【関連作品】『ロリータ(エイドリアン・ライン監督版)』(原題:Lolita)
その内容や、「ジョンベネ事件」の影響もあり、ヨーロッパはひっそりと公開、日本でも単館ロードショーという地味な形で公開されたため、さして話題にならなかったという不幸な経緯はあるものの、確固たるビジョンがなかったのか、それとも圧力団体の干渉に屈したのか、中途半端で印象の薄い愚作と言わざるを得ない。
とにかく、このことごとくハズしたキャラ造形は全く理解できない。ロリータは単なるヤンチャな小娘だわ、ハンバートは知性も教養も感じられない単なる哀れな中年男だわ、キルティに至っては正体不明のデブときている。これでは原作やキューブリック版に見られる皮肉やユーモアの感覚が生きてこない。ましてやハンバートの少女趣味に同情的な解釈をするなんて、全く理解に苦しむ。台詞やシチュエーションは原作を丁寧になぞっているが、キャラクターにリアリティがないためハンバートがロリータに入れ込む動機、ロリータがキルティの許へと去る動機、ハンバートがキルティを殺す動機、全てに説得力を欠いている。
構成は、細かい違いはあるもののキューブリック版とほとんど同じで、ハンバートの回想を通してストーリーは進んでいく。違いは、ハンバートの妄想や性表現が、時代を経てかなり突っ込んだ表現になっていたり、映像のセンスがいかにも「90年代」的であったりする程度だが、それがこの作品に重要なファクターになりえているとは思えないし、ユーモアのセンスも、お世辞にも上手いとは言いがたい。
だが、構成は似通っていても、作品へのアプローチの仕方はキューブリックとラインでは180度異なっている。それはラスト、だらしない妊婦となったロリータに、かつての美少女の頃のロリータがオーバーラップするシーンに象徴されている。これではハンバートの少女趣味を理解し、肯定したことになってしまう。(大半の観客がそう受け取るだろう)つまり、この作品は「少年時代の悲劇的な失恋から立ち直れない、純粋で無垢な中年男の悲恋物語」であって、「男の身勝手な独占欲で歪められ、美化された少女像を打ち砕く辛辣な寓話」ではない、ということだ。『ロリータ』は原作もキューブリック版も中年男の悲恋物語などでは決して無い。それだけは明言しておきたい。
ほとんど同じストーリーラインをなぞりながら、全く異なる視点で描かれたふたつの『ロリータ』。当然リメイク版を観たであろうキューブリックは、この作品を一体どう思ったことだろうか。