【交友録】手塚治虫とキューブリックからの手紙
手塚治虫宛にキューブリックから「次に制作するSF映画(『2001年…』)の美術監督を引き受けて欲しい」とのオファーの手紙があり、「僕には食べさせなければならない家族(社員)が100人もいるのでそちらには行けない」と返事、するとキューブリックから「それは残念です。しかし100人の(個人的な)家族というのはアメリカ人にとっては驚きです」というエピソードは有名だけど、一時は手塚の作り話としてその真偽を疑われた事も。現在では無事証拠の封筒も発見され疑いも晴れたけど、その封筒の消印を見ると手紙のやりとりは1964年の暮れから翌65年の始めの頃だということがわかります。
『2001年宇宙の旅』のアウトテイク集『失われた宇宙の旅2001』よると丁度スターゲートまでのおおまかな筋書きが完成した頃で、1965年2月の記者発表の直前。この「おおまかな筋書き」というのは、クリンダーという異星人が登場したり、当初はソクラテスという名前だったロボットがアテーナというコンピュータになったり、地球上でのモノリスに関する様々な騒動や議論や(この案ではモノリスの存在は秘匿されていない)、ディスカバリー号が木星に無事到着しクルーがモノリスの調査をしたりと、いかにも当時の冒険ものSF然としていて、この内容なら手塚にオファーがあっても不思議じゃないですね。
記者発表後にこの筋書きはボツにされ、より完成度を高めるためにNASAを始めとする多くの専門機関の協力を仰ぎ、1965年末に撮影がスタートする頃には現在の形にほぼ固まっていたようです。やがて公開になった『2001年…』を観た手塚は「そこまでやるんだったら僕はやらないほうが良かった」とコメント。それは「そこまでやるなら僕の出る幕はない」という意味でしょうね。
追記:この件に関して真偽を疑う論調もあるようなので、改めて検証記事を作成しました。