『アイズ ワイド シャット』はクリスマスシーズンのニューヨークが舞台ですが、「クリスマス映画」と呼ぶにはちょっと問題があります。(家族じゃ観れないし) キューブリックの遺作となってしまった『アイズ ワイド シャット』は、街がイルミネーションで彩られるクリスマスシーズン(12月)のニューヨークが舞台になっています。アルトゥル・シュニッツラーの原作小説『夢小説』では、カーニバルシーズン(2月)のウイーンが舞台です。つまりキューブリックは物語の季節を2月から12月に変更しているのです。原作では仮面舞踏会や春の訪れ(希望)を感じさせる終わり方など、この2月という時期にはそれなりに意味があるのですが、ではなぜキューブリックは原作者の意図(暗喩)を無視してまで、舞台をクリスマスシーズンに変更したのでしょうか? それには以下の大きな2つの理由が考えられます。 (1)クリスマスのイルミネーションが物語の妖しい雰囲気にぴったりだと考えたから 文字で映像を想像させる小説とは異なり、映画は映像そのものを見せてしまうメディアです。2月といのは春の直前、一番寒さの厳しい時期です。ビジュアル的にはかなり「寒々しく」しないと季節感は伝わらないでしょう。そうなるとかなり陰鬱な雰囲気の映画になってしまいます。『夢小説』は陰鬱な物語ではなく、妖しく官能的な物語です。その季節には凍てつく厳寒の2月より、クリスマスのイルミネーションが妖しく輝く、魅惑的な12月の方がふさわしいと判断したのではないでしょうか。 (2)夜のシーンが多い作品で、イルミネーションという自然な光源を数多く配置できるから キューブリックは映像のためなら、原作改変を厭わない監督です(例:『シャイニング』における動くトピアリーの不採用と、生垣迷路の採用)。夜のシーンが多いこの小説の映像化に当たって、問題なのは光源の確保です。単純に俳優にライトを当てればいいとは考えない(詳細は こちら )キューブリックは、フィルムが感光するだけの光源をなるべく多くシーン内に、しかも自然な形で設置したかったのではないでしょうか。そうなると夜の街を照らすクリスマスイルミネーションは、まさにうってつけということになります。もちろんセットに設置したイルミネーションだけでは光量が足らないでしょうから、自然な形で補助的に照明を当てていたと思います。キューブリック...