【関連作品】コルベルク(Kolberg)
キューブリックの妻、クリスティアーヌ・スザンヌ・ハーランの伯父であるファイト・ハーランがナチ政権下で最後に監督した映画が、このフルカラー超大作『コルベルク』だ。あまりにも当時の生産力の無駄遣いなこの映画、当時のドイツの技術水準の高さはご覧頂ければ分かる通りだが、それよりもゲッペルスの暴走ぶりが興味深かったのでキューブリックとは直接関係ないが取り上げてみたい。
すでにドイツの敗色が濃くなっていた1943年冬、ナチの宣伝相ゲッペルスは超大作の製作を指示する。強大なナポレオン軍に対し、戦力に劣るプロセイン軍がコルベルクにおいて勇猛果敢に戦い抜いた史実を映画化する『コルベルク』だ。この映画にエキストラとして参加させるため、ゲッペルスは実際各地で激戦を戦っていたドイツ兵18万3千人を呼び戻し、5000頭もの馬を動員したそうだ。その際に兵士に「兵士達は前線で戦うよりもこの映画に出る方がずっと重要なのだ」「我々が死んでもこの映画は生き続けるのだ」と説いた。だがその当地、コルベルク要塞はソ連軍によってすでに陥落したも同然だった。
1945年4月17日映画は完成し、試写の日を向かえた。試写が終わるとそこにいた部下達の方に向き直り「これから100年後に君たち自身の功績を描いた同じような映画がつくられるだろう。諸君、その映画に登場したくはないか。100年後に映画の中に蘇るのだ。素晴らしい作品になることだろう。その為には、今堂々と振る舞え。さあ、最後まで立派にやりとげるのだ。100年後、諸君がスクリーンに現れた時、観客にヤジを飛ばさせないためにも」と演説。だがこの二週間後、ゲッペルスは妻と幼い子供達とともに総統の地下壕で自殺する。
結局ナチズムという教義にすがるしかなかったゲッペルスらしい話ではある。本人にとってはこの映画を完成させることこそが、ナチズムという教義を未来へ繋ぐ最良の手段だと考えたのだろう。だからこそ兵力を削減してまでこの映画の完成にこだわった。ゲッペルスの願いはこの映画と共に未来へと託されたのだ。
だが残念ながらその夢は叶わなかった。ゲッペルスの最大の誤算は映画というメディアの変質だろう。TVやインターネットが登場し、情報は映画やラジオによって一元的かつ一方通行に送りつけるものではなくなり、あるとあらゆるルートで一般市民に届けられるようになった。そのため特定の思想や情報の伝達手段としての映画の役割は限りなく小さくなり、今では単なる大衆娯楽の一つとなってしまった。現在この映画を観ても、今の観客にはゲッペルスの望んだようにナチの教義に共鳴するどころか、単に古い映画としか映らないだろう。
さて、当然ナチスドイツの崩壊を予見していたであろうファイト・ハーランは、この当時何を思ってこの映画を撮っていたのだろうか。終戦後の身の振り方だろうか。それともゲッペルスの言葉を頑に信じていたのだろうか。そして、長年に渡ってナポレオンの映画を構想していたキューブリックは、ナポレオン戦争を扱ったこの義理の叔父の映画を観たのだろうか。もし観たのだとすれば、その感想を是非知りたいものだ。
(参考:映画「コルベルク」ゲッペルス伝説)