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【関連記事】BFI(英国映画協会)がオールタイムベスト100を発表。『2001年宇宙の旅』が今回は第6位

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2001: A Space Odyssey(IMDb) 1位:『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975) 2位:『めまい』(1958) 3位:『市民ケーン』(1941) 4位:『東京物語』(1953) 5位:『花様年華』(2000) 6位:『2001年宇宙の旅』(1968) 7位:『美しき仕事』(1998) 8位:『マルホランド・ドライブ』(2001) 9位:『これがロシヤだ』(1929) 10位:『雨に唄えば』(1951) (全順位は こちら )  BFI(英国映画協会)が10年に1度発表するオールタイムベスト100で、『2001年宇宙の旅』が第6位(前回のランキングは評論家が6位、映画監督が2位で、ほかのランキングは こちら )にランクインしました。他のキューブリック作品では『バリー・リンドン』が45位、『シャイニング』が88位となっています。  このBFIのランキング、映画監督など映画(製作)関係者、批評家のチョイスですので、一般のユーザー(視聴者)評価とはかなり乖離があります。英国映画協会主催ですし、一般層(映画ファン)に人気のいわゆるアメリカ産ハリウッド映画は選ばれない傾向があります。ですので、このランキングで「名作度」や「傑作度」を語るのは無意味だし、これらを全部観ていることが「映画通」ということでもないでしょう。「へえ、プロが選ぶとこうなるのか、なるほどね」という程度の認識で良いと思います。  そんなランキングですが1位は・・・全く存じ上げませんでした。どうして1975年公開のこの作品が急に評価されたのか経緯は知らないのですが、何か再評価の機会があったのでしょう。突発的にこういう作品が再評価されるのがこのランキングの特徴です。とにかく映画のプロが選ぶ作品として、キューブリック作品が3作品も選ばれているという事実は、もうこれは「映画史的にある程度キューブリックの評価は固まったもの」として考えて良いのではないかと思います。またそれは、何度も繰り返し選ばれている作品群(『めまい』『市民ケーン』『東京物語』など)にも同様のことが言えるのではないでしょうか。 追記:上記は批評家による順位で、映画監督によるランキングは以下の通り。『2001年宇宙の旅』が1位に輝いたそうです。 1位:『2001年宇宙の旅』(1968) 2...

【関連記事】マルコム・マクダウェルが『時計じかけのオレンジ』で主演したがっていたミック・ジャガーとビートルズについて語る

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 〈前略〉  『時計じかけのオレンジ』公開50周年を迎えたゲストのマルコム・マクダウェルは、ミック・ジャガーがこの映画に出演したかったことや、ポール・マッカートニーがマクダウェルの別の作品『レイジング・ムーン』の音楽を担当しそうになったことなどを語りました。 〈中略〉  マクダウェルは、ジャガーと映画とのつながりや、シンガーが 『時計じかけのオレンジ 』の主演を望んでいたことについて、次のように話しています。「俺たちは昔、友達だった。ニューヨークでつるんでいたんだ。当時はアンディ・ウォーホルとかの〈ダチ仲間〉だったんだ。ある晩、セントラルパークの東側にある誰かのアパートでたむろしていたんだ。ジャガーが『時計じかけのオレンジ』でアレックスを演じたいというので、窓際の席に座って話していたんだ。キューブリックがこの作品を手に入れる前に、ミック・ジャガーとストーンズが(『時計…』を)やりたがっていたんだ!」。すごい、それは見てみたい!  その晩、マクダウェルはイタリアの聴衆に他の2つのことを話した。「ミック・ジャガーは私にこう言ったんだ、マルコム、50歳でこれをやるなんて考えられない!」マクダウェルはストーンズのリードボーカルの動きを真似て言った。「50? それで、今、彼らはどうなっているんだ?80? ファンタスティック!」。その夜、セントラルパークの暗い空間を見て、ミック・ジャガーはジョン・レノンが住んでいたダコタ・ビルの方を指さした、とマクダウェルは回想している。「そして彼は私に『王様はあそこに住んでいる』と言ったんだ。その瞬間、もちろん彼らはジョンが何であるかを知り、彼が王であることを知った。『それでおしまいだ』とね」。  ビートルズと同じくリバプールで育ったこの俳優も、グループとの付き合いは長い。まだシルバー・ビートルズと呼ばれ、カバーばかり歌っていた頃の彼らのステージを、地元で何度も見たことがあるのだ。「ガールフレンドに連れられて見に行ったんだ。私は、人前で話す人があんなに下品な言葉を使うのを聞いたことがなかったので驚いた。でも、何度も何度も足を運んだ。もちろん、彼らはレノンとマッカートニーという、当時のモーツァルトだ。そして彼らの音楽は、今も発売当時と同じように人気がある」。マクダウェルの息子の一人であるシンガー、ベケット・マクダウェルが演奏したビートル...

【関連動画】宇宙飛行士がベルクロの靴を履いて宇宙ステーションを歩く『2001年宇宙の旅』のワンシーンを再現

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  国際宇宙ステーション司令官サマンサ・クリストフォレッティは、映画『2001年宇宙の旅』の象徴的なシーンを再現したコスプレで、ベルクロの靴を履いて登場しました。 (引用:動画説明文)  『2001年宇宙の旅』の製作・公開時にはアポロ計画が進行中であり、そのアポロ宇宙船も、月着陸船も、内部は狭くてただ座っていることぐらいしかできなかったため、人間が無重力空間でどういう動きをするのか、また、どういう動作が効率的なのはわかっていませんでした。  それがわかるのは1970年代に始まったアポロ残債消化計画(と言ったら言い過ぎ?)の「スカイラブ計画」からで、サターンロケットの胴体部分を宇宙ステーション(実際は巨大な人工衛星)に流用、その広い内部で活動する宇宙飛行士の姿が撮影されてからでした。  以上のような経緯から、『2001年…』で予想されていた無重力空間においてベロクロ(グリップシューズ)を使った徒歩によるによる移動より、単に空間を泳ぐ(壁などを蹴って浮遊する)方が効率的とわかり、この動画でも最後の方でその方法で移動しています。つまり「キューブリックやスタッフ、関係者は未来予測を間違ってしまった」んですね。  『2001年…』は未来予測の正確さもよく話題に登りますが実際は間違いも多くあり、あまり過剰に賛美するのは危険だと思います。ですが、このように現役の宇宙飛行士が時間とお金をかけ、わざわざ映画のワンシーンを再現してくれるほどのリスペクトを集めているという点において、たとえ間違いがあったとしても、やはり「偉大な作品」という評価は揺るぎないと思いますね。

【関連記事】キューブリック版『シャイニング』に対するスティーブン・キングの言い分

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Stephen King(wikipedia) 〈前略〉 デッドライン:『シャイニング』は大好きな本の1つでした。初めてキューブリックの映画を見たとき、本を読みながら想像していたものと違うなと感じたのを覚えています。でも、何年も何度も見ているうちに、あの映画の壮大な映像の素晴らしさがわかってきて、だんだん好きになっていったんです。当初は、あまり感動していなかったんですね。キューブリック監督は非常に偏屈な監督で、作家と共同作業をするようなタイプには見えませんが、このことはあなたの記憶にどのように残っているのでしょうか? スティーブン・キング:スタンリーと事前に電話で話したのですが、彼が本の中に自分の方法を見つけようと、手を伸ばしているのが感じられたのを覚えています。幽霊がいるならば、死後の世界がある、私たちはただ死ぬだけでなく、前に進むのだという前提があるということですから。そして私は、「キューブリックさん、地獄はどうなんですか?」と言ったんです。向こうで長い沈黙があり、彼はとても硬い声でこう言いました。「私は地獄を信じない」。でも、もし幽霊がいるとしたら、彼らは悪者にされるのと同じくらい、「光の中に入ってくる 」可能性が高いと私は思います。パトリック・スウェイジ主演の映画『ゴースト/ニューヨークの幻』を覚えていますか? デッドライン:はい、もちろんです。 スティーブン・キング:そこでは幽霊は本当は私たちの味方なんだけど、死ぬという体験が彼らを狂わせたのと同じようなものなんだ、という感じがしました。とにかく、『シャイニング』は美しい映画だと思うし、見た目も素晴らしいし、前にも言ったように、エンジンの入っていない大きくて美しいキャデラックのようなものです。そういう意味で、公開当時、多くの批評はあまり好意的ではなく、私もその一人でした。当時は黙っていましたが、あまり気に入ってなかったんです。 デッドライン:今はどうですか? スティーブン・キング:あの映画では、ジャック・トランスというキャラクターには何の文脈もありませんので、私も同じように感じています。全く文脈を描いていない。ジャック・ニコルソンを初めて見たとき、彼はホテルの支配人であるアルマン氏のオフィスにいたんですが、そのとき彼はネズミのように狂っていたんです。彼はますますおかしくなっていくんです。本の中では、彼は自分...

【関連記事】「私は彼を映画人として尊敬しています」『フルメタル・ジャケット』のマシュー・モディーン、キューブリックを語る

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Matthew Modine(IMDb)  〈前略〉 —スタンリー・キューブリック監督と『フルメタル・ジャケット』を製作することは、どのようなことだったのでしょうか?  私は彼を映画人として尊敬しています。そして、一人の男性として、父親として、夫として、彼を知ることになったのです。彼はおそらく、私がこれまで一緒に仕事をした中で最も自立した映画人だったと思います。彼は20ヵ月間働き続けても経済的に存続できる方法を考え出したのです。彼がしたことは探求し、実験することができる環境を作ることでした。彼はよく「何テイクやったのか?と聞かれるのが滑稽だ」と言っていました。彼はこう言いました。「モーツァルトに『ヴォルフガング、あなたのコンチェルトにはいくつの音があるのか?』と言われるのを想像してみてくれ。あるいはピカソに『あの絵は何画なんだ?』と。それはとても失礼なことで、誰が気にするんだ? 結果にこそ興味があるはずだろう?」 —『フルメタル・ジャケット』は、あなたが最も誇りに思っている映画ですか?  誰も見たことのないような子供たちも、私は大好きなんだと思います。アラン・パーカー監督の『バーディ』は大好きです。あれは役者として並外れた経験でした。また、『アラバマ物語』を1962年に映画化したプロデューサー、アラン・パクラとは、アルバート・フィニー主演の『オーファンズ』という映画で一緒に仕事をしたことがあります。私は彼との仕事がとても好きで、マイク・フィギス監督の『明日にむかって…』に出演したのは、純粋に彼ともう一度仕事をしたかったからです。彼は本当に生きる喜びを持っていて、いざ仕事をしようとするととても集中し、準備をしていて、これまで一緒に仕事をしたどの俳優とも違うのです。おそらく次に比べるなら、もう一人の紳士である『運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した』で一緒に仕事をしたイアン・マッケランでしょう。 〈以下略〉 (引用元: The Guardian/2022年11月13日 )  マシュー・モディーンはキューブリックに対して、いつも肯定的な発言ばかりではありませんでした。ギリギリまで判断を先送りしテイクを際限なく繰り返すキューブリックのやり方、特に拘束時間の長さにはかなり苛立ちを感じていたようです。インタビューにある「一人の男性として、父親として、夫として」とは、『フルメ...

【考察・検証】キューブリックが多テイクなのは、ルック社カメラマン時代にルーツがあるのでは?という考察

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1949年、ルック社カメラマン時代のキューブリック。 Stanley Kubrick(wikipedia)   キューブリックが映画監督になる以前は報道カメラマン(正確には写真誌カメラマン)だったのは有名な話です。当然ですが使用するカメラはムービーカメラではなくスチールカメラで、主にローライフレックス(詳しくは こちら )を好んで使っていて、写真集『Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs』(詳しくは こちら )に掲載されている正方形の写真は、ほぼローライで撮影されてものと考えて良いでしょう。  スチールカメラマンが被写体を撮影する際、それがヤラセであれ、ドキュメントであれ、ワンカットしか撮影しないということはありません。必ず複数テイク撮影します。理由は「その瞬間」のベストを求めてということもありますが、絞りを変えてみたり、ライティングやアングル、レンズやフィルターを変えてみたりと技術的な問題もあるからです。キューブリックはルック社時代に「ブツ撮り」もしていますが、どんな簡単な撮影でも露出を変えて数カットは撮影しています。  もちろんキューブリックの存命時はデジカメはありませんので、写真の仕上がりはフィルムの現像が終わり、ベタ焼き(フィルムを大きな印画紙に並べて現像すること。現在で言うところのサムネール)を見るまでは判断できません。この段階になって複数のテイクの中からベストのテイクを選び、ネガを印画紙に大きく焼き付けて、そのプリントを印刷に回すというのが写真誌制作のプロセスになります。  以上のように、キューブリックにとって撮影とは「数多くテイクを撮ってベストのカットをチョイスする」というのは「当たり前の行為」だったのです。ところが映画を撮り始めた当初はテイク数は多くありませんでした。キューブリックは「最初の頃は映画界の古い慣習に従うしかなかった」という旨の発言をしていますがそれだけではなく、予算も時間も限られる中、スチール写真のように「複数テイクを撮ってベストのカットをチョイスする」という行為が現実的に、立場的に難しかったのだと思います。  それが変化するのは『ロリータ』の頃からです。『スパルタカス』で業界内で一定の地位を確保し、それまでの借金生活(パートナーのハリスにお金を借りて生活してい...

【ブログ記事】ダイソーのプチブロック3キットで『2001年宇宙の旅』のスペースポッドとHAL9000を作ってみた

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 以前 こちら の記事でプチブロックで『シャイニング』の双子の少女を作った記事を書きましたが、今回はその第二弾です。そしてなんと『2001年宇宙の旅』のスペースポッドとHAL9000の2作品。300円(税別)で2作品ですからコスパはいいですね。では早速レシピをご紹介。 【準備するもの】 「宇宙飛行士」 ・ほぼ全てのブロックを使用。 「パンダ」 ・笹の緑のブロック以外のほぼ全てのブロックを使用。 「新幹線シリーズ~N700系先頭車両」 ・ほぼ全てのブロックを使用。 【作り方】  以下の画像をご参照ください。スペースポッドは透明黒のパーツを使ってポッドの窓の凹部分を表現しました。操縦席はジョイントパーツで表現しました。ライトは透明クリアを、HALの目は透明赤を使っています。  HALは本体の裏側がパーツの都合でガタガタになってしまったので、余り物の白のブロックを有効活用して囲み込んで、ディスカバリー号の壁面を表現しました。  ディテールの作り込みは上記の画像を参考に、それぞれのアイデアでトライしてみてください。別途赤や黄色のパーツを用意してボーマンを操縦席に乗せたり、プールをポッドのアームに乗せたりと(笑、自由な発想でお楽しみください。 2025年9月15日追記:使用したプチブロックは店頭販売終了している場合があります。ご了承ください。

【関連記事】スタンリー・キューブリックがすべてのシーンで30回以上のテイクを重ねた理由はこれだ

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撮影中に俳優と話し合いながらシーンを決めていくキューブリック。 Stanley Kubrick(IMDb)  スタンリー・キューブリック監督の狂気の沙汰には、何か意図があるのだろうか?  スタンリー・キューブリックは完璧主義者だという噂が業界内で広まっていました。キューブリックに「自分は完璧主義者だと思うか」と問えば、おそらく彼はそのレッテルを拒否しながら嘲笑うでしょう。  キューブリックが求めていたのは、1つのシーンの完璧さのために何度も撮影することではありませんでした。それは、彼の監督としての手法でしかありません。俳優の演技を引き出すために何度も何度もテイクを重ねる監督の話を聞いたことがありますが、キューブリックの手法は本質的にそれです。 〈中略〉  キューブリック監督が何度もテイクを重ねるのも、あるシーンから何を得たいかを見出した結果です。漠然としたイメージはあっても、テイクを重ねることで、ストーリーやカメラワーク、俳優の演技に肉付けがされることをキューブリックは見出していました。  キューブリック監督は、自分が何を伝えたいかを追求する一方、何がベストかを考える監督ではなく、キャストとスタッフが協力してシーンを成立させることを望んでいました。キューブリック監督は、俳優たちに選択肢を与えず演技を発展させるよう促しましたが、自分が何を望んでいるかを明示することはありませんでした。なぜなら、彼は俳優やスタッフの技術を形成する方法を知っているとは思っていなかったからです。  何度も撮影することは、キューブリックが 「完璧なショット 」にこだわる残酷な監督であることを意味するものではありません。むしろ彼は、最初の数ショットでは存在しなかったような、成熟して非凡なものに発展するようなテーマやアイデアを構築したかったのです。  監督は、シーンを何度も撮影することで、最初は気乗りしなかった俳優から多くのことを引き出すことができます。俳優にとって、ほとんど指示なしにテイクを重ねるのはフラストレーションがたまるものですが、その中で自然にセンスが働くような感覚やエネルギーを見つけることなのです。  もし、プロジェクトでうまくいかないシーンがあったら、怖がらずに、自分が正しいと感じるまで何度もテイクを試してみてください。そうすれば、あなたのストーリーに必要なエネルギーや、キャストの演...

【パロディ】米アニメ『シンプソンズ』に登場したキューブリック作品のパロディをまとめた動画

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  米アニメ『シンプソンズ』にはキューブリック作品のパロディが多数(もちろんそれ以外のパロディや時事ネタも)登場するのですが、あまりにも多いので個別に紹介するのはやめてしまいました。するとやはり同じように思う方もいるようで、親切にキューブリック・パロだけ集めた動画がYouTubeにアップされていました。ですのでちょっと安直ですが、そのまとめ動画をご紹介します。  動画タイトルにもあるように、シーズン1~30までの間に散らばっていますので、こうしてまとまって視聴できると非常に助かります。登場エピソードは字幕にありますので、後追いで視聴するのに便利ですね。最後にはご本人も登場します。ぜひ楽しんでください。

【パロディ】『チャイルド・プレイ』のチャッキーが『時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法の餌食に

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   『チャイルド・プレイ』が『チャッキー』と題されTVシリーズ化されたそうなのですが、第2シーズンの第3話でチャッキーが『時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法の餌食に。見させらている映画はよく観かける例のアレなものばかりです(笑。ちょっと面白いですけど・・・きったねーな。  第一シーズンはHuluで配信されたそうなのですが、この第二シーズンもそのうち配信されるでしょう。何がどうなってどうしてこうなってしまったのか・・・それは配信で確認ですね。

【ブログ記事】ダイソーのプチブロック4キットで『シャイニング』の双子の少女を作ってみた

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以前描いたイラストをプリントアウトして、それを背景に撮影してみました 使用する4キット。ダイソーで各100円(税別)で入手できます  ダイソーのプチブロック4キット(合計400円)で、『シャイニング』の双子の少女を作ってみたのでシェアしたいと思います。お時間がある時にでもぜひ挑戦してみてください。 【準備するもの】 「チョウチンアンコウ」 ・ジョイント以外の茶色を全て使用、黒丸、白丸を使用 「ブラキオサウルス」 ・ジョイント以外の薄水色とアイボリーを使用、黒丸を使用 「ちびっこ人間コレクション~男性車掌&女性車掌」 ・肌色とライトピンクと白色と黒色を使用 「ちびっこ人間コレクション~警察官&女性警察官」 ・肌色と薄水色と黒色を使用 ※「ブラキオサウルス」のアイボリーと「ちびっこ人間コレクション~男性車掌&女性車掌」の白色は厳密には違う色ですが、同じ色として扱います。色の違いが目立たないように使う場所を工夫してください。 【作り方】 (1)「警察官&女性警察官」の肌色の1×2、4×4(生足になります)、黒色の2×3(靴になります)、「ブラキオサウルス」のアイボリーの1×2、2×2、1×1、L字型、「男性車掌&女性車掌」1×2(ソックスになります)を使って足を4本作ります。 (2)「ブラキオサウルス」「警察官&女性警察官」の薄水色、「ブラキオサウルス」のアイボリー、「男性車掌&女性車掌」のライトピンクを使ってワンピースとリボンを2体つくります。 (3)「ブラキオサウルス」「警察官&女性警察官」の薄水色、「男性車掌&女性車掌」「警察官&女性警察官」の肌色、「男性車掌&女性車掌」の白色(袖のフリルになります)を使って腕を二組作ります。 (4)「男性車掌&女性車掌」「警察官&女性警察官」の肌色、「チョウチンアンコウ」「ブラキオサウルス」黒丸(目になります)を使って顔を2つ作ります。 (5)「チョウチンアンコウ」の茶色と白丸(髪留めになります)を使って髪の毛を2つ作ります。 (6)(1)~(5)を合体させて完成です。  以上ですが、詳細は以下の画像を参考にしてください。また、髪型はブロックの都合で左右全く同じにはできないのであえて変えています。写真を見ると左側(長女)の少女の髪の方がボリューム感があるのでそれを再現しています。また、予備パーツも使っていますのでブロックの内容が微...

【ブログ記事】キューブリックの義理の伯父、ナチスの反ユダヤ主義プロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』を監督したファイト・ハーランについて

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Veit Harlan(IMDb)   キューブリックの義理の伯父(妻クリスティアーヌの伯父)のファイト・ハーランはナチス政権下のドイツで、反ユダヤ主義のプロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』(1940)『コルベルク』(1945)の監督を務めました。ハーランは1922年にユダヤ人女優でキャバレー歌手のドラ・ガーソンと結婚し、1924年に離婚しています(ガーソンは後に家族とともにアウシュヴィッツで殺害された)。つまりハーランは当初、反ユダヤ主義者ではなかったのです。  1933年、ヒトラー政権が始まるとハーランはゲッベルスによってプロパガンダ監督に任命されます。理由は他の優秀な監督がドイツから逃げ出しからだと言われています。そして1940年、ハーランは悪名高き反ユダヤ主義プロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』を監督します。  『ユダヤ人ジュース』の監督ファイト・ハーランは戦後 、この映画との関わりを否定しようと全力を尽くした。ゲッベルスはもともと、ペーター・パウル・ブラウアーに監督を任せていたが、一九三九年末に心変わりして、ハーランを起用した。もとの脚本がハーランではなく、ルートヴィヒ・メッツガーとエーバーハルト・ヴォルフガング・メラーの作品だということも事実である。そして、ハーランは圧力をかけられていたのかもしれない。ハーランはのちに、ヒトラーは『ユダヤ人ジュース』制作を厳命し、ゲッベルスは承諾しなければダハウに送ると脅したと主張しているが、これを証明するものはない。ゲッベルスの日記には、ハーランは協力的だと書かれている。たとえば、ゲッベルスはもとの脚本に納得していなかったが、ハーランには「たくさんの思いつき」があり、「脚本を手直し」しようとしている、ハーランによる改変は「大仰だ」と記している。すでに存在していた脚本の反ユダヤ主義を緩和したという戦後の主張に反して、彼はそれを強化している。メッツガーとメラーによるもとの脚本とハーラン版を比較すれば明らかである。 (全文はリンク先へ: じんぶん堂 「人種主義」なナチ映画の起源『ヒトラーと映画 総統の秘められた情熱』/2020年6月18日 )  以上の引用によると、ハーランは積極的にこの映画に関与し、反ユダヤ主義色を強めることさえしています。その本心は推し量るしかありませんが、自身が過去にユダヤ人と結婚していた事実が...

【関連記事】キューブリックは『スパルタカス』の「私がスパルタカスだ!」のシーンを「バカなアイデアだ」と酷評した

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 〈前略〉  スパルタカスを演じた俳優カーク・ダグラスは、その3年前にキューブリック監督の『突撃』に主演し、『スパルタカス』の監督としてキューブリックを起用したのだが、100歳の誕生日を迎えた2016年のインタビューで、監督との仕事の経験を語っている。有名な「私がスパルタカスだ!」というシーンを撮影するとき、ダグラスはキューブリックにどう思うかと尋ね、キューブリックは「バカなアイデアだ」と答え、それをキャストとスタッフが耳打ちしたそうだ。ダグラスがキューブリック監督を説得して撮影にこぎつけたのは、執拗な口論(そしてダグラスの妻が勧めたキューブリックとのセラピー)の末のことであった。  結局、キューブリックが『スパルタカス』に不満を抱いたのは、「私がスパルタカスだ!」という瞬間だけではなく、主人公を完璧な道徳的人物として描いた脚本や、彼がコントロールできなかった製作の様々な要素もあり、そのすべてが『スパルタカス』を彼がこれまでに作った最悪の映画と評するに至ったのである。  「私がスパルタカスだ!」のシーンの撮影は、カーク・ダグラスとスタンリー・キューブリックの共同作業の歴史の中の一つの衝突に過ぎない。ダグラスはキューブリックを『スパルタカス』に雇い入れただけでなく、監督の前作『現金に体を張れ』を見た後、1957年の『突撃』にキューブリックを起用(注:これは正しくなく、キューブリックが立ち上げた企画の主役にとダグラスへオファーをした)したのだ。キューブリックは、主人公と悪役が仲直りする商業的な、論争の余地のない結末を好み、ダグラスは、部下の将校を死刑から救おうとする英雄的な大佐として、自分のキャラクターを前面に出した物語を好んだ。  『スパルタカス』の製作中、二人の争いは喧嘩腰にさえなった。ダグラス自身の証言によると、映画の最後に十字架に磔にされたスパルタカスのクローズアップを削除しようとしたキューブリック監督に激怒し、逃げようとする監督に向かって折りたたみ椅子を投げつけ、「くそったれ、キューブリック出て行け!」と怒鳴ったというのである。  『スパルタカス』製作中の確執で、その後一緒に仕事をすることはなかったものの、ダグラスはキューブリックとのコラボレーションを前向きに捉えているようで、「気難しい?キューブリックはその言葉を発明したんだ・・・。でも、彼は才能があ...

【関連記事】1980年12月14日、『シャイニング』公開直後のシェリー・デュバルのインタビュー(抜粋)

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The Shining(IMDb) 〈前略〉  キューブリックとの仕事はどうだった?と私は尋ねた。「ほとんど耐えられないくらい」と彼女はあっけらかんと言った。「でも、他の見方をすれば、本当にとても素晴らしいことだと思います」。 〈中略〉 「キューブリックと一緒に仕事をするチャンスが来たんです」彼女は紅茶を一口飲んだ。「毎日毎日、耐えがたい仕事をこなす。ほとんど耐えられないくらいにね。ジャック・ニコルソンの役は、常にクレイジーで怒っていなければならなかった。私の役は1日12時間、1日中、最後の9カ月間はずっと、週に5日か6日、泣き続けなければなりませんでした。1年1ヶ月間そこにいましたが、プライマル・スクリーム療法には何か意味があるのでしょう、1日が終わって12時間泣いた後、私はとても満足して家に帰りました。とても落ち着いた気持ちになることができました。日中の私は、絶対に惨めだったでしょう」。 〈以下略〉 (引用: Roger Ebert.com:Interview with Shelley Duvall/1980年12月14日 )  シェリー・デュバルにとって『シャイニング』の撮影は非常に苦労が多かったのは事実で、このインタビューでも「ほとんど耐えられないくらい」と語っています。しかし同時に「とても素晴らしいこと」と発言しており、これは他のインタビュー(例えばドニュメンタリー『ライフ・イン・ピクチャー』)でも同様です。  このインタビューで『シャイニング』に触れたのは抜粋した部分のみですが、『シャイニング』の後、テリー・ギリアムの『バンデッドQ』の撮影に参加しあやうく大怪我をしそうになったり、『ポパイ』のオリーブ役は肉体的な試練だったと語ったりしています。その後もシェリーは映画界・TV業界で活躍し続けたのですから、彼女にとって『シャイニング』への出演は「大変だったけど(キャリアアップできたことについては)素晴らしいこと」だったというのが本音でしょう。  そして、シェリーは「本当は科学者になりたかった」と語っています。パーティーでロバート・アルトマンに見出され、ためらいながらも女優としてのキャリアをスタートさせるのですが、彼女は本来とても明るいキャラクターでした。つまり演じたウェンディ・トランスの性格とは真逆だったのです。そうであるがために、シェリーがウェンディ役にコ...

【オマージュ】とっても『シャイニング』なMUSEの『YOU MAKE ME FEEL LIKE IT'S HALLOWEEN』のMV

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 イギリスの国民的バンドMUSE(ミューズ)の新曲『YOU MAKE ME FEEL LIKE IT'S HALLOWEEN』のMVがとっても『シャイニング』(その他のホラー映画要素も)だったのでご紹介。  ミューズは過去にも 『博士の異常な愛情』 『2001年宇宙の旅』 『フルメタル・ジャケット』 をMVで引用していますが、ついに『シャイニング』にも手を出しましたか。こうなったらキューブリック作品コンプリートを目指して欲しいですね。  曲調はとっても1980年代風でどこか懐かしい感じ。嫌いじゃないんですが、リアルタイムな私としてはとってもムズムズしてしまうのですが・・・まあそれはあえて触れないでおきます(笑。

【関連記事】スタンリー・キューブリックは『シャイニング』でどのようにエレベーターに血を溢れさせたか?

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 スタンリー・キューブリックの1980年の傑作ホラー映画『シャイニング』には、幽霊のような双子の少女から身も凍るような犬男まで、スクリーンには今日まで映画ファンの悪夢に染み込むような恐ろしい映像があふれている。  しかし、伝説の映画監督自身があまりに怖くて、撮影当日にオーバールック・ホテルのセットにいられなかったシーンがある。それは象徴的な「血のエレベーター」シークエンスだ。エレベーターのドアがゆっくりと開き、粘着性のある赤い液体が壁や家具、カメラのレンズに至るまで溢れ出す静止画の、象徴的なシーン「血のエレベーター」である。  このシーンは、映画の中で何度も繰り返されるほど効果的に不気味なもので、ワーナー・ブラザースはこのシーンをまるごと『シャイニング』の予告編の一つとして流した。そして、一度フィルムに収めると、キューブリックは喜んで何度も何度も繰り返し観たという。  しかし、彼の長年のパーソナル・アシスタントであるレオン・ヴィタリは、厳格な監督として知られる彼が、撮影当日にいかにスタッフに撮影を任せていたかを今でも覚えている。「スタンリーはそれを見る気になれなかったんだ」と、ヴィタリはYahoo Entertainmentに明かしている。「僕らがセットに入ったとき、スタンリーは『見張っていて、何かあったら言ってくれ』と言ったんだ。そして、出て行ってしまったんだ!」  はっきり言って、キューブリックは血液恐怖症ではなかった。ヴィタリの説明によると、映画監督が恐れたのは、多くの準備を必要とした重要なシーンがひどく失敗する可能性を見ることだったのだ。  「血の質や色をできるだけ自然にするために、何週間も何週間も費やしました」と、現在70歳のヴィタリは言う。「赤すぎてもいけない。何百ガロンもの血を流すわけですから、その濃さも重要です。エレベーターのようなものに大きな圧力がかかると、気をつけないと吹き飛んでしまうから」。  大がかりなスタントが失敗することに、彼がどれほど神経質になっていたかを考えると、キューブリックがそもそもなぜエレベーターに血液を入れるというアイデアを思いついたのか、疑問に思うのは当然だろう。それは原作に忠実(スティーブン・キングが愛する1977年の小説)でありたいということではない。この小説の中でキングがオーバールックのエレベーターに詰め込んだのは、パ...

【関連記事】「社会を鏡で映すと、社会は反発する」 カタリーナ・キューブリック、『アイズ ワイド シャット』を語る

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左:ポスター初期案、右:決定案   カタリーナ・キューブリックがこの映画の初期のポスターデザインについて、そして彼女の父親がこの映画を彼の最高傑作と考えた理由について語ります。  キューブリック一家がアイルランドに移住(注:撮影のためアイルランドに一時期一軒家を借りていた)し、美術学校を退学することになったのは彼女が19歳の時でした。そのカタリーナ・キューブリックが初めて裏方として携わった作品が『バリー・リンドン』(1975年)です。「彼はすでに私に写真の撮り方を教えてくれていました」と彼女は振り返ります。それで彼は「そうか、君は何もしていないのだから、忙しい方がいいんじゃないか」と言ったのです。「ロケ地を探しに行ってくれないか」と言われました。  彼女はその後、彼の数々の作品に携わることになります(1980年の『シャイニング』ではオーバールック・ホテルのカーペットを調達するなど)。『アイズ ワイド シャット』では、ビルが(彼女の息子が演じる)少年を診察するシーンで彼女が一瞬映りますが、ハーフォード家のアパートを埋め尽くす彼女自身の絵の方が多く登場します。  その中には、映画の冒頭で夫婦がパーティに出かけるときに見える廊下の猫の絵もあります。これはキューブリックの愛猫ポリーの絵で、カタリーナが彼の60歳の誕生日のために描いたものです。彼女はこの絵が映画の中で目立つ位置にあることを喜び、「彼からの感謝の気持ちのようなもの」だと考えています。キューブリックが亡くなった後、カタリーナと彼女の母クリスティアーヌ(ハーフォード・シャーの家の壁に絵が飾られている)は、映画公開のためのポスターをデザインしています。 —これらのポスターは、どのような経緯でデザインされたのですか?  スタンリーが亡くなった後、母と私はスタジオから『アイズ ワイド シャット』のポスターのアートワークを受け取りましたが、彼への最後の贈り物として、ぜひ自分たちでデザインしたいと思いました。特に母は、私たちなら彼が喜ぶようなポスターがデザインできると思っていたようです。  ご存知のように、スタンリーはポスターキャンペーンにいつも深く関わっていました。エレガントでスタイリッシュ、そして地下鉄の駅構内や新聞を開いたときにすぐに目に入るようなポスターが、彼にとって重要なことだったのです。象徴的でなければな...

【関連書籍】戸田奈津子 金子裕子著『KEEP ON DREAMING』で語った、『フルメタル・ジャケット』翻訳家降板事件の戸田氏の言い分

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これが戸田氏の訳だったらどんな「甘い」ものになっていたのやら・・・ ※P144より抜粋 Q『フルメタル・ジャケット』の字幕訳者を交代した理由は?  そのマシュー・モディーンが主演した『フルメタル・ジャケット』の監督、スタンリー・キューブリックは究極の完璧主義者でした。自分の映画が公開されるときは、あらゆる国のポスターデザイン、宣伝コピーなどの宣材を全て、フィルムの現像の焼き上がりチェックまで、とにかく全てに目を通します。たとえば日本で印刷したポスターは色が気に入らないと言って、自分が住んでいて目の届くイギリスで印刷させていたほどです。  じつは『2001年宇宙の旅』(1968年)、『時計じかけのオレンジ』(1972年)など、過去の作品は大先輩の高瀬鎮夫さんが字幕をつけられていて、「キューブリックは字幕原稿の逆翻訳を要求するバカげたことをなさる大先生だ」とぼやいておられました。その高瀬さんが亡くなられ、私に回ってきたのが『フルメタル・ジャケット』だったのです。  ベトナム戦争たけなわの頃、アメリカ国内の陸軍基地(注:海兵隊基地の間違い)でしごき抜かれた新兵たちが、やがて地獄のようなベトナムの戦地へと送られて行く。これだけで言葉の汚さは想像つくでしょうが、とくに前半の鬼軍曹のしごき場面のすさまじいことといったら!日本人にはまったくないののしり文句を、新兵に浴びせまくるのです。たとえば、「Go to hell, you son of a bitch!」というセリフに「貴様など地獄へ堕ちろ!」という字幕をつけたとします。キューブリック監督の要求通り、その字幕を文字通り英語に直すと、「You - hell - drop」となり、英語の構文に整えるとなると「You drop down to hell !」のようなことになる。「Go to hell, you son of a bitch !」が「You drop down to hell !」になって戻ってきたら、キューブリック監督でんくても「違う!」と怒るでしょ。英語とフランス語のように語源を共有し(注:語源が語族という意図なら英語はゲルマン語族、フランス語はラテン語族で全く異なる)、いまも血縁関係を保っている言語同士ならともかく、まったく異質の言語の間で翻訳・逆翻訳をやって、元の文章に戻ることはありません。  「a son ...

【インスパイア?】「白いモノリス」らしき物体が登場するピンク・フロイド『ようこそマシーンへ(Welcome to the Machine)』の公式MV

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視聴は制限がかかっているので YouTubeでご視聴 ください(※一部残酷な描写があるので視聴注意)   このブログでは過去にキューブリック(特に『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』)とピンク・フロイドの関連性について何度か採り上げてきましたが、1975年にリリースされた超名盤『炎~あなたがここにいてほしい』収録曲、『ようこそマシーンへ(Welcome to the Machine)』の公式MVに「白いモノリス」らしきものが登場しているのでご紹介。  まずびっくりしたのが『ようこそマシーンへ』に公式のMVが存在したんですね。しかも『ザ・ウォール』っぽいアニメーションで。全く知らなかったのですが、 wiki によると「『ようこそマシーンへ』のミュージック・ビデオは、後に『ザ・ウォール』のアニメーションを担当することとなるジェラルド・スカーフが製作した」とありますので、このMVをメンバーが気に入り、『ザ・ウォール』での起用につながった可能性があります。  そういう経緯なので、この「白いモノリス」登場にどこまでメンバー、特にロジャー・ウォーターズが関与したのかは不明ですが、『2001年…』が当時の世界中のクリエーターに与えた影響は言うまでもないので、単にジェラルド・スカーフがインスパイアされただけなのかも知れませんね。

【関連記事】キューブリック右腕だったヤン・ハーラン、スタンリー・キューブリックを語る

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Jan Harlan(IMDb)   キューブリックの好きな映画や鑑賞習慣に関する資料を作成するために、彼の義弟であり、親友であり、常任エグゼクティブ・プロデューサーである彼に、キューブリックの85歳の誕生日を記念して話を伺いました。 ニック・リグレイ :スタンリーと仕事を始めたのはいつですか? ヤン・ハーラン :1969年です。私のオフィスはエルスツリーの彼の家か、1979年以降はすぐ近くのセント・オールバンズにありましたが、約30年間ほとんど毎日スタンリーに会い、電話で話していました。彼はとても忙しく、同時に多くのことができたので、あなたが質問することに対してすべての答えを私が持っているとは少しも思っていません。私は、彼のスピードや知性についていけなかったのです。唯一、彼と同じ土俵に立てたのは、音楽と卓球だけでした。でも私はこの仕事と、彼と一緒に仕事をすることが大好きでした。いつも苦労がないわけではありませんでしたが、最高に満足できるものでした。 ニック・リグレイ :スタンリーとの仕事が始まったのは、彼のワーナー・ブラザーズとの契約が始まった時期と重なるわけですね。 ヤン・ハーラン :そうです。彼がワーナー・ブラザーズと最初に契約したのは、1970年の『夢小説(Traumnovelle)』だったということはご存知ですか?その約30年後に『アイズ ワイド シャット』になった作品です。彼は脚本に満足していなかったので「延期」し、『時計じかけのオレンジ』が登場し、脚本は「ハサミ仕事」だったので、これをやることにしたのです。  その後、『シャイニング』の前に、彼は『夢小説』をウディ・アレン主演の低予算アートハウス映画としてモノクロで制作することを思いつき、ロンドンやダブリンで撮影し、ニューヨークを模倣することを考えました。常にニューヨークと現代が舞台でした。ウディ・アレンがニューヨークのユダヤ人医師をストレートに演じる、それが彼の計画でした。しかし、脚本に納得がいかず、再び断念しました。  『アイズ ワイド シャット』を、彼が映画芸術への最大の貢献と考えていることを知り、私はとても嬉しく思っています。重要な判断ができるのは彼だけだと思います。 ニック・リグレイ :スティーブ・マーティンが一時期(おそらく80年代前半)、主演の座を狙われていたという話は聞いていまし...

【関連動画】ダグラス・トランブルから受け継がれた 特撮の極意

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 今年2月に急逝したダグラス・トランブルが登場する、SF映画『フォース・プラネット』のメイキング・ドキュメンタリーです。CG氾濫の昨今、このように「あえてミニチュアモデルで映画を作りたい」と考える若い映画製作者の出現は非常に心強いものがあります。トランブルもその心意気を買ったのでしょう。  水槽に液体を垂らして未知の宇宙空間を表現したり、ディテールにこだわったモデル制作など『2001年宇宙の旅』で用いられた方法がここでも使用されています。トランブルが「予想外の現象が起きてもそれを受け入れる。プログラマーが設計するCGなどアルゴリズムでは不可能だ。想定内の出来事しか起きない。自分の予想を超えたときすばらしい映像が撮れる」と語っているところは非常に印象的です。キューブリックはそれを「マジック(魔法)」と呼びましたが、『2001年…』でもスターゲートの水槽のシーンはロンドンで再び試みられたものの、マンハッタンで作った映像には及びませんでした。これは「マジック」が足らなかったのでしょう。  『フォース・プラネット』は現在アマゾンプライムで視聴できるそうなので、この若いスタッフの挑戦の結果を知りたい方はご覧になってみてはいかがでしょうか。視聴は こちら からどうぞ。

【関連記事】映画ファン1000人が選ぶ クラシック音楽が印象的な映画

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 物語を盛り上げ、感情を揺さぶる美しいメロディーの数々。スクリーンを通してこそ気づく、名曲の知られざる魅力がある。映画ファン1000人が、クラシック音楽が印象的な作品を選んだ。 〈中略〉 8位 2001年宇宙の旅 <交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(R・シュトラウス)> 271ポイント トランペットの響きが特徴的  謎の黒い石板との接触を通し、ヒトザルが人類へと進化し宇宙を開拓する様子を描いたSF映画。同曲は冒頭シーンをはじめ計3回使われる。厳かなトランペットの響きが特徴的で、「壮大な登場感を表現するのにぴったり」と西村さん。 〈中略〉 クラシック人気 映画が一役 〈中略〉 戦後の映画史とクラシック音楽の関わりの上で欠かせない存在となるのがスタンリー・キューブリック監督だ。今回ランクインした作品のほかにも、ベートーヴェンの交響曲第9番が登場する「時計じかけのオレンジ」(71年)など同監督の作品には多くのクラシック音楽が使われており、「曲の背景を考え抜いた上で意識的に映像が作られている」と小室さんは話す。「ツァラトゥストラはかく語りき」のように、映画を通じて有名になった曲も少なくなく、西村さんは「映画がクラシック音楽人気を作っていった」と指摘する。 〈以下略〉 (全文はリンク先へ: 日経新聞/2022年7月23日 ) ※無料会員登録で購読可  キューブリックが本格的にクラシック曲を自作に使用するようになったのは、記事にある通り『2001年宇宙の旅』からです。キューブリックはその理由を「いい曲がいっぱいあるのだからいろいろ試さないと」「編集時に試行錯誤できる」という理由を挙げていますが、何よりも「映画は映像と音楽、セリフ(言葉)はその次」というキューブリックの考え方によるものです。無声映画にハマっていた若い頃、セルゲイ・エイゼンシュテインの『アレクサンドル・ネフスキー』で使用された『氷上の戦い(The Battle of the Ice)』を狂ったように聴き続けた(・・・あげくの果てに怒った妹のバーバラにレコードを叩き割られた。笑)経験から(詳細は こちら )、音楽がそのシーンを表現する力は言葉以上だと実感したのでしょう。  クラシックファンやミュージシャンにキューブリックファンが多いという事実は、こいった経緯と無関係ではないでしょう。また、音楽に合わせて映像編集...

【インスパイア】『レイトン ミステリー探偵社 ~カトリーのナゾトキファイル~』第24話のサブタイトルが『時計仕掛けのスウィーツ』だった件

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 2018年にオンエアされたTVアニメ『レイトン ミステリー探偵社 ~カトリーのナゾトキファイル~』第24話のサブタイトルが『時計仕掛けのスウィーツ』だったのでご紹介。  元ネタは言うまでもありませんが、お話はかなり強引・・・希望にあふれる良いお話で、確かにタイトル通り「時計仕掛けのスウィーツ」であることは(ほぼ)間違いないです。公式サイトを見るとサブタイにチラホラ映画ネタがあるので、これもそこからの発想でしょう。  『名探偵コナン』の劇場版にも『時計じかけの摩天楼』というのがありましたが、こうして無意識の内に幼い頃から「時計じかけ」という慣用句が刷り込まれてしまい、その行き着く先があの作品というのはなんだか皮肉なものを感じます。「時計じかけ・・・ってどっかで聞いたことあるな。よし、これ(時計じかけのオレンジ)観てみよ→絶望」という図式が日本全国で繰り返されているのだとしたら、こんなに面白い・・・いや、悲惨なことはないですね(笑。  現在このアニメはAmazonプライムで視聴できますので、興味のある方は こちら からどうぞ。公式サイトは こちら 。

【関連記事】関係者が語る「偉大なる熱血映画小僧」スタンリー・キューブリックのエピソード集

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Stanley Kubrick(IMDb)  〈前略〉 レオン・ヴィタリ (『バリー・リンドン』『アイズ ワイド シャット』俳優、『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』パーソナルアシスタント、『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』キャスティングディレクター):スタンリーが引きこもりだという話ですが、彼は家に閉じこもりがちでしたが、時々外に出て買い物をするんです。一流の映画監督で、自分で買い物をする人がどれだけいるでしょうか? ラリー・スミス (『アイズ ワイド シャット』撮影監督):スタンリーが世捨て人であるというのは誤解です。確かに初対面の人に対しては少しシャイでしたが、それも長くは続きませんでした。何か興味のあることを見つけて、その人とコミュニケーションが取れれば、それでいいのです。スタンリーは、いろいろなことに広い視野を持っていました。彼はインテリであることは間違いないです。父親は医者でしたが、スタンリーは独学で勉強しました。本を読み、政治、宗教、スポーツなど、あらゆることについて自分の意見を述べることができました。また、スタンリーはとても温厚な面も持っていた。私が彼の家の台所に行くと、彼はコーヒーを淹れてやってきて、「トーストとか、何か食べるかい?」と言って手で取り出して、テーブルの上に叩きつけて、焦げたパンくずを取り除くんです。「ナイフでバターを塗ろう」と言うんです。コーヒーもこぼれるし、散らかり放題。僕にとっては、それが最高なんです。「スタンリー・キューブリックが紅茶とトーストを作ってくれているんだ!」と思ってね。そういう些細なことの大切さは、その人が亡くなって、もう二度とできないんだということが分かって初めて分かるんです。 ケン・アダム (『博士の異常な愛情』『バリー・リンドン』プロダクションデザイナー):スタンリーは、『バリー・リンドン』のすべて、あるいはそのほとんどを、自宅のあるエルスツリーから文字通り30マイル圏内で撮影することを望んでいたのです。当時、『時計じかけのオレンジ』は大成功を収めていましたが、彼は脅迫状をたくさん受け取っていて、遠くのロケ地に行くことに少し抵抗があったのです。私はその計画がうまくいくとは思えないと彼に言いました。彼のこの問題に対する姿勢には非常にイライラさせられま...

【ブログ記事】キューブリック作品の映像が、隙のない完璧なものに見える理由

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この洗練された完璧な映像たちはキューブリックの独断と命令によって得られたものではない  おそらくかなり多くの人が誤解(アマチュアだけでなく、いわゆる映画評論家や解説者と言われている人たちまで)していることに「どうしてキューブリック作品の映像は完璧で、隙がないように見えるのか?」があります。大多数の人はキューブリックは完璧主義者なので、自分の頭の中に描いたイメージを極限まで追い求めた結果であると考えていますが、それは「完全に誤解」です。  キューブリックが多テイクなのは有名ですが、その「多テイク」を語る際に忘れがちなのが、カメラマンやカメラ助手(フォーカス・絞り担当者、動作担当者)、プロップ(小道具)担当者や照明担当者などの撮影スタッフの存在です。つまり彼らスタッフにとって、同じシーンを繰り返し撮影するということは、それだけ映像の完成度を上げる絶好の機会だということです。ワンショット目よりも20ショットめの方がそのシーンのコツを掴み、カメラ動きも洗練されます。加えてその度に構図や照明の微調整もなされ、映像の完成度も上がっていきます。もちろん全てのことに関し、キューブリックは口うるさく干渉しますが、それは「ああしろ、こうしろ」というものではなく、「あっちの方がいいかな。こういうやりかたもあるかも」と、俳優やスタッフとアイデアを出し合いながら練り上げて行ったものなのです。つまりキューブリックの撮影現場は「トップダウン的な手法」ではなく「錬金術的(トライ&エラーを繰り返す)な手法」と言えるでしょう。  キューブリックの関連書籍を読むと、多くの俳優やスタッフがこの「錬金術的な手法」について、「自分の技術や才能を搾り取られる」という表現をしていることに気づきます(そしてヘトヘトになる。笑)。とにかくキューブリックはしつこくて諦めが悪いのです。何度も何度もショットを繰り返し、無駄を削ぎ落とし、そのシーンの最適解を見つけようとする・・・その結果、完璧で隙のない映像が得られるわけですが、その映像だけ観た観客や視聴者は「キューブリックは完璧主義者である」という刷り込みから、勝手に「キューブリックがトップダウンで命令した結果」と思い込み、それをネット上あちこちで触れ回る、という状況に陥っています。まあ一般の視聴者がそう誤解するのは仕方ないにしても、それなりにフォロワーを抱えている...

【関連記事】『2010年』製作の裏話を語るピーター・ハイアムズのインタビュー

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Peter Hyams(IMDb) 〈前略〉 —『2010年』を引き受けることに不安はなかったのですか?  MGMから『2010年』を依頼されたとき、私はやりたくなかったんです。私がスタンリー・キューブリックと比較されるのは、背の低い人がシャキール・オニールと比較されるようなものだからです。私はこの本を読んでMGMに「このプロジェクトを引き受けるには2つの条件がある」と言ったんです。ひとつは、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの許可が必要なこと。もうひとつは、私の経歴と、この本がロシア人とアメリカ人が協力して宇宙を航海をするという内容であることから、冷戦をもっとテーマにした作品にしたいということです。宇宙にいる間は、地球上ではあまり良い状態ではない、平和ではない状態を作りたかったのです。レーガン政権の時代です。MGMは「問題ない」と言ってくれました。  スリランカにいるアーサー・C・クラークと長距離電話をしたのですが、彼はとてもいい人でした。彼は私がやりたいことに賛成だと言ってくれました。私は彼と密接に協力し、脚本を書きながら彼にページを送り、コメントをもらいたいと伝えました。当時はまだコンピュータがない時代。Kプロは私のオフィスとアーサー・C・クラークの家にコンピュータを設置しました。毎日、私が書いたものをバイナリ送信して朝には彼のコメントが届くのです。  スタンリー・キューブリックと話をする時間を設けました。私がオフィスにいると、秘書が入ってきて、「スタンリー・キューブリックから電話です」と言ったのを覚えています。私は電話に飛びつき、文字通り立ち上がりました。彼と話している間、ずっと立っていたんです。私は「こんにちは、キューブリックさん」と言いました。すると彼はすぐに「『アウトランド』で、あのショットはどうやって撮ったたんだ・・・」と言い出し、私がどうやったか、なぜそうしたか、どのレンズを使ったか、F値はいくつかなど、撮影に関するあらゆる技術的な質問をし始めたんです。会話の約1時間半後、私は「聞いてください。あなたは私が・・・を行うことを認めますか?」と尋ねました。そして私が言葉を発する前に彼は「ああ、ええ、結構です。あなたはそれによって素晴らしいことになるでしょう」。そして彼は技術的な質問を続けました。電話を切る前に、彼は「これが私があなたに伝...