【関連記事】キューブリック版『シャイニング』に対するスティーブン・キングの言い分
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Stephen King(wikipedia) |
〈前略〉
デッドライン:『シャイニング』は大好きな本の1つでした。初めてキューブリックの映画を見たとき、本を読みながら想像していたものと違うなと感じたのを覚えています。でも、何年も何度も見ているうちに、あの映画の壮大な映像の素晴らしさがわかってきて、だんだん好きになっていったんです。当初は、あまり感動していなかったんですね。キューブリック監督は非常に偏屈な監督で、作家と共同作業をするようなタイプには見えませんが、このことはあなたの記憶にどのように残っているのでしょうか?
スティーブン・キング:スタンリーと事前に電話で話したのですが、彼が本の中に自分の方法を見つけようと、手を伸ばしているのが感じられたのを覚えています。幽霊がいるならば、死後の世界がある、私たちはただ死ぬだけでなく、前に進むのだという前提があるということですから。そして私は、「キューブリックさん、地獄はどうなんですか?」と言ったんです。向こうで長い沈黙があり、彼はとても硬い声でこう言いました。「私は地獄を信じない」。でも、もし幽霊がいるとしたら、彼らは悪者にされるのと同じくらい、「光の中に入ってくる 」可能性が高いと私は思います。パトリック・スウェイジ主演の映画『ゴースト/ニューヨークの幻』を覚えていますか?
デッドライン:はい、もちろんです。
スティーブン・キング:そこでは幽霊は本当は私たちの味方なんだけど、死ぬという体験が彼らを狂わせたのと同じようなものなんだ、という感じがしました。とにかく、『シャイニング』は美しい映画だと思うし、見た目も素晴らしいし、前にも言ったように、エンジンの入っていない大きくて美しいキャデラックのようなものです。そういう意味で、公開当時、多くの批評はあまり好意的ではなく、私もその一人でした。当時は黙っていましたが、あまり気に入ってなかったんです。
デッドライン:今はどうですか?
スティーブン・キング:あの映画では、ジャック・トランスというキャラクターには何の文脈もありませんので、私も同じように感じています。全く文脈を描いていない。ジャック・ニコルソンを初めて見たとき、彼はホテルの支配人であるアルマン氏のオフィスにいたんですが、そのとき彼はネズミのように狂っていたんです。彼はますますおかしくなっていくんです。本の中では、彼は自分の正気と闘っている男で、ついに正気を失ってしまうんです。私にとっては、それが悲劇なんです。映画では、本当の意味での変化がないため、悲劇はありません。もうひとつの違いは、私の本の最後ではホテルが爆破され、キューブリックの映画の最後ではホテルが凍結されることです。それが違いです。しかし、私はキューブリックに会いましたが、彼が非常に頭のいい男であることは間違いない。私にとって思い入れのある映画もいくつかあります。『博士の異常な愛情』や『突撃』などです。彼は素晴らしい仕事をしたと思いますが、しかし、本当に偏狭な人でした。会って話をすると、ごく普通に接することができるのですが、その場にいるような感じがしないのです。自分の中に閉じこもっていたんです。
〈以下略〉
(引用元:DEADLINE/2016年2月2日)
スティーブン・キングのキューブリック版『シャイニング』に対する批判は首尾一貫していて、いわく「ジャックが初めから狂っているのが気に入らない」「(画的にも内容的にも)ラストシーンが冷たい」というのが主な主張です。このインタビューでもそれは繰り返されていて、それを総じて「エンジンの入っていない大きくて美しいキャデラック」と評しています。まあ「美しい」とは認めているみたいですが。
小説やTVドラマ版の『シャイニング』を読んだりご覧になった方なら、このキングの主張は「ごもっとも」だと思われるだろうし、幽霊に関する考え方で『ゴースト/ニューヨークの幻』を引用することでも、キングの思いは十分すぎるほど理解できます。ですが、キューブリックの感性にシンパシーを感じている我々ファンからすれば、『ゴースト/ニューヨークの幻』なんて失笑もののただのデート映画に過ぎないし、ましてや同じ臭いのするTVドラマ版『シャイニング』もまた然りです。ですので、キューブリックの小説版からの大胆な改変(改造といってもいいくらい)は正しいと思うし、正しいからこそ現在に至るまで語り継がれ、リスペクトされ続ける作品であり続けているのです。キングはいい加減この「(映像化における)判断の正しさ」を認めるべきだと思うのですが、現在まで延々と繰り返し批判し続けるキングの「偏狭さ」には正直ウンザリさせられてしまいますね。
さらに言えば、キューブリックは「今後映画についてあれこれ言わない」という条件で映像化権をキングに戻したはずなのに、現在に至ってもなお延々と批判し続ける(キューブリックの死後、続編である『ドクター・スリープ』執筆中からより積極的に批判発言をするようになった)その姿勢は全く支持できません。一般には原作を改悪したと(ハリウッドでは原作改変は契約条項に盛り込まれているのが一般的なので、改変自体はキングも了承している)キューブリックが一方的に悪者扱いされていますが、この事実を知っていればどちらが「偏狭」か言うまでもないことです。
ちなみにキューブリックは人見知りするタイプで、初対面の頃は誰に対してもよそよそしい態度だそうです。慣れてくると大胆に(ずうずうしいとも言う。笑)になるそうですが・・・。記事にある経緯を考えると、キングとは仕事が終わっても連絡を取り合う関係にはなりようがないし、実際なれなかったのですが、そのことが「自分の中に閉じこもっている」という印象になっているのでしょう。まあそもそもキューブリックは自分を裏切った人間には辛辣で、「生涯相手せず」を貫き通したんでしょうね。