【家族】クリスティアーヌ・キューブリック(Christiane Kubrick)

  キューブリックに最期まで連れ添った3番目の妻。結婚前はスザンネ・クリスチャン(Susanne Christian)の名前で女優として活躍していた。正しくはクリスティアーヌ・スザンヌ・ハーラン(Christiane Susanne Harlan)。『突撃』制作時、TV番組で見かけて一目惚れしたクリスティアーヌを強引にラスト・シーンに出演(兵士の前で歌を歌う少女役)させ、結婚までしようとしたキューブリックに当然周囲は大反対。いくら「自分は無神論者だ」と言っていてもユダヤ人であることは曲げようがなく、パートナーのハリスも「ナチの人間と結婚するなんて!」と大激怒。にもかかわらず、キューは離婚までしてクリスティアーヌと結婚、以降40年間連れ添う事になった。(後にハリスは「間違っていたのは自分だった」と笑いながらインタビューに答えている)

 『2001年…』の撮影中にはあまりにも身なりに構わなすぎるキューブリックに業を煮やし、イギリスの有名デパート「ハロッズ」にオーダーメードの服の予約の手はずを整えておいたのに、キューブリックは、その売り場に行き着く前の既製服売場で足を止め、青いスーツに袖を通した後「いいね、これを4着くれ」といってすぐ車に戻り、撮影を再開したという。そんなキューブリックの服装を、クリスティアーヌは「風船売りのおじさん」と呼んでいた。

 その後、キューブリックの映画製作に深く掛かわるようになり、キューブリック流ポルノ映画『ブルー・ムービー』を鶴の一声で止めさせたり、また、ナチによるユダヤ人迫害
を描いた『アーリアン・ペーパーズ』にも反対した(題材が題材だけに、この反対は当然だろう。キューブリックはユダヤ人なのだし)。『時計…』や『アイズ…』では、彫刻や絵画の作者としてクレジットされている。

 プロデューサーのヤン・ハーランは実弟、ナチの宣伝映画監督だったファイト・ハーランは叔父に当たる。前夫ヴェルナー・ブルーンズとは1952年に結婚、1957年に離婚したが、前夫の間にカタリーナ(1953年12月25日)を授かっている。1958年結婚(キューブリック30歳、クリスティアーヌ26歳)との事だがクリスティアーヌは日付を明らかにしていない。実はこの頃キューブリックは妻ルース・ソヴォトカと別居状態ではあったが、離婚はしていなかった(正式な離婚は1961年になってから)。つまり正式に離婚をしないままクリスティアーヌと同居を始め、アンヤ(1958年4月6日)とヴィヴィアン(1960年8月5日)をたて続けに授かった事になる。

 現在は画家として活躍中。1932年5月10日ドイツ・ブランズウィック出身。

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