【考察・検証】小説『時計じかけのオレンジ』の訳者、乾 信一郎氏による最終章に関するあとがきを検証する

左から最終章が掲載されていない旧版、最終章が収録されている選集版、完全版

 1980年に出版された『アントニイ・バージェス選集〈2〉「時計じかけのオレンジ」』には最終章が翻訳され、掲載されているという話は前から知っていたのですが、現在ではその最終章が収録された完全版が一般に流通していますので、この選集版を紹介する意味はないと思っていました。ところが訳者である乾 信一郎氏のあとがきに興味深い記述を発見したので、それを元に例の「最終章問題」を検証してみたいと思います。以下がそのあとがきです。

 この小説が一部二部三部にわけられていることはごらんのとおりであるが、その第一部と第二部はそれぞれ七つの章から成り立っている。問題なのは第三部である。一九六二年の英国版初版にはこの第三部も七つの章になっているのだが、その後に出た版になるといずれも最終章の第七章が削除されている。最も新しい版と思われるペンギン・ブックスの一九七七年版にもこの最終第七章は無い。

 どういう事情からこの最後の章がはぶかれたのかは不明だが、その章があるのは初版だけであって、あとの版にはないとなると、当然作者側と出版社側との間に削除についての合意があったとしか考えられない。出版社が勝手に削除して出版するわけがない。以上のような解釈から訳者は一九七一年(昭和四十六年)に翻訳出版の際第三部の第七章がはぶかれているものをテキストとして翻訳し、その旨を断っておいた。また、一九七七年(昭和五十二年)初版発行のNV文庫版でも同様にしておいた。

 ところがその後早川書房編集部で一九七四年のPlayBoy誌上にバージェスのインタビュー記事が出ているのを発見。訳者もそれを見せてもらったが、その中にはもちろんバージェスの著作中でのベストセラー『時計じかけのオレンジ』のことに触れた部分があった。それによるとバージェスはキューブリック監督によって映画化された『時計じかけのオレンジ』には数々の不満があるというのだ。特に結末の部分がいけないという。キューブリック監督は原作の最後の章を読んでいないんじゃないか、とあった。なぜかというと、最後の章では主人公の若いアレックスは成長し、暴力を時間の浪費だったと反省するようになり、結婚して子供をもうけ、●●●(引用先が伏せ字なのでそれに倣います)になろうと考えるようになる。ところが映画では暴力はまたまたくり返されるような暗い印象になっている。これは作者の意図ではないというのである。その理由としてバージェスは、自分はカトリック教徒として育てられたからだという。カトリックでは人間について楽観的な考えを持つように訓練される、というのは人間は生まれつき悪の状態にあるものだというふうに教えられるからだ。つまりわれわれ人間はもうそれ以下に落ちることは無く、上へと昇るだけなのだ、というのである。

 それでは、なぜバージェスはその考えを盛った大切な最後の章を削除した本の発行を許しているのか、そこが疑問になってくる。以上のような考えであれば第三部の第七章は絶対になくてはならないものということになるのだが、実際はその反対となっていて、いっていることと現実が矛盾する。

 なぜこうなっているのか理由不明のまま、翻訳の初版では問題の第三部第七章をはぶいたままにしておいたが、バージェスのインタビュー記事を見るにおよんでは、やはり加えておくべきものと考えられるので、この選集発行に際してあらためてこの最後の章を訳して加えて参考とした次第である。しかしこの小説に最後の章があった方がいいかどうかは読む人の考え方次第であろう。

 (一部引用:情報中毒者■[小説]「時計じかけのオレンジ」第21章(第三部第七章)は1980年には邦訳されてた、という話の証拠)

 上記にある通り、乾氏は「バージェスはあれだけ最終章に拘っていたにも関わらず、最終章のない版を流通させているのは不可解」とおっしゃっています。(ソースとされているプレイボーイ誌のインタビューが1974年なのにも注目)でも、これは私の推論(こことここの記事を参照)だと簡単に説明できてしまいます。即ち

バージェスは当初最終章のない『時計…』で完結した物語と考えていたが、出版社の意向に添って不本意ながら最終章を付け足した。その後キューブリックが最終章を省いた形で映画化したところ、各方面から暴力賛美だと批判が集中、原作者のバージェスも批判はおろか脅迫までされる事態に発展した。その批判や脅迫をかわすためにバージェスは、マスコミ向けには最終章の意味とその重要性を事ある度に主張し、それを映像化しなかったキューブリックを批判、自分は暴力主義者でない事を世間にアピールした。しかし本音では最終章がない版が決定版だと考えていた

 『時計…』は激しい批判に晒され、キューブリックは脅迫すらされていました。それは当時映画の宣伝で世界中のマスコミに出まくっていたバージェスとマルコムにも向けられていた筈です。バージェスとキューブリックは1972年頃までは友好的な関係にありました(同年に『ナポレオン』の脚本化をバージェスに依頼している)。しかしその後の突然の変節とキューブリック批判、それにマルコムも一時期キューブリックを嫌悪するような発言を繰り返していました。それは命の危険まで感じる程の脅迫を受け、保身のために必要だったのかもしれませんが、キューブリックにとってそれは「裏切り」と言える行為でした。キューブリックは公には何もコメントせず、ただ二人を完全に黙殺する事にしたのでしょう。マルコムは「あれ(キューブリック批判)は電話してくれ、というメッセージだった」とインタビューで応えていますが、それは自身がキューブリックを裏切ってしまった事を自覚していたからこその発言ではないでしょうか。

 イギリスのマスコミは自国の元王妃を交通事故に追いやる程激烈だという事実を思い出してみても、個人的にはこう考えるのが一番妥当だと判断しています。

TOP 10 POSTS(WEEK)

【ブログ記事】『シャイニング』で削除された幻のエンディングの台本

【関連記事】スタンリー・キューブリックが好んだ映画のマスター・リスト(2019年11月22日更新)

【関連記事】史上最年少アカデミー賞女優テータム・オニールの人生を壊した父と薬と性暴力【毒家族に生まれて】

【関連記事】抽象的で理解の難しい『2001年宇宙の旅』が世に残り続ける理由

【ブログ記事】イラストレーター、ロイ・カーノンが描いた『2001年宇宙の旅』初期ストーリーボード

【関連動画】『時計じかけのオレンジ』公開50周年&4K UHDリリース記念 マルコム・マクダウェルのインタビューで語られた、アンソニー・バージェスの小説版最終章の「真実」

【台詞・言葉】ハートマン先任軍曹による新兵罵倒シーン全セリフ

【ブログ記事】『2001年宇宙の旅』の主要特殊撮影スタッフ、コン・ペダーソンの功績とその後

【関連記事】リドリー・スコット「『2001年宇宙の旅』以降、SFは死んだ」