【ブログ記事】キューブリック作品の映像が、隙のない完璧なものに見える理由
この洗練された完璧な映像たちはキューブリックの独断と命令によって得られたものではない
おそらくかなり多くの人が誤解(アマチュアだけでなく、いわゆる映画評論家や解説者と言われている人たちまで)していることに「どうしてキューブリック作品の映像は完璧で、隙がないように見えるのか?」があります。大多数の人はキューブリックは完璧主義者なので、自分の頭の中に描いたイメージを極限まで追い求めた結果であると考えていますが、それは「完全に誤解」です。
キューブリックが多テイクなのは有名ですが、その「多テイク」を語る際に忘れがちなのが、カメラマンやカメラ助手(フォーカス・絞り担当者、動作担当者)、プロップ(小道具)担当者や照明担当者などの撮影スタッフの存在です。つまり彼らスタッフにとって、同じシーンを繰り返し撮影するということは、それだけ映像の完成度を上げる絶好の機会だということです。ワンショット目よりも20ショットめの方がそのシーンのコツを掴み、カメラ動きも洗練されます。加えてその度に構図や照明の微調整もなされ、映像の完成度も上がっていきます。もちろん全てのことに関し、キューブリックは口うるさく干渉しますが、それは「ああしろ、こうしろ」というものではなく、「あっちの方がいいかな。こういうやりかたもあるかも」と、俳優やスタッフとアイデアを出し合いながら練り上げて行ったものなのです。つまりキューブリックの撮影現場は「トップダウン的な手法」ではなく「錬金術的(トライ&エラーを繰り返す)な手法」と言えるでしょう。
キューブリックの関連書籍を読むと、多くの俳優やスタッフがこの「錬金術的な手法」について、「自分の技術や才能を搾り取られる」という表現をしていることに気づきます(そしてヘトヘトになる。笑)。とにかくキューブリックはしつこくて諦めが悪いのです。何度も何度もショットを繰り返し、無駄を削ぎ落とし、そのシーンの最適解を見つけようとする・・・その結果、完璧で隙のない映像が得られるわけですが、その映像だけ観た観客や視聴者は「キューブリックは完璧主義者である」という刷り込みから、勝手に「キューブリックがトップダウンで命令した結果」と思い込み、それをネット上あちこちで触れ回る、という状況に陥っています。まあ一般の視聴者がそう誤解するのは仕方ないにしても、それなりにフォロワーを抱えている業界人や有名人がそんな「間違い」を、さも「事実」であるかのように「堂々と断言」するものですから、私のような素人がそれを正そうとしても、全てを覆すまでには至っておりません。もちろん私だけでなく、関連書籍を読み漁っているようなキューブリックファン・マニアにとっても迷惑な話ですが、いちいちそんなことを間違いを吹聴して回る本人に指摘しないので、誤解を撒き散らす人はその間違った自説が受け入れられていると思い込み、ますます増長する、という具合です。困ったものです。
キューブリックがいかにそのシーンを練り上げていったかの一端は『メイキング・ザ・シャイニング』でうかがい知ることができます。確かにシェリー・デュバルにたいしては高圧的でトップダウン的な振る舞いも目立ちますが、実はシェリーの方が例外で、実際は大声を荒げることはあまりなく「静かに」「しつこく」「粘り強く」「あきらめずに」そのシーンの最適解を求めるのがキューブリックのやり方です。加えてOKを出すレベルがとんでもなく高いので、あの隙のない完璧な映像が得られるのです。そしてそれができるのは、キューブリックが映画製作に関する全ての権限を掌握し、コントロールしているからなのです(それはキューブリックが苦労して手に入れたものでもある)。
非常に乱暴な言い方をしてしまえば、キューブリックは最終決定(判断)者であって、クリエイターとしては俳優やスタッフと同じ立ち位置だったと言えると思います。『2001年宇宙の旅』で、異星人を具体的に描写することを諦める判断をしたのは最終決定者としてのキューブリックですが、クリエイターとしてのキューブリックは最後の最後まで周囲のスタッフ(ダグラス・トランブルやダン・リクター)を巻き込んで異星人の登場にこだわり続けました。他にもクリエイターとしてのキューブリックが俳優やスタッフと同じ立ち位置でアイデアを出し合った、という証言はいくらでもあります。キューブリックの映画製作の現場は「独裁的」ではなく「民主的」でした(もちろん最終決定者としてのキューブリックは独裁的にならざるを得ませんでしたが、それでも他者に意見を求めることはしょっちゅうあった)。そういった事実を知っていれば「トップダウン的な手法」という理解は間違いであり、「錬金術的手法」と理解するのが正しいと言えるはずです。錬金術的な手法で何度も何度も練り上げられたシーンの最終決定ラインが高ければ、出来上がった映像が隙のない完璧なものになるのは道理です。それにキューブリックのセンスでさらに編集と音楽が加わるのです。ここまで説明すれば、キューブリック作品が現在に至るまで強烈なインパクトを残し続ける理由をご理解いただけるのではないでしょうか。
まとめると、キューブリックは「周囲との共同作業(コラボレーション)によってトライ&エラーを繰り返すことにより錬金術的にそのシーンの質を高めてゆき、加えて最終判断のレベルが高かったことから、あの隙のない完璧な映像が得られた」ということです。実はこのやり方は映画製作の王道(常道)とはかけ離れたものです。キューブリックの撮影現場は独特と言われるのは、その場が非常に民主的で誰のアイデアに対してもオープンだったからですが、キューブリックの「完璧主義者」という風評とあの風貌から「独善的な独裁者」という間違った印象で語られ続けているのは非常に残念でならないと同時に、もういい加減この事実が広く一般に認識されても良いのでは?と思っています。