【関連記事】2022年8月19日に逝去したキューブリックのアシスタント、レオン・ヴィタリを2008年シネマトゥデイに掲載されたインタビューで偲ぶ

Leon Vitali(wikipedia)

 2022年8月19日(現地時間)、レオン・ヴィタリがロサンゼルスで逝去いたしました。享年74歳でした。キューブリックのアシスタント兼俳優として、またキューブリックの死後はキューブリック作品のオブザーバーやスポークスマンとして果たしたその役割は、非常に大きいものがありました。以下は2008年3月17日にシネマトゥデイに掲載された、(私が知る限り)唯一の日本のメディアによるレオンのインタビュー記事です。そのポイントとなる部分だけ引用して解説してみたいと思います。



スタンリーは、撮影前に僕を呼んで座らせ「これからストーリーを大幅に変更し、君が出演するシーンをもっと書き加えるから、クランク・アップまで居ることになる」と言ったんだ。当時26歳だったわたしにとって、とんでもない出来事だったよ。本当に素晴らしことだった。

 『バリー・リンドン』は、小説よりもレオンが演じたブリンドン卿が果たす役割が大きくなりました。なぜそうなったかの考察はこちら

スタンリーはセットに来る前は、決してこれからどうやってシーン撮るか決めていなかったんだ。だからいつでもレンズを変えられるようにしていたよ。最初は35ミリから始めて、俳優たちに「このシーンで何をすべきか演じてみなさい、ただリアルじゃなきゃ駄目だ。その演技によって、どうやってわたしがシーンを撮るか決めるから」と言ってくる。当然、自分が思い付いた発想を順番に演じてみて、その間スタンリーは、カメラの回りを動き回って、レンズを変えたりしている。そして最後に「これがこのシーンのファースト・ショットだ」と言ってくるんだよ。でも、撮り始めたシーンに俳優たちが何か気に入らなかったり、うまくいかなかったりすると「このシーンに問題があるみたいだが、ほかの言い方もできるかい?」と問いかけてくる。俳優たちが難色を示したときには、俳優たちとともにシーンを考えるんだ。

 当ブログでも何度も繰り返して説明している「キューブリックは俳優やスタッフとのコラボレーションでシーンを作る」のレオンの証言です。キューブリックはトップダウンではなく、コラボレーションを好みました。ただ、キューブリックのOKラインが非常に高かったので、そのコラボレーションは苦労が多いものになりがちでした。なぜなら延々と「ああでもない、こうでもない」を繰り返すのですから。

結果的にスタンリーは、しばらくかなり意気消沈していたし、この映画を彼が再び観ようとするのに何年も掛かったくらいだ。

 『バリー・リンドン』の挫折がキューブリックを当時の人気ジャンル、ホラーへと向かわせたのでは?と管理人が考える根拠です。もう失敗はできませんから、確実にヒットを狙いに行ったのではないでしょうか。

彼は、ADR(Automatic Dialogue Replacement)を毛嫌いしていた。それは、撮影の際に描写される雰囲気が決してADRでは、醸し出すことができないからだと思う。〈中略〉例えばせりふが「I love you very much」だとしたら、15種類の「I」、15種類の「Love」というように単語をひとつずつマッチさせ、一番ドラマティックな音を選択していたね。だけどいつも使っていたのは、オリジナルのレコーディングとして使用されたせりふだった。

 ADRとはすなわちアフレコのことですが、撮影時の音源を使って一音ずつ切り貼りしていたら、とんでもなく時間がかかってしまいます。もちろん当時はデジタルではありませんので文字通り磁気テープを「切って貼って」いたのです。ここまで細かく自作にこだわる監督はキューブリック以外に知りません。

スタンリーが音楽の編集もしていて、いつも聴いていたしね。〈中略〉そこでシーンの編集をし始めてから、シューベルトやビバルディなどの曲を試し、シーンにぴったり合うだけでなく、その後に来るシーンのペースと感情の表現にしっくりくるような曲を選んでいたよ。〈中略〉彼はいつも「これほどたくさんの曲があるんだから、いろいろと使ってみないといけない」と言っていて、彼の家(正確に言うと城だが)に図書館分ほどのレコードが保管されていた。だからいつも編集しながら選択をしていたよ。

 キューブリックが既存曲使用(ニードルドロップ)を好んだ理由の一つです。「映画で重要なのは映像、音楽、編集、俳優の感情、その次が言葉」とも語っています。

結構頻繁に自分でやっていたよ。少なくともこの映画の中では、決闘シーンは彼が撮っていた。〈中略〉けれど映画『シャイニング』からは、ビデオのプレイバックができるようになり、少し状況が変わってしまったんだよ。それでも『アイズ・ワイド・シャット』までずっと自分で撮影することもあった。もっとも長いショットやズームを使ったショットは、カメラ・オペレーターに任せていたけれどね。

 カタリーナによると「老眼でカメラが見にくくなったから」とのことです。

スタンリーにとって重要だったのはリサーチで、プリ・プロダクション(撮影に入る前の準備期間)でいつも1年くらいの期間をそれに当て、詳細なリサーチをしていた。〈中略〉従って多くのシーンの形成は、彼の絵画を出発点として始められていたんだ。それから俳優を使って徐々に言及していくんだ。〈中略〉そういう形で、何か絵画や写真を基に始めることが多く、彼は決して絵コンテを使ったりはしなかった。

 キューブリックに関する誤解の多くが「キューブリックは完璧主義者なので、自分の頭の中にあるイメージになるまで執拗にテイクを繰り返す」というものですが、実際はこのように絵コンテどころか脚本にも固執することはありませんでした。『メイキング・ザ・シャイニング』には撮影現場でセリフを書き直し、数枚の紙でセリフを練習しているジャック・ニコルソンが映っています。シェリー・デュバルは「(毎日セリフが変わるので)脚本を見なくなった」と話しています。

彼は、ジャンル別に区分するようなこともなかったし、限界に挑戦しようという意図ではなかったと思う。ただわたしにいつも「すべてのジャンルはこれまでに一度は作られてきている。われわれがしなければならないことは、それらよりも良いものを作ることだ」と言っていたよ。

 つまり、映画は長い時間をかけてフォーマット(形)はある程度決まってきてしまっているので、斬新で画期的な表現を求めてもしょうがない。それより、より良いもの(より良い表現)を目指すべきという趣旨です。リサーチマニアでありとあらゆる映画を観てきたからこそ言えることで、これは他のインタビューでも同じ趣旨のことを話しています。

(引用:シネマトゥデイ「スタンリー・キューブリック監督の右腕として25年仕事をしてきたレオン・ヴィタリ」/2008年3月17日



 以上のように、旧来的なキューブリック像を覆す重要な証言ばかりのインタビューですが、なぜか誰にも知られることもなく、ネットの海に埋もれたままになっています。幸いなことにシネマトゥデイは記事のバックナンバーを削除することなく、掲載から14年経過した現在でも残してくれていますが、いつ削除されるかわかりません。ですので、レオンの逝去というタイミングではありますが、より多くのキューブリックファンの皆様に読んでいただきたく、今回あらためて記事にいたしました。

 レオン・ヴィタリが逝去した今、氏の功績を正しく伝えることは、すなわちキューブリックの実像を正しく伝えることでもあります。当ブログでもレオンの証言やインタビューを数多く採り上げておりますので、機会があれば検索窓から「レオン・ヴィタリ」で検索し、当ブログのバックナンバーをご一読ください。

 そして何よりも、レオン・ヴィタリ氏のご冥福をお祈りいたします。

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