【俳優】才能あるクソッタレ(a talented shit)
カーク・ダグラスが1988年にした自叙伝『くず屋の息子』でキューブリックを評した有名なこの言葉、少し「才能あるクソッタレ」の部分が一人歩きしているように思うので、もう少し前段を引用してみます。
「『スパルタカス』以降の約30年間、キューブリックは7本の映画しか作っていない。もし僕が彼を手放さずにいたら、その残りの映画の半分が、僕の会社のものになっていた」「素晴らしい才能と、性格の良さは関係ない。クソッタレが素晴らしい才能を持つこともあれば、その反対に、本当にイイ奴で微塵の才能もない者もいる。スタンリー・キューブリックは、才能のあるクソッタレだ」(引用:『映画監督スタンリーキューブリック』)
この一文を読むとカークは、キューブリックの契約解除に応じた後成功を収め、高い評価と莫大な興行収入をもたらした事実にある程度敬意を払っているようにも受け取れます。もちろん両者の個性の違いから、たとえ『スパルタカス』直後は引き止めに成功していたとしても、いづれの両者の決裂は自明だったでしょう。
ひょっしたらキューブリックはカークから自由になりたかったのかも知れません。「カークの元にいる限り、俺は一生雇われ監督だぞ」という危機感を感じていたとしたら、キューブリックの数々の無神経な振る舞いも計算ずくであった可能性もあります。
カークはこの時40歳半ば、キューブリックは30歳。親子とまではいきませんが一回り以上年上のカークは、キューブリックにとって乗り越えなければならない父親のような存在にも思えます。だからこそ、あえて反抗的な態度に出た。そうやって独立し成功した息子のようなキューブリックに贈った、愛憎半ばするカークなりの賛辞だったのかも知れません。