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【ロケーション】オーバールック・ホテル(Overlook Hotel)

  『シャイニング』の舞台となる、アメリカのコロラド山中にある眺望が売り物のホテル。ネイティヴ・アメリカンの墓地の上に建てられ、またマフィアの抗争など数々の惨劇の舞台になったため、悪霊が住み着くようになったという設定だが、キューブリック版ではセリフと内装にその一端が伺えるだけ。  モデルになった実在のホテルは3つあり、キングが小説版を執筆した際に宿泊していたコロラド州の「スタンリー・ホテル」。ここはキング版でも舞台になっている。キューブリック版は、外観はオレゴン州の「ティンバーライン・ロッジ」を使用し、内装はカリフォルニア州ヨセミテ国立公園にある「アワニーホテル」を参考にしている。特にアワニーホテルは映画の雰囲気そのままで、ロビー左手奥のエレベーターもそっくり。くれぐれもここに泊まって壁にテニスボールを投げつけて遊びたいと思ってはいけません。

【関連書籍】『シャイニング(上・下)』スティーブン・キング著

  現在はホラーだけでなく、ありとあらゆる小説がベストセラーになり、そのかなりの作品が映画化されているスティーブン・キングのベストセラー傑作ホラー小説。  圧倒的な筆力と構成力で、読むものをぐいぐいと引き込んでゆく手腕は流石で、ホラーファンならずとも、一級のエンターテイメントとして十分に堪能できる作品に仕上がっている。こんなに楽しめる小説を、ああいう形で映画化したら、原作者が怒るのも無理はない、と読後に納得させられる程の高い完成度だ。  だが、それは小説という、映像を頭の中で描く媒体だからこそ成立する話であって、映画という、映像をそのまま受け手に見せてしまう媒体では、B級ホラー映画に成り下がってしまうのは避けられない。キューブリックが、そんな陳腐な代物を撮るはずもなく、慎重に原作を取捨選択や改変・追加し、独自の世界観を創出してみせたという事実は、もっと評価されてしかるべきだろう。  しかしキングは、その映像センスは認めつつも、原作をズタズタにされ、骨抜きにされた恨みからか、長年に渡りキューブリックを酷評してきた。ところが'97年になって、突然この『シャイニング』をリメイクするというチャンスが訪れ、「映画版『シャイニング』について、今後いっさいあれこれ言わない、との条件を呑めば映像化権を渡す」との取り決めをキューブリックと交わし、自身で製作したTV版『シャイニング』を完成させる。つまり現在では、小説版、映画版、TV版と三種類の『シャイニング』が存在するのだ。  多少複雑な経過をたどった本作であるが、映画版・TV版は、その物語の消化の方法において、好悪が分かれるきらいがあるかも知れない。しかし、この小説版が誰の目にも傑作であることに異論はないだろう。

【作品論】『現金(ゲンナマ)に体を張れ』(原題:The Killing)

  前作『非常の罠』の製作中に知りあった、プロデューサー志望のジェームズ・B・ハリスとコンビを組み、「ハリス=キューブリックプロ」を結成。その素人同然の若い二人がハリウッドに乗り込んで作った、キューブリック実質の的なメジャーデビュー作品。  物語は、競馬場の馬券売場を襲い現金を奪う計画を、5人の男達が緻密な計画と正確な行動で実行したものの、ちょっとしたミスから破綻してしまうというもの。いかにもキューブリックが好みそうな物語だが、この本を見つけ、キューブリックに奨めたのはハリスだった。  ハリウッドでは組合の力が強いため、カメラを覗けなくなったキューブリックは、ベテランカメラマン、ルシアン・バラードとかなりの軋轢を起こしたようだ。例えば、競馬場の外観も、ハリウッド的に綺麗に撮られたものをしようせず、小型カメラでニュース映像風に撮り直したり、室内を画像の歪みも承知の上で広角で撮影したいと主張したりしている。犯罪サスペンスの臨場感と緊張感を生み出す効果を狙っての事だが、綺麗に平板に撮る事を良しとした当時のハリウッドでは、全く理解されなかった。  また、犯罪の瞬間からひとりずつ時間を戻して、この犯罪に荷担しなければならなかった背景を、それぞれについて語るという手法は斬新なものだったが、これもハリウッドの上司は認めず、時系列に添った、より直線的な編集をするように指示した。しかし、原作のこの構成が気に入っていたキューブリックとハリスはそれを無視。このまま公開する。  結局この映画はヒットとはならなかったが、幸いにも業界内では話題となったため、その映像センスと斬新な構成は高く評価され、ハリウッド内での地位を築く最初の足掛かりとしての役目は充分果たしたようだ。  ラストシーン、飛行機のプロペラの風にあおられて舞い上がる200万ドルは、「小さな紙切れ」に執着する人間をあざ笑うかのようで、愚かしくも悲しい物語のラストを飾るにふさわしいものだった。メジャーデビュー作にしてこのシニカルなエンディングを用意するあたり、自身の思う通りに撮れなかった作品ではあるにせよ、ただ者ではない事を感じさせるには充分な作品だ。

【作品紹介】『2001年宇宙の旅』

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2001:A Space Odyssey(IMDb) 題名/2001年宇宙の旅 原題/2001:A Space Odyssey 公開日/1968年4月6日(152分、カラー、シネラマ) 日本公開/1968年4月11日 製作会社/MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー) 製作/スタンリー・キューブリック 監督/スタンリー・キューブリック 脚本/スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク 撮影/ジョフリー・アンスワース、ジョン・オルコット 編集/レイ・ラヴジョイ 音楽/リヒャルト・シュトラウス、ヨハン・シュトラウス、アラン・ハチャトーリアン、ギョルギ・リゲッティ 美術/トニー・マスターズ、ハリー・ラング 特撮考案/スタンリー・キューブリック 特殊効果/ウォーリー・ヴィーヴァース、ダグラス・トランブル、コン・ペダースン、トム・ハワード 出演/キア・デュリア(デヴィット・ボーマン)、ゲイリーロックウッド(フランク・プール)、ウイリアム・シルヴェスター(ヘイウッド・フロイド博士)、ダグラス・レイン(HALの声)、ダン・リクター(月を見るもの)、レオナルド・ロシター(スミスロフ)、マーガレット・タイザック(エレナ)、フランク・ミラー(地上管制官)、ヴィヴィアン・キューブリック(フロイト博士の娘)ほか 配給/MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー) 受賞/1968年アカデミー賞、特殊視覚効果賞(スタンリー・キューブリック)受賞 ●ストーリー  約400万年前のアフリカ。肉食を知らない人類の祖先「猿人」は絶滅の危機に瀕していた。そんなある夜、群れの眼前に謎の黒い石版「モノリス」が突如として現れ、それに触れた猿人達は「武器を用いる」という啓示を受ける。骨という武器を手に入れた猿人達はバクを撲殺して食肉を得、他の群れを殺して水飲み場を確保し、絶滅の危機からこの星の支配者へと変貌を遂げたのだった。  西暦1999年、地球衛星軌道上のスペースシャトルにはフロイド博士ただ一人が搭乗していた。彼はある特命を帯びて月へ向かう途中で、それは月面で謎の黒い石版が掘り出されたのでそれを調査せよというものだった。衛星軌道上に浮かぶ宇宙ステーションで月連絡船に乗り換えて月に向かうフロイド博士。月では伝染病発生の噂が流れていたが、それは謎の石盤発掘を他国に悟られないためにアメリカ政府が流したデマ...

【台詞・言葉】ファック(Fuck)

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   元の脚本によると、ラストシーンは原作通りに、夜明けに寝室でビルがアリスに全てを告白するシーンで終わっている。なのにわざわざおもちゃ屋のシークエンスとこの台詞をつけ加えたのには、特別な理由があると考えられる。やはり「ファック=セックス」という意味だけではないのだ。劇中やたらアリスがこの言葉を口にするのも、ラストシーンだけでいきなり口走ってしまうと、唐突すぎてしまうからではないだろうか。  このアリスを演じたキッドマンに「ファック」は「似合わない、下品だ」とか、「いや、上流社会の人間も一皮剥けばこんなもんだ、という皮肉だ」とか的外れな論評ばかり撒き散らしたメディアの責任は大きい。キューブリックが最後に言い放ったこの言葉、もっと真剣に意味や意図を深く考えてみるべきだろう。

【スタッフ】ジェームズ・B・ハリス(James B. Harris)

  『現金…』、『突撃』、『ロリータ』の3作品を「ハリス・キューブリック・プロダクション」として制作を担当した初期のキューブリックのパートナー。キューブリックとは従軍時代に同じ隊だったアレキサンダー・シンガーを通じて知り合った。『博士…』をブラックユーモアに改変することに難色を示し、友好的にキューブリックとのパートナーシップを終了。その後自らも監督となり、『駆逐艦ベッドフォード作戦』(1965)、『Fast Wailing』(1982)、『ザ・コップ』(1987)などの映画を撮っている。  1928年8月3日ニューヨーク出身。

【サウンドトラック】オリジナル・モーションピクチャー・サウンドトラック『2001年宇宙の旅』(Original Motion Picture Soundtrack 2001:A Space Odyssey)※ターナー盤

Overture: Atmospheres (Ernest Bour) (2:51) 序曲 アトモスフェール |Gyorgy Ligeti / Sudwesfunk Orchestra Main Title: Also Sprach Zarathustra (Thus Spake Zarathustra) (1:43) メイン・タイトル:ツァラトゥストラはかく語りき|Richard Strauss / Herbert Von Karajan, Vienna Philharmonic Orchestra Requiem For Soprano, Mezzo Soprano, Two Mixed Choirs & Orchestra (6:33) レクイエム|Gyorgy Ligeti / Francis Travis, Bavarian Radio Symphony Orchestra The Blue Danube (Excerpt) (5:43) 美しく青きドナウ(抜粋)|Johann Strauss II / Herbert Von Karajan, Berlin Philharmonic Orchestra Lux Aeterna (2:56) ルクス・エテルナ(聖体拝領唱)|Gyorgy Ligeti / Clytus Gottwold, Stuttgart Schola Cantorum Gayane Ballet Suite (Adagio) (5:17) 舞踏組曲「ガイーヌ」~アダージョ|Aram Khachaturian / Gennadi Rezhdestvensky, Leningrad Philharmonic Orchestra Jupiter And Beyond / Mixed (15:15) 木星、無限の彼方:レクイエム/アトモスフェール/アヴァンチュール|Gyorgy Ligeti / Internationale Musikinstitut Darmstardt, Bavarian Radio Symphony Orchestra, Sudwesfunk Orchestra Also Sprach Zarathustra (Thus Spake Zarathrustra) (1:43) ツァラトゥストラはかく語りき|Rich...

【俳優】マルコム・マクダウェル(Malcolm McDowell)

  1943年6月13日イギリスのヨークシャー州生まれ。『時計じかけ…』のアレックスでブレイクし、その後現在まで第一戦で活躍を続けている。主な出演作は『if~もしも~』(1968)、『オー!ラッキーマン』(1973)、『タイム・アフター・タイム』(1979)、『キャット・ピープル』(1982)、『ブルーサンダー』(1983)、『クラス・オブ・1999』(1990)、『スター・トレック/ジェネレーションズ』(1994)、『北斗の拳』(1995)など。ブレイクした映画が悪かったのか、なぜがSF映画が数多い。  キューブリックは原作を読んだ時点でマルコムのキャスティングを考えていたようだ。原作にない「雨に唄えば」を唄いながらの暴力シーンはリハーサルでキューブリックに「何か歌を歌え」と言われ、唯一歌詞を諳んじていた歌として唄った事がきっかけとなった事はあまりにも有名。  撮影中、ルドヴィコ療法シーンで目の角膜を傷つけられたり、講堂での実演シーンでは肋骨を折ってしまうなどの災難続きだったが、キューブリックとの関係は良好だったという。ただ撮影終了後、新作に夢中になるあまり、キューブリックは若いマルコムを全く相手にしなくなり、その事が元でキューブリックに対して愛憎入り交じる複雑な感情を今も持ち続けているようだ。

【サウンドトラック】ミュージック・フロム・ザ・サウンドトラック 時計じかけのオレンジ(Music From The Sound Track A Clockwork Orange)

 Title Music from A Clockwork Orange (2:25)「時計じかけのオレンジ」タイトル・ミュージック|Wendy Carlos, Rachel Elkind / Wendy Carlos Rossini: The Thieving Magpie (Abridged) (5:57)「泥棒かささぎ」序曲|Gioachino Rossini Theme From A Clockwork Orange (Beethoviana) (1:48)ベートヴィアーナ|Wendy Carlos, Rachel Elkind / Wendy Carlos Beethoven: Symphony #9 - .2 (Abridged) (3:52) 交響曲第9番「合唱」 ~第2楽章|Ludwig van Beethoven March From A Clockwork Orange (Ninth Symphony, Fourth Movement, Abridged) (7:06)「時計じかけのオレンジ」~マーチ|Ludwig van Beethoven / Wendy Carlos, Rachel Elkind Rossini: William Tell - Overture (Abridged) (1:20)「ウィリアム・テル」序曲 ~スイス軍隊の行進|Gioachino Rossini / Wendy Carlos Elgar: March #1, "Pomp & Circumstance" (4:35) 行進曲「威風堂々」第1番|Edward Elgar Elgar: March #4, "Pomp & Circumstance" - (Abridged) (1:38) 行進曲「威風堂々」第4番|Edward Elgar Timesteps (Excerpt) (4:18) タイムステップス|Wendy Carlos / Wendy Carlos Overture to the Sun (1:46) 太陽の序曲|Terry Tucker  I Want to Marry A Lighthouse Keeper (1:04) ぼくは灯台守と結婚したい|Erika Eigen / Erika Eig...

【作品論】『非情の罠』(原題:Killer's Kiss)

  前作の『恐怖と…』の好評に手応えを感じ、1955年に続けて製作された自主製作映画第2弾。この映画の製作時、キューブリックはまだ若干26歳という若さだった。  ストーリーはよくあるサスペンス&メロドラマという感じで、特に見るべきものはないが、映像的にはすごく大人びていて、とても20台半ばの若者が創った映画とは思えない。 構成がいきなりラストシーンから始まり、回想シーンになり、またラストシーンに戻ってくるという、後の『ロリータ』にも用いられている方法なので、「この頃からやってたいんだな」と妙な感心の仕方をしてしまった。また、主人公のデイヴィが見る悪夢のネガ・フィルム(『2001年…』のスターゲートの「原始の惑星」)や、悪漢の手下の手に握られたトランプのズーム・アップ(『博士…』のB-52の暗号封鎖シーン)、マネキン工場での斧を使った格闘シーン(『シャイニング』)など、その後のキューブリック演出の萌芽が見られるのはとても興味深い。だが、ラストシーン前のこの映画一番の見せ場、倉庫での格闘シーンがいまいち盛り上がりに欠けている。プロットが弱く、グロリアの性格付けも明確でなく、脚本も荒いためだろう。  また、1955年に再婚したバレリーナのルース・ソボトゥカがダンサー役でこの映画に出演している。「自分の嫁さんの踊っている姿を、スクリーンで観たい」いう理由だけで…。この映画に限らず、キューブリックが度々身内を役者やスタッフして使うのは、常に自分の身近にいるので、赤の他人よりコントロールしやすいという理由からなのかも知れない。  この映画が日本で公開された際、当時の輸入映画の制限枠のため、バレイのシーンなどカットし、短編映画として輸入、上映されたという経緯がある(のちにフル・バージョンでリバイバルされた)。お世辞にもいい作品とは言えないので、コアなファン以外にはお勧め出来ないが、キューブリックにしては珍しくハッピー・エンドだし、かなり商業性も意識した作りのため、そういう意味では貴重な作品と言えるだろう。  作品全般に漂う青臭さが気恥ずかしいのか、キューブリックはこの映画を振り返って「唯一誇れることは、私のようなアマチュアの環境で長編映画を創り、世界配給を成し遂げたものは、それまで誰もいなかったということだけだ」と語っている。その意味では「原点」とか「萌芽」とか堅...

【関連書籍】『映画監督 スタンリー・キューブリック』ヴィンセント・ロブロット著

  今まで、関連書籍内のいちコンテンツとしてのバイオグラフィーはあったが、これだけの情報量の評伝は本書が初になる。キューブリックの生い立ちから『アイズ…』製作中の時期まで、キューブリックの家庭環境や性格、人格形成と成長過程、映画に対する考え方や製作の裏側、有名なエピソードとその顛末、誤解され続けたその素顔まで、圧倒的ボリュームで読みごたえがある。既知の情報も多いが、時系列に体系づけられている本書がまさに決定版と言えるだろう。  残念なのは『アイズ…』の完成・公開とその後の突然の死までフォローされていない事。(訳者がフォローする形になっている)著者もまさかこんなに早く死が待っているなんて思ってもいなかったのだろう。本書がキューブリックの死後に脱稿されていたら、更に完成度が高まったのではないだろうか。  寡作な監督と言われたが、本書を読むといかにキューブリックが一生を映画製作に捧げたかがよく判る。そして、こんな監督はもう二度と現れないだろう事も容易に理解できる。それだけキューブリックは唯一、無二の存在だったのだ。  生々しい等身大のキューブリックの実像が納められた本書は、キューブリックファンにはもちろん、やたら「難解」と煙たがる一般の映画ファンにもお勧めの良著だ。

【関連作品】『2010年』(原題:2010: The Year We Make Contact)

  クラークが、あまりにもキューブリック的すぎる『2001年…』に少なからず不満を持っていたことは周知の事実だったが、ここまで『2001年…』とかけ離れた作品になるとは思わなかった。この作品は完全にクラークと『カプリコン・1』や『アウトランド』などで知られるピーター・ハイアムズ監督のセンスであって、キューブリックの『2001年…』とは全く別の物語だと考えなければならない。  原作では、米ソの軍事的緊張関係はあまり強調されていないかわりに、中国の宇宙船が重要な役割を担って登場している。そういった違いはあるものの、大筋では同じストーリだし、作品全体を覆うトーンも、クラークとハイアムズはかなり似通っている。ハイアムズは「キューブリックと同じことをしたら、致命的な失敗を犯すことになる」と考えていたようで、その判断は正しかったと言えるだろう。  この作品をキューブリックの『2001年…』に関係なく、単なる「SFエンターテイメント映画」として観れば、決して悪い出来ではなく、クラークも満足していたという。ただ、続編を作るに当たって、舞台を木星にしたために(『2001年…』の小説版は土星。クラークは当時ボイジャーが送ってきた木星の衛星イオの画像を見て、どうしてもイオを舞台にしたかったらしい)、キューブリックの続編として受け取られ、宣伝も「映画『2001年…』の謎が解ける」という売り方をした影響から、混乱を招き、視点が定まらない、中途半端な作品になってしまった感は拭えない。  当のキューブリックもこの作品にかなりご立腹で、「あいつら全部説明してしまいやがった!説明した途端に全ての意味は失われるのに!」と激怒したと、ラファエルの著書『アイズ ワイド オープン』には書かれている。  キューブリックが危惧したように、クラークが「説明」してしまったかも知れないが、作品全体を覆うトーンが余りにも違うのが幸いし、『2001年…』の価値が損なわれる事はなかった。やはり、器用だが凡庸な監督と、偉大な巨匠とでは格が違い過ぎた、とい事なのだろう。

【関連作品】『ロリータ(エイドリアン・ライン監督版)』(原題:Lolita)

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  Lolita(IMDb)  その内容や、「ジョンベネ事件」の影響もあり、ヨーロッパはひっそりと公開、日本でも単館ロードショーという地味な形で公開されたため、さして話題にならなかったという不幸な経緯はあるものの、確固たるビジョンがなかったのか、それとも圧力団体の干渉に屈したのか、中途半端で印象の薄い愚作と言わざるを得ない。  とにかく、このことごとくハズしたキャラ造形は全く理解できない。ロリータは単なるヤンチャな小娘だわ、ハンバートは知性も教養も感じられない単なる哀れな中年男だわ、キルティに至っては正体不明のデブときている。これでは原作やキューブリック版に見られる皮肉やユーモアの感覚が生きてこない。ましてやハンバートの少女趣味に同情的な解釈をするなんて、全く理解に苦しむ。台詞やシチュエーションは原作を丁寧になぞっているが、キャラクターにリアリティがないためハンバートがロリータに入れ込む動機、ロリータがキルティの許へと去る動機、ハンバートがキルティを殺す動機、全てに説得力を欠いている。  構成は、細かい違いはあるもののキューブリック版とほとんど同じで、ハンバートの回想を通してストーリーは進んでいく。違いは、ハンバートの妄想や性表現が、時代を経てかなり突っ込んだ表現になっていたり、映像のセンスがいかにも「90年代」的であったりする程度だが、それがこの作品に重要なファクターになりえているとは思えないし、ユーモアのセンスも、お世辞にも上手いとは言いがたい。  だが、構成は似通っていても、作品へのアプローチの仕方はキューブリックとラインでは180度異なっている。それはラスト、だらしない妊婦となったロリータに、かつての美少女の頃のロリータがオーバーラップするシーンに象徴されている。これではハンバートの少女趣味を理解し、肯定したことになってしまう。(大半の観客がそう受け取るだろう)つまり、この作品は「少年時代の悲劇的な失恋から立ち直れない、純粋で無垢な中年男の悲恋物語」であって、「男の身勝手な独占欲で歪められ、美化された少女像を打ち砕く辛辣な寓話」ではない、ということだ。『ロリータ』は原作もキューブリック版も中年男の悲恋物語などでは決して無い。それだけは明言しておきたい。  ほとんど同じストーリーラインをなぞりながら、全く異なる視点で描かれたふたつの『ロリータ』。当然リ...

【関連書籍】『夢奇譚(夢小説)』アルトゥル・シュニッツラー著(原題:Traumnovelle)

 夢奇譚 (文春文庫)(Amazon)  初めてこの小説を読んだとき、あまりも映画のストーリーそのままなのにまず驚かされた。キューブリックはなんと、ストーリーラインを変えることなくほとんどそのままを映画に取り込んだのだ。だからと言って映画は、この小説の舞台と設定を、単に19世紀末のウィーンから、20世紀末のニューヨークに移し替えただけの代物、と言い切ってよいのだろうか?  小説は、表面的な幸福の中に潜むどす黒い欲望と裏切りが、夢や現実の形となって現われる不可思議な妄想の世界を描いたものだ。主に夫婦間や男女間の問題を扱っており(現に脚本を担当したフレデリック・ラファエルは、映画版のタイトルを『女性の問題(The Female Subject)』にしよう、とキューブリックに持ちかけている)、未婚者や若年層にはピンとこない物語かもしれない。また、不倫願望や不逞、スワッピングや乱交など、この時代ならともかく現代人には全くショックを感じない。  ところが映画はそういう表面的なモチーフは継承しつつもっと解釈を広げ、現代人にとって最も妄想を描きやすい「映画」という媒体を中心に、ありとあらゆるメディアを使って壮大な「夢の世界」を現出させよう、という大胆なものだった。その夢の世界へ、年齢、性別を問わず、あらゆる世代を呼び込みために、謎の物語を用意したり、セクシャルなトレイラーを流し続けたり、意味深なポスターで見るものを誘おうとしたのだ。  ただ、メディアに踊らされるままに映画館に「2時間の夢物語」を堪能しに出向いた観客に、小説とも、当初の脚本とも違うラストシーンを用意したキューブリック。そこには激しい憤りと深い失意。そして決別の意志が込められている。

【作品論】『恐怖と欲望』(原題:Fear and Desire)

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Fear and Desire(IMDb)  キューブリックの自主製作映画第1弾。また、記念すべき映画監督デビュー作。だが、残念なことにキューブリック自身が、この作品を「不器用で思い上がっている」として忌み嫌い、封印してしまったため、現在では見ることができない。だが、どういうわけかネガが流出してしまい、1991年のにはコロラド映画祭で、1994年にはニューヨークのフィルム・フォーラムで上映されてしまう。それに対してキューブリックは「訴訟も辞さない」と強硬な態度を取っている。  だが、資料を読み解く限り、キューブリックがそこまで忌み嫌う程の愚作とは思えない。ストーリーは、架空の国の戦争が舞台で、山中に不時着した小隊が、敵の前線をいかだを使って突破する途中、敵のアジトを発見し、それを襲撃するというもので、印象的なダイアローグと詩的な映像で、極限状況における人間の精神状態と自己のとの対峙(敵と味方が同一の役者で演じられている)といったテーマが語られているという。  製作資金は裕福な叔父のパーヴィラーに借り、スタッフは、ニューヨークのビレッジで知りあった仲間を総動員し、カリフォルニアのサン・ガブリエル山脈でロケが行われた。そのスタッフの中には、当時のキューブリックの妻、トーバも台詞監督として参加している。また、キューブリックは当時、アフレコの技術に疎く、撮影よりもアフレコに多くの費用と時間を費やしてしまったというエピソードが、いかにもカメラマン出身のキューブリックらしい。  当然、未見なので、あまり多くは語れないが、その後のキューブリックが一番多く扱ったジャンル(戦争物)でもあるし、ファンなら当然気になる作品だ。是非再上映、それが無理ならビデオソフトリリースでも構わないので。ワーナーや、キューブリック・プロの方には、是非検討していただきたい。 ※未見時の論評 初出:2006年6月27日  

【登場人物】HAL9000

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 『2001年宇宙の旅』に登場し、余りにも魅力的なキャラであったためか、あっちこっちで引用、ネタ、パロディにされた、恐らく世界で一番有名なコンピュータ。  HALとは、Heuristically programmed ALgorithmic computer (学習能力をプログラムされたコンピュータ)の略称。しかし、一般にはこの映画の協力企業である、IBMのアルファベットを一文字分だけ前にずらしたもの、 との説が知られている。 クラークは「偶然」を力説するが、当時IBMが映画に全面協力していたのだから、この一致に気付かない訳がない。秘密主義で内容は全く知らせられないまま協力させられられた揚げ句、いざ蓋をあけてみれば自社のロゴを付けたコンピュータが人間と敵対するお話だったなんて事じゃ、IBMもたまったもんじゃない(実際に当時は社員に『2001年…』を見ないようにとのお達しがあったようだ)。そんなIBMの怒りの火消しにやっきになったクラーク先生、というのが実際だったのだろう。  また、世界で初めて歌を歌ったコンピュータはIBM700/7000シリーズだった。歌はもちろん『デイジー・ベル』。この事実からも「HALはIBMのもじりではない」という説明に説得力はない。  尚、HALの声は当初ナレーターとして予定されていたダグラス・レインが担当した。

【スタッフ】ケン・アダム(Ken Adam)

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Ken Adam(IMDb)   『博士の…』の最高作戦室など、印象的なセットを生み出したイギリス人のプロダクション・デザイナー。キューブリック作品では他に、『バリー…』にも参加しているが、この時は『博士の…』以上にキューブリックからの強いプレッシャーに悩まされ続け、片時も精神安定剤を手放せなかったらしい。  主な参加作品は『007ドクター・ノォ』('62)、『007ゴールドフィンガー』('64)、『007はニ度死ぬ』('67)、『シャーロック・ホームズの素敵な冒険』('76)、『アダムスファミリー2』('93)、『英国万歳』('94)など。2003年にはエリザベス女王から爵位を授かり、サー・ケン・アダムとなった。  1921年2月5日ドイツ・ベルリン出身、2016年3月10日死去、享年95歳。

【作品論】『スパルタカス』(原題:Spartacus)

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 Spartacus(IMDb)  キューブリックは本作品を全くコントロール出来なかったため、ハリウッドからの逃亡を決意させたという、いかにもアメリカ的な「自由万歳&ラブ・ロマンス」映画。  他のキューブリック作品に慣れてしまっている眼には、「本当にキューブリック?」と疑いたくなるような、おめでたいシーンの連続に辟易してしまう。とにかく、カーク・ダグラスの聖人君子的な演技や、ご都合主義のストーリー展開、出来過ぎた人格の奴隷たちや、お決まりのラブロマンスなど、所詮三文芝居の映像版でしかなく、腹が立つのを通り過ぎてあきれ返ってしまうたけ。  キューブリックは脚本の改訂を求めて、かなり激しくカーク・ダグラスや脚本のドクトル・トランボとやりあったという。だが、赤狩りでハリウッド追放中のトランボの描く「理想的な平等社会と、それを目指す英雄像」と、キューブリックが指向する「暴力と欲望が人間性の本質であり、生きる力」とでは合い入れる筈もなく、結局若いキューブリックが折れてしまう。この時のシコリが元で、ダグラスは自伝でキューブリックの事を「才能あるクソッタレ」と評する事になるのだが、キューブリックもキューブリックで、「この程度の仕事なら、やっつけの片手間でもやってみせる」と言わんばかりに、仕事をサボってスタッフと野球ばかりしていたという話もある。  この映画、 2時間半もの長編だが、『ベン・ハー』や、『クレオパトラ』が流行していた当時らしいスペクタクル感覚に溢れ、現在では完全に古びてしまっている。それを割り引いてもたいして良い作品とは思えず、こんな映画がアカデミー賞を受賞してしまうのだから、「さすがアメリカ」と皮肉のひとつも言いたくなってしまう。  若干30歳のキューブリックにとっては、初の大作カラー作品なので、ここでの経験は後の傑作を産み出すのに、大いに役に立ったと想像できる。もっと重要なのは、この大作を興行的な成功に導いた事によって、ハリウッドからの更なる信頼を得、「有望な新人監督」から、「偉大なフイルムメーカー」としての礎を築き、資金をハリウッドに依存しつつも、自由に映画を創れる環境を手に入れた、ということではないだろうか。

【関連書籍】『フルメタル・ジャケット』グスタフ・ハスフォード著(原題:The Short-Timers)

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フルメタル・ジャケット (角川文庫)(Amazon)   作者のハスフォードは、この小説の主人公と同様に、ベトナム戦争に海兵隊の報道記者として従軍している。その体験をフルに活かして書かれた処女作が本作なのだが、とにかく、全編を貫くクールでドライな感覚に、まず驚かされる。登場人物の「個性」や「人格」を全く描写せず、まるで戦争を他人事かのように扱う淡々とした描き方は独特で、戦場のあまりにも醜悪な現実に、人間としての感覚が完全にマヒしてしまっているその姿は、実体験に基づかないと、とても描ききれるものではないだろう。  除隊する日を心待ちにしながら、目の前にある戦争という狂気の沙汰を、あたりまえの事として受け入れている海兵隊員達…。反戦・平和を標榜するでもなく、戦争や軍隊の不条理さを糾弾するでもなく、ただ、日常的にあっけなく殺し合いをする(たとえそれが味方同士であったとしても、戦略的に大きな意味を持たない作戦でも)という衝撃的な内容は、キューブリックが飛びつくのも頷ける、質の高い作品だ。

【関連書籍】『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ著(原題:Lolita)

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  まず、断っておかなければならないのは、この小説が出版された当時(1955年)、「少女愛」という嗜好は全く認知されておらず、更に作者のナボコフや映画化したキューブリックでさえ、それがどういうものなのかはっきりと認識していなかった、という事だ。  この小説がセンセーショナルな話題を呼び、少女を愛する嗜好の持ち主を「ロリータ・コンプレックス(ロリコン)」と呼ぶようになるのだが、時代を経るにつれて、その意味するところは微妙に変化し、現在では「成人した女性と正常な恋愛関係を持てない者などが、支配欲や性欲の捌け口として、自分に隷属する対象を弱者である幼い少女に求め、それを偏愛する」という傾向に陥ってきている。しかし当時、こんな現実が未来に待ち受けていようなどと、ナボコフもキューブリックも想像だにしていなかったに違いない。  もちろんロリコンではなかったナボコフは、この小説を執筆するに当たり、自分の趣味である蝶の収集を、少女の偏愛として置き換えることによって物語を創作している。街から街へ、安モーテルに泊まりながら当てもなく愛するロリータと共に車で旅するハンバートは、蝶の採集でアメリカ中を車で旅した作者自身の姿だ。そしてロリータは、その中でもとびきり美しい(もしくは貴重な)蝶であったに違いない。  それにロリータも決して従順で大人しい、薄幸の美少女などではなく、現在なら渋谷の繁華街でたむろするような、すれっからしの性悪な少女として描かれていて、決してハンバートの意のままになることはない(人間の意向を無視し、気ままに野山を飛び回る蝶のように)。知性も教養も社会的地位もあり、時折フランス語を交えながら文学的に語るハンバートが、他人には理解不能な「ニンフェット」の定義をくどくど説明したり、単なる変態的妄想を雄弁に力説したり、その割には簡単な罠に引っ掛かって地団駄を踏み続ける姿は、なんとも可笑しく、馬鹿馬鹿しく、そして哀れだ。  そんなロリータをやっとのことで捕まえたハンバートだが、すでに美少女の面影はなく、だらしない妊婦になっていて、 あれだけ忌み嫌った母親のシャーロットにそっくりなのにも気付いてしまう。だがハンバートは失望するどころか、自分はロリータを「一人の女性」として本当に愛していたことに初めて気が付くのだ。この皮肉なまでに遅きに失した愛の自覚…。キューブリックはこの点...

【関連作品】『スティーブン・キング シャイニング』(原題:Stephen King's The Shining)

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 The Shining (TV Mini Series 1997)(IMDb)  「豪華な高級車だがエンジンはついていない」とか、「頭でっかちで、感受性に乏しい」など、キューブリック版に不満たらたらだったキングが、映画から17年後にTVシリーズとして 自ら製作・脚本を手がけ、リメイクした正真正銘の『シャイニング』。  さすがに原作者が製作に深く関わっているために、ほぼ原作に忠実に映像化され、さぞかしキングも溜飲を下げたことだろう。また、先行していた映画版を微妙に避けるため、ホラーとして恐怖感を煽るより、悪霊VS家族愛という視点を強調して脚色した点も功を奏している。キング自身認めているが、映画版の「映像による閉塞的な恐怖感」は素晴らしく、それを超えることは容易でない。そのせいか、映画版とは打って変わり、魅力的な登場人物(幽霊も含む)により、ホラーというより、人間味の溢れる、心温まる感動物語として堪能することができる。  これはこれでありだと思うし、映画版と別物として考えれば、全く違和感なく楽しむことができる。とはいえ、キューブリックファンの性として、どうしても映画版との描写の違いに目が行ってしまう。映画版とTV版で共通する描写として、217号室の女性の霊や、バーテンダーとジャックの絡み、仮面舞踏会などのシークエンスなどが挙げられるが、これはどう見ても映画版に軍配が上がる。それに、キューブリックが拒否した様々な恐怖の描写の映像化(動く生け垣、消火器のホース、スズメバチの巣、ポスターガイスト現象など)に至っては、陳腐以外の何物でもない。  小説家という職業柄なのか、映像に関しては「自分の頭の中に描いている画」に固執しすぎるのだろう。実は、このTV版『シャイニング』を観ながら思い出していたのは映画版『シャイニング』ではなく、なんと『2010年』だった。丁度『2001年…』と『2010年』の肌合いが、そのままこの映画版とTV版にスライドしたとように思えてならなかったからだ。(映画『2010年』は、原作者自身の手による映画『2001年…』のリメイク、と言えなくもない)自らのビジョンにこだわる小説家と、そのビジョンをことごとく破壊し、再構築して傑作を創り上げてしまうキューブリック。キューブリックが小説家に嫌われる理由も良く分かろうというものだ。  尚、ラストは原作とも映...

【作品論】『バリー・リンドン』(原題:Barry Lyndon)

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Barry Lyndon(IMDb)   公開当時の批評によると「退屈だ」、「人間描写に乏しい」など評判が悪く、そのせいか興業成績もよくなかった作品だが、今日見返してみると、キューブリック作品の中では格段に見やすく、ドラマティックで重厚なストーリーになっている。長編の小説をまとめたため、全体にかけ足でエピソードをたどっているのが変えって心地よいテンポを産んでいて、3時間の長さを全く感じさせない。内容も決して難解ではなく、キューブリックもアメリカから渡ってきてた際に直面しただろう、イギリスの階級社会に対する皮肉もかなりあからさまだ。  キューブリックは本作の前にナポレオンの生涯を映画化しようとしたが、様々な事情により中止に追い込まれている。『ナポレオン』で目指した「絵画のように振り付けられた戦争」や「18世紀の人々の日常を切り取る」という目的は、スケールダウンしながらも、ある程度本作品で達成されたように思う。だが、それだけでなく、美しい衣装や調度品に囲まれながら暮らす醜悪な人間達の物語は、充分キューブリック的で、決して「スモールサイズ・ナポレオン」ではない。同じ歴史大作物として、『スパルタカス』と比較してみると面白いかも知れない。いかに『スパルタカス』が、キューブリックの意に沿わないものであったかが、良く分かる気がするからだ。  キューブリックは映像に自然な美しさを得るため、NASAが人工衛星用に開発したF値0.7というレンズをミッチェル・カメラにくっつけて、一切の人工光を排除し蝋燭の光だけで室内を撮影したのを始め、庭園のシーンや池遊びのシーンなどは、まるで絵画を見ているかのような錯覚に陥るほど、緻密に計算され、洗練された映像に圧倒される。現在のDVDと大画面TVの時代はこの作品には追い風となった。是非この圧倒的な映像美を思う存分堪能して頂きたい。  決闘によって幕を開け、決闘によって幕を閉じるバリーの物語は、結局400ギニーの年金と引き換えに片足を失っただけの、とても空虚なものだった…。キューブリックはこの物語を、所謂「悪党冒険譚」としてバリーを一元的な悪党に描くことはしないで、「身分や階級を問わず、全ての人間は適当に善人で、適当に悪人である」という醒めた視点で、淡々と物語を綴っていくという方法を採用した。それが劇的な興奮をを求める評論家や観客達を失望させる...

【考察・検証】「フィクション」を「ドキュメント」するカメラマンの眼

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  ハイスクール時代からカメラに親しみ、その写真を写真報道誌『ルック』に採用されるほどの実力を持っていたキューブリックは、その後その『ルック』に入社、報道カメラマンとして全米各地や時には海外まで出かけ、やがてドキュメンタリー映画を手掛ける事になる。  その「ドキュメンタリー作家」としての感性は、映画監督になってからも如何なく発揮され、作品内の何処にも、また誰にも自己投影せず、答えを描ききったり、詳しい説明も避け、明解な意図も、意志も提示しない…といったキューブリック独特の、一種超然とした視点から語られる物語は「ドキュメンタリー作家」ならではのもの、と言えるのではないだろうか。  つまりキューブリックは結局のところ、根っからのカメラマンであり、ジャーナリストなのだ。狂った世界を、歪んだテクノロジーを、人間の醜悪さを暴きだすために、自らが創りだした「世界(フィクション)」を、自らのカメラで「報道(ドキュメント)」する。それが例え、一般的な観客を置き去りにしてしまうことになったとしても、劇的な興奮が欠落していても、だ。  キューブリックが描き出し、切り取った映像に意味や意図を見出すのは、観客である我々の仕事なのだ。ただ漫然とスクリーンを眺めているだけでは、その真意は全く伝わらない。キューブリックと真剣に対峙するつもりのない観客に、キューブリック作品を批評する資格などないのだ。

【作品論】『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(原題:Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)

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Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb(IMDb)   笑いの感覚というものは、時代とともに刻々と変化するものだ。昔笑えたギャグに今は全く笑えない、なんてことは日常的に実感する。だが、批判精神に溢れ、鋭く真実を付く「ブラックユーモア」はいくら月日が流れようとも普遍性がある。 いつの時代でもどの場所でも受け入れられるものなのだ。  本作品には「ブラックユーモア」な部分と「コメディ」な部分とが共存している。そして残念ながら「コメディ」の部分は今観るとかなり辛い。マフリー大統領とソ連書記長のホットラインでの会話や、コング少佐が機内で飛ばすジョーク、電話をかける小銭がないと焦るマンドレイク大佐や、撃ち抜かれ、コーラを吹き出す自動販売機などは正直全く笑えない。  だが、タカ派丸出しのタージトソン将軍や、共産主義者の陰謀を真顔で語るリッパー将軍、ナチの亡霊のようなストレンジラブ博士などは、ニヤッと笑った後に背筋が寒くなる。特に全世界が滅亡しようかという事態にまで至っても尚、自国の優位性を説くソ連大使には空恐ろしさを感じずにはいられない。  こういった、ブラックユーモアのセンスは傑出しているのだが、よほど現場のノリがよかったのか、全体的に悪ノリしすぎてしまっている感は否めない。当のキューブリックも暴走気味で、ラストシーンは「滅びた惑星地球から発見されたドキュメンタリー・フィルムを、宇宙人が発見し上映した」というオチにしようと考えていたらしい。そして、そのラストシーン直前に繰り広げられるはずだった最高作戦室でのパイ投げシーンは、撮影まで行われた。だが、さすがにやりすぎだと思ったのか、最終的にはまるまるカットしている。こういったものまで良しとするセンスが現場に満ちていたのだろう。やはり「ブラックユーモア」と「コメディ」の明解な線引きと、それがこの作品の将来をどう左右するかまでは、検討されていなかったのではないかと思う。  また、キャスティングの功罪もあったのかも知れない。特に三役(当初の予定ではコング少佐も含めて四役)で出演したピーター・セラーズは「ブラックユーモア」、「コメディ」両方のセンスを持っていて、その両方に影響力を及ぼしている。ブラックな部分はさすがイギリス人らしく鋭い...

【台詞・言葉】レッドラム(REDЯUM)

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 『シャイニング』でダニー少年が口にする謎の言葉。スペルを鏡に映して逆から読むと「MURDER(殺人)」となる。 スティーブン・キングの小説版は序盤からしつこく描写していたが、キューブリックはこのアイデアを気に入らず、映画版での描写は最小限に抑えられている。ジャックが殺人を決行するキーワードでもある。尚、 同名のラム酒 が存在するが、どうやら確信犯的に名前を拝借したもよう。味はかなり甘めだ。

【サウンドトラック】ミュージック・フロム・ザ・モーションピクチャー アイズ ワイド シャット(Music From The Motion Picture Soundtrack Eyes Wide Shut)

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アイズ・ワイド・シャット オリジナル・サウンドトラック(Amazon) Musica Ricercata, II (Mesto, Rigido E Cerimoni Ale) (4:17) ムシカ・リセルカタ2|Gyorgy Ligeti / Dominic Harlan Waltz 2 From Jazz Suite (3:41) ワルツ2|Dmitry Shostakovich / Royal Concertgebouw Orchestra Baby Did A Bad Bad Thing (2:54) バッド・バッド・シング (ニュー・ヴァージョン)|Chris Isaak / Chris Isaak When I Fall In Love (3:00) ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ |Edward Heyman, Victor Young / The Victor Silvester Orchestra I Got It Bad (And That Ain't Good) (3:11) アイ・ガット・イット・バッド|Duke Ellington, Paul Francis Webster / Oscar Peterson Trio Naval Officer (4:51) ナヴァル・オフィサー|Jocelyn Pook / Jocelyn Pook The Dream (4:57) ザ・ドリーム|Jocelyn Pook / Jocelyn Pook Masked Ball (3:42) マスケッド・ボール|Jocelyn Pook / Jocelyn Pook Migrations (3:44) ミグレーション|Harvey Brough, Jocelyn Pook / The Jocelyn Pook Ensemble If I Had You (7:01) イフ・アイ・ハッド・ユー|Jimmy Campbell, Reginald Connelly, Ted Shapiro / Roy Gerson Strangers In The Night (2:31) ストレンジャー・イン・ザ・ナイト|Bert Kaempfert, Charlie Singleton, Eddie / SnyderPeter Hughes Orchestra Bl...

【セット】コロバ・ミルクバー(Korova Milk Bar)

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 『時計じかけのオレンジ』に登場するサイケなバー。店内にある裸の女性の像が麻薬入りのミルクの自動販売機になっていて、お金を入れてペニス型のレバーを倒せば、胸の先からミルクが出る仕掛けになっている。また、裸の女性のテーブルを製作したのは、『2001年宇宙の旅』でスターチャイルドを製作したリズ・ムーア。

【関連書籍】EYES WIDE OPEN―スタンリー・キューブリックと「アイズワイドシャット」

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EYES WIDE OPEN: スタンリー・キューブリックとアイズワイドシャット(Amazon)  『アイズ ワイド シャット』の脚本を担当した小説家フレデリック・ラファエルが、『アイズ ワイド シャット』の製作に関わる経緯と、製作の裏側を克明に綴ったドキュメント。  いわゆる暴露本としてクリスティアーヌは批判しているが、個人的にはキューブリックの実像がよくわかる書として好意的にこれを読んだ。この本によると、いかにキューブリックがストーリーメーカーとしての小説家を高く評価しながらも、小説家の頭の中にあるシーンの画を排除したがってたかよく分かる。つまりキューブリックは「すぐれたストーリーは欲しい」が、「小説家が頭の中で描いた画は不要」なのだ。この本によるとキューブリックは、ラファエルにさんざんストーリーをふくらまさせた揚げ句、その骨子だけ残して全部捨て去ってしまうプロセスが詳しく語られている。  ストーリーやコンセプトを言葉に頼らざるを得ない小説家と、言葉はもちろん、画や音楽、編集や色彩でさえ駆使できる映画監督とではそのアプローチの方法が異なって当然。ただ、そんな使い捨てのように扱われる脚本の仕事が小説家にとって満足のゆくものであるはずが無く、不満たらたらなのも理解できる。  この本でのラファエルの恨み節と、自分寄りの描写の部分を除けばけっこう貴重な証言だと思うのだが。

【作品論】『シャイニング』(原題:The Shining)

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The Shining(IMDb)   この作品に、通常の血なまぐさいスプラッター・ムービーや、こけ脅しのホラーを期待してみると、完全に肩透かしを食らってしまう。そういう解釈ではまったく怖くない作品だ。結局人も一人しか殺されない。だが、キューブリックがそんな見え透いた方法で観客を恐怖に陥れようとしていないのは、注意深く観ていればすぐに分かるはず。とにかくこの映画は異常に「寒い」のだ。観る者の毛細血管まで凍らせてしまうかのような「寒さ」と、のしかかる「閉塞感」が全編を通して貫かれている。  キューブリックは、一般的なホラー映画が、観客を怖がらせる方法論(ゾンビメイクの幽霊、誰もいないのに動く家具等)を極力避け、ホテルそのものに「霊気」を感じさせるように、セットの大きさや配置・色、アングルやライティング、シンメトリーな構成など、照明や撮影方法に細心の注意を払っている。特に印象的に使用されているのはステディカム(手ぶれがなく手持ち撮影できる装置。廊下や迷路のシーンなどで使用)で、霊魂が音もなく浮遊するような感覚の映像は、見事しかいいようがない。また、双子の少女、バーテンダーのロイド、前管理人のグレディの抑制された演技と強烈な存在感は、一般的な恐怖映画と一線を画している部分だ。これほとまで恐ろしく、強烈な印象を残す幽霊の描写を他に知らない。  そしてなによりも、ジャック・ニコルスンが徐々に狂気に駆られてしまう様は圧巻だ。一部で言われているように、確かにオーバー・アクト気味かもしれないが、あのキレ方はやはり迫力がある。閉塞感溢れるセット、明るい照明、ぶれないカメラ、抑制された演技など「静」の要素と、ニコルソン激しい演技による「動」の要素の対比によってより一層狂気が強調されおり、物語全般を覆う「精神的な恐怖」を十二分に体験すできるよう緻密に計算されいる。  ただ、少し陳腐なシーンもちらほら。237号室の腐乱死体や、宴会場でのガイコツのパーティー、居室で行為に及ぶ着ぐるみとホモなど、否定していた筈のお化け屋敷的な演出で、恐怖感を煽る方法論も採用されている。興行的に絶対失敗できなかったキューブリックの迷いがそうさせたのだろう、後になって不要と判断し、全米での初公開以降、上映中にもかかわらずこれらのいくつかのシーンをカットしている。  ホラーファン、キングファンの間でも賛否が...

【考察・検証】映像、映画の究極の探究者「スタンリー・キューブリック」

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スタンリー・キューブリック(IMDb)   20世紀を代表する映画監督の一人であり「巨匠」と呼ぶにふさわしい偉大な映像作家。徹底的に細部までこだわる完全主義者と呼ばれ、脚本や演出はもちろん、音楽、美術セット、編集、広告、字幕スーパーに至るまで、映画制作に関わる全ての事柄に権限を持ち、正しい判断を下すためのチェックを怠らない、現在の分業化が進んだ映画界に於いて、非常に希有な存在であり続けた。  また、キューブリックは自分が追い求める映像がいかに困難な作業を伴ったり、膨大な時間や予算を費やしたりしても、ありったけの知識と斬新なアイデアと最高のテクノロジーで立ち向かい、克服してしまう。その貪欲で飽くなき向上心でフロント・プロジェクション、スリット・スキャン、高感度レンズなどの採用、ステディカムの効果的な使用など映画界に多大な影響と足跡を残している。  過剰な演出をせず、自然な照明を好み、無駄を排した台詞や映像で語られるキューブリックの作品は、現在の「ジェットコースター・ムービー」を見慣れた眼には退屈に映るかも知れない。しかし、現実主義者でもあるキューブリックはその姿勢を決して崩そうとはしない。そこには「映像が語る映画を作る」という、キューブリックの「映像作家」としてのプライドと本能が感じられる。  寡作な作家であったキューブリックは、決して多くの作品を残してはいない。だが、数は少なくても、どの作品も永遠に輝きをを失うことはないだろう。それはどの作品でも、常に「人間の本質とは何か?」という普遍的なテーマを追及し続けていたからに他ならない。  「スタンリー・キューブリック」。この偉大にして孤高を誇る映画監督、映像作家は映画という総合芸術の究極の探究者として、永遠に語り継がれるに違いない。

【作品論】『フルメタル・ジャケット』(原題:Full Metal Jacket)

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 Full Metal Jacket(IMDb)  「キューブリックは人間ドラマを描けない」とは、よく目にする批評だが、それは彼の初期作品を観ればすぐに間違いだと気づくだろう。『突撃』では戦争の矛盾と軍隊の腐敗を、重厚な演技と圧倒的な演出力で見事に描ききっている。だが本作では、前半の訓練所のパートから、後半の戦場のパートまで、登場人物の誰一人として感情移入することなく、淡々、粛々と物語は進行してゆく。それはまるで、戦場ドキュメンタリーを観ているかのようだ。  だが本作は「戦場ドキュメンタリー」ではない。あえて言うなら、「戦場ドキュメンタリーように演出された戦争映画を批判した映画」なのだ。物語の途中、TVのクルーが兵士達をあくまで「戦場演出の一部」として扱ったり、そのどこかしらベトナムらしくないベトナムの風景(単にキューブリックのロケ嫌いによるものだが)や、ジョーカーの墓を前に父親がジョーカーの日記を読み上げる、といった情緒的なエンディングの排除など、徹頭徹尾、空々しさが全編を覆っている。それは「想像していた通りの戦争っぽい戦争」とインタビューに応えるカウボーイの台詞が象徴するように、「いくらリアルな描写でも、戦争映画なんて所詮絵空事に過ぎない」ということを実証してみせたかったのではないだろうか。また広報誌「スターズ・アンド・ストライプ」の上官は露骨に記事の改竄・捏造をジョーカーに指示する。結局我々一般大衆にとって戦争とは、紙とペンで書かれたものか、TVや映画の中にしか存在しないものなのだ、と言わんばかりだ。  ベトナム戦争は、TV時代に行われた初めての戦争だった。そこでは、戦場のニュースフィルムが「真実」として伝えられ、それを政府はプロパガンダとして、メディアは反戦運動に利用した。ペンと紙の時代より、はるかにリアリティをもって伝えられる「戦争の真実」…。だがそんなものはどこにも存在していなかった。パイルやジョーカーやカウボーイ、そしてベトコン少女は、権力側の思惑とは関係なく、ただ戦場で浪費されていくだけの一個の銃弾でしかない。その残酷なまでに冷徹な認識だけが「戦場に存在する唯一の現実」だったのだ。  『フルメタル・ジャケット=完全被甲弾』。敵を粉砕すべく作りだされた、単なる大量消費財。単なる大量消費財に人格や意志は存在しない。キューブリックは物語の前半で「フ...

【俳優】カーク・ダグラス(Kirk Douglas)

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 Kirk Douglas(IMDb)  キューブリック作品では常に主役で、『突撃』では、部下の兵士に慕われるダックス大佐を、『スパルタカス』では、奴隷で英雄のスパルタカスをそれぞれ演じた。『突撃』は、カークが脚本を気に入り、出演を承諾したために撮れた作品なので、キューブリックにとっては良い出会いだったといえる。だが、『スパルタカス』では、その良好だった関係はこじれにこじれ、カークは例の名言「才能あるクソッタレ」を残す事になる。その後も主役級で映画に出演し続け、息子のマイケル・ダグラスも俳優として成功している。  主な出演作は『バイキング』(1957)、『OK牧場の決斗』(1957)、『パリは燃えているか』(1966)、『大脱獄』(1970)、『フューリー』(1978)、『ファイナル・カウントダウン』(1980)など多数。1916年12月6日アメリカ・ニューヨーク州出身。2020年2月5日ロサンゼルス・ビバリーヒルズで死去、享年103歳。

【作品論】『アイズ ワイド シャット』(原題:Eyes Wide Shut)

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Eyes Wide Shut(IMDb)   キューブリックが映画を創り初めて約半世紀。その間、キューブリックは常に戦い続けてきた。ある時は映画会社、またある時はマスコミ、それに時には無理解なスタッフや俳優達。だが、彼は観客だけは信じていた。「必ずメッセージは伝わるんだ」と…。  本作はトム・クルーズとニコール・キッドマンという、実生活でも夫婦(公開当時、現在は離婚)という俳優がキャスティングされている。またエロティックでミステリアスという前評判もあり、観客は様々な妄想を膨らませ映画館に出向いた。だが、そこで見せられたのは、間抜けな金持ちの医者が、間抜けな罠に引っ掛かり、火遊びどころか振りかかってきた火の粉をおたおたと振り払い、妻の元にほうほうの体で逃げ帰るというなんとも冴えないお話だった。  観客は失望した。自分たちが「見たかった」ものを「見せてもらえなかった」からだ。しかし、そういう彼らは一体何を期待していたのだろうか?クルーズとキッドマンの濃厚なラブシーン?クルーズが性豪よろしく数々と女を抱きまくる姿?清楚なキッドマンの淫乱な実態?  キューブリックはそんな観客の低俗な妄想に満ちた安易な期待を、この作品の中で見事な形で戯画化し、提示してみせた。すなわち、「ビルが妄想にとりつかれうろたえる滑稽な姿を描く」という形で。つまり、このビル・ハーフォードというキャラクターこそ、我々大衆そのものだ、と批判しているのだ。  妄想に溺れ、妄想で行動し、妄想に暮らし、妄想に悩み、妄想で時間を浪費する。そんな我々大衆に対し、「いいかげんに目を醒ませ!」と痛烈にメッセージを送っているのだ。また、二時間の妄想を垂れ流し、大衆から金を巻き上げる現在のハリウッドに対しても「映画は現実逃避の慰みものではない!」と批判の矛先を向ける。キューブリックにとって、ハリウッドの映画産業システムは最期の最期まで敵だったのだ。  アリスはすなわちキューブリックだ。股間と妄想を膨らませた男の誘いを一蹴し、意味深な夢の話で夫を試す。それに劇中常にビルに向けられた冷ややかな視線…。そして極め付けは何と言ってもラストシーンで、ビル(すなわち我々大衆)に突きつけた「ファック」という捨て台詞。(これがダブルミーニングと気付かない論客のなんと多いこと!)鏡の中から冷ややかにアリスがこちらを見るポスターの図案...

【プロップ】TMA-1(ティー・エム・エー・ワン)

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   『2001年…』で、月のティコ・クレーターで発見されたモノリスに人類が付けた名称。TMAとは、Tycho Magnetic Anomaly(ティコ磁気異常)の略。因に、木星衛星軌道上で発見されたモノリスは、クラークの小説版によると、当初「TMA-2」と呼ばれたが「ティコ」でも「磁気異常」でもないので「ビック・ブラザー」と呼ばれた。400万年前の地球にあったものや、白い部屋に現れたものは単に「モノリス」と呼ばれている。

【俳優】トム・クルーズ(Tom Cruise)

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Tom Cruise(IMDb)   言わずと知れたハリウッドの大スター。『アイズ…』で、主人公の医者ビル・ハーフォードを演じた。共演は実生活でも当時妻だったニコール・キッドマン。キューブリックとの1年以上にも及ぶ撮影期間は覚悟していたとはいえ相当のプレッシャーとストレスがかかる仕事となった。それでもクルーズはキューブリックに賛辞を惜しまない。キッドマンとの離婚は本作が原因との噂があるが、キッドマンはそれをやんわり否定している。もともとクルーズは結婚には向いていないタイプのような気もするが・・・。  主な出演作は、『エンドレス・ラヴ』(1981)、『トップガン』(1986)、『カクテル』(1988)、『レインマン』(1988)、『7月4日に生まれて』(1989)、『ア・フュー・グッドメン』(1992)、『ミッション・インポッシブル(1,2,3)』(1996、2000、2006)など多数。キューブリック関連に絞ると、『博士…』に出演したジョージ・C・スコット(士官学校校長)と共演した『タップス』(1981)で生徒役を、キューブリックに監督のオファーがあった『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)で主役を演じている。また、DVDボックスの特典映像『A Life in Pictures』ではナレーションを担当した。1962年7月3日アメリカ・ニューヨーク州生まれ。ミミ・ロジャースとは1987年結婚、1990年離婚。キッドマンとは1990年結婚、2001年離婚。

【オマージュ?】一卵性双生児 ローゼル ニュージャージー州 1967年(Identical Twins, Roselle, New Jersey, 1967)

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Identical Twins, Roselle, New Jersey, 1967(Wikipedia)  著名な女性写真家、ダイアン・アーバスの代表作。『シャイニング』の双子の幽霊の元ネタとされているが、キャスティングの段階では原作通り姉妹で考えられていたため、双子に設定が変更になったのは、演じたリサ&ルイーズ・バーンズが持つ霊的な存在感を評価したことによるもの。少なくともキャスティングはレオン・ヴィタリが担当していたので、「キューブリックがルック社時代に親交のあったダイアン・アーバスにオマージュを捧げた」という話は誇張が入っているのではないかと考える。現にキューブリック本人はこの件に関して何も発言していない。  この写真のモデルはキャスリーン&コリーン・ウェイド。アーバスは双子や三つ子が集まるクリスマスパーティーで二人を見つけて撮影した。双子の父親はこの写真について「今まで見た双子の中で一番似ていると思った」と語ったそうだ。

【作品論】『ロリータ』(原題:Lolita)

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Lolita(IMDb)   現在使われている、「ロリータ・コンプレックス(ロリコン)」という言葉は、「従順で大人しい、可憐な聖少女」的な意味合いで使われる事が多いようだが、原作よると、単純にそういう意味ではなく「狡猾で小生意気で口の悪い、蠱惑的な少女」といったニュアンスで定義されている…と思われるのだが、とにかく主人公であるハンバート氏の偏執的な少女への視線や妄想が凄すぎて、とてもじゃないが一般人には理解不可能。歩き方や仕種、話し方から肌のツヤ、揚げ句の果てにテニス・ウェアから覗く脇毛まで(謎)、彼の定義に当てはまらないものはニンフェット(妖精)とは呼ばないし、興味もないらしい。  この映画はよく「ミス・キャスト」と評されることが多いようだが、原作を読んでみると一概にそうとは思えない。(原作のナボコフはこの映画を気に入っていたらしい)長篇の小説だが、よくまとめられて映像化されていて、ナボコフのファンだったというジェイムズ・メイソンも、ハンバートの「いっちゃってる」さ加減を上手く演じていた。それにピーター ・セラーズの怪演も見逃せない。TV作家なる怪しげな職業の業界人は、キューブリックが生涯忌み嫌った、ハリウッドに巣くう胸くそ悪い連中を戯画化した姿だとも言えるだろう。  とにかく一方的に妄想に溺れるハンバートの間抜けさ加減は、可笑しくもあり、情けなくもあり、憐れでもあるが、「男の恋愛」とは、はたから見ればその対象は誰であれ、以外とこんなものかもしれない…。そんなキューブリックの冷めた視線で描かれた「ブラック・コメディ」として観るべきではないだろうか。ハンバートは最後の最後に、妊婦になった一介の主婦姿のロリータを見て、自分が愛していたのは「ニンフェット」ではなく、あれだけ忌み嫌った母親シャルロットの血を確実に受け継いでいる、ロリータという「一人の女性」だったことに気づいてしまうのだが、それが少女の肖像画の頭部を銃で打ち抜く(少女愛からの決別)というラストシーンに象徴されている。ここにも「恋愛に対する男の身勝手な幻想」を打ち砕く、キューブリックらしい「皮肉の一撃」が感じられる。ただ、少しツメは甘かったかも知れない。当時の社会状況とか、タブーを考えれば仕方ない事かとは思うが。  キューブリック自身も後に、「当時の様々な圧力団体の干渉を受け、ハンバートとロリータのエ...

【作品論】『時計じかけのオレンジ』(原題:A Clockwork Orange)

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A Clockwork Orange(IMDb)   一般的に「難解」と言われるキューブリック作品の中でも、この『時計じかけ…』は例外的にシンプルで明快な作品だ。だが、未だにアレックスが罰らしい罰を受けずに復活するラストに違和感を覚え、それを批判する人も少なくない。これではキューブリックも浮かばれない。  初公開当時「激しすぎる」と批判された暴力シーンも、現在の感覚からすれば、たいしたことはない。なのに今日に至ってもその描写に激しい拒否反応が噴出するのは、所謂「映画のお約束」の枠を越えているからだろう。つまり、今日の暴力描写はいくらそれが激しくても、「これはフィクションですよ」というお約束の中でなされている。しかし『時計じかけ…』にはそれがない。まるで、実際に暴力の現場を目撃しているかのような映像感覚…。それはひとえにキューブリックの天才的なカメラワークのなせる技だろう。  やがて、アレックスの暴力三昧の日々はあっけなく逮捕という結末を迎える。しかしここでも暴力、暴力、暴力の嵐…。警官によるアレックスへの暴力、刑務所内での暴力(アレックスがホモ囚人を殴り殺すシークエンスはカットされてしまったのだが)、そして、権力者が一般大衆に対して行う最も恐ろしい暴力「洗脳」。かつて暴力で権力者を困らせたアレックスは、きっちりとその暴力で権力者に仕返しされてしまうのだ。  アレックスにとって生きる喜びと自由意思の表現であった暴力(ついでに性欲とベートーベンも)を奪われ、見た目は有機物でも中身は機械人間、つまり『時計じかけのオレンジ』にされてしまう。そんな無力な彼を、かつて虐げた連中が暴力で仕返しをする。揚げ句、反体制小説家はアレックスを自殺に追い込み、それを政府批判の世論操作に利用しようと企てる。  だが、その企ては失敗に終わり、今度は逆に権力者が広告塔として利用するために元の暴力的な人格に戻される。つまるところアレックスは暴力で逮捕され、暴力で洗脳され、暴力で解放されたことになる。しかもアレックスを取り巻く連中(権力側、反政府側、それにかつて虐待した老人でさえ)もそれぞれ暴力でそれに応える。このうんざりさせられるほどの「暴力の連鎖」。これこそがこの作品の核心であり、それを持ちあわせているのが「人間」という存在なのだ。  ラスト、暴力性を取り戻し、ベートーベンの第九を聴きな...

【俳優】リー・アーメイ(R. Lee Ermey)

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R. Lee Ermey(IMDb)  『フルメタル…』には、最初はテクニカル・アドバイザーとしての参加だったが、キューブリックに見いだされて、鬼教官ハートマンを熱演した。実際に元教官で、ベトナム戦争へは下士官として参加している。この役の印象がよほど強烈だったせいか、他の出演作でも『トイ・ソルジャー』(1991)では将軍、『トイ・ストーリー』(1995)、『トイ・ストーリー2』(1999)、『トイ・ストーリー3』(2010)、『Xマン3』(2006)では軍曹の声、『セブン』(1995)では警察署長など、軍、警察関係が目立っている。また、ノー・クレジットながら『地獄の黙示録』(1979)にヘリ・パイロット役で出演している。1944年3月24日アメリカ・カンサス州生まれ。

【作品論】『2001年宇宙の旅』(原題:2001:A Space Odyssey)

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2001:A Space Odyssey(IMDb)  この映画は、人類が人類になった瞬間から、人類が人類でなくなった瞬間までを描きつつ、「人類とはいかなる存在か?」「人類はどこから来て、どこへ行こうとしているのか?」という、人類の根源的な命題に、ひとつのビジョンを指し示した空前絶後の傑作映画であり、前代未聞の実験映画だ。  キューブリックは、そのビジョンの実現するに当たり、当代きってのSF作家であるアーサー・C・クラークを始め、当時の最新技術や科学考証の専門家をフル動員し、優秀なスタッフによって独自開発された特撮技術も最大限に利用した。また、斬新な構成・編集・カット割、既製のクラッシック音楽の効果的な使用、ナレーションの排除、セリフを絞り込み「重要な事は全て映像で表現した」という大胆なアプローチ等よって、映画の枠を超えて一種の「映像体験」して完成させてしまった。そのあまりの斬新さに、当時の論評は的外れで否定的なものもあったというが、それも今では笑い話だろう。  この映画を、人類の立場で観てしまうと理解できないだろう。キューブリックは、クラークの小説版があくまで人類の視点から人間と宇宙との関わりを表現しようとしたのとは対照的に、もっと高い次元からこの物語を描き出そうとしている。(それが映画版と小説版のもっとも大きな差異だろう)キューブリックは大胆にも、観客に「神」(あるいは人間以上の「ある存在」)の視点から観ることを要求したのだ。  その「視点」を視覚的に見せる為、キューブリックは「モノリス」という謎の物体を設定した。(宇宙人を描写する事も検討されたが、「陳腐になる」との判断で却下された)黙して語らないモノリスだが、その行動は実に雄弁で、猿人同士の争いや、HALとの対決を促し、人類が「宇宙」という広大な秩序にふさわしい種かどうかを冷徹に淘汰・選別した。その結果、子宮の暗喩ともとれる白い部屋で人間は老い、死を迎え、そして転生するのだが、(クラークの小説版では、時間が逆行し赤ん坊に戻る、という表現になっている。クラークとキューブリックの差異がここにもある)何も知らずそばで漂う地球は、あまりにも脆弱に見える。その地球にしがみつく人類の、なんと幼い事か!スター・チャイルドの済んだ大きな瞳は、キューブリックが人間を冷徹に観察するあの大きく黒い瞳と完全に一致しているのだ。  も...

【サウンドトラック】オリジナル・モーションピクチャー・サウンドトラック ロリータ(Original Motion Picture Soundtrack Lolita)

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ロリータ オリジナルサウンドトラック(Amazon) Main Title (Love Theme From Lolita) (1:57) メイン・タイトル(「ロリータ」愛のテーマ)|Bob Harris / Nelson Riddle & His Orchestra Quilty (Qulity's Theme) (2:52) クイルティのテーマ|Bob Harris, Nelson Riddle / Nelson Riddle & His Orchestra Quilty As Charged (0:49) クイルティ・アズ・チャージド(セリフ)|Bob Harris, Nelson Riddle / Nelson Riddle & His Orchestra Ramsdale (Arrival in Town) (0:45) 町への到着|Bob Harris, Nelson Riddle / Nelson Riddle & His Orchestra Cherry Pies (0:28) チェリー・パイ(セリフ)|Bob Harris, Nelson Riddle / Nelson Riddle & His Orchestra Lolita Ya Ya (3:23) ロリータ・ヤー・ヤー|Bob Harris, Nelson Riddle / Nelson Riddle & His Orchestra Hula Hoop (0:10) フラ・フープ(セリフ)|Bob Harris, Nelson Riddle / Sue Lyon, Shelly Winters There's No You (3:21) ゼアーズ・ノー・ユー|Tom Adair, Hal Hopper / Nelson Riddle & His Orchestra Quilty's Caper (Scholl Dance) (1:50) スクール・ダンス|Bob Harris, Nelson Riddle / Nelson Riddle & His Orchestra "A Lovely, Lyrical, Lilting Name" (0:23) 愛しの名前(セリフ)|Bob Har...

【作品紹介】『アイズ ワイド シャット』

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Eyes Wide Shut(IMDb) 邦題/アイズ ワイド シャット 原題/Eyes Wide Shut 公開日/1999年7月16日(159分、カラー、モノクロ) 日本公開/1999年7月31日 製作会社/ワーナー・ブラザース 製作総指揮/ヤン・ハーラン 監督/スタンリー・キューブリック 脚本/スタンリー・キューブリック、フレデリック・ラファエル 原作/アーサー・シュニッツラー『トローム・ノヴェル』 撮影/ラリー・スミス 特殊効果/ガース・インス 美術/レス・トムキンズ、ロイ・ウォーカー 編集/ナイジェル・ゴルト 出演/トム・クルーズ(ウイリアム〈ビル〉・ハーフォード)、ニコール・キッドマン(アリス・ハーフォード)、マディソン・エジントン(ヘレナ・ハートフォード)、シドニー・ポラック(ヴィクター・ジーグラー)、トッド・フィールド(ニック・ナイチンゲール)、マリー・リチャードソン(マリオン)、ソーマス・ギブソン(カール)ほか 配給/ワーナー・ブラザース ●ストーリー  ニューヨークに暮らす内科医ビル・ハーフォードとその妻アリス。可愛い娘にも恵まれ、何不自由なく暮らしていたビルは、患者の一人、ヴィクターからクリスマス・パーティーに招待される。そこでビルは旧友のナイチンゲールと再会し、またドラッグで意識を失ったヴィクターの愛人マンディを介抱する。  次の日の夜、妻に前夜のパーティーで突然モデルと姿を消した事を問い詰められ、勢いで妻の浮気願望を聞かされる羽目になってしまう。ショックを受けたビルは、受け持ちの患者の容体の急変を知らせる電話に慌てて家を飛び出すが、その患者の娘マリオンに愛を告白され、また娼婦のヌエラには部屋に招かれる。だがどちらもビルは事に及ばなかった。  夜のNYを彷徨うビルは、ナイチンゲールが演奏している店を見つけ、再び再会。そこでビルはナイチンゲールから奇妙なパーティーの話を聞かされる。興味をそそられたビルは、ナイチンゲールから入場のパスワードを聞き出し、郊外の屋敷で秘密裏に行われているパーティーに潜入する。だが、そこで彼は信じられない光景を目撃する。それは、参加者が全員全裸に仮面を付けてセックスに耽るという、いわゆる「乱交パーティー」だった。  邸内を見て回るビルに、突然謎の女が現れ「ここは危険だからすぐ立ち去るように」と警告する。だがビルは従わな...

【台詞・言葉】Lucky To Be Alive(生きているだけで幸運)

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 『アイズ…』で、ビルが謎の紳士からの尾行に気付き、思わず売店で購入した新聞「ニューヨークポスト」一面に書かれていた見出し。本作完成直後にキューブリックが逝去してしまった事実に、特別な意味を感じずにはいられない。

【関連書籍】『スタンリー・キューブリック~写真で見るその人生』クリスティアーヌ・キューブリック著(原題:A Life in Pictures)

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スタンリー・キューブリック: 写真で見るその人生(Amazon)  『スタンリー・キューブリック DVDコレクターズBOX』の特典映像としてリリースされた、『ア・ライフ・イン・ピクチャーズ』の書籍版と言うべき写真集。編集はもちろん未亡人のクリスティアーヌで、セレクトされている写真は、撮影現場の裏側を伺う事ができる貴重なものから、決してプライベートを明かそうとしなかったキューブリックの私生活が伺える写真も多数掲載。  「個性的な子供時代」から「周囲にも自らにも厳しい芸術家」、そして「良き普通の父親」までセレクトされた写真やキャプションを読む限り、キューブリックに関する良からぬ噂話(隠匿者とか、パラノイアとか)を払拭したいかのようなクリスティアーヌの姿勢は理解できるが、個人的にはもっと「刺激的」な写真が見たかった気がする。また、キューブリックの前妻や前々妻にはあまり触れていなかったり、俳優やスタッフとのトラブルや対立といった否定的な部分にはほとんど立ち入っていない。全体的に綺麗にまとまりすぎだろう。まあ、身内(クリスティアーヌ)が身内のプライベートを見せるわけなので、自ずと限界はあるだろうが。  あと、付録とはいえ、巻末のクレジットのリストは見にく過ぎる。「これを決定版としたい」とのクリスティアーヌの意志とは裏腹に、ろくにレイアウトもせずただ単にテキストを流し込んだだけの代物で、英文に慣れない日本人には全く不親切なつくり。全体的にも、フォントの詰めが甘く、仕事が非常に雑でやっつけっぽい。多少時間がかかっても、もっと丁寧に作り込んで欲しかった。「愛育社」の名前とは裏腹に、愛が感じられないのは非常に残念だ。