【スタッフ】『2001年宇宙の旅』の「人類の夜明け」のフロント・プロジェクションを実現させたベテラン特殊視覚効果マン、トム・ハワード
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| 『2001年宇宙の旅』公開直後、1968年7月のトム・ハワード |
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| トム・ハワードが『2001年…』のために製作した高精細なフロント・プロジェクション |
ロケを嫌がるキューブリックは「人類の夜明け」のパート全てをセットで撮影することに決定しました。しかしそうするにはスタジオ内にアフリカの風景を再現しなければなりません。近景は作り込むことができても、遠景は当時の一般的な方法であるマットペインティングやリア・プロジェクションでは、70mmシネラマで制作していた『2001年』が求める水準に達しないことは明らかでした。そこでキューブリックが下した判断がフロント・プロジェクションの採用だったのですが、当時まだ一般的でなかったこの技術をここまで大々的に使用した例はありません。ハワードはキューブリックの高い要求に応えるべく、フロント・プロジェクション用の背景用スクリーン、大量の照明、そしてハーフミラーを組み込んだ特殊な撮影装置(8×10で撮影された背景のポジフィルムは、カメラの真上に設置されたプロジェクターからハーフミラーを通して背景スクリーンに投影された)を開発、それを実現させました。また、宇宙船が動いて見えるように、コンピュータでサーボ制御されたステッピングモーターを発明するなどしました。
キューブリックは『2001年…』における特殊効果の貢献度をまず自分、次にウォーリー・ヴィーヴァース、次にダルラス・トランブル、そしてトム・ハワードであると公式の声明を出しています(コン・ペダーソンは進行・管理業務が主だったので名前は挙がっていないが、それも大きな貢献のひとつであることは変わりない)。「貢献度」というのは「完成作品から見た貢献した範囲」と言い換えることができるので、作品全般に関与したキューブリック、ヴィーヴァース、トランブルの後になってしまうのは仕方ないにしても、やはり大きな貢献だったことには変わりありません。『2001年…』以降、ハワードは『戦争と冒険』『星の王子さま』などでも特殊効果を担当しましたが、1974年を最後に映画界を引退しました。MGMが倒産した時期と重なりますので、そのタイミングで引退を判断したのではないかと考えています。
1930年代に映画界に入り、1945年にその革新的な技術力にMGM社が注目、ボアハムウッドにある英国スタジオ部門の視覚効果監督に招聘、それから引退するまで150本もの映画に関わり、そのうち85本の仕事を成し遂げました。英国撮影監督協会の創設メンバーでもあり、まさに「英国特撮界のレジェンド」と言うべき人物だと言えるでしょう。『原子怪獣現わる』(1953)に影響された『ゴジラ』(1954)に、再び影響され返した(『原子…』のスタッフが参加した)『怪獣ゴラゴ』(1961)で特殊効果を担当したのもハワードでした。1985年8月30日、ハートフォードシャーの自宅で亡くなりました。享年75歳でした。
1959年、『親指トム』で第31回アカデミー賞特殊効果賞を受賞するトム・ハワード。とても控えめな性格だったそうだ

