【俳優】『ロリータ』を演じたスー・リオンが辿った壮絶人生

コットンと刑務所で結婚式を挙げるスー

 『ロリータ』でロリータは劇中様々な大人たちの思惑に翻弄され(また翻弄し)なかなかハードな人生を送っていましたが、そのロリータを演じたスー・リオンの人生はそれ以上にすさまじいです。今回はそれをご紹介いたします。

1946年7月10日
アイオワ州ダベンポートでスー・リオンはカー・リオンの5人の子供たちの末っ子として生まれた。スーが10ヵ月の時父親が自殺、母親は病院の寮母として働かなければならず、生活は困窮していた。

1958~1959年
この頃、リオン家はロサンゼルスへ引っ越し、スーが家計を助けるために髪をブロンドに染め、モデルとして働き始めた。また『わんぱくデニス』と『ロレッタ・ヤング・ショー』で小さな役を得た。

1960年6月
キューブリックは1959年12月13日にオンエアされた『ロレッタ・ヤング・ショー』でスーを見て、ウラジーミル・ナボコフにロリータ役にどうかと提案した。スーはその時友人のミシェル・フィリップス(後のママス・アンド・パパス)と2人で図書館に行き、小説『ロリータ』のコピーを借りて読んでみたが、12歳(当時)の彼女にとっては難しすぎ、後に「難しくて読み終えることができなかった」と答えた。キューブリックとナボコフはオーディションでスーと会い、ナボコフが気に入ったので800人以上の女の子と面接の後にスーを採用、スーは7年の契約書に署名した。

1960年10月~1961年4月
ロンドンで『ロリータ』の撮影に参加(当時14歳)。この時の事をスーはこうコメントしてる。「キューブリックさんは誰にも恥をかかせないし、威張らない。『ロリータ』は出演者の誰にとってもきまりの悪い映画になりえたけど、彼はそうならないように取り計らっていた」

1962年6月
スーは『ロリータ』に関するインタビューの中で「私は彼女を気の毒に思います。彼女は神経質で、感傷的で、自分自身に興味を持っているだけです」と答えた。スーは6月13日の『ロリータ』初公開を観たかったが、16歳未満は入場不可(当時15歳)の厳しい年齢制限のために劇場に入ることができなかった。『ロリータ』は最終的にMGMに3万7千ドル利益をもたらした。

1962年9月10日
プロモーションのため来日。雑誌の取材などを受けている。

1963年
オスカーにノミネートされ、ゴールデン・グローブ賞の最優秀新人女優賞を獲得した。その時スーは160cm・49kg、スリーサイズはB86-W56-H89だった。

1963年10月28日
『イグアナの夜』の撮影がメキシコのプエルトバヤルタで始まった。スーは母親と新しいボーイフレンド(俳優で後に『ブレードランナー』の脚本家となるハンプトン・ファンチャー)を撮影に連れて行ったので、たびたびトラブルとなった。またスーは至る所でスター達と口論をしていた。

1963年12月22日
ハンプトン・ファンチャーと結婚。彼には6才の息子がいた。

1964年6月30日
『イグアナの夜』がニューヨークのリンカーン・センターでプレビューを迎えた。

1964年10月16日
スーの兄マイケル(20才)は、もう一人の男と一緒にティファナ(メキシコ)の近くで、ステーション・ワゴンで死体で見つかった。警察は麻薬の過剰摂取との見解を示した。その時スーは姉マリアと一緒にヨーロッパに旅行中だった。

1964年12月8日
精神的虐待を理由にハンプトンと離婚した。

1965年
スーと母親は高速道路で自動車事故に遭い、スーは頭、首と背中の怪我を負い、2年間の車椅子生活を強いられた。

1971年
黒人のカメラマンでフットボール・コーチのローランド・ハリソンと結婚。この頃はまだ人種差別の激しかった時代で二人の結婚は大きな論争を巻き起こし、それから逃れるために二人はスペインへ引っ越した。ハリソンには、すでに5人の子供がいた。

1972年
二人の間に娘ノーナが生まれたが、人種問題等もありプレッシャーに耐えかねたスーはハリソンと離婚した。

1973年
コットン・アダムソンとコロラドで出会い一目惚れ。コットンは強盗殺人を犯し服役中で、スーはウェイトレスとして働きながら近くにデンバーのホテルに住んだ。

1973年11月4日
コットンと結婚。刑務所改革と夫婦同居権獲得のために運動を始めた。

1974年
コットンが仮出所、しかし強盗を犯したためコットンと離婚。

1980年
ロサンゼルス大学通いながら衣料品店で働いていたが、『アリゲーター』ではTVレポーター役として出演した。スーは躁鬱病患者と診断されたが、彼女は16歳からこの病気だった。

1983年
エドワード・ウェザースと結婚したが、翌年には離婚した。またこの頃娘のノーナを追い出し、翌年にはハーフウェイハウス(自立生活訓練施設)に連れて行った(これ以降、スーとノーナは別居状態になる)。

1985年
ラジオエンジニアのリチャード・ラドマンと結婚した。

2002年
リチャード・ラドマンと離婚。女優を引退し、インタビューや写真を避けて現在は一人でひっそりとロサンゼルスで暮らしている。



 結婚と離婚を5回も繰り返し、そのほとんどが長続きせず、黒人や犯罪者と結婚してはマスコミを騒がせ、父親は自殺、兄は麻薬で死に、本人と母親は交通事故、さらに躁鬱病を患い、娘は施設へと追いやる・・・なんというか自ら不幸を迎え入れているというか、トラブルメーカーっぷりがすごいです。日本版wikiによると8歳の時レイプされそうになった事もあったそう。そんなスーも現在はひっそりとロスで隠居中だそうです。

隠居中のスー・リオン

 後にスーは「私の人格崩壊はこの映画(『ロリータ』)から始まった」と語ったそうですが、そんな単純な話ではないと思います。どう考えても生まれ方も育ち方も悪かったとしか思えません。それにこうして悠々自適の隠居生活ができているのは『ロリータ』のお陰だと思います。他の出演作とはDVDやBDの売り上げが段違いでしょうから。

 もう結婚する気はないでしょうから、その有り余った時間を使って自伝でも書いてもらって『ロリータ』撮影時の知られざるエピソードがあれば教えて欲しいものです。

2019年12月28日追記:ロサンゼルスで暮らしていたスーが、2019年12月26日に亡くなっていたことが、長年の友人だったフィル・シラコポロス氏によって発表されました。シラコポロス氏によるとスーは、しばらくの間健康状態が悪かったそうです。享年73歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

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