【考察・検証】キューブリックはなぜ『バリー・リンドン』の蝋燭のシーンの撮影で、人工光を使用しないことにこだわったのか?を検証する
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| Barry Lyndon(IMDb) |
『バリー・リンドン』の蝋燭のシーンは一切人工光(照明装置)使わず、すべて蝋燭の光だけで撮影したことはよく知られていて、よく語られます。ですが、実際は当時存在しなかった高輝度の蝋燭を特注で作らせたり、レフ版をつかって室内全体に光をいきわたさせたりと、多少「ズル」をしたことはあまり知られていません。単純に撮影の手間だけを考えればこれらは補助光を使えば済む問題ですし、実際蝋燭のシーン以外、例えば昼間の室内のシーンでは照明を使用しています(詳細はこちら)。
ではなぜキューブリックは、「ズル」をしてしまえば18世紀の夜の室内の「完全再現」ではなくなるとわかっていながら、蝋燭の光だけで撮影することにこだわったのでしょうか?それは以下の2つの理由が考えられます。
(1)人工光が存在しない時代が舞台であれば、それを「再現」する照明であるべきだと考えていたから。
『バリー・リンドン』が製作されていた時代、具体的には1970年代半ばに至っても「アメリカンナイト」(夜のシーンを昼間に撮影し、NDフィルターをかけて夜に見せかける)で撮影された映画が一般的でした。自然光(に見えるライティングで撮影する)主義者であるキューブリックは、その「嘘臭さ」「不自然さ」を嫌っていて、映画業界に一石を投じるつもりでこの「蝋燭光だけでの撮影」にこだわったのです。それは「【関連記事】『エル・ノルテ 約束の地』の監督、グレゴリー・ナヴァが語った「キューブリックと働いた日々」」記事でのグレゴリー・ナバ監督の証言が全てです。キューブリックは「いいかげん嘘くさくて不自然な照明はやめるべきだ」と業界にメッセージを発信したかったのです。
(2)「蝋燭光だけで撮影された作品」というキャッチコピーで観客の関心を惹きつけ、興行成績に寄与できると考えたから。
これはキューブリック本人がそう語ったソースはありませんので、管理人個人の推察になります。『バリー…』が興行的に苦戦することは、ナポレオン映画『ワーテルロー』の失敗から折り込み済みでした。だからこそ宣伝効果を狙ってオスカーを欲しがったのだし、この「蝋燭光だけで撮影」という触れ込みもその宣伝効果を狙ったであろうことは十分考えられます。キューブリックの思惑は見事に的中し、この「蝋燭光だけで撮影」というのは当時盛んに宣伝され、話題になりました。正確な数字を語るのは難しいのですが、「興行的には失敗作」と言われた本作でも、なんとか「トントン」辺りまで持ち込めたのは、この「蝋燭光だけで撮影されて作品」という前評判があったからだと思います。
キューブリックは興行収入を意識した、言い換えれば商業作品として自作を制作していました。それは「儲かる映画を作らなければ、自由に映画を作らせてもらえない」という、ハリウッドの現実を「身をもって」知っていたからです。キューブリックは興行成績と作家主義を高い次元で両立させた、稀有な映画監督/製作者でした。キューブリックが「ハリウッドの巨大資本でインディーズ映画を撮った監督」とか「究極のホームムービー作家」と呼ばれるのはそれが理由です。それを実現させるために、キューブリックは利用できるものは何でも利用しました。この『バリー・リンドン』蝋燭のシーンの撮影で人工光を廃して撮影したのも、その宣伝効果を考え(宣伝が効きすぎて、映画全てで人工光を使用していないと誤解されてしまいましたが・・)、利用したのだと(個人的には)判断しています。
