【考察・検証】キューブリックSF三部作は、SFでも三部作でもない。
あいかわらず今でも連続して公開された『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』の三作品を「キューブリックのSF三部作」と呼称する向きがあるようだが、それは大きな間違いである。理由は簡単、当該三作品は「SF」でも「三部作」でもないからだ。
実際『2001年…』の後にキューブリックは『ナポレオン』を制作する予定だったことは周知の事実で、このことからも三部作でない事は明白だ。三部作で作られていない作品を三つにまとめてなんの意味があるんだろうか?三部作として紹介すれば何かキューブリックの意図や思惑めいた物が見えてくるのだろうか?
もちろんそんなことはない。キューブリックはそれぞれを「サタイア(風刺劇)」「スペキュレイテュヴ・フィクション(思弁劇)」「ディストピア(反理想郷劇)」とはっきりと分けて定義しているし(SFファンにとってはどれも「広義のSFの範疇」である事は承知しているが、一般の人は文脈で狭義なのか広義なのか判断できないので誤解を招く原因になっている)、本人もインタビューで「映画になる素晴らしい物語を探して選んだだけ」と語っている。なのに「三部作」を安易に用いる評論家やライターが多過ぎるせいで、完全に誤解のまま定着しつつあるのはやはり看過できない。
一般化してしまったこの枕詞を訂正するのは並大抵でないのは承知してるが、まず当ブログから発信して行きたい。「キューブリックSF三部作」などというものは存在しないし、またそういった意図で作られてもいない、という事実を。