【考察・検証】『薔薇の葬列』は『時計じかけのオレンジ』に影響を与えたか
ここでは、この1969年制作の日本映画、松本俊夫監督の『薔薇の葬列』が『時計じかけのオレンジ』に与えた影響について検証してみたい。まず、この記述、
1970年にロンドンで上映された 『薔薇の葬列』 を観たスタンリー・キューブリックが、次回作 『時計じかけのオレンジ』 の「早回しのセックスシーン」等、同作のビジュアルの参考としたと云われる。(ハーバード大学ウェブサイトより)
についてだが、その当該のサイトとはここになるだろう。Julie Buck氏が「キューブリックは一瞬のカット割り、若者のギャングイメージ、早回しのモンタージュシークエンスの影響を受けた」と指摘している。この『時計…』の早回しのセックスシーンと似たシーンを『薔薇…』から探すとするなら、ピーターとバーのママとの乱闘シーンだが、確かに早回しではあるがキューブリックの乱交シーンとは比べ物にならない程遅く、また使用されている曲もクラッシックではなく、手回しオルガン曲『愛しのアウグスティン』だ。これを根拠に「キューブリックが影響された」と論じていいものだろうか?
早回しのセックス・シーンについては、キューブリック自身が
「この種のシーン(ラブシーン)をおごそかにするために、ごくありふれた用法のスローモーションがふさわしいとする考えを風刺するためには、よい方法だと私には思えた」(引用:『ミシェル・シマン キューブリック』)
と語っていて、つまり通俗的なラブシーンの演出を逆手に取りたかった意図を説明している。原作でのアレックスはこのシーンに第九をかけているが、音楽を担当したウェンディ・カルロスの証言によると当初はオーケストラ版『ウイリアム・テル序曲』が使用されていた。それについては
「(ラブシーンに)標準的なバッハの演奏に対して、(『ウイリアム・テル序曲』を使うのは)うまい音楽ジョークだと思えた」(引用:『ミシェル・シマン キューブリック』)
と発言していて『薔薇…』の話やその影響を感じせる部分は全くない。
その他のビジュアル・イメージやカット割などは『薔薇…』をご覧になって判断していただくしかない。確かにアイスクリームの食べ歩きや、素早いカット割の連続による悪夢イメージ、不良達など『時計…』との類似点は散見されるが、当時のアングラ・サイケに毒された他の映画を観れば同じようなビジュアルイメージは頻出している。『薔薇…』も『時計…』も同じサイケデリック・カルチャーの影響下で製作された映画だ。この2作品だけを比較して影響を云々するには無理がある。
この件に関しては関係者の証言や確たる証拠が出てこない限り、これ以上の検証は不可能という事になる。ただキューブリックは「参考になるものなら何でも見たい、知りたい」という知識オタクなので、参考に見た映画の一つである可能性はあると思う。現に『2001年…』でも古今東西ありとあらゆるSF映画を観ていて、その中には日本のSF映画もあった事がアレグザンダー・ウォーカーの証言で分かっている。ただ、もし観ていたとしても、分析したメモが残っているとか、影響を受けた旨の話を聞いたなどの確証が必要だ。そうでなければ「観た=似ている=影響受けた」という三段論法を展開しているに過ぎない。
実際はどうであれ、現状の推論にもなり得ない憶測レベルで影響云々を喧伝するのは著しく論拠に乏しい。『薔薇…』は『薔薇…』として論評すべきで、そこに『時計…』を絡めて論じるのは歴史の検証に神話を持ち出すくらい意味のない行為だ。もっと情報が出そろってからでも遅くはない。『薔薇…』論者は少し頭を冷やした方が良いだろう。ただ可能性はゼロではないので今後も成り行きは注視していきたいと思う。
尚、一部でキューブリック自身が『薔薇…』に影響を受けた旨の発言が紹介されているが、出典をあたる事ができなかった。この発言の出所が明確でない以上、当考察では採用しなかった事をここに記しておく。