【場所・地名】アボッツ・ミード(Abbots Mead)

キューブリックが住んでいた当時の写真。

 キューブリック一家が1965年から1979年まで住んでいたロンドン郊外のエルスツリーにある邸宅の名称。現在では人手に渡っているようです。

 1965年といえば『2001年宇宙の旅』のプリプロダクション中で、同年夏ごろまでニューヨークのセントラルパーク・ウェストのマンションに住んでいましたので、『2001年…』の本格制作のために渡英した際に、撮影スタジオが集中するロンドン北部のこの地を選んだのだと思います。

 その後、キューブリックは1979年にその生涯を終えるセントオールバーンズのチルドウィックベリーへ引っ越すのですが、この年は『シャイニング』のポストプロダクション中のはずで、その作業が一息ついた頃(秋~冬頃)に引っ越したのでしょう。

 キューブリックの三女、ヴィヴィアンが『フルメタル・ジャケット』のサントラ参加時に名乗っていた「アビゲイル・ミード(Abigail Mead)」はこれのもじり。ちなみにアビゲイル・ミードには「父の歓び」という意味もあり、キューブリックはその偶然を喜んでいたそう。

TOP 10 POSTS(WEEK)

【ブログ記事】1999年3月7日スタンリー・キューブリック監督の逝去に当たり、当ブログ(当時個人ホームページ)に寄せられたファンの追悼メッセージ集

【台詞・言葉】ハートマン先任軍曹による新兵罵倒シーン全セリフ

【考察・検証】『フルメタル・ジャケット』の幻のシーン「生首サッカー」は真実か?を検証する

【TV放映情報】NHK BSプレミアムシネマで2月26日(水)午前0:05より『フルメタル・ジャケット』オンエア決定

【上映情報】「午前十時の映画祭15」で『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』上映決定!!

【関連記事】スタンリー・キューブリックが好んだ映画のマスター・リスト(2019年11月22日更新)

【関連記事】『2001年宇宙の旅』1968年公開、スタンリー・キューブリック監督の叙事詩的SF。その先見性に驚く

【ブログ記事】11人の映画監督がスタンリー・キューブリックを語る

【インタビュー】『バリー・リンドン』の撮影監督だったジョン・オルコットのインタビュー[その1:ロケーション撮影、フィルター、照明、ネガフィルムについて]

【考察・検証】「フィクション」を「ドキュメント」するカメラマンの眼