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Peter Hyams(IMDb) |
〈前略〉
—『2010年』を引き受けることに不安はなかったのですか?
MGMから『2010年』を依頼されたとき、私はやりたくなかったんです。私がスタンリー・キューブリックと比較されるのは、背の低い人がシャキール・オニールと比較されるようなものだからです。私はこの本を読んでMGMに「このプロジェクトを引き受けるには2つの条件がある」と言ったんです。ひとつは、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの許可が必要なこと。もうひとつは、私の経歴と、この本がロシア人とアメリカ人が協力して宇宙を航海をするという内容であることから、冷戦をもっとテーマにした作品にしたいということです。宇宙にいる間は、地球上ではあまり良い状態ではない、平和ではない状態を作りたかったのです。レーガン政権の時代です。MGMは「問題ない」と言ってくれました。
スリランカにいるアーサー・C・クラークと長距離電話をしたのですが、彼はとてもいい人でした。彼は私がやりたいことに賛成だと言ってくれました。私は彼と密接に協力し、脚本を書きながら彼にページを送り、コメントをもらいたいと伝えました。当時はまだコンピュータがない時代。Kプロは私のオフィスとアーサー・C・クラークの家にコンピュータを設置しました。毎日、私が書いたものをバイナリ送信して朝には彼のコメントが届くのです。
スタンリー・キューブリックと話をする時間を設けました。私がオフィスにいると、秘書が入ってきて、「スタンリー・キューブリックから電話です」と言ったのを覚えています。私は電話に飛びつき、文字通り立ち上がりました。彼と話している間、ずっと立っていたんです。私は「こんにちは、キューブリックさん」と言いました。すると彼はすぐに「『アウトランド』で、あのショットはどうやって撮ったたんだ・・・」と言い出し、私がどうやったか、なぜそうしたか、どのレンズを使ったか、F値はいくつかなど、撮影に関するあらゆる技術的な質問をし始めたんです。会話の約1時間半後、私は「聞いてください。あなたは私が・・・を行うことを認めますか?」と尋ねました。そして私が言葉を発する前に彼は「ああ、ええ、結構です。あなたはそれによって素晴らしいことになるでしょう」。そして彼は技術的な質問を続けました。電話を切る前に、彼は「これが私があなたに伝えたいことです。あなたの映画にしてください」と言って電話を切りました。
私が椅子に座ると秘書が駆けつけてきて 「どうでしかた?」と。私は「まあ、私たちは3時間近く話したけど、私は彼にすべてを話し、彼は何も話さなかった」と言いました。数ヵ月後、私はアーサー・C・クラークと仕事をしていて、「あなたが初めてスタンリーと一緒にいた時のことを教えてください」と言いました。彼は「ロンドンのハイドパーク(注:ニューヨークのセントラル・パークの間違い?)で、ベンチに座っていた。2、3時間話し込んで、私は彼に全てを話し、彼は何も話さなかった」と言いました。私がスタンリー・キューブリックについて言えることは、彼はとても親切で、気取らず、協力的で、とても優しい人だったということです。彼は素晴らしい人でした。彼は映画の後「良い仕事をした」と言いました。彼は嘘を言うような人ではありませんから。
—この映画を制作しているとき、『2001年宇宙の旅』をオマージュしたり、似たようなことをやってみようという誘惑はなかったのでしょうか?
その逆はありました。最初から「『2001年…』(1968年)と正直に比較したり、私とスタンリー・キューブリックを比較したりできないように、トーン、ルック、サウンド、すべてにおいてまったく異なる映画を作らなければならない」と話していたんです。なぜなら、もし私とスタンリー・キューブリックの間に比較があるとすれば、それは私にとっては不公平なことだからです。『2001年…』を見ると、とても親しみやすく温かい映画ではない。『2010年』を作った時、私はその逆をやろうとしました。それが私の唯一の防衛策です。
—アーサー・C・クラークについて最も印象に残ったことは何ですか?
アーサー・C・クラークが賢いというのは、鯨が大きいと言うようなものです。彼は一種の知性を放っています。私は映画業界で、これまで出会った中で最も聡明な3人の人物と付き合ったことがあります。一人はアーサー・C・クラーク、一人はジェームズ・キャメロン、そして一人はマイケル・クライトンです。彼らはとても頭が良いので、近づきすぎると火傷することもあります。黙っているべき時に悟らせてくれるような知性です。
〈以下略〉
(引用:MONEY INTO LIGHT/2016年)
自分のことは一切話さないくせに、人のことは何でも訊きたがるキューブリックの被害者がここにも・・・(笑。『2010年』については、キューブリックファンはもちろん、SFファンにとっても「良作」という認識で一致しているかと思いますが、それは「決してキューブリックの真似をしなかった」ことも大きかったと思います。このインタビューによると徹底して逆をやろうとしていたみたいですね。それが正しい判断だったことは、その評価が示していると思います。
ただ『2010年』に関してキューブリックは「あいつら、何もかも説明してしまいやがった!」と、たいそうご立腹で、やはりそれが本音だったのだろうと思います。ですがハイアムズについては、この作品が彼の将来を切り開くと考えて、あまり厳しいことは言わなかったのでしょう。キューブリック自身も若い頃はメジャーになるのに苦労した経験があったので、その轍を踏ませたくなかったのかも知れません。『アウトランド』を観ていたということは、ハイアムズの将来性を感じての許可なのではないかと思います。
「落ちこぼれだったことが彼(キューブリック)を生涯の学習者にした」とは妻のクリスティアーヌの弁ですが、キューブリックはとにかく人に意見を訊きたがりました。それは「正しい判断を下す」ための重要なプロセスだと認識していたからでしょう。『フルメタル・ジャケット』に至っては、兵士役の若い俳優を集めて、この映画はどう終わるべきか意見が求めたというのですから、「巨匠」などというケチなプライドなんてキューブリックは微塵も持ち合わせていませんでした。自作をよくするためには手段を選ばなかったキューブリック。若いハイアムズに訊きまくったのも、そんなキューブリックの「らしさ」を感じる微笑ましいエピソードですね(ハイアムズにとっては困惑しきりだったでしょうけど。笑)。