投稿

【ロケーション】オーバールック・ホテル(Overlook Hotel)

  『シャイニング』の舞台となる、アメリカのコロラド山中にある眺望が売り物のホテル。ネイティヴ・アメリカンの墓地の上に建てられ、またマフィアの抗争など数々の惨劇の舞台になったため、悪霊が住み着くようになったという設定だが、キューブリック版ではセリフと内装にその一端が伺えるだけ。  モデルになった実在のホテルは3つあり、キングが小説版を執筆した際に宿泊していたコロラド州の「スタンリー・ホテル」。ここはキング版でも舞台になっている。キューブリック版は、外観はオレゴン州の「ティンバーライン・ロッジ」を使用し、内装はカリフォルニア州ヨセミテ国立公園にある「アワニーホテル」を参考にしている。特にアワニーホテルは映画の雰囲気そのままで、ロビー左手奥のエレベーターもそっくり。くれぐれもここに泊まって壁にテニスボールを投げつけて遊びたいと思ってはいけません。

【関連書籍】『シャイニング(上・下)』スティーブン・キング著

  現在はホラーだけでなく、ありとあらゆる小説がベストセラーになり、そのかなりの作品が映画化されているスティーブン・キングのベストセラー傑作ホラー小説。  圧倒的な筆力と構成力で、読むものをぐいぐいと引き込んでゆく手腕は流石で、ホラーファンならずとも、一級のエンターテイメントとして十分に堪能できる作品に仕上がっている。こんなに楽しめる小説を、ああいう形で映画化したら、原作者が怒るのも無理はない、と読後に納得させられる程の高い完成度だ。  だが、それは小説という、映像を頭の中で描く媒体だからこそ成立する話であって、映画という、映像をそのまま受け手に見せてしまう媒体では、B級ホラー映画に成り下がってしまうのは避けられない。キューブリックが、そんな陳腐な代物を撮るはずもなく、慎重に原作を取捨選択や改変・追加し、独自の世界観を創出してみせたという事実は、もっと評価されてしかるべきだろう。  しかしキングは、その映像センスは認めつつも、原作をズタズタにされ、骨抜きにされた恨みからか、長年に渡りキューブリックを酷評してきた。ところが'97年になって、突然この『シャイニング』をリメイクするというチャンスが訪れ、「映画版『シャイニング』について、今後いっさいあれこれ言わない、との条件を呑めば映像化権を渡す」との取り決めをキューブリックと交わし、自身で製作したTV版『シャイニング』を完成させる。つまり現在では、小説版、映画版、TV版と三種類の『シャイニング』が存在するのだ。  多少複雑な経過をたどった本作であるが、映画版・TV版は、その物語の消化の方法において、好悪が分かれるきらいがあるかも知れない。しかし、この小説版が誰の目にも傑作であることに異論はないだろう。

【作品論】『現金(ゲンナマ)に体を張れ』(原題:The Killing)

  前作『非常の罠』の製作中に知りあった、プロデューサー志望のジェームズ・B・ハリスとコンビを組み、「ハリス=キューブリックプロ」を結成。その素人同然の若い二人がハリウッドに乗り込んで作った、キューブリック実質の的なメジャーデビュー作品。  物語は、競馬場の馬券売場を襲い現金を奪う計画を、5人の男達が緻密な計画と正確な行動で実行したものの、ちょっとしたミスから破綻してしまうというもの。いかにもキューブリックが好みそうな物語だが、この本を見つけ、キューブリックに奨めたのはハリスだった。  ハリウッドでは組合の力が強いため、カメラを覗けなくなったキューブリックは、ベテランカメラマン、ルシアン・バラードとかなりの軋轢を起こしたようだ。例えば、競馬場の外観も、ハリウッド的に綺麗に撮られたものをしようせず、小型カメラでニュース映像風に撮り直したり、室内を画像の歪みも承知の上で広角で撮影したいと主張したりしている。犯罪サスペンスの臨場感と緊張感を生み出す効果を狙っての事だが、綺麗に平板に撮る事を良しとした当時のハリウッドでは、全く理解されなかった。  また、犯罪の瞬間からひとりずつ時間を戻して、この犯罪に荷担しなければならなかった背景を、それぞれについて語るという手法は斬新なものだったが、これもハリウッドの上司は認めず、時系列に添った、より直線的な編集をするように指示した。しかし、原作のこの構成が気に入っていたキューブリックとハリスはそれを無視。このまま公開する。  結局この映画はヒットとはならなかったが、幸いにも業界内では話題となったため、その映像センスと斬新な構成は高く評価され、ハリウッド内での地位を築く最初の足掛かりとしての役目は充分果たしたようだ。  ラストシーン、飛行機のプロペラの風にあおられて舞い上がる200万ドルは、「小さな紙切れ」に執着する人間をあざ笑うかのようで、愚かしくも悲しい物語のラストを飾るにふさわしいものだった。メジャーデビュー作にしてこのシニカルなエンディングを用意するあたり、自身の思う通りに撮れなかった作品ではあるにせよ、ただ者ではない事を感じさせるには充分な作品だ。

【作品紹介】『2001年宇宙の旅』

イメージ
2001:A Space Odyssey(IMDb) 題名/2001年宇宙の旅 原題/2001:A Space Odyssey 公開日/1968年4月6日(152分、カラー、シネラマ) 日本公開/1968年4月11日 製作会社/MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー) 製作/スタンリー・キューブリック 監督/スタンリー・キューブリック 脚本/スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク 撮影/ジョフリー・アンスワース、ジョン・オルコット 編集/レイ・ラヴジョイ 音楽/リヒャルト・シュトラウス、ヨハン・シュトラウス、アラン・ハチャトーリアン、ギョルギ・リゲッティ 美術/トニー・マスターズ、ハリー・ラング 特撮考案/スタンリー・キューブリック 特殊効果/ウォーリー・ヴィーヴァース、ダグラス・トランブル、コン・ペダースン、トム・ハワード 出演/キア・デュリア(デヴィット・ボーマン)、ゲイリーロックウッド(フランク・プール)、ウイリアム・シルヴェスター(ヘイウッド・フロイド博士)、ダグラス・レイン(HALの声)、ダン・リクター(月を見るもの)、レオナルド・ロシター(スミスロフ)、マーガレット・タイザック(エレナ)、フランク・ミラー(地上管制官)、ヴィヴィアン・キューブリック(フロイト博士の娘)ほか 配給/MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー) 受賞/1968年アカデミー賞、特殊視覚効果賞(スタンリー・キューブリック)受賞 ●ストーリー  約400万年前のアフリカ。肉食を知らない人類の祖先「猿人」は絶滅の危機に瀕していた。そんなある夜、群れの眼前に謎の黒い石版「モノリス」が突如として現れ、それに触れた猿人達は「武器を用いる」という啓示を受ける。骨という武器を手に入れた猿人達はバクを撲殺して食肉を得、他の群れを殺して水飲み場を確保し、絶滅の危機からこの星の支配者へと変貌を遂げたのだった。  西暦1999年、地球衛星軌道上のスペースシャトルにはフロイド博士ただ一人が搭乗していた。彼はある特命を帯びて月へ向かう途中で、それは月面で謎の黒い石版が掘り出されたのでそれを調査せよというものだった。衛星軌道上に浮かぶ宇宙ステーションで月連絡船に乗り換えて月に向かうフロイド博士。月では伝染病発生の噂が流れていたが、それは謎の石盤発掘を他国に悟られないためにアメリカ政府が流したデマ...

【台詞・言葉】ファック(Fuck)

イメージ
   元の脚本によると、ラストシーンは原作通りに、夜明けに寝室でビルがアリスに全てを告白するシーンで終わっている。なのにわざわざおもちゃ屋のシークエンスとこの台詞をつけ加えたのには、特別な理由があると考えられる。やはり「ファック=セックス」という意味だけではないのだ。劇中やたらアリスがこの言葉を口にするのも、ラストシーンだけでいきなり口走ってしまうと、唐突すぎてしまうからではないだろうか。  このアリスを演じたキッドマンに「ファック」は「似合わない、下品だ」とか、「いや、上流社会の人間も一皮剥けばこんなもんだ、という皮肉だ」とか的外れな論評ばかり撒き散らしたメディアの責任は大きい。キューブリックが最後に言い放ったこの言葉、もっと真剣に意味や意図を深く考えてみるべきだろう。

【スタッフ】ジェームズ・B・ハリス(James B. Harris)

  『現金…』、『突撃』、『ロリータ』の3作品を「ハリス・キューブリック・プロダクション」として制作を担当した初期のキューブリックのパートナー。キューブリックとは従軍時代に同じ隊だったアレキサンダー・シンガーを通じて知り合った。『博士…』をブラックユーモアに改変することに難色を示し、友好的にキューブリックとのパートナーシップを終了。その後自らも監督となり、『駆逐艦ベッドフォード作戦』(1965)、『Fast Wailing』(1982)、『ザ・コップ』(1987)などの映画を撮っている。  1928年8月3日ニューヨーク出身。

【サウンドトラック】オリジナル・モーションピクチャー・サウンドトラック『2001年宇宙の旅』(Original Motion Picture Soundtrack 2001:A Space Odyssey)※ターナー盤

Overture: Atmospheres (Ernest Bour) (2:51) 序曲 アトモスフェール |Gyorgy Ligeti / Sudwesfunk Orchestra Main Title: Also Sprach Zarathustra (Thus Spake Zarathustra) (1:43) メイン・タイトル:ツァラトゥストラはかく語りき|Richard Strauss / Herbert Von Karajan, Vienna Philharmonic Orchestra Requiem For Soprano, Mezzo Soprano, Two Mixed Choirs & Orchestra (6:33) レクイエム|Gyorgy Ligeti / Francis Travis, Bavarian Radio Symphony Orchestra The Blue Danube (Excerpt) (5:43) 美しく青きドナウ(抜粋)|Johann Strauss II / Herbert Von Karajan, Berlin Philharmonic Orchestra Lux Aeterna (2:56) ルクス・エテルナ(聖体拝領唱)|Gyorgy Ligeti / Clytus Gottwold, Stuttgart Schola Cantorum Gayane Ballet Suite (Adagio) (5:17) 舞踏組曲「ガイーヌ」~アダージョ|Aram Khachaturian / Gennadi Rezhdestvensky, Leningrad Philharmonic Orchestra Jupiter And Beyond / Mixed (15:15) 木星、無限の彼方:レクイエム/アトモスフェール/アヴァンチュール|Gyorgy Ligeti / Internationale Musikinstitut Darmstardt, Bavarian Radio Symphony Orchestra, Sudwesfunk Orchestra Also Sprach Zarathustra (Thus Spake Zarathrustra) (1:43) ツァラトゥストラはかく語りき|Rich...

【俳優】マルコム・マクダウェル(Malcolm McDowell)

  1943年6月13日イギリスのヨークシャー州生まれ。『時計じかけ…』のアレックスでブレイクし、その後現在まで第一戦で活躍を続けている。主な出演作は『if~もしも~』(1968)、『オー!ラッキーマン』(1973)、『タイム・アフター・タイム』(1979)、『キャット・ピープル』(1982)、『ブルーサンダー』(1983)、『クラス・オブ・1999』(1990)、『スター・トレック/ジェネレーションズ』(1994)、『北斗の拳』(1995)など。ブレイクした映画が悪かったのか、なぜがSF映画が数多い。  キューブリックは原作を読んだ時点でマルコムのキャスティングを考えていたようだ。原作にない「雨に唄えば」を唄いながらの暴力シーンはリハーサルでキューブリックに「何か歌を歌え」と言われ、唯一歌詞を諳んじていた歌として唄った事がきっかけとなった事はあまりにも有名。  撮影中、ルドヴィコ療法シーンで目の角膜を傷つけられたり、講堂での実演シーンでは肋骨を折ってしまうなどの災難続きだったが、キューブリックとの関係は良好だったという。ただ撮影終了後、新作に夢中になるあまり、キューブリックは若いマルコムを全く相手にしなくなり、その事が元でキューブリックに対して愛憎入り交じる複雑な感情を今も持ち続けているようだ。

【サウンドトラック】ミュージック・フロム・ザ・サウンドトラック 時計じかけのオレンジ(Music From The Sound Track A Clockwork Orange)

 Title Music from A Clockwork Orange (2:25)「時計じかけのオレンジ」タイトル・ミュージック|Wendy Carlos, Rachel Elkind / Wendy Carlos Rossini: The Thieving Magpie (Abridged) (5:57)「泥棒かささぎ」序曲|Gioachino Rossini Theme From A Clockwork Orange (Beethoviana) (1:48)ベートヴィアーナ|Wendy Carlos, Rachel Elkind / Wendy Carlos Beethoven: Symphony #9 - .2 (Abridged) (3:52) 交響曲第9番「合唱」 ~第2楽章|Ludwig van Beethoven March From A Clockwork Orange (Ninth Symphony, Fourth Movement, Abridged) (7:06)「時計じかけのオレンジ」~マーチ|Ludwig van Beethoven / Wendy Carlos, Rachel Elkind Rossini: William Tell - Overture (Abridged) (1:20)「ウィリアム・テル」序曲 ~スイス軍隊の行進|Gioachino Rossini / Wendy Carlos Elgar: March #1, "Pomp & Circumstance" (4:35) 行進曲「威風堂々」第1番|Edward Elgar Elgar: March #4, "Pomp & Circumstance" - (Abridged) (1:38) 行進曲「威風堂々」第4番|Edward Elgar Timesteps (Excerpt) (4:18) タイムステップス|Wendy Carlos / Wendy Carlos Overture to the Sun (1:46) 太陽の序曲|Terry Tucker  I Want to Marry A Lighthouse Keeper (1:04) ぼくは灯台守と結婚したい|Erika Eigen / Erika Eig...

【作品論】『非情の罠』(原題:Killer's Kiss)

  前作の『恐怖と…』の好評に手応えを感じ、1955年に続けて製作された自主製作映画第2弾。この映画の製作時、キューブリックはまだ若干26歳という若さだった。  ストーリーはよくあるサスペンス&メロドラマという感じで、特に見るべきものはないが、映像的にはすごく大人びていて、とても20台半ばの若者が創った映画とは思えない。 構成がいきなりラストシーンから始まり、回想シーンになり、またラストシーンに戻ってくるという、後の『ロリータ』にも用いられている方法なので、「この頃からやってたいんだな」と妙な感心の仕方をしてしまった。また、主人公のデイヴィが見る悪夢のネガ・フィルム(『2001年…』のスターゲートの「原始の惑星」)や、悪漢の手下の手に握られたトランプのズーム・アップ(『博士…』のB-52の暗号封鎖シーン)、マネキン工場での斧を使った格闘シーン(『シャイニング』)など、その後のキューブリック演出の萌芽が見られるのはとても興味深い。だが、ラストシーン前のこの映画一番の見せ場、倉庫での格闘シーンがいまいち盛り上がりに欠けている。プロットが弱く、グロリアの性格付けも明確でなく、脚本も荒いためだろう。  また、1955年に再婚したバレリーナのルース・ソボトゥカがダンサー役でこの映画に出演している。「自分の嫁さんの踊っている姿を、スクリーンで観たい」いう理由だけで…。この映画に限らず、キューブリックが度々身内を役者やスタッフして使うのは、常に自分の身近にいるので、赤の他人よりコントロールしやすいという理由からなのかも知れない。  この映画が日本で公開された際、当時の輸入映画の制限枠のため、バレイのシーンなどカットし、短編映画として輸入、上映されたという経緯がある(のちにフル・バージョンでリバイバルされた)。お世辞にもいい作品とは言えないので、コアなファン以外にはお勧め出来ないが、キューブリックにしては珍しくハッピー・エンドだし、かなり商業性も意識した作りのため、そういう意味では貴重な作品と言えるだろう。  作品全般に漂う青臭さが気恥ずかしいのか、キューブリックはこの映画を振り返って「唯一誇れることは、私のようなアマチュアの環境で長編映画を創り、世界配給を成し遂げたものは、それまで誰もいなかったということだけだ」と語っている。その意味では「原点」とか「萌芽」とか堅...

【関連書籍】『映画監督 スタンリー・キューブリック』ヴィンセント・ロブロット著

  今まで、関連書籍内のいちコンテンツとしてのバイオグラフィーはあったが、これだけの情報量の評伝は本書が初になる。キューブリックの生い立ちから『アイズ…』製作中の時期まで、キューブリックの家庭環境や性格、人格形成と成長過程、映画に対する考え方や製作の裏側、有名なエピソードとその顛末、誤解され続けたその素顔まで、圧倒的ボリュームで読みごたえがある。既知の情報も多いが、時系列に体系づけられている本書がまさに決定版と言えるだろう。  残念なのは『アイズ…』の完成・公開とその後の突然の死までフォローされていない事。(訳者がフォローする形になっている)著者もまさかこんなに早く死が待っているなんて思ってもいなかったのだろう。本書がキューブリックの死後に脱稿されていたら、更に完成度が高まったのではないだろうか。  寡作な監督と言われたが、本書を読むといかにキューブリックが一生を映画製作に捧げたかがよく判る。そして、こんな監督はもう二度と現れないだろう事も容易に理解できる。それだけキューブリックは唯一、無二の存在だったのだ。  生々しい等身大のキューブリックの実像が納められた本書は、キューブリックファンにはもちろん、やたら「難解」と煙たがる一般の映画ファンにもお勧めの良著だ。

【関連作品】『2010年』(原題:2010: The Year We Make Contact)

  クラークが、あまりにもキューブリック的すぎる『2001年…』に少なからず不満を持っていたことは周知の事実だったが、ここまで『2001年…』とかけ離れた作品になるとは思わなかった。この作品は完全にクラークと『カプリコン・1』や『アウトランド』などで知られるピーター・ハイアムズ監督のセンスであって、キューブリックの『2001年…』とは全く別の物語だと考えなければならない。  原作では、米ソの軍事的緊張関係はあまり強調されていないかわりに、中国の宇宙船が重要な役割を担って登場している。そういった違いはあるものの、大筋では同じストーリだし、作品全体を覆うトーンも、クラークとハイアムズはかなり似通っている。ハイアムズは「キューブリックと同じことをしたら、致命的な失敗を犯すことになる」と考えていたようで、その判断は正しかったと言えるだろう。  この作品をキューブリックの『2001年…』に関係なく、単なる「SFエンターテイメント映画」として観れば、決して悪い出来ではなく、クラークも満足していたという。ただ、続編を作るに当たって、舞台を木星にしたために(『2001年…』の小説版は土星。クラークは当時ボイジャーが送ってきた木星の衛星イオの画像を見て、どうしてもイオを舞台にしたかったらしい)、キューブリックの続編として受け取られ、宣伝も「映画『2001年…』の謎が解ける」という売り方をした影響から、混乱を招き、視点が定まらない、中途半端な作品になってしまった感は拭えない。  当のキューブリックもこの作品にかなりご立腹で、「あいつら全部説明してしまいやがった!説明した途端に全ての意味は失われるのに!」と激怒したと、ラファエルの著書『アイズ ワイド オープン』には書かれている。  キューブリックが危惧したように、クラークが「説明」してしまったかも知れないが、作品全体を覆うトーンが余りにも違うのが幸いし、『2001年…』の価値が損なわれる事はなかった。やはり、器用だが凡庸な監督と、偉大な巨匠とでは格が違い過ぎた、とい事なのだろう。

【関連作品】『ロリータ(エイドリアン・ライン監督版)』(原題:Lolita)

イメージ
  Lolita(IMDb)  その内容や、「ジョンベネ事件」の影響もあり、ヨーロッパはひっそりと公開、日本でも単館ロードショーという地味な形で公開されたため、さして話題にならなかったという不幸な経緯はあるものの、確固たるビジョンがなかったのか、それとも圧力団体の干渉に屈したのか、中途半端で印象の薄い愚作と言わざるを得ない。  とにかく、このことごとくハズしたキャラ造形は全く理解できない。ロリータは単なるヤンチャな小娘だわ、ハンバートは知性も教養も感じられない単なる哀れな中年男だわ、キルティに至っては正体不明のデブときている。これでは原作やキューブリック版に見られる皮肉やユーモアの感覚が生きてこない。ましてやハンバートの少女趣味に同情的な解釈をするなんて、全く理解に苦しむ。台詞やシチュエーションは原作を丁寧になぞっているが、キャラクターにリアリティがないためハンバートがロリータに入れ込む動機、ロリータがキルティの許へと去る動機、ハンバートがキルティを殺す動機、全てに説得力を欠いている。  構成は、細かい違いはあるもののキューブリック版とほとんど同じで、ハンバートの回想を通してストーリーは進んでいく。違いは、ハンバートの妄想や性表現が、時代を経てかなり突っ込んだ表現になっていたり、映像のセンスがいかにも「90年代」的であったりする程度だが、それがこの作品に重要なファクターになりえているとは思えないし、ユーモアのセンスも、お世辞にも上手いとは言いがたい。  だが、構成は似通っていても、作品へのアプローチの仕方はキューブリックとラインでは180度異なっている。それはラスト、だらしない妊婦となったロリータに、かつての美少女の頃のロリータがオーバーラップするシーンに象徴されている。これではハンバートの少女趣味を理解し、肯定したことになってしまう。(大半の観客がそう受け取るだろう)つまり、この作品は「少年時代の悲劇的な失恋から立ち直れない、純粋で無垢な中年男の悲恋物語」であって、「男の身勝手な独占欲で歪められ、美化された少女像を打ち砕く辛辣な寓話」ではない、ということだ。『ロリータ』は原作もキューブリック版も中年男の悲恋物語などでは決して無い。それだけは明言しておきたい。  ほとんど同じストーリーラインをなぞりながら、全く異なる視点で描かれたふたつの『ロリータ』。当然リ...

【関連書籍】『夢奇譚(夢小説)』アルトゥル・シュニッツラー著(原題:Traumnovelle)

 夢奇譚 (文春文庫)(Amazon)  初めてこの小説を読んだとき、あまりも映画のストーリーそのままなのにまず驚かされた。キューブリックはなんと、ストーリーラインを変えることなくほとんどそのままを映画に取り込んだのだ。だからと言って映画は、この小説の舞台と設定を、単に19世紀末のウィーンから、20世紀末のニューヨークに移し替えただけの代物、と言い切ってよいのだろうか?  小説は、表面的な幸福の中に潜むどす黒い欲望と裏切りが、夢や現実の形となって現われる不可思議な妄想の世界を描いたものだ。主に夫婦間や男女間の問題を扱っており(現に脚本を担当したフレデリック・ラファエルは、映画版のタイトルを『女性の問題(The Female Subject)』にしよう、とキューブリックに持ちかけている)、未婚者や若年層にはピンとこない物語かもしれない。また、不倫願望や不逞、スワッピングや乱交など、この時代ならともかく現代人には全くショックを感じない。  ところが映画はそういう表面的なモチーフは継承しつつもっと解釈を広げ、現代人にとって最も妄想を描きやすい「映画」という媒体を中心に、ありとあらゆるメディアを使って壮大な「夢の世界」を現出させよう、という大胆なものだった。その夢の世界へ、年齢、性別を問わず、あらゆる世代を呼び込みために、謎の物語を用意したり、セクシャルなトレイラーを流し続けたり、意味深なポスターで見るものを誘おうとしたのだ。  ただ、メディアに踊らされるままに映画館に「2時間の夢物語」を堪能しに出向いた観客に、小説とも、当初の脚本とも違うラストシーンを用意したキューブリック。そこには激しい憤りと深い失意。そして決別の意志が込められている。

【作品論】『恐怖と欲望』(原題:Fear and Desire)

イメージ
Fear and Desire(IMDb)  キューブリックの自主製作映画第1弾。また、記念すべき映画監督デビュー作。だが、残念なことにキューブリック自身が、この作品を「不器用で思い上がっている」として忌み嫌い、封印してしまったため、現在では見ることができない。だが、どういうわけかネガが流出してしまい、1991年のにはコロラド映画祭で、1994年にはニューヨークのフィルム・フォーラムで上映されてしまう。それに対してキューブリックは「訴訟も辞さない」と強硬な態度を取っている。  だが、資料を読み解く限り、キューブリックがそこまで忌み嫌う程の愚作とは思えない。ストーリーは、架空の国の戦争が舞台で、山中に不時着した小隊が、敵の前線をいかだを使って突破する途中、敵のアジトを発見し、それを襲撃するというもので、印象的なダイアローグと詩的な映像で、極限状況における人間の精神状態と自己のとの対峙(敵と味方が同一の役者で演じられている)といったテーマが語られているという。  製作資金は裕福な叔父のパーヴィラーに借り、スタッフは、ニューヨークのビレッジで知りあった仲間を総動員し、カリフォルニアのサン・ガブリエル山脈でロケが行われた。そのスタッフの中には、当時のキューブリックの妻、トーバも台詞監督として参加している。また、キューブリックは当時、アフレコの技術に疎く、撮影よりもアフレコに多くの費用と時間を費やしてしまったというエピソードが、いかにもカメラマン出身のキューブリックらしい。  当然、未見なので、あまり多くは語れないが、その後のキューブリックが一番多く扱ったジャンル(戦争物)でもあるし、ファンなら当然気になる作品だ。是非再上映、それが無理ならビデオソフトリリースでも構わないので。ワーナーや、キューブリック・プロの方には、是非検討していただきたい。 ※未見時の論評 初出:2006年6月27日  

【登場人物】HAL9000

イメージ
 『2001年宇宙の旅』に登場し、余りにも魅力的なキャラであったためか、あっちこっちで引用、ネタ、パロディにされた、恐らく世界で一番有名なコンピュータ。  HALとは、Heuristically programmed ALgorithmic computer (学習能力をプログラムされたコンピュータ)の略称。しかし、一般にはこの映画の協力企業である、IBMのアルファベットを一文字分だけ前にずらしたもの、 との説が知られている。 クラークは「偶然」を力説するが、当時IBMが映画に全面協力していたのだから、この一致に気付かない訳がない。秘密主義で内容は全く知らせられないまま協力させられられた揚げ句、いざ蓋をあけてみれば自社のロゴを付けたコンピュータが人間と敵対するお話だったなんて事じゃ、IBMもたまったもんじゃない(実際に当時は社員に『2001年…』を見ないようにとのお達しがあったようだ)。そんなIBMの怒りの火消しにやっきになったクラーク先生、というのが実際だったのだろう。  また、世界で初めて歌を歌ったコンピュータはIBM700/7000シリーズだった。歌はもちろん『デイジー・ベル』。この事実からも「HALはIBMのもじりではない」という説明に説得力はない。  尚、HALの声は当初ナレーターとして予定されていたダグラス・レインが担当した。

【スタッフ】ケン・アダム(Ken Adam)

イメージ
Ken Adam(IMDb)   『博士の…』の最高作戦室など、印象的なセットを生み出したイギリス人のプロダクション・デザイナー。キューブリック作品では他に、『バリー…』にも参加しているが、この時は『博士の…』以上にキューブリックからの強いプレッシャーに悩まされ続け、片時も精神安定剤を手放せなかったらしい。  主な参加作品は『007ドクター・ノォ』('62)、『007ゴールドフィンガー』('64)、『007はニ度死ぬ』('67)、『シャーロック・ホームズの素敵な冒険』('76)、『アダムスファミリー2』('93)、『英国万歳』('94)など。2003年にはエリザベス女王から爵位を授かり、サー・ケン・アダムとなった。  1921年2月5日ドイツ・ベルリン出身、2016年3月10日死去、享年95歳。

【作品論】『スパルタカス』(原題:Spartacus)

イメージ
 Spartacus(IMDb)  キューブリックは本作品を全くコントロール出来なかったため、ハリウッドからの逃亡を決意させたという、いかにもアメリカ的な「自由万歳&ラブ・ロマンス」映画。  他のキューブリック作品に慣れてしまっている眼には、「本当にキューブリック?」と疑いたくなるような、おめでたいシーンの連続に辟易してしまう。とにかく、カーク・ダグラスの聖人君子的な演技や、ご都合主義のストーリー展開、出来過ぎた人格の奴隷たちや、お決まりのラブロマンスなど、所詮三文芝居の映像版でしかなく、腹が立つのを通り過ぎてあきれ返ってしまうたけ。  キューブリックは脚本の改訂を求めて、かなり激しくカーク・ダグラスや脚本のドクトル・トランボとやりあったという。だが、赤狩りでハリウッド追放中のトランボの描く「理想的な平等社会と、それを目指す英雄像」と、キューブリックが指向する「暴力と欲望が人間性の本質であり、生きる力」とでは合い入れる筈もなく、結局若いキューブリックが折れてしまう。この時のシコリが元で、ダグラスは自伝でキューブリックの事を「才能あるクソッタレ」と評する事になるのだが、キューブリックもキューブリックで、「この程度の仕事なら、やっつけの片手間でもやってみせる」と言わんばかりに、仕事をサボってスタッフと野球ばかりしていたという話もある。  この映画、 2時間半もの長編だが、『ベン・ハー』や、『クレオパトラ』が流行していた当時らしいスペクタクル感覚に溢れ、現在では完全に古びてしまっている。それを割り引いてもたいして良い作品とは思えず、こんな映画がアカデミー賞を受賞してしまうのだから、「さすがアメリカ」と皮肉のひとつも言いたくなってしまう。  若干30歳のキューブリックにとっては、初の大作カラー作品なので、ここでの経験は後の傑作を産み出すのに、大いに役に立ったと想像できる。もっと重要なのは、この大作を興行的な成功に導いた事によって、ハリウッドからの更なる信頼を得、「有望な新人監督」から、「偉大なフイルムメーカー」としての礎を築き、資金をハリウッドに依存しつつも、自由に映画を創れる環境を手に入れた、ということではないだろうか。

【関連書籍】『フルメタル・ジャケット』グスタフ・ハスフォード著(原題:The Short-Timers)

イメージ
フルメタル・ジャケット (角川文庫)(Amazon)   作者のハスフォードは、この小説の主人公と同様に、ベトナム戦争に海兵隊の報道記者として従軍している。その体験をフルに活かして書かれた処女作が本作なのだが、とにかく、全編を貫くクールでドライな感覚に、まず驚かされる。登場人物の「個性」や「人格」を全く描写せず、まるで戦争を他人事かのように扱う淡々とした描き方は独特で、戦場のあまりにも醜悪な現実に、人間としての感覚が完全にマヒしてしまっているその姿は、実体験に基づかないと、とても描ききれるものではないだろう。  除隊する日を心待ちにしながら、目の前にある戦争という狂気の沙汰を、あたりまえの事として受け入れている海兵隊員達…。反戦・平和を標榜するでもなく、戦争や軍隊の不条理さを糾弾するでもなく、ただ、日常的にあっけなく殺し合いをする(たとえそれが味方同士であったとしても、戦略的に大きな意味を持たない作戦でも)という衝撃的な内容は、キューブリックが飛びつくのも頷ける、質の高い作品だ。

【関連書籍】『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ著(原題:Lolita)

イメージ
  まず、断っておかなければならないのは、この小説が出版された当時(1955年)、「少女愛」という嗜好は全く認知されておらず、更に作者のナボコフや映画化したキューブリックでさえ、それがどういうものなのかはっきりと認識していなかった、という事だ。  この小説がセンセーショナルな話題を呼び、少女を愛する嗜好の持ち主を「ロリータ・コンプレックス(ロリコン)」と呼ぶようになるのだが、時代を経るにつれて、その意味するところは微妙に変化し、現在では「成人した女性と正常な恋愛関係を持てない者などが、支配欲や性欲の捌け口として、自分に隷属する対象を弱者である幼い少女に求め、それを偏愛する」という傾向に陥ってきている。しかし当時、こんな現実が未来に待ち受けていようなどと、ナボコフもキューブリックも想像だにしていなかったに違いない。  もちろんロリコンではなかったナボコフは、この小説を執筆するに当たり、自分の趣味である蝶の収集を、少女の偏愛として置き換えることによって物語を創作している。街から街へ、安モーテルに泊まりながら当てもなく愛するロリータと共に車で旅するハンバートは、蝶の採集でアメリカ中を車で旅した作者自身の姿だ。そしてロリータは、その中でもとびきり美しい(もしくは貴重な)蝶であったに違いない。  それにロリータも決して従順で大人しい、薄幸の美少女などではなく、現在なら渋谷の繁華街でたむろするような、すれっからしの性悪な少女として描かれていて、決してハンバートの意のままになることはない(人間の意向を無視し、気ままに野山を飛び回る蝶のように)。知性も教養も社会的地位もあり、時折フランス語を交えながら文学的に語るハンバートが、他人には理解不能な「ニンフェット」の定義をくどくど説明したり、単なる変態的妄想を雄弁に力説したり、その割には簡単な罠に引っ掛かって地団駄を踏み続ける姿は、なんとも可笑しく、馬鹿馬鹿しく、そして哀れだ。  そんなロリータをやっとのことで捕まえたハンバートだが、すでに美少女の面影はなく、だらしない妊婦になっていて、 あれだけ忌み嫌った母親のシャーロットにそっくりなのにも気付いてしまう。だがハンバートは失望するどころか、自分はロリータを「一人の女性」として本当に愛していたことに初めて気が付くのだ。この皮肉なまでに遅きに失した愛の自覚…。キューブリックはこの点...