな監督」という誤解を生むことになってしまった。結果、そんなストレス下に晒されれば俳優は仕事を早く終わらせたくなり、キューブリックに「どう演じて欲しいんだ?」「どう演じれば満足するんだ?」と詰問することになる。それに対してキューブリックは「わからない、とにかく演じてみてくれ」とか「OK!じゃあもう一回やろう」と言うだけだった。キューブリックは俳優に対して決して「答え」を言わなかった。それを言えば俳優はその「答え」を演じて満足してしまい、そのシーンの演技を最大限追求しなくなってしまうからだ。(例外は「答え」を言ってもそれを演じることができなかったシェリー・デュバルぐらいなものだろう)
キューブリックは最終決定をギリギリまで引き伸ばし、選択肢を数多く持ち、その中から最良のものを選択するのが常だった。時にはセリフの一音一音を切り貼りすることまでしていたという(現在のデジタル録音なら簡単だが、当時はテープだったので文字通り「切り貼り」していた)。そこまで細部にこだわって映画づくりができるのは、キューブリックが映画製作の予算もスケジュールも完全に掌握していたからであり、それはキューブリックが苦労して映画会社から勝ち取った「権利」だった。そしてそれは「その名に恥じない作品を世に送り出さなければならない」という重大な「義務」(世界中のファンが新作を待ちわびていた)も負うものでもあったのだ。
もちろん方法論に関しては是非があるだろう。もっと協力的に、和やかに、和気藹々とした中でも良い作品が作れるかもしれない。俳優に「指示」してしまえば、とりあえずは自分が考えたレベルの演技を手に入れることができるかもしれない。しかしキューブリックはそうしなかった。そんなことをしてしまっては「自分の想像を超えた素晴らしい演技や映像」が手に入らないと知っていたからだ(同じことをキューブリックはスタッフにも要求した。『2001:キューブリック クラーク』にその詳細がある)。
『アイズ ワイド シャット』でアリスを演じたニコール・キッドマンはこう語っている。
スタンリーは何かが起こるのをいつも待っていた。彼が興味を持ったのは自然主義的な演技よりも、彼を驚かせる何かだった。どんな理由でもいいの、あるいは彼の興味をそそる何か。それがあると彼は張り切るのよ。探求するのも好きだったわ。映画や演技を作ることに関して正しいとか違うとか関係ないの。やり方の是非を問うものではなかった。あらゆる面を探求しておけば、あとは編集で取捨選択できる。私はそう理解してた。
(『アイズ ワイド シャット』DVD/BD収録特典動画)
もはやこれ以上の説明は要らないだろう。
(文中のマルコム・マクダウェル、レオン・ヴィタリのコメントは「CUT 2011年7月号」より引用)
