【考察・検証】アルトゥル・シュニッツラーの原作小説『夢小説』と『アイズ ワイド シャット』を比較して、ラストシーンの意味を考察・検証する

顔色一つ変えず「ファック」と言い放つアリス(ニコール・キッドマン)

 ●小説『ドリーム・ノヴェル(夢小説)』版

場所:夫婦の寝室

・・・遂に―彼は彼女の横に身を伸ばして―彼女の上に屈みこみ、今はそこにも朝が現れてくるように思われる大きな明るい眼をつけた彼女の動かない顔を見ながら、懐疑的ではあるが同時に希望に満ちた 口調で、「僕たちはどうすればいいだろうか。アルベルティーネ」と問いかけた。
 彼女は微笑した。そして、ちょっとためらってから、「すべての冒険―現実の冒険も夢の冒険も無事に切り抜けたことを運命に感謝すること、だと思いますわ」と答えた。
「無事に切り抜けたと云うが、全く確かだと思うかい」と彼は尋ねた。
「確かだと思いますわ。一夜の現実は、いえ、人間の一生の現実でさえ、現実であると同時に また人間の心の奥底の真実を意味するということにはならないような気がしますもの。」
「そして、どんな夢も」と云いながら彼はかすかな溜息をついた。「完全にただの夢だけというようなものではないね。」
 彼女は彼の頭を両手に挟んで、やさしく自分の胸に寝かせた。「これで、わたしたちはすっかり目が覚めましたわね」と彼女は云った―「このさき長く。」
 永久に、と彼は云い添えようとしたが、彼がその言葉を云い終らないうちに、彼女は彼の唇に指を一本充てがって、ひとり言でも云うように、「さきのことは尋ねないこと」と囁いた。
 そこで、彼らは二人とも黙って、どちらもすこしまどろみながら、夢は見ないで、近く寄り添って横になっていたが―やがて、毎朝の例で七時に寝室の戸がノックされる。街路から聞き慣れたざわめきが伝わってくる。窓掛の隙間から勝ち誇った陽の光がさしこんでくる。隣室から子供の明るい笑い声が聞こえ、新しい一日がはじまるのであった。

(出典:『アイズ ワイド シャット』角川文庫)


●映画『アイズ ワイド シャット』版

場所:おもちゃ屋

「アリス・・・僕たちどうする?」

「どうする?・・・」
「どうって分からない」
「多分・・・きっとわたしたち、感謝すべきなのよ」
「何とか無事にやり過ごすことができた・・・危険な冒険を・・・」
「それが事実であれ、たとえ夢であれよ」

「本当に、そう思うかい?」

「本当に?」
「わたし・・・わたしに分かるのはひと夜の事なんて、まして生涯のどんな事だって、真実かどうか・・・」

「夢もまたすべて、ただの夢ではない」

「でも大切なのは、今、わたしたちは起きてる」
「そしてこれからも、目覚めていたい」

「永遠に」

「永遠?」

「永遠に」

「その言葉は嫌いよ、怖くなるの」
「でも、あなたを愛している」
「だから、わたしたち大事なことをすぐにしなきゃダメ」

「何を?」

「ファック」

(出典:『アイズ ワイド シャット』DVD字幕)



 比較してみると、シーンの場所は違えど、セリフの意味はほとんど同じだということがわかります。異なるのは太字で書かれた最後に追加された部分で、これは撮影前に完成していた脚本にも存在しないことから、原作の翻案と当初脚本を担当したフレデリック・ラファエルが関与していない、キューブリックの完全なオリジナル(撮影時に思いついた?)です。また「セリフ一発」で映画を終わらせ、すぐにエンディングの『ワルツ2』が流れ始める点は『時計じかけのオレンジ』と酷似しています。それはこのラストを締めくくる「ファック」というセリフがいかに重要か、そして「ファック=セックス」という意味だけではないことを示唆しています。

 「ファック」の意味は「セックス」の他にネガティブ(ラディカル)な意味もあります。つまり「ファックユー」の「ファック」です。つまりこの「ファック」とは「セックス」と「ファックユー」のダブルミーニングになっているのです。アリス(ニコール・キッドマン)がニコリともせずにこのセリフを吐くのは、そういう意図があってのことです。そもそもキューブリックはダブルミーニングが大好きなのです。

 では、誰(何)に対しての「ファックユー」なのでしょうか? 単純に考えればビル(トム・クルーズ)に対してです。アリスの問いかけに対して「何を?」などと、間抜けな返答しかできない愚鈍さを軽蔑しているように聞こえます。また、下世話な好奇心と即物的な欲望のままに行動した挙句、妻に泣きベソをかいて逃げ帰ってきた、その愚かな行為に対しての批判のようにも聞こえます。

 更に言えばその愚かさは、トムとニコールの濃厚なラブシーンが覗けるかもしれないと劇場に足を運んだ下衆な観客も同じであり、そんな愚かな大衆を相手に低俗な映画を作り続ける映画業界でもあり(キューブリックは『フルメタル・ジャケット』の頃のインタビューで「最近はひどい映画ばかり」と中身のない映画で金儲け主義に走る業界を批判していた)、更に更に言えば、その愚かな大衆そのものを指しているとも言えます。

 キューブリックがこの映画の最後を締めくくるセリフとして、「ファック」を選んだ真意はわかりません(死去しなかったらインタビューなどでヒントくらいは話してくれていたかもしれません)。ですが、決して「セックス」という意味だけではないのは、以上の検証から確実だと思います。この映画を観る時、私たちは漫然と「観る」だけではなく、自分の感性と洞察力を最大限に発揮して「見る」ことをキューブリックは要求していると言えるでしょう。なぜなら本作のタイトルが『アイズ ワイド シャット』・・・「目は開いているが、(心の目は)閉じている」だからです。キューブリックは私たち愚かな大衆に対して「夢ばかり見ていないで、いいかげんに目を覚ませ!現実を直視しろ!!」と痛烈に批判しているだと(リアリストのキューブリックらしい)、私は思います。


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