【ブログ記事】スケジュールも予算も守れず、際限なくテイクを繰り返すキューブリックは「無能監督」か?

Stanley Kubrick(IMDb) キューブリックは『時計じかけのオレンジ』以降の作品を全てワーナー・ブラザースの資金提供で製作していますが、それはワーナーが映画の内容と予算とスケジュール管理をキューブリックに一任するという、映画監督としては「破格の条件」を提示していたからで、例えば脚本や撮影中のラッシュフィルムを見せる見せないや、初号試写などもキューブリックの裁量で自由にできました。つまりワーナー側からすれば「キューブリックのやることに一切口出しできない」という、かなり不利な条件を呑んでいたということになります。それは裏を返せば「キューブリック作品は必ず利益を生む」という信頼であり、そしてキューブリックはほとんどの作品でその信頼(利益を出すこと)に応え続けていました(『バリー・リンドン』はかなり厳しかったようですが)。これは現在においてもスタジオ側がこれだけ映画監督に裁量権を与えることはなく、非常に稀有な例と言えるもので、この点を理解しておかないとキューブリックの映画製作のスタンスを完全に見誤ってしまいます。 例えば「テイクを際限なく繰り返すのは監督があらかじめビジョンを確立していないから」「スケジュール管理ができていない監督なんて無能」という批判です。これは、スタジオ側(出資側)に映画製作の権限を握られている場合には当てはまりますが、キューブリックの場合には当てはまりません。なにしろ何をどう撮ってどれだけ時間をかけるかはキューブリックの自由なわけですから、予算とスケジュールに縛られる一般の映画監督とは立場が全く異なるわけです。確かに監督がその作品のビジョンをあらかじめ確立しておき、予算やスケジュール通りに撮るというのは優秀な監督の条件ではありますが、それは予算やスケジュール、もっと言えば出資者側の(映画の内容に立ち入る)横槍にも振り回されるということであり、それはもう作家ではなく単なる専門職ということになってしまいます。つまりその認識だと「優秀な映画監督」とは「優秀な専門職人」であると言っているのと同義です。 もちろんどんな映画監督でも専門職人ではなく「作家」でありたいと努力しているとは思いますが、出資者側の権限が強い映画界では「ただの専門職」に成り下がってしまっているのが現状です。そんな映画界の悪しき常識の範疇でしかキューブリックを語れない(また...