【ブログ記事】題名『時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)』解説。タイトルにある「Clockwork」とは「時計じかけ」ではなく「機械じかけ」「ゼンマイじかけ」という意味
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| 劇場公開時のパンフレットにははっきりと「メカニックな悪夢の世界」と書かれている。これなら間違いようがない |
昨今、『時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)』を観て「なんだ、時計なんて出てこないじゃないか!」「タイトルが意味不明」という感想をよく目にします。これは「時計じかけ」の「時計」という言葉に引っかかってしまっているからで、英単語の「Clockwork 」とは「機械じかけ」「ゼンマイじかけ」という意味です。ですので『時計じかけのオレンジ』は正確を期すなら『機械じかけのオレンジ』と訳すべきです。
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| 英語圏における「Clockwork 」の一般的なイメージ。(画像引用:pixabay) |
もちろん1971年の公開当時は「時計じかけ」と表記しても、世の中は機械じかけの時計(アナログ時計)ばかりだったので「時計じかけ=機械じかけ」と理解しやすかったのですが、公開から50年を経た現在、ほとんどの時計はデジタルなので、今の世代、特にデジタルネイティブであるZ世代にはピンと来ないのかも知れません。
では「機械じかけのオレンジ」とはどういう意味かというと、機械でできた有機体(オレンジ)、つまり「機械化された人間」という意味で、これは物語後半でルドヴィコ療法で機械人間にされたアレックスの状態を指しています。ちなみに原作小説では小説家が家のタイプライターで書いていた小説のタイトルが『時計じかけのオレンジ』という設定で、押し入ったアレックスが面白半分にそれを読み、ビリビリに破くというシーンがあります。また、ルドヴィコ療法後のステージ試験のシーンでアレックスが「まるで俺は時計じかけのオレンジみたいじゃないか!」と叫ぶシーンがあります。キューブリックはどちらのシーンも採用しませんでしたが、その理由は「映像で表現すれば説明しなくてもわかるだろう」ということだと思います。(『時計じかけのオレンジ」という言葉はコックニー(ロンドンの下町言葉)が由来という説は正しくありません。詳細はこちら)
このように、小説では文章によって「時計じかけ(機械じかけ)」の意味や意図がふんだんに示唆されているのですが、映画では省略されています。キューブリックはセリフや言葉で意図や意味を説明するのを嫌い、映像や役者の演技・表情、編集で表現するのを好む監督ですので、視聴する側にある程度の映像理解力、読解力がが必要になります。キューブリック作品を「わからない」「意味不明」と簡単に投げ出すと「ああ、この人は理解力、読解力がないんだな」と思われてしまいますので、キューブリック作品を鑑賞する際は「映像を読み解くぞ!」という心構えを持って接していただくことをお薦めいたします。
余談ですが「映画を観るのにそんな心構えなんか必要ない」「映画は何も考えず楽しむものだ」としてキューブリック作品(に限らず)を批判する方がいらっしゃいます。その場合はそれにふさわしいわかりやすい作品が数多ありますので、そういう映画作品をお楽しみください。管理人はどちらのタイプの映画も楽しめますが(『トップガン マーヴェリック』は楽しめました。映画作品としての評価は低いですが。笑)、ある一方を過剰に評価し、ある一方を過剰に批判し排除するというのは映画の楽しみ方のスタンスとしては正しくないと思います。創作物の楽しみ方は人それぞれですが、近視眼的な思い込みで自らその範囲を狭めてしまっては意味がありません。「他人が褒めている作品を貶して自らの自尊心を誇示したい」と考える層が一定数存在するのは理解していますが、そんなことをしてもバレる人にはバレているので、虚しいだけだと思いますけどね。

