『ロリータ』に登場した、ロリータを裏で操る怪しげな男。放送作家という事だがその正体ははっきりしない。ハンバートは、「キルティ殺しで有罪」(Guilty of Killing Quilty)となってしまうんだけど、「キルティ」という変なネーミングは、このシャレから来ているんでしょう。キルティを演じたピーター・セラーズの妙な存在感が忘れられない。
『地球への遠征』が収録された短編集『前哨』と、『2001年宇宙の旅』のアウトテイク集『失われた宇宙の旅2001』 『地球への遠征』は映画版・小説版『2001年宇宙の旅』の原典になった、アーサー・C・クラークが1953年に発表したの短編小説です。あらすじは銀河の中心から辺境の星、地球に飛来した異星人が、地球の原始的な文明に干渉し、去ってゆくまでの短い物語で、母星の危機に急遽帰らなくてはならなくなった異星人が「懐中電灯」や「ナイフ」などを未開人に残してゆき、これらで知恵をつけた未開人が進化(と読み取れる)、やがてその場所が「バビロン」になったというストーリー。 現在となってはなんとも「牧歌的」なお話かとは思いますが、キューブリックとクラークは異星人視点で描いたこの物語を、『2001年…』で猿人視点に翻案しました(もちろんクラーク自身の小説版も)。『2001年…』のアウトテイク集『失われた…』に紹介されている『はじめての出会い』『月を見るもの』『星からの贈り物』『地球よ、さらば』は、そのプロセスの中間に当たるストーリーで、物語自体は『2001年…』とほぼ同じ(彼らがスターゲートを通って地球へ訪れていたり、月に警報装置を埋めるシーンなどもある)ですが、猿人視点ではなく異星人視点で語られているのが特徴です。『2001年…』の原典になった小説といえば『前哨』や『幼年期の終わり』がよく語られますが、この『地球への遠征』もそれらと同じくらい知られていなければならない物語です。しかし、ファンの間でもあまり話題になることはないようです。 以前「『2001年宇宙の旅』の 「人類の夜明け(THE DAWN OF MAN)」パートの完全解説」 の記事でご紹介した通り、最終的にこのパートは「ナレーション・セリフは一切なし」という判断になりました。そのせいで「難解」「退屈」と言われてしまうリスクを承知の上でもキューブリックは「映像での説明」にこだわったのです。結局のところそれはこの『地球への遠征』を読めばわかる通り、言語や説明的シークエンスで表現してしまうととても陳腐なものになってしまう(キューブリックいわく「魔法に欠ける」)危険性を排除したかったのだと思います。そして、その判断が正しかったことは、『2001年…』の現在まで至る評価の高さが証明していると言えるでしょう。
アメリカのヒップホップグループ、コットンマウス・キングスが2010年に発表した11枚目のアルバム『Long Live The Kings』収録曲『Stomp』のMVが、まるまる『時計じかけのオレンジ』だったのでご紹介。アルバムジャケットも この通り 。もうお約束ですね。 『時計…』はその暴力性からロックやパンク、メタルやヒップホップと親和性が高いことは、世界中の「不良系」アーティストがこぞってオマージュしていることからも伺えます。そしてその影響力は現在まで続いています。キューブリックは良くも悪くもとんでもない映画を作ってしまいましたね。