【考察・検証】ニューヨーク時代の若きキューブリックを知るためのキーワード「独」

キューブリック少年と妹のバーバラ。キューブリックは妹を可愛がる心優しい兄だった

 「独り」

 キューブリックは幼少時代から単独行動が多かったことで知られている。仲間内で流行っているゲームやスポーツ、学校行事などに参加しようとはせず、自分の興味のあることだけに集中して臨むことを好んだ。カメラやチェス、映画鑑賞などそれは「独り」で行うことばかりで、ジャズドラマーを目指し、熱心に練習していたドラムでさえソロプレイを得意としていた。そのため協調性が必要となる学校生活になじめず、小学校時代には登校拒否をするようになる。当然ながら学業の成績は芳しいものではなく、高校は落第点ギリギリでやっと卒業できたくらい悪かったが、落第者であったことが「キューブリックを生涯の学習者(生徒)にした」と妻であるクリスティアーヌは語っている。

ルック誌カメラマン時代のキューブリック

「独立」

 キューブリックが単独行動を好んだのは、協調性がなかったというよりも独立志向が強かったと言うべきものだ。共感できる数少ない友人とはよく一緒に過ごしていたようで、高校時代に知り合った(後に映画監督になる)アレキサンダー・シンガーによると「自分でやらなきゃダメだ」と常に語り合っていたそうだ。その高校時代にルック社に写真を採用され、曲がりになりにも「プロカメラマン」としてデビューするのだが、それはシンガーによると「仲間からスターが出た」と、とても誇らしいことであったという。しかし当のキューブリックはそんなちっぽけな立場に満足することなく、生来の独立心から大胆な野望を内に秘めていた。すなわち「映画監督になる」という野望だ。

 その反面、キューブリックはとても「シャイ」であったことも知られている。クリスティアーヌによるとカメラはそのシャイな性格を隠す隠れ蓑だったとし、「カメラをぶら下げていれば、その場にいる理由になるから」と説明している。協調性のなさも「シャイ」で簡単に説明されてしまいがちだが、撮った写真を写真誌に売り込む大胆な行動力はとても「シャイ」の一言で片付けられるものではない。それに映画監督は(最低限の)協調性がなければ勤まらない仕事だ。キューブリックにとって「シャイ」とは「旺盛な独立心と貪欲な好奇心、そして強固な自我の裏側には意外な繊細さがある」と理解すべきものだろう。

『恐怖と欲望』を撮影中のキューブリック。左端は当時の妻のトーバ・メッツ

「独学」

 前出の高校時代の友人、アレキサンダー・シンガーによるとキューブリックは自らを「オートダイダクト(Autodidact:独学者)」と呼んでいた。当時のニューヨークではハリウッドとは別の流れからアンダーグランド映画が勃興していたが、キューブリックはその撮影に参加しつつも全く興味を示さなかった。キューブリックは初めから「メジャー志向」だったのだ。「メジャー」、すなわちハリウッドに乗り込む足がかりとして、キューブリックは24歳で劇映画デビュー作『恐怖と欲望』を製作するが、それは演技以外の全ての作業を自ら行ったもので(曰く「なんでも挙げたまえ、私はなんでもやったんだから」)、その経験から後に「映画監督になりたいのなら、自分で映画を作ってみることだ」「それが多くのことを教えてくれるだろう」と発言している。すなわち「独学(による実践)に勝るものなし」ということだ。

 キューブリックがアート系、アンダーグランド系の映画監督を目指していなかったことは次作でさらにはっきりとする。『恐怖と欲望』がハリウッドの興味を引かなかったと判断するや、すぐに発想を切り替え、より商業性を意識した『非情の罠』を製作したからだ。キューブリックにしては「陳腐なラブストーリー」とも言える本作だが、まずは商業的な成功を納めない限り、自身が撮りたい映画を撮ることはできないという現実的で冷静な判断があったと思われる。そのこともキューブリックは「独」りで「学」んだのだ。

『非情の罠』を撮影中のキューブリック。写真を撮ったのは友人のアレキサンダー・シンガー

「独善」

 間違わないでおきたいのは、キューブリックは「支配的」ではあったが「独善」ではなかった(少なくともそれを極力避けようと努力していた)ということだ。それはどんな立場で、どんな職種であるかに関わらず、周りの俳優やスタッフの意見に常に耳を傾け、良いアイデアは積極的に採用していた事実から知ることができる。また、キューブリックは既存の小説を映画化するのを好んだが、その理由を「自分で書いたストーリーだと、その良し悪しを客観的に判断するのは難しい」と応えている。つまり「メタ視点」を持つ重要性をはっきりと認識していたのだ。それは「自惚れ」(とキューブリックは後に恥じている)で作った『恐怖と欲望』の苦い経験があったからこそ。キューブリックは「監督」という立場は、ともすると「独善」で判断しまいがちになる危険性を十分に理解していたのだ。

『非情の罠』に記録されたキューブリックにとっての「ニューヨーク」

 義弟でプロデューサーのヤン・ハーランによると、キューブリックは「偉大な交響曲も、小説も、映画も、集団指導体制下で作られたものはひとつもない」と言うのが常だったそうだ。それは映画という一般的に「集団芸術」と呼ばれるものに対してでも、「個」を貫き通そうとしたキューブリックの強い意志が見える。そのことは映画製作に協力(というより「才能の搾取」)した周囲の俳優やスタッフたちの反感を買うことになるが(もちろん協力者としての多大なる貢献に対しては、そのたびごとに最大級の賛辞や評価を惜しみなく表明している)、キューブリックにとって「映画」とは、「音楽」や「小説」や「絵画」と同じく「個人で作る創作物である」という考えを変えなかった。一方でそのことにより「独善」に陥ることを常に警戒していた。それは同じく映画製作に協力した面々が、異口同音に証言している。

 是としての「独り・独立・独学」、そしてそれらによって陥りやすい避けるべき「独善」。これらキューブリックの映画監督としては異例で独自の志向は、変わることなく生涯に渡って貫き通された。それはキューブリック作品が、他の映画監督と互換性のない「個性」を獲得していることからも理解できるだろう。その「個性」を賛美しつつ、完全支配的な映画製作の手法を批判するのは勘違いも甚だしい。なぜならその「個性」は「完全支配」でないと生まれ得ないものだからだ。そしてキューブリックがそれらを学び、育んだのは「アメリカの中の独立国」と言われるほど個性あふれる街、ニューヨークであったのは単なる偶然ではないだろう。

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