【考察・検証】『2001年宇宙の旅』に登場したコンピュータ「HAL9000」の変遷と「IBM→HAL説」の真偽を検証する

IBMのエリオット・ノイズのデザイン局がデザインした「アテナ(アシーナ)」のスケッチ

 キューブリックとクラークは『2001年…』を創作するにあたり、ロボットの登場を考えていました。理由は、木星や土星への壮大な宇宙旅行の実現にはロボットのサポートが必要になるだろうし、それに当時の『禁断の惑星』などの宇宙映画には必ずロボットが名脇役として登場していたからとも考えられます(キューブリックは制作当時の映画のトレンドをかなり意識して映画制作をしていた)。そのキューブリックのロボットへの興味が手塚治虫へのオファー(キューブリックは『鉄腕アトム』を観ていた)に繋がったのでしょう。

 そのロボットは形を変えてやがてスーパーコンピュータ「HAL9000」に行き着くのですが、その変遷を資料を元に辿ってみたいと思います。

1964年4月:キューブリックとクラークがニューヨークで合流し、『2001年…』の製作開始される。まずは短編小説『前哨』を元に長編小説を書き起こすことから作業を始める。

1964年6月:「ソクラテス(正式名称:自律移動型探索機5号)」というロボットが登場する。ソクラテスは「わたしはあらゆる宇宙活動用に設計されておりまして、独立した行動もとれるし、本部からでもコントロールがききます。通常の障害物にぶつかったときや、かんたんな非常事態の判定ぐらいは、内蔵された知性で楽に処理できます。いまわたしはモルフェウス計画(人工冬眠計画)の管理をまかされています」と自己紹介し、「ロボット三原則」にも言及されている。手には様々な工作機械が取り付けられ、頭は4つの方向に広角レンズが向けられ、360度の視野を確保している。このアイデアはやがて「HALの目」へと発展する。

1964年8月:キューブリックがコンピュータの名称を「アテナ」にしよう、と提案する。この時点でロボットはコンピュータへと変化している。名称のアテナはギリシャ神話の知恵の神の名であることから、様々な推測をすることができるが、キューブリックは明確な説明をしていないので全ては想像の域を出ない。

1965年2月:『星々への彼方への旅』として記者発表される。ただしスターゲート到着までで、結末は未完のままの状態。

1965年5月:アテナはディスカバリー号の頭脳として活躍し、スペースポッドの事故やその後の対応でクルーをサポートするという(この時点ではコンピュータの反乱というアイデアではない)第一稿が書き上がる。この原稿ではボーマンがちぎり取られたアンテナを回収するためにポッドで離船しようとした際、アテナに「今の命令は第十五号指令に違反しています。取り消すか、訂正をお願いします」と拒否されている。このシーンが後に「コンピュータの反乱によるクルーの殺害」というアイデアに行き着く。

1965年7月:IBMが「宇宙船用の未来のコンピュータ」として上記のATHENA(アテナ)のスケッチを提出する。著名な工業デザイナーであるエリオット・ノイズのデザイン局がデザインしたが、キューブリックはこのデザインを「役立たず」と一度は一蹴した。このスケッチを見る限り、中央のメインコンソールが胎児に見えるなど、女性の胎内を模しているように感じられる。HALのブレインルームへの侵入が下部(すなわち膣)であったり、内部が赤い照明であったりするのは、このデザインをアイデアを採用した可能性がある。少なくとも「コンピュータ室内部に人間が入って管理する」というアイデアはHALに採用している。

1965年8月:クラークが一旦セイロンの自宅に戻り、8月にロンドンに到着した際にはセットの建造は始まっていた。

1965年12月末:月面シーンから撮影開始。

1966年1月:この頃クラークはHALが狂い始めるシーンを書いている。ただし、この頃のセットの設計図にはまだ「HAL」ではなく「ATHENA」の表記。

1966年3月:キューブリックからクラークへHALの神経衰弱について「三分間のポエティックなクラーク風ナレーションを」というオファーが届く。HALへの改名はこの頃?

(出典:『失われた宇宙の旅2001』『2001:キューブリック クラーク』)

 若干推測も含んでいますが、おおまかにはこういった流れになります。意外なのは「アテナ」だった期間が長かったこと。約一年以上にわたってこのアイデアのままでした。クラークは1962年にベル研究所で行われたIBM7090による音声合成のデモを聴いたそうですが、その体験がアテナ(女性)からHAL9000(男性)への変更を促したであろうことはほぼ確実だろうと思われます。そして「IBM」を「I→H、B→A、M→L」とアルファベットの順番を一つずつ進め、「7090」の型番をより進んだ番号として「9000」とし、「HAL9000」の名称が誕生したのではないでしょうか。その後、撮影現場を訪れたコンピュータの専門家、マービン・ミンスキーがHALに「Heuristically programmed ALgorithmic computer (学習能力をプログラムされたコンピュータ)」の略称を与えたのだと思います(ミンスキーが「HAL」とはどういう意味だ?と尋ね、クラークが「意味はない」と応えたのでミンスキーが「これはどうだ?」と考えたとか)。多くの人が感じるように、「Heuristically programmed Algorithmic Computer 」の略なら「HPAC」もしくは「HAC」になるからです。

 さて今日本作を観返してみて、『2001年…』内の未来予測の中で真逆の進化を遂げたのが「コンピュータの大きさ」です。キューブリックとクラークはコンピュータが高機能化すればするほど大型化すると考え、HALの本体を人が入れる金庫室のようなデザインにしました。しかし現実は宇宙船に搭載するには小型化するしかなく、現在『2001年…』を観るとHALのブレインルームは大げさに見えるかも知れません。しかし、HALのアイデアの元ネタがBM7090だとすればそれも仕方ないのかも知れません。このIBM7090がHAL9000やディスカバリー号の内装デザインに与えた影響は以下の通り明白です。

IBM7094の制御卓

IBM7040の制御パネル

HAL9000の制御卓

HAL9000の制御パネルやディスカバリー号の内装

 「HALはIBMのアルファベット一文字ずらし」という噂をクラークは否定していましたが(後に「否定するのを辞めた」と書いていますが、噂が真実かどうかは慎重に言及を避けている)、以上の経緯から個人的にはこの噂は真実だと判断しています。ではなぜクラークやキューブリックは「IBM→HAL」説を否定したのか、その理由ですが、映画に登場する殺人コンピュータ名の元ネタが自社名のもじりだと知ったら、訴訟などの事態に発展しかねないと判断したからではないでしょうか。現にIBMは当時、社員に『2001年…』を観ないようにという通達を出しています。その火消しにクラークとキューブリックは躍起になっていたのではないかと推察しています。

 また、HALの声を担当した声優にも言及したいと思います。まだHALがアテナだった頃、キューブリックは声をステファニー・パワーズに担当させようと考えたようです。それがHALになった時も最初にリハーサルしたのはパワーズだったそうです。しかしすぐにイギリス人の俳優ナイジェル・ダベンポートに変更され、結局マーティン・バルサムにいったん決定しました。しかしいざ録音してみると「あまりにもアメリカ口語に聞こえた」ため、当初ナレーターにキャスティングしていたダグラス・レインに急遽変更、レインの当たり障りのない中部大西洋風アクセントがHALにふさわしいと判断したキューブリックは、1日半を使ってHALのセリフを録音したそうです。

結論:以上のように「IBM→HAL」説は真実であり、キューブリックとクラークがそれを頑なに否定したのはHALが殺人コンピュータと知ったIBMから訴訟を起こされるのを懸念したため。

 その傍証として、キューブリックは宇宙船のセットからIBMのロゴを外させています(ただし、撮影済みのシーンにはロゴが残っている)。また、1965年8月31日にキューブリックがロジャー・カラスに宛てた「IBMはHALが神経症になるコンピュータだと知っているのか?」と危惧する手紙残っています(詳細はこちら)。この事実からもキューブリックとクラークがIBMからの「反感」をいかに危惧していたかが伺えると思います。

加筆・修正:2021年4月15日


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