【関連記事】手塚治虫『惑星ソラリス』『2001年宇宙の旅』を激賞する


『惑星ソラリス』(1972)と『2001年宇宙の旅』(1968)

配給会社の思惑で『2001年…』とは何も関係がないにも関わらず、勝手に『2300年未来への旅』(1976)という酷い邦題にされた『Logan's Run(ローガンの脱出)』

『2001年宇宙の旅』の美術監督をオファーされた漫画の神様、手塚治虫

SF映画の魅力

 今年はSF映画の年だなんていうんで、ずいぶん期待していたのに、上半期はロクなのがこない。

 ただひとつ、これは、『Apache』を買う金があったらみにいってちょうだいよ。いや、 間違い。『Apache』を買って映画へいこう。ソ連製SF映画「惑星ソラリス」だ!

 これはもう、NHKのニュースセンター9時でも紹介したくらいだから、みたがっている人が 多いだろう。残念なことに特殊な配給方法なので、東京、大阪など大都市以外の地方館では上映しないようだ。この映画の、なんてったってみどころは、あの主役のナタリヤ・ボンダルチュク。 このコの演技がまず、アカデミー賞もの。

 このコの役は、ハリーという、死んじまった若い人妻の役。この人妻そっくりに、得体の知れ ないものが化けて、スーッと現れるのだ。そして主人公の男に惚れちまって寝ようってわけなんだが、亡き妻そのままの姿に、男は気味悪がって逃げの一手。

 まといつこうとする、にせハリーの執念がすさまじい。金属のドアを手でブチやぶって、血だらけになって出てくるのだ。ついに彼女は液体酸素を飲んじまって、そり返ってのたうちまわって、凍ってしまう。

 いやなんとも、こんなものすごい女優の演技は、めったにお目にかかれないよ。

 この「惑星ソラリス」、どうも、アメリカSF映画「2001年宇宙の旅」をひどく意識してつくったみたい。そういうわけで、いよいよ来春再公開がきまった「2001年―」 には、みていないヤング諸君も、もうゼツ大の期待をもっていてほしい。

 さっきぼくが、今年はSF映画の年なのにロクなのがこないといったのは、実は、「2001年―」が今年の夏に封切られるハズになっていたのに、都合で来年にまわされたから、いよいよヤケクソ気味なのだ。というのは、この春に、題名のまぎらわしい「2300年未来への旅」 なんていうのが封切られてしまったせいだという説がある。「2001年―」に比べれば「2300年―」は、やはり、格がかなり落ちる。

 なんてったって、「2001年宇宙の旅」は史上最高にして唯一のSF大作なのでありますぞ、 お立ちあい。

 ぼくは、なにも配給会社から金一封もらって宣伝しているのではない。仲間のSF作家が口を揃えて絶賛しとるのだ。それに、この映画には、ぼくは、ちょっとした思い出がある。この映画の監督は、かのスタンリー・キューブリックだけど、この監督から、ぼくは手紙をもらったのだ。

 ちょうど虫プロで「アトム」を封切った翌年、突然、キューブリックの手紙が飛びこんだ。なにげなく開けてみると、ややや、なんとそれは、キューブリックが新しくつくるSF映画の美術 デザインに、ぼくを頼みたいというのではないか。その映画というのが、「2001年―」だったのだ!

 もちろん、そのころには、こんな題すらもまだきまっとらんかった。物語もろくにできていない段階のことで、キューブリックの手紙には、ただ、「月が舞台になる、未来の話です」と書いてあった。つまり、この映画の原作者である、SF作家クラークは、月世界の宇宙基地の話にする気だったんだね。で、キューブリックは、ぼくにつぎのふたつのことを訊いた。

―あなたは英語が話せますか?
―これから二年間、ロンドンへきてスタッフとして暮らしていってくれますか?

 残念だけど、どっちもノーだった。「アトム」をつくり続けるためには、とても二年も日本を留守になんかできるもんか。

 そして、この話はおシャカになった。何年か経って、映画が完成して、試写会でこれをみて字幕が映ったとき、「美術デザインだれそれ」と出た。 あア、あそこにおれの名前が出るハズだったのだがなア。胸イッパイで、くやしくて、ホロ苦い涙をかみしめた。

 映画そのものは、まさしく目を見張る傑作であった。あんまり傑作すぎて、なんだかよくわからなかった。アングラといえば、そんな感じもした。キツネにつままれたような顔で、みんなゾロゾロと試写室を出てきた。

 二回み、三回みしているうちに、しだいに、このとてつもない映画の内容がわかってきた。 すごいものができたと思った。「2001年宇宙の旅」は、何度もみなおすにかぎる。百度みたって、それだけのプラスはあるのだよ、お立ちあい。

(引用:『Apache』2号 1977年8月8日号)



 『2001年…』は、かの手塚治虫をして「なんだかよくわからなかった」と言っているのだから、素人が一回見ただけで「意味不明」と放り出すのは当たり前ですね。その手塚も「2、3回観ているうちに映画の内容がわかってきた」そうなので、やはり画期的な傑作作品というものは繰り返し観るべきだと思うのです。もちろん「内容がなく映像だけ」という批判は的外れで、手塚が「とてつもない映画の内容がわかってきた」と語る通り、この作品は「内容ありき、映像はオマケ(というには素晴らしすぎますが)」なのです。逆に言えば「内容がなく映像だけ」とか「考えるな、感じろ」と言う人は「何もわかってない」ということを自らバラしているようなものです。

 本日(6月9日)は手塚治虫の命日です。偉大なる同い年の「東の天才」(西の天才はもちろんキューブリック)に想いを馳せてこの記事を引用させていただきました。出典の雑誌『Apache』を探し出すのは困難ですが、同様の記事は講談社の『手塚治虫 エッセイ集 5』(Amazon)にも掲載されていますので(私は図書館で閲覧しました)、興味のある方はそちらをどうぞ。


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