【関連記事】トム・クルーズ(を)、『アイズ ワイド シャット』脚本家が「自己中心的な仕切り屋」と批評
トム・クルーズ(61)が、主演作『アイズ・ワイド・シャット』の脚本家フレデリック・ラファエル(91)から「自己中心的な仕切り屋」と非難されている。同1999年作で監督を務めた故スタンリー・キューブリックと仕事をした際に経験した問題について以前から語ってきたラファエルが、今回、一度も会ったことがないというトムを自身の新刊の中で批判したかたちだ。
ラファエルは新著『ラスト・ポスト』に掲載した手紙の中で、トムとキューブリックの妻クリスティアーヌ・ハーラン、その弟ヤンが自身のウィキペディアに不名誉な書き込みをして、キューブリックの「歴史」から自身を抹殺しようとしたと指摘している。
メール・オンラインによると、ラファエルはこう綴っているという。「私が最終版の『アイズ・ワイド・シャット』にはあまり関わらなかったというハーラン一家による絶え間ないキャンペーンが続いている」「ハーラン一家とクルーズ様は、私のウィキペディア・ページに誹謗中傷を書き込むことに成功した」
「名誉毀損で訴えることもできるだろうが、私はそのような現代的なスキルや、それを推し進める陰鬱なエネルギーも持ち合わせていない」「私はこれまで嘘つきと呼ばれたことは一度もない。ハーラン一族や、自己中心的な仕切り屋であり、私が一度も話したことのないトム・クルーズからはそう言われている」「撮影後、彼は私に仕事をくれた。私を鎖につないで置く方が良いということだろう」
また91歳のラファエルは、トムと当時結婚していた共演の女優ニコール・キッドマンについても言及。「クルーズとキッドマンが、キャリア的合併ではなく本物の情熱で繋がっていると本当に言えるだろうか?」「キッドマンは多くの人にとって長年スターであり続けているが、彼女の映画の中で1本でも、もう一度観たいというものを思いつくだろうか」と続けている。
ウィキペディアには、1999年のインタビューでトムが、ラファエルが回顧録『アイズ・ワイド・オープン』の中で、キューブリックとの経験を批判的に語っていることに対し、「彼(ラファエル)はスタンリーが生きていたら書いていなかっただろう。日和見主義で利己的、正確さに欠ける。僕はあの男を全く知らないし会ったこともない。後で人々がどのように行動するのか目にするのは興味深いことだった」と語っていたと記載されていた。
(引用:よろず〜ニュース/2023年8月1日)
『アイズ ワイド シャット』で脚本を担当したフレデリック・ラファエルが書いたいわゆる「暴露本」の『アイズ ワイド オープン』は和訳されていますので、それを読めばわかるのですが、ラファエルはキューブリックに己を抑えて従属させ、振り回されたことでかなりプライドが傷つけられたようで(それが本著執筆の動機になっているようにもうかがえる)、その不満や鬱積がよくわかる内容になっています。
キューブリックは自身でも脚本を書くことができることもあるため、脚本作成を脚本家まかせにはしません。キューブリックはとにかく「何にでも干渉したがる」のです。ですが、一方で自分とは違う個性やアイデアを持つ優秀な人材も必要とします。それは自身が語るように「自分で全部やってしまったら、それが良いものかどうか判断ができない」・・・つまり独善に陥って自作を客観視できなくなることを恐れているのです。
当然、こういう方法論だと共同制作者はたまったものでありません。なにせキューブリック本人にも良し悪しの判断ができないのですから、いちいち振り回されてしまうのは自明。しかも朝令暮改も日常茶飯事です。加えてキューブリックは撮影現場でアイデアが加えられるように脚本に脚本家の撮影アイデアを書き記すことを許しません。つまり撮影前の脚本は単なるたたき台でしかないのです。ただし、その「たたき台脚本」がなければセットも役者も用意できないし、何よりも映画会社から資金を引き出すこともできません。ですので、たとえたたき台であっても脚本家が重要な仕事を成し遂げたことには変わりないはずです。
ですが、撮影現場で脚本が変わってゆくさまを目の当たりにし、苦労したクルーズにとって、現場の事情をしらないラファエルの暴露本が腹立たしいものであったのは間違いないでしょう。で、結局このような非難合戦になってしまうのです。
個人的には「どっちもどっち」という感想しかありませんが、『シャイニング』で共同脚本を担当したダイアン・ジョンソンはラファエルの『アイズ…オープン』を読んで「パラノイア」と評しています。それは言い過ぎだとしても、多少ラファエルは神経質すぎるのではないかとは思いますね。