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 一部のDVDやBDに収録されている『2001年…』制作時(1966年)のドキュメンタリー『2001年という“未来”(2001: A Space Odyssey -- A Look Behind the Future)』。レアなお宝映像満載でご覧になった方も多いと思いますが、その全編がYouTubeでもワーナーのオフィシャル動画として視聴することができます(但し字幕なし)。

 このドキュメンタリー、主に未来予想図としての『2001年…』の紹介に終始していますが、注目すべきは最初に登場するフレデリック・オードウェイとハリー・ラングのインタビューでしょう。彼らはいかに自分たちのデザインが科学的・技術的知見に基づいているかを力説しています。

 プロダクション・デザイナーのハリー・ラングは、NASAでかのフォン・ブラウンのもとで働いた経験の持ち主(ラング自身もアメリカに移住した元ドイツ人)で、当然ながらそのデザインは現実の宇宙開発に基づいたものになります。フレデリック・オードウェイは元NASAの科学者という専門家としての知見をラングに供給しつつ、NASAやIBMなど関連各企業とのパイプ役になり、ラングやキューブリックに常に最新の情報を提供する役割を担っていていました。

 この二人が『2001年…』のプロジェクトに参加したのは1965年1月22日。ここで記事にした通り手塚治虫がキューブリックのオファーを断った直後だったのですが、もし手塚がそのオファーを受けていてもハリー・ラングとのスキルや実力差は一目瞭然、早晩キューブリックによってクビを切られるか、自ら職を辞していたでしょう。やがて完成した映画を観た手塚は「そこまでやるんだったら僕はやらない方がよかった」と語ったことから、それは自覚していたと思います。

 たまに「手塚が『2001年…』に参加していたらどうなったか?」という論調をネットで見かけますが、正解は「何も貢献できなかった」だと思います。手塚の才能のその多くは「アイデアだけはバーゲンセールしてもいいくらいある」と嘯くほどのストーリーメイクの能力でしょう。むしろテーマが『鉄腕アトム』に近い『A.I.』の方が多大な貢献ができたのでは?と個人的には考えています。

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