『ロリータ』に登場した、ロリータを裏で操る怪しげな男。放送作家という事だがその正体ははっきりしない。ハンバートは、「キルティ殺しで有罪」(Guilty of Killing Quilty)となってしまうんだけど、「キルティ」という変なネーミングは、このシャレから来ているんでしょう。キルティを演じたピーター・セラーズの妙な存在感が忘れられない。
オープニングに続けてのハートマン先任軍曹による新兵罵倒シーンの全セリフと、その邦訳です。訳は映画監督の原田眞人氏、出典は『フルメタル・ジャケット』DVD版字幕から採録しました。リズミカルで含蓄・示唆に富んだ麗しき罵倒語の数々をお楽しみください(笑。 <HARTMAN> I am Gunnery Sergeant Hartman, your Senior Drill Instructor. From now on, you will speak only when spoken to, and the first and last words out of your filthy sewers will be "Sir!" Do you maggots understand that? 訓練教官のハートマン先任(ガナリー)軍曹である 話し掛けられた時以外口を開くな 口でクソたれる前と後に“サー”と言え 分かったか ウジ虫ども <RECRUITS> Sir, yes, sir! <HARTMAN> Bullshit! I can't hear you. Sound off like you got a pair. ふざけるな!大声出せ! タマ落としたか! <RECRUITS> Sir, yes, sir! <HARTMAN> If you ladies leave my island, if you survive recruit training, you will be a weapon, you will be a minister of death, praying for war. But until that day you are pukes! You're the lowest form of life on Earth. You are not even human fucking beings! You are nothing but unorganized grabasstic pieces of amphibian shit! 貴様ら雌豚が おれの訓練に生き残れたら 各人が兵器となる 戦争に祈りをささげる死の司祭だ その日まではウジ虫だ! 地球上で最下等の生命体だ 貴様らは人間ではない 両生動物のクソをか...
1970年に出版され、『2001年…』の貴重な資料、証言集として名著の名を欲しいままにしていた『THE MAKING OF KUBRICK 2001』が、38年(!)の時を経て、やっと邦訳されたのが本書だ。「全訳ではない」とか、「時期が遅すぎる」との批判はあるが、当時の資料、図版、写真、証言、論評はやはり貴重で、名著であるのは今も変わりない。
Sunforest / Sounds Of Sunforest Full Album (1970) 00:00 Overture to the Sun 01:40 Where are you? 04:24 Bonny River 07:09 Be like me 09:20 Mr. Mumble 11:09 And i was blue 14:00 Lighthouse Keeper 16:04 Old Cluck 18:49 Lady Next Door 21:14 Peppertmint Store 23:16 Magician in the mountain 27:28 Lovely Day 30:16 Give me all your loving 32:55 Garden Rug 35:10 All in good time (動画概要欄より) サンフォレストは、アメリカ・イギリスのサイケデリック・フォーク・ミュージック・トリオ。1968年にテリー・タッカー、エリカ・エイゲン、フレイア・ホーグの3人で結成された。彼らはデッカ・レコードから『サウンド・オブ・サンフォレスト』という1枚のアルバムだけを録音した。『時計じかけのオレンジ』のサウンドトラックに収録された『太陽への序曲(Overture to the Sun)』と『ぼくは灯台守と結婚したい(Lighthouse Keeper)』で知られている。 ・歴史 サンフォレストは1960年代後半にワシントンDCで始まった。テリー・タッカーとフレイア・ホーグは知り合いだった。ホーグはタッカーの詩を音楽化した。パーティーでエリカ・エイゲンと出会った後、彼らは一緒に曲を書いた。 ステージで演奏するのに十分な曲を作ったと思ったので、フレイアの発案で3人のミュージシャンはヨーロッパに旅行することにした。1969年、彼らはロンドンに移り住み、音楽シーンに参加するようになった。まもなく、デッカ・レコードの代表であったヴィック・コッパースミス=ヘヴン(ヴィック・スミス)と出会う。その夜、彼らはデモを録音し、2週間後スミスは彼らのマネージャーとなった。 スタンリー・キューブリックは『時計じかけのオレンジ』のサウンドトラックに2曲を入れたいと考えていた。彼は『太陽への序曲』を再録音するように要求した。テリーはアレンジを変更...