【ブログ記事】『2001年宇宙の旅』の主要特殊撮影スタッフ、コン・ペダーソンの功績とその後
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| 『2001年宇宙の旅』BDの特典映像『“2001年”の神話』でのコン・ペダーソン |
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| 『2001年宇宙の旅』で作業中のコン・ペダーソン |
キューブリックがアカデミーに特殊視覚効果賞をノミネートする際、アカデミーに「1つの部門にエントリーは3人まで」と言われ、代表者である自分の名前を提出、いざ受賞が決まるとダグラス・トランブルが不満の意を表明した、というのはよく知られたエピソードです。そのキューブリックは、特殊効果で重要な役割を果たしたスタッフは4人で、その順番はウォーリー・ヴィーヴァーズ、ダグラス・トランブル、コン・ペダーソン、トム・ハワードとしてエンドクレジットに入れました。この順番にペダーソンはトランブルの元上司だったので、部下に、しかもぺーぺーの若造に追い抜かれた形になるのは屈辱感を覚えたかもしれません。現にペダーソンは現場で実力と影響力を増すトランブルに対して、嫉妬ともとれる「言いがかり」をつけています。ですがその後、トランブルの功績の大きさを認める発言をしているので、ある程度「わだかまり」は解消されたのでしょう。(詳細は書籍『2001:キューブリック・クラーク』で)。
ペダーソンは1964年のニューヨーク世界博覧会のために制作された、シネラマ短編映画『To the Moon and Beyond』の特殊効果を担当し、キューブリックに引き抜かれて部下のダグラス・トランブル(トランブルは押し掛け女房的にイギリスに渡った)と共に『2001年…』に参加しました。担当は模型制作やスターゲート用のイラスト制作などでしたが、模型撮影を含む全ての特撮部門の管理責任者を任され、複雑な特殊撮影工程を完璧に管理するという、どちらかというとそちらの面での功績が大きかったようです。その後映画界からCM界に転身し、1971年にロバート・エイブルと共同で「ロバート・エイブル&アソシエーツ(RA&A)社」を設立、CG(コンピューター・グラフィックス)を大胆に導入した全く新しい映像表現で、CM界に一大センセーションを巻き起こします。そのCG表現(を模したアナログ的な手法も含め)のルーツは『2001年…』であったこと、そしてその現場で管理責任者をしていたペダーソンの経験がなければ、なし得なかったであろうことは間違いありません。それは以下の動画『ロバート・エイブルの世界』を観ても一目瞭然です。
5:33からの「レナウン娘」は懐かしいと感じる方も多いのでは?
ロバート・エイブルはRA&A社倒産後、母校のUCLAで教鞭を執り、その教え子の中には後にポリゴン・ピクチュアズの設立者となる河原敏文氏も。ここまで来れば現在の特撮ファン、アニメファンにも馴染みがあると思います。それほどの影響力を誇ったロバート・エイブルを影で支えたのが共同創設者であるコン・ペダーソンなのです。
ちなみにコンの妻であるシャーリーンは『2001年…』制作時、キューブリックの妻クリスティアーヌと共に異星人の彫像作りを担当していました。その時にBBCラジオから流れてきたリゲティを聴いて「これをスタンリーに教えなきゃ」と考え知らせた、というエピソードがあります。
ロバート・エイブルは2001年に亡くなってしまいましたが、ペダーソンはテレビや長編映画でのCG使用の専門家として活躍していました。『2001年…』BDの特典映像『“2001年”の神話』で元気な姿を観ることができますが、それから20年を経た現在はどうされているのでしょうか?ご健勝であることを願うとともに、ダグラス・トランブルの影に隠れがちなコン・ペダーソンの存在を、もっとファンの方に認識して欲しいと思っています。
▼この記事の執筆に当たり、以下の記事を参考にいたしました。
CINEMORE/劇場版『スター・トレック』を生んだ特撮スタッフの奮闘と彼らが残したもの

