【考察・検証】『市民ケーン』に見るキューブリックの指向性
映画史に残る傑作として名高いオーソン・ウェルズの『市民ケーン』。公開当時(1941年)十代の若者だったキューブリックに影響を与えたのも当然で、ベスト10ムービの第3位に本作を挙げている。このレビューを書くに当たって再度観直したところ、感心させられるのは25歳の若者が監督・主演したものとは思えないその完成度だ。「薔薇の蕾」という謎の言葉を残して死んだ大富豪「チャールズ・F・ケーン」の生涯を辿りながら、人間の欲深さと愛憎、人生の儚さを観るものに強烈に問いかけるラストシーンまで、隙のない、圧倒的な完成度を誇っている。
本作が今なお語り継がれるのはそれだけの理由ではない。この高い完成度を保ちつつ、実在のメディア王「ハースト」に代表される当時のアメリカの社会、メディア、風俗を鋭く風刺しているからだ。ケーンが繰り返す傲慢、暴言、奇行、無意味な収集癖などはそのままハーストの悪癖をなぞっているのだが、なんといっても傑作なのが「薔薇の蕾」という言葉。これはハーストが愛人の性器を指す隠語だったそうで、何も知らず映画を観た知人から「薔薇の蕾には思い入れがあったのでしょうね」などと感慨深げに言われでもすればさぞかしハーストも面喰らうだろう。感動の名作映画の裏側にこんな下世話な皮肉と当てこすりを忍ばせたウェルズは、当代きってのペテン氏でもあるのだ。
キューブリックも皮肉屋で人をケムに巻くのが上手い監督だ。ローアングルやパン・フォーカスなど映像的に影響を受けたであろう部分を挙げるのは簡単だが、それよりも指向性の共通点に着目したい。特に『アイズ…』との比較は面白いかもしれない。「ミステリーの謎解きを物語の主軸にしつつ、実はその裏で全く違う皮肉を込める」という意味では両者は共通している。「ケーン→ハースト、薔薇の蕾→愛人の陰部」の図式は、『アイズ ワイド シャット』の場合「ビル→大衆、ファック(セックス)→ファック(クソッタレ)」となるだろう。
本作がハーストの怒りを買い、ハリウッドからトラブルメーカーの烙印を押されてしまったたウェルズは、以降自由に映画を撮れなくなってしまう。キューブリックはもっと周到に立ち回り、ハリウッドから映画製作の絶対的自由を獲得するのだが、それはもちろんウェルズという先人の姿を見ていたからできたこと。その後のウェルズの没落ぶりはキューブリックに大きな教訓をもたらしたであろうと想像するに難くない。