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【関連記事】キューブリックは『スパルタカス』の「私がスパルタカスだ!」のシーンを「バカなアイデアだ」と酷評した

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 〈前略〉  スパルタカスを演じた俳優カーク・ダグラスは、その3年前にキューブリック監督の『突撃』に主演し、『スパルタカス』の監督としてキューブリックを起用したのだが、100歳の誕生日を迎えた2016年のインタビューで、監督との仕事の経験を語っている。有名な「私がスパルタカスだ!」というシーンを撮影するとき、ダグラスはキューブリックにどう思うかと尋ね、キューブリックは「バカなアイデアだ」と答え、それをキャストとスタッフが耳打ちしたそうだ。ダグラスがキューブリック監督を説得して撮影にこぎつけたのは、執拗な口論(そしてダグラスの妻が勧めたキューブリックとのセラピー)の末のことであった。  結局、キューブリックが『スパルタカス』に不満を抱いたのは、「私がスパルタカスだ!」という瞬間だけではなく、主人公を完璧な道徳的人物として描いた脚本や、彼がコントロールできなかった製作の様々な要素もあり、そのすべてが『スパルタカス』を彼がこれまでに作った最悪の映画と評するに至ったのである。  「私がスパルタカスだ!」のシーンの撮影は、カーク・ダグラスとスタンリー・キューブリックの共同作業の歴史の中の一つの衝突に過ぎない。ダグラスはキューブリックを『スパルタカス』に雇い入れただけでなく、監督の前作『現金に体を張れ』を見た後、1957年の『突撃』にキューブリックを起用(注:これは正しくなく、キューブリックが立ち上げた企画の主役にとダグラスへオファーをした)したのだ。キューブリックは、主人公と悪役が仲直りする商業的な、論争の余地のない結末を好み、ダグラスは、部下の将校を死刑から救おうとする英雄的な大佐として、自分のキャラクターを前面に出した物語を好んだ。  『スパルタカス』の製作中、二人の争いは喧嘩腰にさえなった。ダグラス自身の証言によると、映画の最後に十字架に磔にされたスパルタカスのクローズアップを削除しようとしたキューブリック監督に激怒し、逃げようとする監督に向かって折りたたみ椅子を投げつけ、「くそったれ、キューブリック出て行け!」と怒鳴ったというのである。  『スパルタカス』製作中の確執で、その後一緒に仕事をすることはなかったものの、ダグラスはキューブリックとのコラボレーションを前向きに捉えているようで、「気難しい?キューブリックはその言葉を発明したんだ・・・。でも、彼は才能があ...

【ブログ記事】NHK『映像の世紀~バタフライエフェクト~映像プロパガンダ戦 嘘と嘘の激突』で紹介されたプロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』とキューブリックとの「接点」

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 2022年9月5日22時からOAされた『映像の世紀~バタフライエフェクト~映像プロパガンダ戦 嘘と嘘の激突』に、ナチス・ドイツが製作したある映画がごく一部ですが紹介されました。それはユダヤ人を悪役に仕立て上げた悪名高きプロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』です。監督はファイト・ハーラン。そのハーランの姪はクリスティアーヌ・スザンヌ・ハーラン。つまりキューブリック三番目の妻、クリスティアーヌ・キューブリックです。キューブリックはファイト・ハーランに会ったことがあるそうですが、その際に「あの時は従うしかなかった」と語ったそうです。もちろんそれが本心であるかどうかは知ることはできませんが、キューブリックはユダヤ人。本音を言うはずはないでしょう。  今回の『映像の世紀~バタフライエフェクト』にはキューブリックが影響を受けたセルゲイ・エイゼンシュテインも登場しています。番組では「モンタージュ」と呼ばれていますが、わかりやすく言えば編集テクニックのことです。キューブリックは「編集は映画製作の唯一のユニークな局面」「編集に先立つ全てのことは編集用のフィルムを作り出す作業でしかない」と語るほど編集の重要性(と編集作業がいかに大好きか)を語っています。その理由はこの番組でも取り上げられています。つまり編集によってその映像の主旨をいかようにでも捻じ曲げることができるからです。  番組は再放送やNHK ONEのアーカイブなどで視聴できる可能性があります。興味のある方はその機会にぜひ。

【関連記事】1980年12月14日、『シャイニング』公開直後のシェリー・デュバルのインタビュー(抜粋)

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The Shining(IMDb) 〈前略〉  キューブリックとの仕事はどうだった?と私は尋ねた。「ほとんど耐えられないくらい」と彼女はあっけらかんと言った。「でも、他の見方をすれば、本当にとても素晴らしいことだと思います」。 〈中略〉 「キューブリックと一緒に仕事をするチャンスが来たんです」彼女は紅茶を一口飲んだ。「毎日毎日、耐えがたい仕事をこなす。ほとんど耐えられないくらいにね。ジャック・ニコルソンの役は、常にクレイジーで怒っていなければならなかった。私の役は1日12時間、1日中、最後の9カ月間はずっと、週に5日か6日、泣き続けなければなりませんでした。1年1ヶ月間そこにいましたが、プライマル・スクリーム療法には何か意味があるのでしょう、1日が終わって12時間泣いた後、私はとても満足して家に帰りました。とても落ち着いた気持ちになることができました。日中の私は、絶対に惨めだったでしょう」。 〈以下略〉 (引用: Roger Ebert.com:Interview with Shelley Duvall/1980年12月14日 )  シェリー・デュバルにとって『シャイニング』の撮影は非常に苦労が多かったのは事実で、このインタビューでも「ほとんど耐えられないくらい」と語っています。しかし同時に「とても素晴らしいこと」と発言しており、これは他のインタビュー(例えばドニュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャー』)でも同様です。  このインタビューで『シャイニング』に触れたのは抜粋した部分のみですが、『シャイニング』の後、テリー・ギリアムの『バンデッドQ』の撮影に参加しあやうく大怪我をしそうになったり、『ポパイ』のオリーブ役は肉体的な試練だったと語ったりしています。その後もシェリーは映画界・TV業界で活躍し続けたのですから、彼女にとって『シャイニング』への出演は「大変だったけど(キャリアアップできたことについては)素晴らしいこと」だったというのが本音でしょう。  そして、シェリーは「本当は科学者になりたかった」と語っています。パーティーでロバート・アルトマンに見出され、ためらいながらも女優としてのキャリアをスタートさせるのですが、彼女は本来とても明るいキャラクターでした。つまり演じたウェンディ・トランスの性格とは真逆だったのです。そうであるがために、シェリーがウェンディ役にコ...

【オマージュ】とっても『シャイニング』なMUSEの『YOU MAKE ME FEEL LIKE IT'S HALLOWEEN』のMV

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 イギリスの国民的バンドMUSE(ミューズ)の新曲『YOU MAKE ME FEEL LIKE IT'S HALLOWEEN』のMVがとっても『シャイニング』(その他のホラー映画要素も)だったのでご紹介。  ミューズは過去にも 『博士の異常な愛情』 『2001年宇宙の旅』 『フルメタル・ジャケット』 をMVで引用していますが、ついに『シャイニング』にも手を出しましたか。こうなったらキューブリック作品コンプリートを目指して欲しいですね。  曲調はとっても1980年代風でどこか懐かしい感じ。嫌いじゃないんですが、リアルタイムな私としてはとってもムズムズしてしまうのですが・・・まあそれはあえて触れないでおきます(笑。

【関連記事】2022年8月19日に逝去したキューブリックのアシスタント、レオン・ヴィタリを2008年シネマトゥデイに掲載されたインタビューで偲ぶ

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Leon Vitali(wikipedia)  2022年8月19日(現地時間)、レオン・ヴィタリがロサンゼルスで逝去いたしました。享年74歳でした。キューブリックのアシスタント兼俳優として、またキューブリックの死後はキューブリック作品のオブザーバーやスポークスマンとして果たしたその役割は、非常に大きいものがありました。以下は2008年3月17日にシネマトゥデイに掲載された、(私が知る限り)唯一の日本のメディアによるレオンのインタビュー記事です。そのポイントとなる部分だけ引用して解説してみたいと思います。 スタンリーは、撮影前に僕を呼んで座らせ「これからストーリーを大幅に変更し、君が出演するシーンをもっと書き加えるから、クランク・アップまで居ることになる」と言ったんだ。当時26歳だったわたしにとって、とんでもない出来事だったよ。本当に素晴らしことだった。  『バリー・リンドン』は、小説よりもレオンが演じたブリンドン卿が果たす役割が大きくなりました。なぜそうなったかの考察は こちら 。 スタンリーはセットに来る前は、決してこれからどうやってシーン撮るか決めていなかったんだ。だからいつでもレンズを変えられるようにしていたよ。最初は35ミリから始めて、俳優たちに「このシーンで何をすべきか演じてみなさい、ただリアルじゃなきゃ駄目だ。その演技によって、どうやってわたしがシーンを撮るか決めるから」と言ってくる。当然、自分が思い付いた発想を順番に演じてみて、その間スタンリーは、カメラの回りを動き回って、レンズを変えたりしている。そして最後に「これがこのシーンのファースト・ショットだ」と言ってくるんだよ。でも、撮り始めたシーンに俳優たちが何か気に入らなかったり、うまくいかなかったりすると「このシーンに問題があるみたいだが、ほかの言い方もできるかい?」と問いかけてくる。俳優たちが難色を示したときには、俳優たちとともにシーンを考えるんだ。  当ブログでも何度も繰り返して説明している「キューブリックは俳優やスタッフとのコラボレーションでシーンを作る」のレオンの証言です。キューブリックはトップダウンではなく、コラボレーションを好みました。ただ、キューブリックのOKラインが非常に高かったので、そのコラボレーションは苦労が多いものになりがちでした。なぜなら延々と「ああでもない、こうでもない」を...

【関連記事】スタンリー・キューブリックは『シャイニング』でどのようにエレベーターに血を溢れさせたか?

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 スタンリー・キューブリックの1980年の傑作ホラー映画『シャイニング』には、幽霊のような双子の少女から身も凍るような犬男まで、スクリーンには今日まで映画ファンの悪夢に染み込むような恐ろしい映像があふれている。  しかし、伝説の映画監督自身があまりに怖くて、撮影当日にオーバールック・ホテルのセットにいられなかったシーンがある。それは象徴的な「血のエレベーター」シークエンスだ。エレベーターのドアがゆっくりと開き、粘着性のある赤い液体が壁や家具、カメラのレンズに至るまで溢れ出す静止画の、象徴的なシーン「血のエレベーター」である。  このシーンは、映画の中で何度も繰り返されるほど効果的に不気味なもので、ワーナー・ブラザースはこのシーンをまるごと『シャイニング』の予告編の一つとして流した。そして、一度フィルムに収めると、キューブリックは喜んで何度も何度も繰り返し観たという。  しかし、彼の長年のパーソナル・アシスタントであるレオン・ヴィタリは、厳格な監督として知られる彼が、撮影当日にいかにスタッフに撮影を任せていたかを今でも覚えている。「スタンリーはそれを見る気になれなかったんだ」と、ヴィタリはYahoo Entertainmentに明かしている。「僕らがセットに入ったとき、スタンリーは『見張っていて、何かあったら言ってくれ』と言ったんだ。そして、出て行ってしまったんだ!」  はっきり言って、キューブリックは血液恐怖症ではなかった。ヴィタリの説明によると、映画監督が恐れたのは、多くの準備を必要とした重要なシーンがひどく失敗する可能性を見ることだったのだ。  「血の質や色をできるだけ自然にするために、何週間も何週間も費やしました」と、現在70歳のヴィタリは言う。「赤すぎてもいけない。何百ガロンもの血を流すわけですから、その濃さも重要です。エレベーターのようなものに大きな圧力がかかると、気をつけないと吹き飛んでしまうから」。  大がかりなスタントが失敗することに、彼がどれほど神経質になっていたかを考えると、キューブリックがそもそもなぜエレベーターに血液を入れるというアイデアを思いついたのか、疑問に思うのは当然だろう。それは原作に忠実(スティーブン・キングが愛する1977年の小説)でありたいということではない。この小説の中でキングがオーバールックのエレベーターに詰め込んだのは、パ...

【関連記事】「社会を鏡で映すと、社会は反発する」 カタリーナ・キューブリック、『アイズ ワイド シャット』を語る

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左:ポスター初期案、右:決定案   カタリーナ・キューブリックがこの映画の初期のポスターデザインについて、そして彼女の父親がこの映画を彼の最高傑作と考えた理由について語ります。  キューブリック一家がアイルランドに移住(注:撮影のためアイルランドに一時期一軒家を借りていた)し、美術学校を退学することになったのは彼女が19歳の時でした。そのカタリーナ・キューブリックが初めて裏方として携わった作品が『バリー・リンドン』(1975年)です。「彼はすでに私に写真の撮り方を教えてくれていました」と彼女は振り返ります。それで彼は「そうか、君は何もしていないのだから、忙しい方がいいんじゃないか」と言ったのです。「ロケ地を探しに行ってくれないか」と言われました。  彼女はその後、彼の数々の作品に携わることになります(1980年の『シャイニング』ではオーバールック・ホテルのカーペットを調達するなど)。『アイズ ワイド シャット』では、ビルが(彼女の息子が演じる)少年を診察するシーンで彼女が一瞬映りますが、ハーフォード家のアパートを埋め尽くす彼女自身の絵の方が多く登場します。  その中には、映画の冒頭で夫婦がパーティに出かけるときに見える廊下の猫の絵もあります。これはキューブリックの愛猫ポリーの絵で、カタリーナが彼の60歳の誕生日のために描いたものです。彼女はこの絵が映画の中で目立つ位置にあることを喜び、「彼からの感謝の気持ちのようなもの」だと考えています。キューブリックが亡くなった後、カタリーナと彼女の母クリスティアーヌ(ハーフォード・シャーの家の壁に絵が飾られている)は、映画公開のためのポスターをデザインしています。 —これらのポスターは、どのような経緯でデザインされたのですか?  スタンリーが亡くなった後、母と私はスタジオから『アイズ ワイド シャット』のポスターのアートワークを受け取りましたが、彼への最後の贈り物として、ぜひ自分たちでデザインしたいと思いました。特に母は、私たちなら彼が喜ぶようなポスターがデザインできると思っていたようです。  ご存知のように、スタンリーはポスターキャンペーンにいつも深く関わっていました。エレガントでスタイリッシュ、そして地下鉄の駅構内や新聞を開いたときにすぐに目に入るようなポスターが、彼にとって重要なことだったのです。象徴的でなければな...

【関連書籍】戸田奈津子 金子裕子著『KEEP ON DREAMING』で語った、『フルメタル・ジャケット』翻訳家降板事件の戸田氏の言い分

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これが戸田氏の訳だったらどんな「甘い」ものになっていたのやら・・・ ※P144より抜粋 Q『フルメタル・ジャケット』の字幕訳者を交代した理由は?  そのマシュー・モディーンが主演した『フルメタル・ジャケット』の監督、スタンリー・キューブリックは究極の完璧主義者でした。自分の映画が公開されるときは、あらゆる国のポスターデザイン、宣伝コピーなどの宣材を全て、フィルムの現像の焼き上がりチェックまで、とにかく全てに目を通します。たとえば日本で印刷したポスターは色が気に入らないと言って、自分が住んでいて目の届くイギリスで印刷させていたほどです。  じつは『2001年宇宙の旅』(1968年)、『時計じかけのオレンジ』(1972年)など、過去の作品は大先輩の高瀬鎮夫さんが字幕をつけられていて、「キューブリックは字幕原稿の逆翻訳を要求するバカげたことをなさる大先生だ」とぼやいておられました。その高瀬さんが亡くなられ、私に回ってきたのが『フルメタル・ジャケット』だったのです。  ベトナム戦争たけなわの頃、アメリカ国内の陸軍基地(注:海兵隊基地の間違い)でしごき抜かれた新兵たちが、やがて地獄のようなベトナムの戦地へと送られて行く。これだけで言葉の汚さは想像つくでしょうが、とくに前半の鬼軍曹のしごき場面のすさまじいことといったら!日本人にはまったくないののしり文句を、新兵に浴びせまくるのです。たとえば、「Go to hell, you son of a bitch!」というセリフに「貴様など地獄へ堕ちろ!」という字幕をつけたとします。キューブリック監督の要求通り、その字幕を文字通り英語に直すと、「You - hell - drop」となり、英語の構文に整えるとなると「You drop down to hell !」のようなことになる。「Go to hell, you son of a bitch !」が「You drop down to hell !」になって戻ってきたら、キューブリック監督でんくても「違う!」と怒るでしょ。英語とフランス語のように語源を共有し(注:語源が語族という意図なら英語はゲルマン語族、フランス語はラテン語族で全く異なる)、いまも血縁関係を保っている言語同士ならともかく、まったく異質の言語の間で翻訳・逆翻訳をやって、元の文章に戻ることはありません。  「a son ...

【インスパイア?】「白いモノリス」らしき物体が登場するピンク・フロイド『ようこそマシーンへ(Welcome to the Machine)』の公式MV

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視聴は制限がかかっているので YouTubeでご視聴 ください(※一部残酷な描写があるので視聴注意)   このブログでは過去にキューブリック(特に『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』)とピンク・フロイドの関連性について何度か採り上げてきましたが、1975年にリリースされた超名盤『炎~あなたがここにいてほしい』収録曲、『ようこそマシーンへ(Welcome to the Machine)』の公式MVに「白いモノリス」らしきものが登場しているのでご紹介。  まずびっくりしたのが『ようこそマシーンへ』に公式のMVが存在したんですね。しかも『ザ・ウォール』っぽいアニメーションで。全く知らなかったのですが、 wiki によると「『ようこそマシーンへ』のミュージック・ビデオは、後に『ザ・ウォール』のアニメーションを担当することとなるジェラルド・スカーフが製作した」とありますので、このMVをメンバーが気に入り、『ザ・ウォール』での起用につながった可能性があります。  そういう経緯なので、この「白いモノリス」登場にどこまでメンバー、特にロジャー・ウォーターズが関与したのかは不明ですが、『2001年…』が当時の世界中のクリエーターに与えた影響は言うまでもないので、単にジェラルド・スカーフがインスパイアされただけなのかも知れませんね。

【関連記事】キューブリック右腕だったヤン・ハーラン、スタンリー・キューブリックを語る

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Jan Harlan(IMDb)   キューブリックの好きな映画や鑑賞習慣に関する資料を作成するために、彼の義弟であり、親友であり、常任エグゼクティブ・プロデューサーである彼に、キューブリックの85歳の誕生日を記念して話を伺いました。 ニック・リグレイ :スタンリーと仕事を始めたのはいつですか? ヤン・ハーラン :1969年です。私のオフィスはエルスツリーの彼の家か、1979年以降はすぐ近くのセント・オールバンズにありましたが、約30年間ほとんど毎日スタンリーに会い、電話で話していました。彼はとても忙しく、同時に多くのことができたので、あなたが質問することに対してすべての答えを私が持っているとは少しも思っていません。私は、彼のスピードや知性についていけなかったのです。唯一、彼と同じ土俵に立てたのは、音楽と卓球だけでした。でも私はこの仕事と、彼と一緒に仕事をすることが大好きでした。いつも苦労がないわけではありませんでしたが、最高に満足できるものでした。 ニック・リグレイ :スタンリーとの仕事が始まったのは、彼のワーナー・ブラザーズとの契約が始まった時期と重なるわけですね。 ヤン・ハーラン :そうです。彼がワーナー・ブラザーズと最初に契約したのは、1970年の『夢小説(Traumnovelle)』だったということはご存知ですか?その約30年後に『アイズ ワイド シャット』になった作品です。彼は脚本に満足していなかったので「延期」し、『時計じかけのオレンジ』が登場し、脚本は「ハサミ仕事」だったので、これをやることにしたのです。  その後、『シャイニング』の前に、彼は『夢小説』をウディ・アレン主演の低予算アートハウス映画としてモノクロで制作することを思いつき、ロンドンやダブリンで撮影し、ニューヨークを模倣することを考えました。常にニューヨークと現代が舞台でした。ウディ・アレンがニューヨークのユダヤ人医師をストレートに演じる、それが彼の計画でした。しかし、脚本に納得がいかず、再び断念しました。  『アイズ ワイド シャット』を、彼が映画芸術への最大の貢献と考えていることを知り、私はとても嬉しく思っています。重要な判断ができるのは彼だけだと思います。 ニック・リグレイ :スティーブ・マーティンが一時期(おそらく80年代前半)、主演の座を狙われていたという話は聞いていまし...

【関連動画】ダグラス・トランブルから受け継がれた 特撮の極意

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 今年2月に急逝したダグラス・トランブルが登場する、SF映画『フォース・プラネット』のメイキング・ドキュメンタリーです。CG氾濫の昨今、このように「あえてミニチュアモデルで映画を作りたい」と考える若い映画製作者の出現は非常に心強いものがあります。トランブルもその心意気を買ったのでしょう。  水槽に液体を垂らして未知の宇宙空間を表現したり、ディテールにこだわったモデル制作など『2001年宇宙の旅』で用いられた方法がここでも使用されています。トランブルが「予想外の現象が起きてもそれを受け入れる。プログラマーが設計するCGなどアルゴリズムでは不可能だ。想定内の出来事しか起きない。自分の予想を超えたときすばらしい映像が撮れる」と語っているところは非常に印象的です。キューブリックはそれを「マジック(魔法)」と呼びましたが、『2001年…』でもスターゲートの水槽のシーンはロンドンで再び試みられたものの、マンハッタンで作った映像には及びませんでした。これは「マジック」が足らなかったのでしょう。  『フォース・プラネット』は現在アマゾンプライムで視聴できるそうなので、この若いスタッフの挑戦の結果を知りたい方はご覧になってみてはいかがでしょうか。視聴は こちら からどうぞ。

【関連記事】映画ファン1000人が選ぶ クラシック音楽が印象的な映画

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 物語を盛り上げ、感情を揺さぶる美しいメロディーの数々。スクリーンを通してこそ気づく、名曲の知られざる魅力がある。映画ファン1000人が、クラシック音楽が印象的な作品を選んだ。 〈中略〉 8位 2001年宇宙の旅 <交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(R・シュトラウス)> 271ポイント トランペットの響きが特徴的  謎の黒い石板との接触を通し、ヒトザルが人類へと進化し宇宙を開拓する様子を描いたSF映画。同曲は冒頭シーンをはじめ計3回使われる。厳かなトランペットの響きが特徴的で、「壮大な登場感を表現するのにぴったり」と西村さん。 〈中略〉 クラシック人気 映画が一役 〈中略〉 戦後の映画史とクラシック音楽の関わりの上で欠かせない存在となるのがスタンリー・キューブリック監督だ。今回ランクインした作品のほかにも、ベートーヴェンの交響曲第9番が登場する「時計じかけのオレンジ」(71年)など同監督の作品には多くのクラシック音楽が使われており、「曲の背景を考え抜いた上で意識的に映像が作られている」と小室さんは話す。「ツァラトゥストラはかく語りき」のように、映画を通じて有名になった曲も少なくなく、西村さんは「映画がクラシック音楽人気を作っていった」と指摘する。 〈以下略〉 (全文はリンク先へ: 日経新聞/2022年7月23日 ) ※無料会員登録で購読可  キューブリックが本格的にクラシック曲を自作に使用するようになったのは、記事にある通り『2001年宇宙の旅』からです。キューブリックはその理由を「いい曲がいっぱいあるのだからいろいろ試さないと」「編集時に試行錯誤できる」という理由を挙げていますが、何よりも「映画は映像と音楽、セリフ(言葉)はその次」というキューブリックの考え方によるものです。無声映画にハマっていた若い頃、セルゲイ・エイゼンシュテインの『アレクサンドル・ネフスキー』で使用された『氷上の戦い(The Battle of the Ice)』を狂ったように聴き続けた(・・・あげくの果てに怒った妹のバーバラにレコードを叩き割られた。笑)経験から(詳細は こちら )、音楽がそのシーンを表現する力は言葉以上だと実感したのでしょう。  クラシックファンやミュージシャンにキューブリックファンが多いという事実は、こいった経緯と無関係ではないでしょう。また、音楽に合わせて映像編集...

【インスパイア】『レイトン ミステリー探偵社 ~カトリーのナゾトキファイル~』第24話のサブタイトルが『時計仕掛けのスウィーツ』だった件

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 2018年にオンエアされたTVアニメ『レイトン ミステリー探偵社 ~カトリーのナゾトキファイル~』第24話のサブタイトルが『時計仕掛けのスウィーツ』だったのでご紹介。  元ネタは言うまでもありませんが、お話はかなり強引・・・希望にあふれる良いお話で、確かにタイトル通り「時計仕掛けのスウィーツ」であることは(ほぼ)間違いないです。公式サイトを見るとサブタイにチラホラ映画ネタがあるので、これもそこからの発想でしょう。  『名探偵コナン』の劇場版にも『時計じかけの摩天楼』というのがありましたが、こうして無意識の内に幼い頃から「時計じかけ」という慣用句が刷り込まれてしまい、その行き着く先があの作品というのはなんだか皮肉なものを感じます。「時計じかけ・・・ってどっかで聞いたことあるな。よし、これ(時計じかけのオレンジ)観てみよ→絶望」という図式が日本全国で繰り返されているのだとしたら、こんなに面白い・・・いや、悲惨なことはないですね(笑。  現在このアニメはAmazonプライムで視聴できますので、興味のある方は こちら からどうぞ。公式サイトは こちら 。

【関連記事】「日本語吹替版がもっとも素晴らしかった」と…トム・クルーズを演じ続けた森川智之が叶えた“念願の対面” 『声優 声の職人』より#1

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森川智之(wikipedia)  〈前略〉 とんでもない現場でのかけがえのない経験  鬼才キューブリックの横で一緒に作品を作ってきた人ですから、面接の迫力もすごいものでした。開口一番、「ミスター森川はキューブリックをどう思う?」「この映画をどう思う?」という話になるんです。僕なりにがんばって答えましたが、今思えば特別なことが言えたわけではありません。  その後、演じるにあたってのディスカッションをしました。そのとき彼から求められたのは、「トムとまったく同じことをしてくれ」というものでした。トムがどのように役を理解して、どのように演じて、何を思ってしゃべっているのか。それをゼロから理解して、そのうえで演じてほしい、と。  僕は、「とんでもない現場に来てしまったなぁ」と思いました。それまでにも吹替えの仕事はたくさんしていましたが、この現場はすべてがちがいました。  2時間から2時間半の映画の吹替えを収録するとき、僕らは10時に集まり、お昼休憩をはさんで20時から21時くらいには終わることが多い。遅くなる場合があっても、せいぜい1日がかりです。  しかし、『アイズ ワイド シャット』は僕だけで1週間かかりました。もちろん1週間といっても、丸々1日収録した日もあれば、他の仕事の都合で5時間しか収録できない日もありました。ただ、5時間かけて台本1頁しか進まなかったり、前回の収録が気に入らないからといって同じ時間をかけて撮り直したりということもありました。  レオンはアクターズスタジオで学んだ役者でもあります。だからか、僕に対しても同じ役者として接していました。そして、要求もとても高度なものでした。  一般的にはスタジオの中にマイクが3本ほど立てられていて、3、4人で同時に収録するんですが、『アイズ ワイド シャット』では1人ずつ、しかも動きを交えての収録でした。吹替えの声優は声だけを演じればいいのがふつうですが、ここではそうじゃないんです。  ベッドシーンだとスタジオにベッドが置いてあり、トムと同じような格好をしてセリフを話すんです。ベッドに横たわり、映像を見て、マイクに向かって話す。いくつものことを同時にやらなくてはいけなくて。僕はしまいにセリフをすべて覚えてしまいました。覚えないとできなかったからです。  セリフをしゃべると、レオンが言うんです。  「おまえ、今何...

【関連記事】関係者が語る「偉大なる熱血映画小僧」スタンリー・キューブリックのエピソード集

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Stanley Kubrick(IMDb)  〈前略〉 レオン・ヴィタリ (『バリー・リンドン』『アイズ ワイド シャット』俳優、『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』パーソナルアシスタント、『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』キャスティングディレクター):スタンリーが引きこもりだという話ですが、彼は家に閉じこもりがちでしたが、時々外に出て買い物をするんです。一流の映画監督で、自分で買い物をする人がどれだけいるでしょうか? ラリー・スミス (『アイズ ワイド シャット』撮影監督):スタンリーが世捨て人であるというのは誤解です。確かに初対面の人に対しては少しシャイでしたが、それも長くは続きませんでした。何か興味のあることを見つけて、その人とコミュニケーションが取れれば、それでいいのです。スタンリーは、いろいろなことに広い視野を持っていました。彼はインテリであることは間違いないです。父親は医者でしたが、スタンリーは独学で勉強しました。本を読み、政治、宗教、スポーツなど、あらゆることについて自分の意見を述べることができました。また、スタンリーはとても温厚な面も持っていた。私が彼の家の台所に行くと、彼はコーヒーを淹れてやってきて、「トーストとか、何か食べるかい?」と言って手で取り出して、テーブルの上に叩きつけて、焦げたパンくずを取り除くんです。「ナイフでバターを塗ろう」と言うんです。コーヒーもこぼれるし、散らかり放題。僕にとっては、それが最高なんです。「スタンリー・キューブリックが紅茶とトーストを作ってくれているんだ!」と思ってね。そういう些細なことの大切さは、その人が亡くなって、もう二度とできないんだということが分かって初めて分かるんです。 ケン・アダム (『博士の異常な愛情』『バリー・リンドン』プロダクションデザイナー):スタンリーは、『バリー・リンドン』のすべて、あるいはそのほとんどを、自宅のあるエルスツリーから文字通り30マイル圏内で撮影することを望んでいたのです。当時、『時計じかけのオレンジ』は大成功を収めていましたが、彼は脅迫状をたくさん受け取っていて、遠くのロケ地に行くことに少し抵抗があったのです。私はその計画がうまくいくとは思えないと彼に言いました。彼のこの問題に対する姿勢には非常にイライラさせられま...

【ブログ記事】キューブリックが予測した「トンデモ未来」と、意外なその素顔

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Stanley Kubrick(IMDb)  「10年以内に、死者の冷凍保存は米国だけでなく、世界中で主要な産業になると思います。想像力のある投機家たちには、投資の分野としてお勧めします」 「おそらく2001年までに達成されるかもしれない最大のブレークスルーは、人間が老いをなくすことができるかもしれないという可能性です」 「洗練された3Dホログラフィックテレビや映画ができ、全く新しい形の娯楽や教育が考案されるかもしれません」 「脳をタップし、自分が恋愛や冒険の主人公になるような鮮明な夢体験にいざなう機械ができるかもしれませんね。もっと進んだレベルでは、同様の機械があなたに直接知識をプログラムすることも可能です。この方法では、たとえば、流暢なドイツ語を20分で簡単に学ぶことができるかもしれません」 「私は2001年までに、肉体的、精神的、遺伝的に悪影響のない化学物質が考案され、心に翼を与え、現在の進化的な能力を超えて知覚を拡大できると信じています。2001年までに魅力的な薬が入手可能になるはずで、それをどう使うかが重要な問題になるでしょう」 「ピルによって半ば妻帯したいわゆる性革命は、さらに拡大するでしょう。薬物によって、あるいは潜在的な超能力の機能を研ぎ澄まし、あるいは機械的に増幅することによって、それぞれのパートナーが同時に相手の感覚を体験することが可能になるかもしれない。あるいは、最終的には、男性と女性の成分が曖昧になり、融合し、交換された多形の性的存在になるのかもしれない。新しい性体験の領域を開拓する可能性は事実上無限です」 「遠い将来、半知能のロボットとコンピュータのサブカルチャーが進化し、ある日突然、人間を必要としなくなることも考えられなくはないでしょう」 (引用元: Openculture.com/2022年4月19日 )  『2001年宇宙の旅』における未来予測の正確性は度々話題になりますが、それは映画に協力したIBMをはじめ各企業がその時点から予測し得る、またその頃開発していた技術から推測されたものです。もちろん映画で採用する・しないの判断はキューブリックが行ったので、その知的、美的判断力は褒め称えるべきですが、アイデアや開発そのものまでキューブリックの功績だとして語ってしまうと、「それは違う」ということになります。  上記に挙げたのは引用記...

【ブログ記事】キューブリック作品の映像が、隙のない完璧なものに見える理由

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この洗練された完璧な映像たちはキューブリックの独断と命令によって得られたものではない  おそらくかなり多くの人が誤解(アマチュアだけでなく、いわゆる映画評論家や解説者と言われている人たちまで)していることに「どうしてキューブリック作品の映像は完璧で、隙がないように見えるのか?」があります。大多数の人はキューブリックは完璧主義者なので、自分の頭の中に描いたイメージを極限まで追い求めた結果であると考えていますが、それは「完全に誤解」です。  キューブリックが多テイクなのは有名ですが、その「多テイク」を語る際に忘れがちなのが、カメラマンやカメラ助手(フォーカス・絞り担当者、動作担当者)、プロップ(小道具)担当者や照明担当者などの撮影スタッフの存在です。つまり彼らスタッフにとって、同じシーンを繰り返し撮影するということは、それだけ映像の完成度を上げる絶好の機会だということです。ワンショット目よりも20ショットめの方がそのシーンのコツを掴み、カメラ動きも洗練されます。加えてその度に構図や照明の微調整もなされ、映像の完成度も上がっていきます。もちろん全てのことに関し、キューブリックは口うるさく干渉しますが、それは「ああしろ、こうしろ」というものではなく、「あっちの方がいいかな。こういうやりかたもあるかも」と、俳優やスタッフとアイデアを出し合いながら練り上げて行ったものなのです。つまりキューブリックの撮影現場は「トップダウン的な手法」ではなく「錬金術的(トライ&エラーを繰り返す)な手法」と言えるでしょう。  キューブリックの関連書籍を読むと、多くの俳優やスタッフがこの「錬金術的な手法」について、「自分の技術や才能を搾り取られる」という表現をしていることに気づきます(そしてヘトヘトになる。笑)。とにかくキューブリックはしつこくて諦めが悪いのです。何度も何度もショットを繰り返し、無駄を削ぎ落とし、そのシーンの最適解を見つけようとする・・・その結果、完璧で隙のない映像が得られるわけですが、その映像だけ観た観客や視聴者は「キューブリックは完璧主義者である」という刷り込みから、勝手に「キューブリックがトップダウンで命令した結果」と思い込み、それをネット上あちこちで触れ回る、という状況に陥っています。まあ一般の視聴者がそう誤解するのは仕方ないにしても、それなりにフォロワーを抱えている...

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Peter Hyams(IMDb) 〈前略〉 —『2010年』を引き受けることに不安はなかったのですか?  MGMから『2010年』を依頼されたとき、私はやりたくなかったんです。私がスタンリー・キューブリックと比較されるのは、背の低い人がシャキール・オニールと比較されるようなものだからです。私はこの本を読んでMGMに「このプロジェクトを引き受けるには2つの条件がある」と言ったんです。ひとつは、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの許可が必要なこと。もうひとつは、私の経歴と、この本がロシア人とアメリカ人が協力して宇宙を航海をするという内容であることから、冷戦をもっとテーマにした作品にしたいということです。宇宙にいる間は、地球上ではあまり良い状態ではない、平和ではない状態を作りたかったのです。レーガン政権の時代です。MGMは「問題ない」と言ってくれました。  スリランカにいるアーサー・C・クラークと長距離電話をしたのですが、彼はとてもいい人でした。彼は私がやりたいことに賛成だと言ってくれました。私は彼と密接に協力し、脚本を書きながら彼にページを送り、コメントをもらいたいと伝えました。当時はまだコンピュータがない時代。Kプロは私のオフィスとアーサー・C・クラークの家にコンピュータを設置しました。毎日、私が書いたものをバイナリ送信して朝には彼のコメントが届くのです。  スタンリー・キューブリックと話をする時間を設けました。私がオフィスにいると、秘書が入ってきて、「スタンリー・キューブリックから電話です」と言ったのを覚えています。私は電話に飛びつき、文字通り立ち上がりました。彼と話している間、ずっと立っていたんです。私は「こんにちは、キューブリックさん」と言いました。すると彼はすぐに「『アウトランド』で、あのショットはどうやって撮ったたんだ・・・」と言い出し、私がどうやったか、なぜそうしたか、どのレンズを使ったか、F値はいくつかなど、撮影に関するあらゆる技術的な質問をし始めたんです。会話の約1時間半後、私は「聞いてください。あなたは私が・・・を行うことを認めますか?」と尋ねました。そして私が言葉を発する前に彼は「ああ、ええ、結構です。あなたはそれによって素晴らしいことになるでしょう」。そして彼は技術的な質問を続けました。電話を切る前に、彼は「これが私があなたに伝...

【関連記事】『イースト・ビレッジ・アイ』1968年8月号に掲載された、『2001年宇宙の旅』公開時のキューブリックのインタビュー

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〈前略〉 イースト・ビレッジ・アイ :どのようにしてSFに興味を持ったのですか?一時期、そして現在も地球外生命体の可能性や哲学的な意味合いに興味を持たれているようですね。それは本当ですか? キューブリック :はい。でも、私はSF好きというわけではありませんでした。SFは読みますが、宇宙には知的な文明や高度な種が存在するという科学的な蓋然性に非常に興味を持つようになりました。私はアーサー・クラークの作品に憧れていたのですが、彼はSF作家の中で最も才能があるだけでなく、その知識と一般的な科学的背景から、高度な地球外文明という私の関心を中心に展開する物語を一緒に作るのに、一番ふさわしい人物だと思ったんです。 イースト・ビレッジ・アイ :この映画は、科学的に正確であることが絶対に必要だと最初から感じていたのですか? キューブリック:意図的な愚かなミスはあってはならないと思ったのです。しかし、この物語で描かれるような領域に入るには、純粋に想像力を働かせ、事実に基づく要素を、観客に劇的な信用を築くための手段として使わなければなりません。2001年にどのようなハードウェアが利用できるようになるかという予測は、簡単に手に入れることができます。クラーク自身NASAから「どうなると思うか」とよく聞かれるそうです(あなたが思っているよりずっと秩序のないビジネスです)。彼ら自身、何が出てくるかよく分かっていないと思います。しかし、この映画で紹介されたハードウェアは、何が存在するかに関する一般的な信念と論理的に矛盾するものではありませんでした。この映画で問われることは、実はそれほど多くはないのです。つまり、宇宙ステーションや月面基地があることは誰もが知っていることなのです。このようなことは、宇宙の専門家なら誰でも知っていることであり、同意見です。唯一の疑問は、超知能マシンのコンセプトで、これについては、コンピュータの専門家の間でおおむねコンセンサスが得られています。 イースト・ビレッジ・アイ :映画の脚本についてお聞かせください。従来の方法ではなく、最初は小説として書かれたそうですね。 キューブリック :小説というより、映画の長編散文としてアーサーと私で書きました。脚本という形式は特に視覚的、感情的な情報を伝えるにはあまり理想的ではない方法です。脚本という形式は、描写を控えめにしなければなら...

【ロケーション】キューブリック作品が製作された撮影地一覧(概略)

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在りし日のMGM英国スタジオ。現在は「Panattoni」という倉庫会社の倉庫になっている  ●『恐怖と欲望』(1952) ロケーション:サンフランシスコのサン・ガブリエル山脈 拠点:ロサンゼルス ●『非情の罠』(1955) ロケーション:ニューヨーク市内 拠点:ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ ●『現金に体を張れ』(1956) スタジオ:ハリウッドのチャーリー・チャップリン・スタジオ(※閉鎖) ロケーション:ロサンゼルス市内 拠点:ハリウッド ●『突撃』(1957) スタジオ:ミュンヘンのガイセルガスタイク・スタジオ ロケーション:ダッハウ(戦闘シーン) 拠点:ハリウッド ●『スパルタカス』(1960) スタジオ:ユニバーサル・スタジオ ロケーション:スペインのデヘサ・デ・ナバルビラー(大規模戦闘シーン) 拠点:ハリウッド ●『ロリータ』(1962) スタジオ:ABPCスタジオ(現エルスツリー・スタジオ) ロケーション:イギリス南部、アメリカ東海岸 拠点:ニューヨーク、ロンドン ●『博士の異常な愛情』(1964) スタジオ:シェパートン・スタジオ 拠点:ニューヨーク、ロンドン ●『2001年宇宙の旅』(1968) スタジオ:シェパートン・スタジオ、英国MGMスタジオ(※閉鎖)、エルスツリー・スタジオ 拠点:ニューヨーク、ロンドン ●『時計じかけのオレンジ』(1971) ロケーション:ロンドン市内、イギリス南部 拠点:ロンドン ●『バリー・リンドン』(1975) ロケーション:アイルランド、イギリス南部 拠点:アイルランド、ロンドン ●『シャイニング』(1980) スタジオ:エルスツリー・スタジオ 拠点:ロンドン ●『フルメタル・ジャケット』(1987) ロケーション:ロンドン市内、イギリス南部 拠点:ロンドン ●『アイズ ワイド シャット』(1999) スタジオ:パインウッド・スタジオ ロケーション:ロンドン市内、イギリス南部 拠点:ロンドン  おおまかな流れとして、ニューヨークで映画づくりを始めたキューブリックはハリウッドに進出するが、『スパルタカス』で経験したハリウッドの様々な制約を避けるために拠点をニューヨークに移してロンドンで撮影、しばらくはニューヨークとロンドンを行き来(客船で)する生活になる。『時計じかけのオレンジ』で完全にロンドンに拠点を...