【考察・検証】キューブリックが『2001年宇宙の旅』の美術監督を手塚治虫にオファーしたのは本当か?を検証する

キューブリックから手塚治虫に届いた手紙の封筒。中身は本人によると「お袋が燃やしてしまった」そうだ キューブリックから手塚治虫に「『2001年宇宙の旅』の美術監督を担当して欲しい」とのオファーがあり、それを断ったという有名な逸話がありますが、一部ではこれを「手塚治虫のホラ話」とする論調も見られます。今回はこの真偽を主に3つの資料から検証したいと思います。 (1)キューブリックが手塚治虫に当てた手紙の封筒の写真 上記の写真です。これによると差出人のキューブリックの住所は「239 Central Park West New York City」となっています。またニューヨークの郵便局の消印は1965年、石神井郵便局の消印は昭和40年(1965年)1月9日です。もし美術監督の話が「手塚治虫のホラ」であるならば、この封筒は偽造された事になります。 (2)自叙伝『ぼくはマンガ家』(毎日新聞社・1969年)に於ける記述 日本に帰ってしばらくしたら、S・キューブリックと署名した手紙が来た。「博士の異常な愛情」や「スパルタカス」「突撃」などで、ぼくの好きなニューヨーク派の映画監督、スタンリー・キューブリック氏だとわかって、とびあがった。 「わたしは、小さなプロダクションで映画を作っている一製作者であります」と、手紙は謙虚に始まった。「あなたの作られた『アストロ・ボーイ(※鉄腕アトムの英題名)』を見て、NBCにあなたの住所を訊いてお便りするのですが、実は、こんど、わたしは、純粋なSF映画をひとつ作ろうと思っています。それは二十一世紀の月世界を舞台にしたもので、科学的根拠に基づいた、シリアスで、真面目なドラマであります。ついては、あなたにその映画の美術デザインのことで協力を求めたいので、次のわたしのお訊ねにご返事いただければ幸いです。一、あなたは英語ができるのか?二、一年ほどの間、あなたが家族とはなれ、ロンドンのわれわれのスタッフといっしょに生活してもらえるか?以上、なるべく早くご返事を賜れば幸甚」 というていねいな文面で、これはぼく個人にとっては、またとないチャンスであった。 だが、残念なことに、すでに「鉄腕アトム」は製作を進行し、虫プロダクションを一年も留守にすることは、到底できない。 「非常によいお話で興味を持ったが、なにしろうちには、食わせなければならない人間が二百六十名...