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【パロディ】Hachi THE SHINING

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 ・・・正直言って、この動画を紹介するのはものすごく気が引けるのですが、キューブリックファンを自認する管理人も大爆笑だったので、懐の広いファンなら許していただけると思い、紹介します。  この動画を作ったのは日本の方だと思いますが、こういったパロディのセンスは日本人ってすごいな、と思います。キューブリックのパロディってけっこうあるのですが海外のはどれもストレート過ぎて面白くないんですよね。その点これは・・・クオリティが高すぎます。まさにこの発想はなかった、ですね。脱帽です。

【台詞・言葉】諸君、ケンカをしてはいけない。ここは最高作戦室だ!(Gentlemen. You can't fight in here. This is the War Room!)

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 『博士の異常な愛情』で、タージドソン将軍とデ・サデスキー大使の間で始まったケンカを戒めるマフリー大統領の台詞。一般的に『博士…』の名台詞としてよく取り上げられるものの一つなのですが、字幕だと面白さがイマイチ伝わりません。  それは原文を当たれば分かります。つまりけんかは「Fight」最高作戦室は「War Room」なので、意訳すれば「諸君、戦争してはいけない!ここは戦争部屋だ!!」と矛盾した言葉で争いを戒めようとする大真面目な大統領が可笑しいという意味なのです。  キューブリックは『博士…』について「字幕スーパーだと面白さが削がれる映画」と評しています。この台詞はその最たるものかもしれませんね。

【関連作品】コルベルク(Kolberg)

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 キューブリックの妻、クリスティアーヌ・スザンヌ・ハーランの伯父であるファイト・ハーランがナチ政権下で最後に監督した映画が、このフルカラー超大作『コルベルク』だ。あまりにも当時の生産力の無駄遣いなこの映画、当時のドイツの技術水準の高さはご覧頂ければ分かる通りだが、それよりもゲッペルスの暴走ぶりが興味深かったのでキューブリックとは直接関係ないが取り上げてみたい。  すでにドイツの敗色が濃くなっていた1943年冬、ナチの宣伝相ゲッペルスは超大作の製作を指示する。強大なナポレオン軍に対し、戦力に劣るプロセイン軍がコルベルクにおいて勇猛果敢に戦い抜いた史実を映画化する『コルベルク』だ。この映画にエキストラとして参加させるため、ゲッペルスは実際各地で激戦を戦っていたドイツ兵18万3千人を呼び戻し、5000頭もの馬を動員したそうだ。その際に兵士に「兵士達は前線で戦うよりもこの映画に出る方がずっと重要なのだ」「我々が死んでもこの映画は生き続けるのだ」と説いた。だがその当地、コルベルク要塞はソ連軍によってすでに陥落したも同然だった。  1945年4月17日映画は完成し、試写の日を向かえた。試写が終わるとそこにいた部下達の方に向き直り「これから100年後に君たち自身の功績を描いた同じような映画がつくられるだろう。諸君、その映画に登場したくはないか。100年後に映画の中に蘇るのだ。素晴らしい作品になることだろう。その為には、今堂々と振る舞え。さあ、最後まで立派にやりとげるのだ。100年後、諸君がスクリーンに現れた時、観客にヤジを飛ばさせないためにも」と演説。だがこの二週間後、ゲッペルスは妻と幼い子供達とともに総統の地下壕で自殺する。  結局ナチズムという教義にすがるしかなかったゲッペルスらしい話ではある。本人にとってはこの映画を完成させることこそが、ナチズムという教義を未来へ繋ぐ最良の手段だと考えたのだろう。だからこそ兵力を削減してまでこの映画の完成にこだわった。ゲッペルスの願いはこの映画と共に未来へと託されたのだ。  だが残念ながらその夢は叶わなかった。ゲッペルスの最大の誤算は映画というメディアの変質だろう。TVやインターネットが登場し、情報は映画やラジオによって一元的かつ一方通行に送りつけるものではなくなり、あるとあらゆるルートで一般市民に届けられるようになった。そのため特定の思想...

【考察・検証】『時計じかけのオレンジ』の原題『A Clockwork Orange』の『A』持つ意味

 邦題の『時計じかけのオレンジ』では重要でないので軽視されているが、実はちゃんと意味のある『A Clockwork Orange』の『A』について検証してみたい。  もちろん不定冠詞の『A』なのだが、アレックスの『A』という意味も含んでる。原作には良い子のふりをするアレックスが『A』というイニシャルの入ったセーターを来て昼間の街に出かける、というシーンがある事からそれが伺える。またこのタイトル名自体「『A』が『Clockwork Orange』になってしまう」という暗喩にもなっている。  その事はポスターなどで一番ポピュラーなデザイン、すなわちアレックスが三角形の中からノズを突き出して笑っている構図のものでも確認できる。この三角形自体が『A』を表していて、それはアレックスの『A』であり、また『A Clockwork Orange』の『A』としての役割も果たしている。そうなると必然的に『Clockwork Orange』のロゴは『A』の下部に配置するのが正しいという事になる。  ポスターや広告など、この意図が厳密に反映されていない場合も多々あるので、このアイデアに気付いていない人も多い。広告や広報にもこだわる事で有名なキューブリックがどこまでコントロールできていたか不明だが、この三角形の『A』の意匠を省いて『Clockwork Orange』のロゴだけ配置したり、『Clockwork Orange』と『A』を抜いて表記するのは明らかに間違い(海外のネット上ではACOと略すのが一般的なようだ)なので、そこだけは注意したい。

【関連記事】アカデミー賞「最優秀茶番劇賞」は『キューブリックが最優秀監督賞を獲得できなかった』に決定!

 Grantland.comが実施した「もっとも酷いオスカーのための戦い」で、最優秀茶番劇賞を獲得したのは1871ポイントで『キューブリックが最優秀監督賞を獲得できなかった』に決定しました。 (引用: Grantland/2013年2月21日</a> )  キューブリックがいかにアカデミー賞と縁がなかったかはよく知られた話ですが、1968年のアカデミー作品賞に『2001年宇宙の旅』をノミネートさえしなかったアカデミーですからね。この「アカデミー茶番劇賞」の結果は順当かと。しかも「マーティン・スコセッシが『ディパーテッド』まで最優秀監督賞を受賞しなかった」にダブルスコア以上離してのぶっちぎりで獲得。まあこの遅きに失したスコセッシ受賞の件に限らず、本当に映画好きな人にとっては茶番でしかないです、アカデミー賞は。

【アーティスト】ウィリアム・ホガース(William Hogarth)

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  『バリー・リンドン』制作時、キューブリックが参考にした画家のひとり。イギリスの風俗画家で『当世風結婚』シリーズや『娼婦一代』『放蕩息子一代』などの版画連作が庶民に人気を博した 18世紀のイギリス画壇を代表する国民的画家。  1697年11月10日生まれ、1764年10月26日逝去、享年66歳。

【台詞・言葉】あっちはジョン・ウェイン?こっちは僕?(Is that you, John Wayne? Is this me?)

 『フルメタル』でジョーカーが呟く皮肉なのですが、字幕じゃちょっと意味が伝わらないですね。ジョン・ウェインは西部劇や戦争映画のヒーロー役で有名ですから、偉そうなハートマン軍曹を揶揄しているのは分かるのですが。で、いくつかの訳を見て回って自分なりに意訳してみた結果「つまりあなたがジョン・ウェイン?それとも僕かな?」が一番しっくり来る感じです。高邁な理想の兵士像を掲げたり、高圧的な態度で新兵に兵士のあるべき姿を説くハートマンを見て、「ジョン・ウェインみたいにカッコいいじゃねぇか。それとも俺たちにそうなれって言うのか?」と上官に嫌みを言っている訳です。そりゃ鉄拳制裁食らいますよね。  原作では上記の台詞はジョーカーでなく、カウボーイがジョーカーに向かって呟きます。それに対してジョーカーはジョン・ウェインの声帯模写で「この映画には、うんざりさせられそうだぜ」と返します。そしてカウボーイがカウボーイハットで軽くジョーカーの太ももを叩く、と続きます。この「ジョーカーは声帯模写が上手い」という設定は映画では採用されていません。まあ、演じたマシュー・モディーンが上手くできなかっただけなのかもしれませんが。

【プロップ】フォルクスワーゲン(Volkswagen Type1)

 キューブリックはこの車が好きだったのでしょうか、それとも安い車なので壊しやすかったからでしょうか、何故か3回も自作に登場しています。  まず『時計じかけのオレンジ』でアレックスが暴走させていたデュランゴ95を避けて道路ののり面に突っ込む白色のワーゲン。次は『シャイニング』でトランス一家のマイカーの黄色いワーゲン、そして同じく『シャイニング』でハロランが雪道で事故に遭遇するシーンの赤いワーゲンです。  その赤いワーゲン、原作ではトランス一家のワーゲンは赤だったので、このシーンを観たキングは、これはキューブリックがいかなる場合でも自分のアイデアを採用しないという決別宣言だと受け取り、激怒したそうです。  まさか・・・と思っていたのですが、全米版からコンチネンタル版に移行した際、大幅にカットが行われたにも関わらず、このシーンは残っているんですよね。なので「キューブリックならやりかねん」と最近は思っています。

【ロケーション】シュライスハイム城(Schlossanlage Schleisheim)

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 『突撃』で、司令部や軍法会議、処刑会場として使用されたロケ地。ミュンヘン郊外にあり、古い城を意味するアルテス・シュロスと新しい城を意味するノイエス・シュロスがある。ロケに使われたのはノイエス・シュロスで、軍法会議のシーンにはホールが、銃殺シーンには外観が使用された。また吹き抜けの階段なども使用されている。  写真を見る限り、ほとんど当時と変わっていないようだ。現在は美術館になっているので、一般でも入場可。

【ブログ記事】キューブリックとゴールデンラズベリー賞

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 意外に思われるかもしれませんが、キューブリックもこのゴールデンラズベリー賞、通称「ラジー賞」と無縁ではありませんでした。記念すべき第1回に『シャイニング』でキューブリックが最悪監督賞、シェリー・デュバルが最悪女優賞にノミネートされています。いかに当時の低評価っぷりがすごかったか分かるってもんです。受賞は逃してしまいますが、どうせなら受賞しておけば良かったですね。現在の高評価が当時の審査員の眼力のなさを証明する事になりますから。ラジー賞の中の人もそんな批判にさらされてか、こんな言い訳をしてます。  ラジー賞最初の年、私たちの投票会員は今よりはるかに少なかった。(約50人)その多くはスティーヴン・キングの『シャイニング』を読んで賞賛していました。そして、当然のようにキューブリックによって書き直された脚本と映画には失望させられました。小説の『シャイニング』の視覚的に最も印象に残ったシーン(トピアリーの動物が生き返りジャックを襲う場面など)の多くは単に省略されたり、作り直されたりしました。  私は、私たちの30年の中で、キューブリックをノミネートした事が、かなり頻繁に口やかましく言われるものの内の1つであることを認めなければなりません。(管理人訳※誤訳はご了承ください) (引用: ラジー賞オフィシャルサイト フォーラム:THE SHINING AND SCARFACE )  まあ、一応反省しているようですね。実は『アイズ…』公開時、その話題性の高さと公開後のがっかり感に「ひょっとしたらラジー賞のノミネートがあるかも」と思っていましたが、さすがに同じ愚は冒さなかったようです。学習しましたね、中の人。

【関連記事】『シャイニング』で237号室の美女の幽霊を演じたリア・ベルダムのインタビュー

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 「スイス生まれでチューリッヒに住んでいましたが、モデルになるため英語の勉強でロンドンの大学に進学、卒業後夫と出会い20歳で結婚しました」  「『シャイニング』の社交ダンスシーンのためにモデルを必要としていたホーク・フィルムに派遣されました。その際ポートフォリオが送られ、それには美しい裸の写真もあったので、私は幽霊として採用されました」 「セットでのスタンリーはリラックスしていて威圧的ではありませんでした」 「ジャックは魅力的だったし、好意的でした」 「私たちはチームだったし、現場は多くの笑いに溢れていました」 「私がいた一週間は素晴らしい体験でした」 「私はシーンのために提案することを許され、それらは採用されました」 「それはジャックの顔が私の顔に達したら、ジャックの身体に手を非常にゆっくりと動かしていくことでした」 「大変多くのテイクを撮りましたが、余分なショットはありませんでした。映画に使われているものが全てです」 「この映画について何も知りませんでした。私は脚本を与えられず、原作も読んでいませんでしたから」  「私は『シャイニング』にいるのを愛してました。『シャイニング』は非常に楽しい仕事でした」 (一部抜粋:管理人訳※誤訳はご了承ください) (引用: houseofhorrors.com/2012年10月15日 )  『シャイニング』でバスルームの美女を演じたリア・ベルダムのインタビューがありましたのでご紹介。   IMDbでも全く情報がなかったので、このインタビューは貴重です。年齢などは分かりませんでしたが、撮影時に20代半ばだとすると、現在は60歳前後でしょうか。上記の写真を見るとそんな感じです。役者じゃなくモデルさんだったんですね。どうりで情報がないわけです。

【考察・検証】『シャイニング』のオープニングに映り込んだヘリコプターのローター

 『シャイニング』のオープニング・シークエンスに映り込んだヘリのローターですが、今までさんざんケンケンガクガクの議論が交わされてきましたが当事者がはっきりと証言していますのでご紹介します。  当初、影が映った箇所は他のカットにディゾルブ(シーンとシーンが溶けるようにつながる編集方法)されるフレームだった。 つまりホワイトアウト、あるいはブラックアウトして次のカットにつながるハズだったので、 ヘリの影は観客には分からないはずだった。しかし、全体のつながりやBGMの尺に合わせるため、 結局最後のフレームまでディゾルブなしで使うこととなった。   この作品は、1.85:1 のアスペクト比で上映されることを想定していたため、実際のフィルムの上下には 不要な部分が写りこんでいた。編集用画面の上下にはマスキングテープで目隠しがされていたので、 編集担当者にもキューブリックにもヘリの影は見えなかったはず。   さらに関係者の試写会でもヘリの影は見えなかったのだが、これは試写室の上映システムが 1.85:1 のアスペクト比が厳密に守られていたからで、市中の映画館ではアスペクト比がいい加減なので、 余計なヘリの影が観客の目に触れてしまったワケ。   実際のところ、ロードショーの前に、ヘリの影にキューブリックがもし気が付いていたとしても、彼はそのままゴーを出したでしょう。だって、彼は画面の上部にヘリのローターが写り込んでいることには気が付いていたけど、そちらも問題視してなかったからね。  (引用: http://www.visual-memory.co.uk/faq/#n1s1  書き込みはヘリ撮影の当事者Gordon Stainforth)  「上下にマスクをかけていたので編集時には気づかなかったのでは?」というのはずいぶんと前から言われてましたね。公開当時もそんなに問題になってなかったような。ここまで騒がれたのはスタンダードサイズのノートリミングでビデオ化されてからではないでしょうか。TV放映時だったかも知れません。ちょっと記憶が曖昧ですが。  ディゾルブやホワイトアウト/ブラックアウトの話は初耳でした。現在のBDではマスクされているので問題ないでしょう。これでローター論争もおしまいにしたいですね。

【考察・検証】『博士の異常な愛情』は誤訳か意訳か

 邦題の『博士の異常な愛情』について、「Dr. Strangeloveのストレンジラブは人名なので『異常な愛情博士』もしくは『ストレンジラブ博士』と訳すべきで、誤訳では」という意見と「Dr. Strangeloveが人名なのは一目瞭然。それをあえて名前の持つ本来の意味の『博士の異常な愛情』と意訳したのだ」という意見とがあり、二分されている印象があります。この邦題を付けた当時の担当者の証言が出てこない限り決着はつきそうにありませんが、個人的には意訳だと思います。しかも妙訳だとも思います。  当時日本ではTVはまだ完全に普及しきってなく、情報源としてはラジオが一般的でした。そんな中、言葉だけで『異常な愛情博士』や『ストレンジラブ博士』というタイトルの映画が公開されると聞いたら、一般の視聴者はどういう反応を示すでしょうか? ほぼ100%の人が「ポルノ」だと思うでしょう。早とちりした人が放送局や配給会社に抗議が殺到!なんて事態にもなりかねません。邦題担当者としては当然こういった事態は避けねばなりません。かといって大幅なタイトル改変はキューブリックが許さなかったでしょう。そのギリギリの妥協点がこの『博士の異常な愛情』という絶妙な邦題だと思います。当初のタイトルはこれよりも遥かに長く『ナーダック・ブレフェスク提供/ストレンジラブ博士、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか/マクロ・ギャラクシー・メテオ映画』でした。  実はそれよりも気になる事があって、続きの『私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』の「私」とは誰を指すのか?という点です。最初は文脈から単純にストレンジラブ博士だと思っていたのですが、でも博士は心配などしていませんでしたね。むしろ核戦争の危機を嬉々として迎えていたように見受けられます。では終始心配そうにしていたマフリー大統領でしょうか。確かに最初は心配していましたが、博士に核シェルターの入知恵されてからはあまり危機感は滲ませなくなりました。むしろ水爆を愛するようになっていたのかも知れませんが劇中でははっきりしません。  そこで一番可能性があるのはキューブリック自身をさしているのではないか、と考えています。キューブリックは本気で核戦争を心配して、ニューヨークに核爆弾が落ちる前に一番核の被害に遭いそうにないオーストラリアに...

【パロディ】『魔法のプリンセス ミンキーモモ』第42話「間違いだらけの大作戦」の『博士の異常な愛情』パロディ

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 一部ではマニアックな人気があったという、この『魔法のプリンセス ミンキーモモ』というアニメ、噂には聞いていましたがダイジェスト版がYouTubeにありましたのでご紹介。手塚やガンダム、エヴァンゲリオンなどキューブリックが日本のマンガやアニメのクリエーター達に影響を与えていたのは知っていたのですが、子供向けアニメ(一応そのはず)でこれをやるとは恐れ入ります。しかもストーリーもわりと『博士の異常な愛情』そのまんまですよこれ。今時こんな軍事ネタやると各方面から色々うるさいでしょうね。この頃はまだいろんな意味でおおらかだったんでしょう、いい時代でした。

【考察・検証】キューブリックSF三部作は、SFでも三部作でもない。

  あいかわらず今でも連続して公開された『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』の三作品を「キューブリックのSF三部作」と呼称する向きがあるようだが、それは大きな間違いである。理由は簡単、当該三作品は「SF」でも「三部作」でもないからだ。  実際『2001年…』の後にキューブリックは『ナポレオン』を制作する予定だったことは周知の事実で、このことからも三部作でない事は明白だ。三部作で作られていない作品を三つにまとめてなんの意味があるんだろうか?三部作として紹介すれば何かキューブリックの意図や思惑めいた物が見えてくるのだろうか?  もちろんそんなことはない。キューブリックはそれぞれを「サタイア(風刺劇)」「スペキュレイテュヴ・フィクション(思弁劇)」「ディストピア(反理想郷劇)」とはっきりと分けて定義しているし(SFファンにとってはどれも「広義のSFの範疇」である事は承知しているが、一般の人は文脈で狭義なのか広義なのか判断できないので誤解を招く原因になっている)、本人もインタビューで「映画になる素晴らしい物語を探して選んだだけ」と語っている。なのに「三部作」を安易に用いる評論家やライターが多過ぎるせいで、完全に誤解のまま定着しつつあるのはやはり看過できない。  一般化してしまったこの枕詞を訂正するのは並大抵でないのは承知してるが、まず当ブログから発信して行きたい。「キューブリックSF三部作」などというものは存在しないし、またそういった意図で作られてもいない、という事実を。

【名曲】忠実な兵士(Der Treue Husar)

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 『突撃』のラストシーンで捕虜の少女が兵士に向かって涙を流しながら歌っていた歌。原曲は歌詞が12番まであって、機械翻訳にかけたところ「忠実な騎兵に恋人がいたが、重い病気の恋人を残し彼は外国に向かい・・・」といったかなり悲劇的な内容です。ただ、この曲はいくつかバージョンがあるらしく、上記のような明朗快活なマーチのアレンジや、ジャズ・アレンジで演奏していたりしています。また、あの『また会いましょう』のヴェラ・リンが『Don't Cry My Love』として翻案していますが、歌詞はかなりアメリカンなラブソングとなっています。映画のエンディングでもマーチバージョンが使われています。  ドイツ・サッカーが好きな方にとってはFCケルンのアンセムでもあるみたいです。ケルンはこの曲の作詞者カスパル・カール・フォン・ジョセフミュリウスの出身地だからでしょう。こういった事情を知るとドイツではかなりメジャーな楽曲だということが伺えます。  もちろんこの『突撃』で歌っている少女はキューブリックの三番目の奥さんクリスティアーヌ・スザンヌ・ハーラン。「少女」と言ってますがこの時すでに20代半ばで子持ちのバツイチでした。キューブリックがCMに出ていた彼女に一目惚れしたというのも有名な話ですね。

【考察・検証】「キューブリック vs マスコミ」対立の構図

 キューブリックはあまり社交的な性格ではなかったが、それでもマスコミに取り上げられる事は自作にとって、また自身にとってメリットがあると考えていたようで『時計じかけのオレンジ』公開時の頃まではトラブルはありつつも取材には応じていた。それがごく一部を除きマスコミを完全にシャットアウトし、屋敷に引きこもるようになったのは『時計…』での激しいバッシングに遭ってからだ。だがそれは「バッシング」などという生易しい物ではなく、強要・脅迫の類いだった事はクリスティアーヌが『A Life in Pictures』で証言している。命の危険さえ感じるようになったキューブリックは、静かに映画製作に専念できる環境を望み、マスコミを拒絶するばかりか、書き連ねられた数々の根も葉もない噂にさえ反論もしなかった。  マスコミの立場からすればそれでは記事にならない。どうしても文字数を埋めなければならないマスコミは「根も葉もない噂」をエスカレートさせて記事を「でっち上げ」始めた。曰く「庭にヘリコプターで殺虫材をまき散らした」「食べ物に異常に気を使う偏執狂」「車の運転では時速30マイル以上は決して出さず、必ず安全用ヘルメットを着用している」など枚挙にいとまがない。  自身も雑誌カメラマンというマスコミ出身で、そういった記事のでっち上げに関わった経験を持つキューブリックは、マスコミの意図を見抜いていた。そんな連中の思惑に乗る事なく、完全無視を決め込んでいた。するとマスコミはキューブリックと共に働いた経験を持つ俳優やスタッフに取材し、それを報道し始めた。もちろん否定的なコメントばかり好んであげつらった。  キューブリックはそんな身近な連中の裏切りにも我慢強く耐えていた。(さすがに裏ではさんざん愚痴っていたようだが)やがてマスコミも大衆も飽きるのだが、数年に一回発表される新作の度に、そういった噂やでっち上げや批判が蒸し返された。  以上の経緯からキューブリックのプライベート関する様々な逸話には全く根拠のないものも多く含まれている。何の検証もなしにそれを鵜呑みにするのは愚の骨頂だろう。ファンを名乗るのであれば、キューブリックを置かれた立場を理解し、その話の有効性をしっかり確認してから論拠に据えたいものだ。

【作品論】薔薇の葬列

 1960年代の新宿のアングラシーンのドキュメント+当時無名のゲイボーイ、ピーターを主人公にしたオイディプス劇。この説明で全て言い表せてしまうほど内容が薄い映画が本作品だ。  この時代にありがち(あえてそう言わせていただく)なサイケデリックでエロでグロで意味不明で混濁しているこの世界観は当時の若者の流行で、特に目新しい物ではない。それは当時の新宿のありきたりな一風景でしかなかったのだ。現在ではその雰囲気の片鱗さえ味わうのは困難なため、今の視聴者には斬新で新鮮に映るかもしれない。  とにかく過激で奇抜な事をやらかせばやらかす程「飛んでる」ともてはやされた時代である。こういった実験映画(これも当時は最大級の賛辞だった)や前衛演劇はアングラと呼ばれて一定の指示を集めていたのだ。そこに明確なメッセージや哲学などありはしない。ただ難解であればあるほど良しとされていたのである。  今から考えれば幼稚な話で、反抗期を拗らせたモラトリアムの成れの果てでしかない。そういった批判を予見してか、ところどころ「ちゃちゃ」を入れたり、冗談めかしてごまかしたり、撮影の裏側を見せたりインタビューシーンを入れて「いや、単なるお遊びだから、フィクションだから」と逃げ道まで用意している小賢しさである。真面目に論評するのも馬鹿馬鹿しくなる低レベルな代物だ。  そんな調子だからどこかで借りて来たような表現ばかり目につく。この監督が当時すでに下火だったヌーベルバーグに影響を受けている事は明白で、それに当時最先端のトレンドだったサイケデリックの要素を加味したに過ぎない。実はこの手の「実験映画」は世界中(主にヨーロッパ)で腐るほど作られた。だがその殆どは時の流れの中で淘汰されてしまい、今では一部の名作を除き顧みられる事は殆どない。  この作品がその「一部の名作」になり得なかった事自体、その価値を証明している。キューブリックの『時計じかけのオレンジ』に影響を与えた、与えない以前の問題として「当時ゴマンとあったアングラ実験映画のひとつ」という認識は正しく持っておくべきだろう。

【トリビア】ブライアンの靴(Step Into My Shoes)

 『バリー・リンドン』で音楽会のシーン、ブリンドン卿がブライアンに自分の靴を履かせてバタバタと入場し、音楽会を台無しにしてしまいますが、私(ブリンドン)の靴に(ブライアンが)足を入れる行為(Step Into My Shoes)は「私の後釜に座る」という意味になるので、「ブライアンを使って私からリンドン家を乗っ取ろうとしているだろう?」という嫌がらせでバリーを挑発しているのです。  原作を当たっていないので、このシークエンスが原作準拠なのかどうかは分からないのですが、靴音の騒音とその行為の持つ意味の両方で二重の当てこすりをするというのが、いかにもキューブリックらしいですね。

【パロディ】30秒でわかる『時計じかけのオレンジ』(A Clockwork Orange in 30 seconds)

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 以前紹介した 30秒シリーズ 『シャイニング』 のフラッシュアニメで『時計じかけのオレンジ』がありましたのでご紹介。エピソードを詰め込みすぎてかなり駆け足ですが、どれもカットできないギリギリのチョイスなので制作者の苦労が忍ばれます。その点『シャイニング』はエピソード少ないからラクだったでしょうね。

【インスパイア】ヘヴン17(Heaven 17)

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 『時計じかけのオレンジ』とロックはよっぽど相性が良いらしく、例のレコード店でアレックスにナンパされた女の子の台詞「誰が好き?ゴグリー・ゴゴル?ジョニー・ジバゴ?ヘヴン17?」の『ヘヴン17』を本当に名乗ってしまったのがこのバンド。70年代後半から80年代前半にイギリスを中心に起こったエレクトロ・ポップ革命で雨後の筍の様に出現したバンドの一つで、元ヒューマンリーグのマーティン・ウェアーとイアン・クレイグ・マーシュが中心になって結成し、1980年代前半に主に活躍しました。  まあ、『時計…』はウェンディ・カルロスによって大胆にエレクトロ・ポップ化されたクラッシックを大々的に導入していたわけですから、正しいオマージュというかリスペクトというべきでしょうね。この「エレクトロ・ポップ」というジャンル、浮き沈みはあるもののそのDNAは今でも脈々と受け継がれ、かのレディ・ガガもその継承者の一人。そういう意味では今聴いてもあまり古さは感じなく、最近の人にはカッコ良く聴こえるみたいです。

【アーティスト】ウィージー(Weegee)

 本名はアッシャー・フェリグ(ウジェル・フェリッヒ)。死体や流血写真などグロテスクな作風で有名な写真家。キューブリックは彼を高く評価し、『博士の異常な愛情』のスチール撮影のためイギリスのスタジオに招いた。ウクライナ(当時オーストリア)出身だったため喋り方にはドイツ語なまりがあり、それをピーター・セラーズが真似てストレンジラブ博士のキャラクターが出来上がった。  1899年12月26日オーストリア・ハンガリー出身のユダヤ人、1968年12月26日死去、享年69歳。

【パロディ】ペプシコーラのスパルタカスCM

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 ローマの隊長が「ランチの忘れ物だ!ん、ペプシがある。スパルタカスって名前だ。スパルタカスは名乗りを上げろ!!」・・・で一連のシークエンスに突入です(笑。  新作部分と映画部分で違和感はありますが、まあよくできています。元ネタのシークエンスが真面目に感動的であろうとしすぎているために余計に笑えます。脚本を書いたトランボのオメデタ・・・いや理想主義者っぷりはもうギャグの領域ですね。

【台詞・言葉】私がスパルタカスだ!(I'm Spartacus!)

 この一連のシークエンス、とても偽善的で嘘くさく、安っぽいヒロイズムが横溢しているので絶対キューブリックが撮りたくなかったんじゃないかと想像していたのですが、やっぱり脚本のダルトン・トランボが当時の赤狩りに対し、共産主義者は他人を巻き込まず、連帯が強い姿を示すために採用したようです。  その後、共産主義の理想は崩壊し今ではすっかりギャグの域に到達。ナチズムもそうですが、一元的な理想主義は今から見ればタチの悪い冗談としか思えません。その理想主義の成れの果てが弾圧と粛正と殺戮ですからね。君たちは奴隷側ではなくホントはローマ側でしょ?とツッコミたくなります。  ジョン・マルコヴィッチの『Color Me Kubrick』の邦題『アイ・アム・キューブリック!』はここからの引用だと思いますが、このシークエンスを主導したのがキューブリックでないのなら、この皮肉なタイトルも的外れ、という事になります。配給会社はもっと調べてからにすればよかったですね。

【家族】愛のマズルカ(Mazurka der Liebe)

 1957年製作のドイツ映画『愛のマズルカ』。当時まだめずらしいカラー作品ですが、なんとここでヒロインの一人を演じておりますのが若き日の、キューブリックと知り合う直前のスザンネ・クリスチャン(当時の芸名)。後のクリスティアーヌ・キューブリックです。内容はダンス音楽のマズルカをテーマにしたミュージカルのようですがそんなのどうでもいいです。キューブリックが一目惚れするのも分かります、だって可愛いですからね。

【関連動画】ベン・ケーシー(Ben Casey)

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 『現金に体を張れ』でシェリーの愛人ヴァルを演じたヴィンス・エドワーズ。この顔どこかで・・・と思ったアナタ、年がばれます。そう、アメリカの人気TVドラマ『ベン・ケーシー』の脳外科医ベンです。日本でも放送され大人気だったそうです。ケーシー高峰の「ケーシー」ってこのドラマからの引用だったんですね。もっとびっくりなのがSFファンなら「命令ノママニ」でおなじみの『宇宙空母ギャラクティカ』の監督もしていたそうです。(TVシリーズ2話と映画版『サイロン・アッタク』)  『現金…』で色男で女たらしっぷりを好演してましたから、その頃から実力は折り紙付きだったのでしょう。それにしてもずいぶんと出世したものです。キューブリック作品の出演者はこのパターンが多い気がしますね。

【作品論】霊界から現世を眺望(オーバールック)する『シャイニング』

  『シャイニング』のラストシーンにおいて一般的にはジャックはホテルに取り込まれた、とする解釈が一般的かと思います。実際に取り込まれた姿が1921年7月4日の写真に写っています。でも本当にそうでしょうか?  私はジャックは「取り込まれた」のではなく「本来居るべき世界に帰還した」と考えています。つまり現世でダニーの父親でありウェンディの夫であるジャックこそが「イレギュラー」な存在であって、本当はそこに居てはいけなかったのです。「その昔からホテルに棲み、管理人をしていたジャックは、何かの拍子で現世に生まれ落ちてしまい、大人になりウェンディと結婚しダニーをもうける。でも現世に自分の居場所などない事に気づき、引き寄せられるようにホテルへと辿り着く。そこでジャックは既視感を憶え、ウェンディが逃げ出そうとするのを殺そうとまでして阻止し、ホテルに残ろうとする。そして望み通りに本来の自分の居場所へと帰ってゆく・・・」そんな物語を想像してしまうのです。  そう考えればジャックの息子であるダニーが霊能力(シャイニング)を持っているのは当然だし、グレイディが「あなたはずっとこのホテルの管理人でした」と答えるのも道理です。ではそのグレイディはというと、現世でホテルの管理人だった時はチャールズ・グレイディという名前で、双子の娘と妻がいました。やがて彼女らを惨殺して本人も自殺、無事に本来のウエイターとしてホテルに帰還すると名前も本来のデルバート・グレイディに戻ります。また、ロイドもグレイディもジャックの事を一貫して「トランス様」「トランスさん」と呼び、決して「ジャック」とは呼びません。この事からジャックはグレイディと同様にジャックとは違う本来のファーストネームを持っている可能性があります。つまりラストシーンに映っているジャック・トランスは「●●●●・トランス」なのです。  やがてグレディの犠牲になった娘は霊となってホテル内を彷徨います。(実の親子ではないのでグレイディはジャックに「母娘はどこにいる?」と訊かれて「近くです」「よく存じません」と曖昧な返事をする)つまり、ダニーやウェンディはジャックに殺されればこの母娘と同じように、ホテルの中を霊として彷徨う運命になっていたかも知れないのです。そう考えればかなり危険な状況だった事が分かります。その代わりと言ってはなんですが、ハロランが新たな...

【関連作品】ユダヤ人ジュース(Jew Suss)

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 キューブリックの妻、クリスティアーヌの伯父であるファイト・ハーランが監督した1940年制作の悪名高きユダヤ人排斥プロパガンダ映画『ユダヤ人ジュース』。そのフルバージョンがYouTubeにアップロードされていたのでご紹介。  映画の内容は勧善懲悪(もちろんユダヤが悪)でここまでくれば笑ってしまう(本当はいけないが)ほどの分かりやすいプロパガンダ。主人公であるジュースことヨーゼフ・ジュース・オッペンハイマーは実在の人物で、一方的に、しかも徹底的に悪人として描かれている。暴利で貴族に金を貸す闇金業で私腹を肥やし、それを元に権力者に取り入り出世し、アーリア人女性に姦通し自殺に追い込むなど悪行を尽くすが、貴族の後ろ盾を失しなって逮捕され処刑されるというストーリーだ。だがそれは大きく事実と異なり、以下のような人物であったことがその生涯をたどった本『消せない烙印 ユート・ジュースことヨーゼフ・ジュース・オッペンハイマーの生涯』の紹介文から伺える。  一八世紀のユダヤ人金融業者、ヨーゼフ・ジュース・オッペンハイマーの生涯をたどる伝記。その才覚によって権力の中枢へ接近していくジュース・オッペンハイマー。ヴュルテンベルク公爵カール・アレクサンダーに見出されたジュースは、この開明的な君主の財務コンサルタントとして活躍、その栄達を極める。しかし、公爵の急死によって事態は一変。公爵死後の権力闘争に巻きこまれるかたちでジュースは投獄され、罪状も明らかでない裁判によって不当に死刑判決を受け、ついには刑死にいたる。その劇的な生涯を、厖大な歴史的資料に基づいて描き出す。 (引用: 版権ドットコム )  ユダヤ人の正当性、ナチの非道性、そのどれが正しくどれが正しくないかを詳細に語れるほどの知識はない。ただ国家が一つの意思に凝り固まってしまう事の恐ろしさだけは伝わってくる。キューブリックはファイト・ハーランと合った際、この映画を撮った事について「本当は断りたかったができなかった」と弁明されたそうだ。しかし当のキューブリックはユダヤ人に対して冷ややかな面を持っていた。物事は多面的な側面を持っている。それを善悪の二元論で押し切ってしまうのはそもそも間違いだし、恐ろしくもあり、そしてすこぶる滑稽でもある。キューブリック自身は、そんな二元論プロパガンダであるこの映画も、それを撮ってしまった事を弁明した義理の伯...

【インスパイア】レッド・ツェッペリン『プレゼンス』

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レッド・ツェッペリン『プレゼンス』(Amazon)  一部にはzepの最高傑作と名高い1976年発表の7thアルバム『プレゼンス』。当時からモノリスのようなものがジャケットに写っていると評判だったようです。このアートワークを担当したのがかの有名なヒプノシス。ピンクフロイドの一連の作品や松任谷由実のジャケットでも有名ですね。ロックのアルバムアートを語る際には絶対外せないデザイン集団ですが、直接『2001年宇宙の旅』には言及していないのでその影響は不明です。ただどうしても想像がそちらに及んでしまうのは避けられません。当然それは彼らも理解した上での採用でしょう。  ところで、CD世代にとっては上記のジャケットが有名ですが、オリジナルのアナログ盤では見開きになっていて、いろんな場所にモノリスが出没しています。実はこのモノリス(オベリスクというそうです)1000個を使い世界各地でゲリラパフォーマンスによるプロモーション・イベントを計画していたそうですが、事前にマスコミに漏れ、中止になったそうです。もし実現していたらピンクフロイドの 空飛ぶブタ と同じく伝説になってたでしょうね。  でも、以前から思っていたのですがそのオベリスク、個人的にはモノリスというよりどうしても位牌にしか見えないんですが・・・(笑。

【関連記事】「ヨーダ」生みの親スチュアート・フリーボーンさんが死去

 映画『スター・ウォーズ』の人気キャラクター・ヨーダのデザイナーとして知られるスチュアート・フリーボーンさんが現地時間5日、ロンドンで死去した。98歳。The Hollywood Reporterなどが報じた。  スチュアートさんは1930年代からキャリアをスタートさせ、デヴィッド・リーン監督、スタンリー・キューブリック監督、シドニー・ルメット監督などの作品で活躍したメイクアップアーティスト。とりわけ『博士の異常な愛情』では、主演のピーター・セラーズの1人3役を実現させるなど、その功績から伝説的存在として知られている存在だ。  また『スター・ウォーズ』シリーズでは、ヨーダやチューバッカ、ジャバ・ザ・ハットをデザインした。訃報を受け、ジョージ・ルーカスは「『スター・ウォーズ』に関わる前から、彼はメイクアップの伝説的存在だった」と振り返ると、「彼の芸術性と職人芸は、創造したキャラクターの中で永遠に生き続けることでしょう。『スター・ウォーズ』で彼が手掛けたキャラクターは若い世代によって新しく解釈されるかもしれませんが、彼の魂は継承されるのです」との声明を発表している。  スチュアートさんは、妻ケイさん、息子グラハムさんと共に活動。グラハムさんは1986年に、ケイさんも昨年死去している。(編集部・福田麗) (引用: シネマトゥデイ芸能ニュース/2013年2月7日  )  もちろん『博士の異常な愛情』のピーターセラーズの扮装も見事でしたが、何と言っても『2001年宇宙の旅』の猿人のメイキャップは素晴らしかったです。あなたの仕事は永遠に映画史に刻まれています。長い間お疲れさまでした。

【台詞・言葉】黒んぼ定食(Chicken and Watermelon)

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 『フルメタル・ジャケット』でハートマン軍曹がスノーボールに対して罵倒する「聞いて驚くな、スノーボール!うちの食堂では黒んぼ定食は出さん!!」の「黒んぼ定食」ですが、元の台詞は「フライドチキンとスイカ」となっています。これはフライドチキンとスイカは昔奴隷で貧乏だった黒人が食べていた一般的な食べ物という偏見があって、それを使ってハートマンは侮蔑しているのです。ただ「フライドチキンとスイカ」だと日本人には分からないので「黒んぼ定食」と訳したのでしょう。日本人的には「部◎用に粟〈あわ〉と稗〈ひえ〉は置いていない!!」ぐらいのもの凄い差別用語。その前に「黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん。すべて平等に価値がない!」と言い切ってますからある意味正しく有言実行です。  ちなみになぜ「スノーボール」かというと、「スキン顔、名前は?」(「scumbag」なので本当は「名前は?糞野郎」ぐらいの汚い言葉)と聞かれ、明らかに黒人なのに「ブラウン二等兵です」と答えたものだからジロジロ見て、馬鹿言え!お前はどう見てもブラック(黒人)だろう?なのにブラウン(茶色)と名乗るならいっそのこと「白」ということにしてしまえ!!という意味で「ふざけるな!本日より貴様は雪玉(雪のように白くて玉のように丸い頭)二等兵だ!!どうだ、気に入ったろ?」と皮肉っているのです。それを分かって観ると・・・とっても面白いですね。笑っちゃいけないと分かってはいるのですが(苦笑。

【名曲】夜のストレンジャー(Strangers in The Night)/フランク・シナトラ

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 『アイズ ワイド シャット』で使用されたフランク・シナトラの名曲『夜のストレンジャー』ですが、あまりこの曲について語られていないようなので少し考察を。劇中で使用されるのはインストルメンタルバージョンですが、このメロディを聴いてこの歌詞を思い浮かべない人はいないでしょう。「夜に出会った知らない者どうしが恋に落ち、熱い抱擁とダンスを踊る。知らないものどうしだから恋は上手くいった」という内容のラブソングです。  ただ『アイズ…』ではとても皮肉な使われ方をしています。そう、例の乱交パーティーの後のダンスシーンです。これでは見知らぬもの同士の恋などというロマンチックさの欠片も無く、まさしくタイトル通り「奇妙な人たちの夜」になってしまっています。仮面を被り、顔を見せない代わりに全裸でチークしているわけですからね。でも、ある意味では正しいかも知れません。「知らないもの同士だから恋(セックス)は上手くいった」わけですから。(キューブリックってこういうダブルミーニングが本当に好きですね)この事だけでも『アイズ…』が挑発的で皮肉に満ちた物語であることが良くわかりますね。

【登場人物】バーンズ看守長(Chief Officer Barnes)

 『時計じかけのオレンジ』に登場する看守長ですが、この帽子にチョビひげを見ると、どうしてもあの超有名な独裁者を思い出してしまいますね。まあこの劇中の世界が全体主義国家であるという印象を与えるための扮装と立ち居振る舞いだと思いますが(アレックスが見る映画にはチラっとご本人が登場しますし)、そのどことなくユーモラスなキャラクターを見ていると、かの有名な映画も思い出してしまいます。そう、チャップリンの『独裁者』ですね。

【考察・検証】小説『時計じかけのオレンジ』第21章に漂う違和感とバージェスの真意

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第21章が掲載されなかった初版(左)と掲載された再販(右)  『時計じかけのオレンジ』の原作小説は、映画と違ってアレックスの更正を示唆して終わっている。この経緯について時系列でまとめ、問題の「第21章」について推察してみたい。  まず重要なのはバージェスがこの小説を書き上げた当初は映画版のとおりアレックスが暴力性を取り戻した段階、つまり第20章(3部第6章)で終わっていたという事実だ。だがイギリスのハイネマン出版社のバージェス担当者の要請により第21章(3部第7章)が「付け加え」られた。その内容は「正常に戻ったアレックスが新しい仲間と街に戻ってくるが、昔みたいな破壊衝動はすでになく、代わりに身を落ち着けて家庭を作る相手を捜す」という内容だった。これで完成を見た全21章版小説『時計じかけのオレンジ』は1962年にイギリスで出版されたのだが、その後アメリカで出版された『時計…』にはその21章が「抜け落ちて」いた。(削られたわけではない)つまり、イギリスから送られてきた当初の20章版『時計…』をそのまま印刷してしまったのだ。  キューブリックはこのアメリカ版を読み1969年末に映画化を決定する。キューブリックも最初から意図的に21章を省いた訳ではないのだ。キューブリックは脚本化していた4ヶ月もの間、その存在に気づかず、1970年5月15日にそのままの形で脚本は完成した。その後第21章に気づいたキューブリックは「本の他の部分と全く調子が合わない」と採用せず、当初の脚本通りに製作を続け1971年始めには映画はほぼ完成した。その頃バージェスと妻は映画の試写に立ち会っているが、その余りにも酷い暴力描写に不快感を催し、退席しようとした妻を「キューブリックに失礼だから」と見続けるように促す一幕もあった。それから少し時間を空けて興行成績アップが狙える1971年のクリスマスシーズン(この映画をカップルで!?)に公開が決定された。  問題はここからである。この映画の内容を模した(もしくは模したとマスコミに言いがかりをつけられた)暴力事件がマスコミを賑わし始めた。当初バージェスは「映画も文学も、原罪に対して責任を持たない。叔父を殺した人がいても、それをハムレット劇のせいにすることはできない」と擁護していた。だが事態は深刻さを増し、様々な圧力団体がキューブリックやバージェスを非難し始め、やがて...

【ブログ記事】キューブリック作品の雰囲気を楽しむフォントの世界

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 キューブリックはフォントにも注意を払っていたことはよく知られています。そのキューブリック作品で使用されたフリーフォントと商用フォント(管理人調べ)です。  フリーフォントは自主制作ですので、アルファベットの並びよってはバランスが悪くなるなるなど完成度はイマイチのものが多いです。著作権的にも黒に近いグレーですので、使用は個人の範囲内に留めておき、公共の場や商用利用は控えましょう。  商用フォントはウェブサイトや印刷物に使用されているフォントですので、当たり前ですが完成度が高いです。Adobe系のアプリやOSによっては自動でインストールされている場合がありますので、まずはご自分のPCを捜してみてください。使用に関しては個人・商用とも問題ありません。各フォントの利用規約は守ってご使用ください。 アイズ ワイド シャット ポスター・広告・タイトルシークエンス: Futura Extra Bold (商用フォント) フルメタル・ジャケット ポスター・広告: Anitlles (フリーフォント) タイトルシークエンス: ITC Eras Ultra (商用フォント) シャイニング ポスター・広告: Shining NFI Demo Font (フリーフォント。デモ版となっているが、これは著作権違反を回避するためだと思われる。商用はやめておくのがベター) タイトルシークエンス: Helvetica Light (商用フォント) バリー・リンドン ポスター・広告・タイトルシークエンス: ITC Souvenir Light を基にデザインされたオリジナルフォント(未確認)、 Honoria Font (フリーフォント) エンドタイトル: Cheltenham Roman (商用フォント) 時計じかけのオレンジ ポスター・広告: Timepiece Font (フリーフォント) ※コロバ・ミルクバーのフォントについてはこちら。 2001年宇宙の旅 ポスター・広告: Futura Bold (商用フォント) タイトルシークエンス: Gill Sans Light (商用フォント。2001を2OO(オー・オー)1として使用しているようだ) 博士の異常な愛情 ポスター・広告: Helvetica Bold Condensed (商用フォント) タイトルシークエンス: Strangelov...

【関連動画】『ルーム237』の予告編

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 以前紹介した『ルーム237』ですが、予告編が公開されていました。まあ、例のアレのオマージュというかマネというか。音楽は同じようですが当然許可もらってますよね?  このドキュメンタリー自体、映像をコマ送りや逆回したりして陰謀論者が勝手に自説をブチ上げてるだけのようですから「237」の数字にはいくらでも意味付けができそうです。で、暴かれる陰謀がユダヤにナチスだそうで(な、なんだってー!!笑)ここまで定番ネタを振られると逆に嬉しくなっちゃいます。まあお遊びで深読みごっこするなら全然かまいませんが、それを映画にして金儲けするとなると・・・やはり許す気にはなりません。ちなみにこのドキュメンタリーにはこの監督とプロデューサーの見解は入っていないそうです。そりゃそうです、その「本当の『シャイニング』の姿」とやらがでっち上げででたらめだらけだと知ってるから「俺たちは監督とプロデュースしただけ」と言い逃れできるようにするためでしょう。こんな代物は無視するか観るとしてもお金なんて払ってはいけません。次の陰謀論者という「商売人」を生ませないためにも、連中にこういった「商売」が成り立たない現実をしっかりと認識させなければなりませんからね。  キューブリックの死後、『オペレーション・ルーン』がキューブリック作品をエサに陰謀のでっち上げで金儲けする、というダブーを破ってしまいました。しかもそれを許したのが一番キューブリックの身近にいたクリスティアーヌとヤンのハーラン姉弟というから始末に負えない。本来ならキューブリックがそういった雑音を全て排除していたという事実を尊重し、そんな輩から作品を守らなければならない立場だというのに。キューブリック人気にかこつけて一儲けしようといった連中はこれからも蔓延ってくるでしょう。クリスティアーヌとヤンは『オペレーション・ルーン』の責任を取る意味でもそういった連中にちゃんと釘を刺して欲しいものです。

【パロディ】ラム酒 レッドラム(REDRUM)

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 見ての通りの赤いラム酒。もちろん元ネタは『シャイニング』の「レッドラム」から。しかもボトル背面の文字を前から透かして見ると「MURDER」となるオマケ付き。南米フルーツ系のココナッツっぽい味でかなり甘めなのでカクテルベース向きでしょうか。その裏の意味とは異なり、殺人的なほど度数も高くないのでシャレの分かる方におすすめ。 Amazonで容易に入手 できます。

【名曲】ジョニーが凱旋するとき(When Johnny Comes Marching Home)

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 『博士…』でコング少佐のB-52のシークエンスには必ずかかっているマーチ。なんだか勇ましいようで、ちょっと腰砕けな感じもあり、なんだか微妙ですが、それもそのはず  19世紀後半に勃発した南北戦争の北軍の帰還兵を迎えるために、アイルランド出身の作曲家パトリックがアイルランドの古い反戦歌“Johnny I Hardly Knew Ye”からメロディーを用いて新たに詞をつけたものとされている。マーチ曲は勇ましく、テンポのいいものが多い。しかし、これは南北戦争という悲惨な内戦を歌っているものなので、悲壮感の漂う曲となっている。 ( 引用:ジョニーが凱旋するとき/Wikipedia )  だそうです。まあ、単機で敵のICBMサイトに突っ込むわけですからそれは悲壮ですよね。上記のバージョンはけっこう力強くていい感じ。あえてああいう風にアレンジしたのはキューブリックが意図的にしたのでしょう。なにせ核爆弾投下→全世界滅亡で、凱旋する故郷なんて存在する訳ないですからね。

【関連記事】完コピ。2001年宇宙の旅の映画用設計図から作られた「HAL 9000」レプリカ

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 なにこれすごい  これまでに、そしてこれ以上無い正確なレプリカ。映画「2001年宇宙の旅」で、静かに狂気を帯びていく人工知能「HAL 9000」を映画製作時の設計図や画像資料をベースに実物大で制作。  Siriのあるいま、すごくリアリティがありますね  スタジオから発掘した文字デザインをラベルに移植。設計図そのまま航空機用の6061合金と黒い部分にアルマイト加工処理を施して、モノアイは近くに寄ったときにも本物感を保つように (そんなシーンがありましたね) 当時は高価だったニコン(Nikkor) の魚眼レンズで再現しています。  しかも、話しかけたり家電用のリモコンの赤外線をあてると、15種類のパターンからダグラス・レインの無機質な声で本編のセリフを話してくれる嬉しい機能も! (引用: DDN Japan/2013年1月 )  うーん、確かに造形は素晴らしい出来ですが4万5千円~5万円弱は高いですね。そういえば昔、Mac(OS8時代)に各動作に音声を割り当てられるフリーソフト(名称失念)をインストールしてHALの声をビデオから抽出した音声を割り当てて遊んでました。起動は「Good Morning Dave」アラートは「I’m sorry, Dave」終了は「Daisy, Daisy Give me your answer, do」てな感じで。  実際設置した動画を見てみると、かなりクオリティは高そう。バックのノイズを消したのでしょうか、かなり音声もクリアです。ただ、この値段を出すならカメラも仕込んで欲しかったですね。その映像をWiFiで飛ばしてPCで見れるとかして、監視用やスカイプ用に使えるなど実用度が上がれば購入の検討の対象になりやすくなるでしょうね。

【家族たち】キューブリックの娘たち(エキストラ出演編)

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 キューブリックには三人の娘がいます。上からカタリーナ、アンヤ、ヴィヴィアンの三姉妹です。(長女カタリーナはクリスティアーヌの連れ子なのでキューブリックの義理の娘になる)キューブリックは事あるごとにこの娘達を自作品に登用してますが、一番わかりやすいエキストラ出演のシーンをここでまとめておきたいと思います。  まず、長女のカタリーナ。『時計じかけのオレンジ』でレコード店のシーンでアレックスとすれ違う客(アレックスが店内を歩いている時に右奥から出てくるカップルのちょっと小太りなベージュの服の女性。アレックスが女の子をナンパしている時に後ろをうつむき加減にレコードを持って歩き、再度登場している)。『バリー・リンドン』でクイン大尉とノーラを囲んでの食事シーン(ノーラの左側3人目の胸の大きく開いたドレスの女性)。そして『アイズ ワイド シャット』でビルの診察を受ける少年(カタリーナの実の息子のアレックス)の母親役で出演しています。  次女アンヤについては、カタリーナによると「彼女は出演を望まなかった」そうなので、ありません。  三女ヴィヴィアンは有名で、『2001年宇宙の旅』のフロイド博士の娘「スクィート」を、『バリー・リンドン』ではクイン大尉とノーラを囲んでの食事シーン(ノーラの左側2人目の藤色のドレスの女性)とマジック・ショーの見物人(レディ・リンドンの右奥の若い女性)、そして羊の馬車で遊ぶシーンに。『シャイニング』ではゴールドルームの幽霊(ソファーで長いキセルをくゆらす黒いドレスの女性)を、『フルメタル・ジャケット』では虐殺現場を取材している女性カメラマン役で出演しています。  どのシーンも主役に近く、かなり目立つ位置に配していますね。他人にも自分にも厳しかったキューブリックですが、これを見る限り娘たちには大分甘かったのではないかと思うのですが。まあ5人家族で男は自分一人、そんなパパが家庭内でどんな位置を占めるのか・・・同じ境遇の方ならだいたい想像ができるかと思います。『バリー…』でのライアン・オニール起用は娘たちの強力なプッシュがあったという話ですし。なんだか微笑ましいですね。

【パロディ】[字幕動画]カメラマンを地獄のブート・キャンプで鍛え上げるニュージーランドのテレビ局のコマーシャル動画

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 ハードな動画を撮影するには、カメラマン自身がハードでなければいけません。泣いたり笑ったりできなくほどに厳しい訓練に耐え、やっと一人前のスポーツカメラマンになれるのです。これは2011年、ニュージーランドで行われたラグビー・ワールドカップのカメラマン達の貴重な(パロディ)訓練記録です。 (引用元: デイリィ・ニュウス・エイジェンシィ/2013年2月9日 )  もうね、多分世界中でパロディにされてるんでしょうね。『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹ネタってどれぐらいあるんでしょう。公開からもう15年も経っているのに・・・それだけインパクトがすごいって事なんでしょう。そう考えれば公開からたった半年でパロディにした『ファミコンウォーズ』は先見の明ありってことで誇っていいかも。

【関連記事】『アイズ・ワイド・シャット』は離婚の原因ではない。

 『ハリウッド・レポーター』でニコール・キッドマンがトム・クルーズとの結婚時代を振り返っている。  話題になっているのは、あの『アイズ・ワイド・シャット』の変態的セックスシーンについて、彼女がトムを説得したこと。おそらくトムは、娘がいたことなどから、自分たちがそこまでする必要はないと感じ、彼女は芸術的側面からやるべきだと思ったのだろう。結果、1999年にリリースした2年後に二人は破局した。ニコールはその件について「人々はこの映画を作ったことが、結婚生活の終わりの始まりだと思っているが、私はそれが真実だとは思わない」と答えている。  「その後、私たちはより親しくなって、家族3人でいつもいた」という。他に、「スタンリーは映画の中の二人の性生活が、実際の私たちの性生活であるかのように見せようとしていて、挑発的だった。でも私たちは気にとめなかった。明らかにそれは私たちではなかった」「私たちは偉大な映画監督やアーティストに、自分自身を捧げることにした」といったコメントを残している。 (引用: MAASH/2012年10月25日 )  『アイズ ワイド シャット』がトムとニコールの離婚の原因だという噂は根強くありますが、案の定当事者からこういった証言がでてきました。でもここで重要なのは破局云々ではなく、この部分 「スタンリーは映画の中の二人の性生活が、実際の私たちの性生活であるかのように見せようとしていて、挑発的だった。」  ここで繰り返し述べている「観客に二人(役のビル&アリスではなくトム&ニコール)の性生活を覗けるような下世話な錯覚を起こさせた上でそれをファック!と罵る」のがこの作品の本当の意図ではないか、という自分の考えの方向性が正しいとこが伺えたのは収穫。ただ、キューブリックは意図を何重にも張り巡らせたりしますから「夫婦愛の再確認」というそのままの受け取りかたでもかまわないとは思います。表面的にはそういう物語ですからね。

【考察】『非情の罠』をハッピーエンドにしたキューブリックの思惑

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 キューブリック初の商業長編劇映画『非情の罠』。キューブリック作品で唯一わかりやすいハッピーエンドで終わっているが、なぜ本作だけそうなったのか、若干の推察を含めつつ考察してみたい。  この作品、主人公のデイビィは一貫した意思の持ち主のキャラクターなのに、ヒロインのグロリアはいまいちその意思が見えてこない。つまりシーン、シーンでいちいちその印象が異なるのだ。まず二人が初めて会話を交わす、ラパロに襲われた直後のシーン。助けてもらったデイヴィに何故かよそよそしい態度をするグロリア。この時点ではどうやらデイヴィに好意は抱いていないように見える。だが翌朝再びデイヴィが部屋を訪れると二人は身の上話をし、少し打ち解けたようだ。するとグロリアはいきなり一緒にシアトルに行く事を了承してしまう。ちょっと違和感があるが、まあ嫉妬深いラパロよりどう見てもデイヴィの方がマシなので、そんなものかと思って観続けていると、ダンスホールの事務所で執拗に迫るラパロに愛想つかしたかのような態度を取るので、やっぱりデイヴィに惚れたのかとひと安心。でもその後二人が落ち合ってもお金が手に入ったことを喜び合うでもなく、割と淡々としてたりする。  するとグロリアが誘拐され、デイヴィが救出に向かうのだが、逆にデイヴィも捕まってしまう。ここでグロリアはこの映画最大級の愛の言葉をデイヴィではなくラパロにつぶやくのだ。しかもキスまで。もちろんグロリアにとっては必死の命乞いなのだろうが、デイヴィにはっきりと愛の意思を示さないままにこれだから、ものすごい違和感がある。結局ラパロは死にグロリアは警察によって救出、デイヴィも正当防衛で無罪放免となり駅でグロリアを待つことになる。さすがのデイヴィもグロリアの本心に懐疑的になり「彼女は来るのだろうか、いや来やしない」などと呟いたりしている。結局最後は彼女は現れてハッピーエンドとなるのだが、なんだか釈然としない。それもそのはず、グロリアの意思が見事にバラバラだからだ。  実はキューブリックは当初、この映画をバッドエンドのつもりで撮っていた。だからプロットに歪みが生じてしまったのだ。ここからは推察だが、グロリアはラパロにはうんざりだが、だからと言ってデイヴィにも惚れていたという訳ではなく、ラパロの許から助け出してくれさえすればそれで良かったのではないか。そのためにデイヴィを利用したに過ぎ...

【トリビア】自由射撃ゾーン(Free Fire Zone)

 友軍や民間人の立ち退きをした後、残っている勢力は敵兵であるという前提で自由に射撃してもかまわない区域。実際は区域内への周知の徹底や、丁寧な確認作業が行われていた訳ではないので、多くの民間人が犠牲になっている。  『フルメタル・ジャケット』ではドアガンナーが機関銃で掃射する区域がそうなのだが「逃げる奴はベトコン、逃げない奴は良く訓練されたベトコン」というのは「逃げる奴は多分民間人だろう、逃げない奴は多分ベトコンだろう、だけどいちいち確認なんてしてられないから全員ベトコンとして皆殺し。自由射撃ゾーンに指定されているんだからそんなのは知ったこっちゃない」というニュアンス。だから「ホント戦争は地獄だぜ!」と言っているのです。決して独断で無差別発砲していた訳ではありません・・・というか、実質的には軍が無差別発砲を許可してしまっているようなもの。酷い話ですがこれも戦争の現実です。

【パロディ】ポーツマス・シンフォニア『ツァラトゥストラはかく語りき』

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 腹筋崩壊必至の珍演奏『ツアラツゥストラはかく語りき』。一部でキューブリックの地元の学生達による演奏と言われていましたが実はそれはデマで、真実は以下の通り。  ポーツマス・シンフォニア (The Portsmouth Sinfonia) は、イングランド南部ポーツマスにある芸術学校 (the Portsmouth School of Art) の学生たちが1970年に創設したオーケストラ。普通のオーケストラの場合とは異なり、音楽家ではない素人であるか、音楽家である場合にはそれまでまったく演奏したことがない楽器を演奏することが、シンフォニアの入団条件とされていた。シンフォニアの創設者のひとりは、芸術学校の教師であった作曲家ギャヴィン・ブライアーズであった。このオーケストラは、はじめは一回限りの、洒落が効いたパフォーマンス・アート集団として始められたが、その後10年に及ぶ活動を通して文化的現象となり、何回もコンサートが開催され、レコードも数枚作成された上、映画も1本制作され、ヒット・シングルも1作出た。最後に公演が行われたのは、1979年であった。 (引用: ポーツマス・シンフォニア/Wikipedia )  知ってしまえばなんだツマンネ、みたいな話ですがデマを作る人は全く上手くやるもんです、見事に騙されました。

【パロディ】『メン・イン・ブラック(MIB)』のオープニング

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 初めてこの映画を観た時これを観て面食らいました。と同時にこれは絶対アタリ!と面白さを確信。その予感は的中、いまだに続編が創られるほどの人気シリーズに。今更説明不要のオープニング・シークエンス。そういえば「微笑みデブ」ことヴィンセント・ドノフリオもゴキブリエイリアン役で出てました。配給が同じコロンビアなのも確信犯ですね。このフォントをデザインしたのは『博士の異常な愛情』も担当したパブロ・フェロ。ナイスキャスティングです。

【名曲】ムシカ・リセルカタ II(Musica Ricercata II)/ジェルジュ・リゲティ

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 『アイズ ワイド シャット』で例の怪しげな儀式のシーンで使用されていた曲です。作曲したのはジェルジュ・リゲティで上記はオリジナルバージョン。サントラにクレジットされているドミニク・ハーランとは演奏者で、プロデューサーであり、キューブリックの義弟でもあるヤン・ハーランの息子です。つまりキューブリックからすると義理の甥に当たります。サントラのクレジットの表記を見て誤解している人も多いようなので、明快に記しておきます。でないとリゲティの立場が・・・。

【アーティスト】ジェルジュ・リゲティ(Gyorgy Ligeti)

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 ハンガリー出身の現代音楽家。キューブリックはかなりリゲティがお気に入りだったらしく3作品で使用している。『2001年宇宙の旅』ではモノリスのテーマとして『レクイエム』の一部『キリエ』を、ムーンバスのシーンで『ルクス・エテルナ』を、スターゲートのシークエンスで『アトモスフェール』を、白い部屋のシーンで『アヴァンチュール』のテープを加工してものを採用し(無許可だったらしい)『シャイニング』では『ロンターノ』を、『アイズ ワイド シャット』では『ムシカ・リセルカタ II』を採用、どれも効果的かつ印象的に使用され、作品のテーマを強調するという意味では非常に重要だ。  他には『ヒート』(1995)、『チャーリーとチョコレート工場』(2005)、『シャッター・アイランド』(2010)などで使用されている。キューブリックと同じユダヤ人で、父親をアウシュビッツで、弟をマウトハウゼンの強制収容所で亡くしている。  1923年5月28日ハンガリー・トゥルナヴェニ出身、2006年6月12日死去、享年83歳。

【関連作品】007 私を愛したスパイ(Spy Who Loved Me)

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 この作品を関連作品と呼べるのかどうか微妙だけど、一応ご紹介。本作で登場する巨大タンカーの内部をデザインしたのはあのケン・アダム。ただ、あまりにも巨大に造ってしまい、しかもアルミ製のピカピカだったものだからどうしてもライティングが上手く行かない。そこでケンが相談を持ちかけたのが、当時『バリー・リンドン』で一緒に仕事をしていたキューブリック。相談されたキューブリックはノークレジットを条件にアドバイスしたそうです。  まあ、そんな事を考えながら観るのも一興だけど、007シリーズの中でこの『私を愛したスパイ』ってファンにとってはどういう位置づけなんでしょうね。白いロータスが海に潜るシーンがやらた印象に残っていますが、上記のシーンも懐かしいです。でもボンドの声が広川太一郎で脳内再生されるということは・・・たぶん映画館で観てないな(笑。

【撮影・技術】ボイスオーバー(Voice Over)

 テレビや映画で、画面に現れないで説明や語りを行う人の声。 キューブリックは本人が画面に登場しているシーンにも、その当人の語りをかぶせることもあって『時計…』でのアレックスは全編これになります。ナレーションと混同しがちですが、ナレーションは語る内容が「客観的な解説」であり、演技の範疇ではないので明確に区別すべきでしょう。キューブリックは割と好んでこの手法を使っていて、  「ボイスオーバーは、非情に退屈でしばしば舌足らずになりがちな説明的な会話シーンによってストーリー上必要な事を伝える、という厄介な仕事から我々を解放してくれる」  「また一方でボイスオーバーは、劇的な重みを必要としない、さもなくば劇化するにはあまりにも量の多い、ストーリー上の情報を伝える完全に正当で経済的な方法だ」 (引用:『イメージフォーラム増刊 キューブリック』) と語っています。これを知って作品を観れば、キューブリックが画にしたいシークエンスとそうでないシークエンスが読み取れると思うので、作品理解にはとても有益かもしれないですね。

【関連動画】『フルメタル・ジャケット』で、通信相手のマーフィーの声がなんとキューブリックだった!

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 キューブリックは意外なところで声だけのカメオ出演をしています。それが上記の『フルメタル・ジャケット』での通信シーン。通信相手のマーフィーの声がなんとキューブリックなのです。全然気付きませんでしたね。晩年の2作品になって自分の声と姿を遺したキューブリック。年月が過ぎるごとに老いてゆく自分に何か感じ、自作品の中に自分を遺す事にしたのでしょうか。それとも単なるお遊び?個人的には後者だと思いたいですね。まだ生きる気満々だったでしょうし。

【関連書籍】季刊 映画宝庫 SF少年の夢/石上三登志 編

 初版が1978年という大変古い本。でも中身はまさにSF少年の夢が詰まったセンス・オブ・ワンダーな世界がいっぱい。巻頭の「SF映画大河リレー座談会」には手塚治虫が参加。例の 「手紙事件」 を始めキューブリックについてあれこれ語ってます。当時最新のSF映画だった『未知との遭遇』、大ヒットとなった『スター・ウォーズ』はもちろんですが、ダグラス・トランブルの『サイレント・ランニング』やソール・バスの『フェイズ IV/戦慄!昆虫パニック』が紹介されているのは偶然とはいえ面白い。両者ともキューブリック作品に参加してますからね。巻末のイエローページも充実していて、石上三登志氏による「テレビでこんなに劇場未公開SF映画を見た」と、北島明弘氏による「外国SF映画フィルモグラフィ」が素晴らしい。数行ですがあらすじも紹介していて、センターページ付近にはスチール写真も掲載。当時のSF入門書としての役割は十二分に果たしていて、今となっては逆に貴重な資料です。SFファンを自認するなら持っていて損はないはず。オークションや古本屋で見つけたら迷わず購入しましょう。  尚、2012年11月6日、本書を中心となって編纂された石上三登志氏が亡くなられたそうです。素晴らしい本をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

【ブログ記事】映画ファン必見!ワーナー・ブラザース90周年記念特集

 映画.comとワーナーの共同企画 「ワーナー・ブラザース90周年記念特集」 でキューブリックが取り上げられています。今年はワーナー・ブラザーズの90周年だそうで力はいっていますね。ワーナーにはキューブリックはお世話になりっぱなしだったので、キューブリックファンにとっては特別な会社です。(BDのトリミングの悪評はさておき)ですから紹介文の「16歳にして撮影した写真がルック誌の表紙を飾るほどの腕前」を「ルック誌に採用されるほどの腕前」に可能なら訂正をお願いしたいです。表紙ではなく記事中の写真ですね。さすがに16歳の小僧の写真を表紙にするほどルック社も人材不足ではなかったでしょうから。

【考察・検証】キューブリックの死因にまつわる噂について

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 キューブリックの死に不審な点があることは、数年前から噂になっている。実は死後出版された『アイズ ワイド シャット』の脚本を担当した小説家、フレデリック・ラファエルの著書『アイズ・ワイド・オープン』に以下のような記述がある。  そのあとすぐ、私はスタンリーに、故ケネディ大統領の支持者のあいだで始まったある集まりに関する、FBIの極秘報告書の抜粋とされている書類をファックスで送った。中心となった人々のほとんどは裕福で、「田舎者」に占領された民主党の政策には徹底的に敵対する姿勢を取っていた。この団体は社会的モラルに大胆すぎるほど挑戦的であったJFKに賞賛の声を送り、表向きは彼を支援するものであるかのように見えた。彼らは外見上はあくまでも大統領を指示する一派に属しつつ、同時に、その仲間うちだけできわめて享楽的な生活習慣を実践していたのである。彼らのスローガンが「十分では、決して十分ではない」というものだった。彼らは自分たちのことを「ザ・フリー(自由人)」と呼んだ。  この自由の表現はセックスを中心に行われた。メンバーになれるのは友だちの友だちまでとし、入会の条件には自分たちで快楽を追求することに積極的であり、仲間が同じようにすることを決して否定しないということが含まれていた。〈以下略〉  キューブリックがこの書類を読み、あわててラファエルに「どこで手に入れた」と問いただし、ラファエルは事も無げに「自分の頭の中だ」と答えている。キューブリックに「この乱交パーティーに来る客がどういう人間なのか、アイデアを出してくれないか、そうすればこういう人間たちがすることを現実的に信じられるようになると思うんだ」と言われたラファエルが、これをでっち上げたのだ。  この一連のやりとりを読むとキューブリックは作品内のワンシーンや一つの台詞にも裏付け、つまり裏設定を求めていた事がわかる。それは『2001年宇宙の旅』で膨大な裏設定、資料が存在する事でも明らかだ。キューブリックはこのプロジェクトの最初から「乱交パーティーには苦労するだろう」と指摘していて、参考になるものなら何でもいいから送ってくれ、とラファエルに要請している。例の怪しげな儀式も、ジョージ・マッソンの『イタリア・ルネッサンス期の高級娼婦たち』が資料としてキューブリックに送られている。  今巷で言われている、ユダヤやフリーメーソンの儀式...

【作品論】モッズムーブメントと『時計じかけのオレンジ』

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 1991年にVHSビデオソフト(16,800円!)として発売される以前は、『時計じかけのオレンジ』を観るためには名画座でのリバイバル上映を待つしかなかったのですが、幸運にも1985年頃大阪(今は亡き大毎地下)で観る事ができました。(ボカシつきのやつですね)それまではアンソニー・バージェスの原作で我慢するしかなかく、何度も何度も読み返していたものですから、キューブリックの映画版を初めて見た時は結構醒めていて「なんじゃこのカラフルさ加減」とか「目がチカチカする」とか「いちいちエロいな」とか思いながら観ていたのを憶えています。それもそのはず、原作はモノトーンでくすんだイメージがあったものですから、そのあまりの違いに違和感があったのでしょう。キューブリックの映画版が自分の中での『時計…』になってましってからは、すっかりその事を忘れてしまっていたのですが、  「バージェスは、デディ・ボーイズやモッズやロッカーズなど、イギリスの不良集団を目撃したことがあった」 (引用:『映画監督 スタンリーキューブリック』) との一文を読んで、当時自分が持った印象は間違っていなかったんだ、と再認識したのです。  モッズムーブメントについては今更説明するまでもなく、上記の映画『さらば青春の光』</a>を観れば一発です。そうなんです、この陰鬱とした、鬱屈したモノトーンのイメージがバージェスの『時計じかけのオレンジ』なのです。R&Bやロカビリーをベートーヴェンに、ヴェスパをディランゴ95に置き換えればバージェスが描いていた世界そのままです。主人公のジミーが湯船につかりながらキンクスの『You Really Got Me』を歌ったりしてますしね。モッズの聖典と化しているこの映画を、映像化されなかったバージェス版『時計じかけのオレンジ』と思って観るのは We are the MODSな人たちに怒られそうですが、参考にはなりそうです。もちろん名作ですから未見の方も純粋に映画としても楽しめます。『時計…』が好きなら気に入る可能性大。おすすめです。 追記:この『さらば青春の光』で主人公ジミーを演じたフィル・ダニエルズはバージェスが改訂した舞台版『時計じかけのオレンジ2004』でアレックスを演じたそうです。

【撮影・技術】ニードルドロップ(Needle Drop)

 映画のBGM等で新規作曲・録音せず、既存曲を使用すること。すでにレコードになった音源に針を落とすイメージからこう呼ばれるそうです。キューブリックは『博士…』以降「ニードルドロップ」が多くなり自作の代名詞にもなってますね。キューブリックはそれについて、  「我々は現代音楽からアヴァンギャルドの作品まで、膨大な量の既成のオーケストラ音楽から選ぶことができる。既成の音楽を使うと、編集の初期の段階で音楽を使った実験ができる。時には音楽に合わせてシーンをカットすることもある。これは人物が普通に立ち居振る舞う通常のシーンでは簡単にできないことだが」  「音楽の大部分は映画ができてから選んだが、最初から決めてあったものもある。何故その曲を選んだかを言う事はちょっと難しい。アイデアが浮かぶ、それを試してみる、ある程度のところで適切だと決定する。これは実質的に映画づくりのありとあらゆることに関係するが、運とイマジネーションと趣味の問題だ」 (引用:『イメージフォーラム増刊 キューブリック』) なんて言ってますが、撮影や編集の段階から音楽を使った様々な実験をしたい、音楽も含め全てこちらでコントロールしたい。という事でしょう。  この「ニードルドロップ」という言葉、レコードが一般的でなくなった今では死後かもしれませんが、ちょっとノスタルジーで心地よい響きです。意味さえ分かればイメージしやすいですから、そのうち一般的になるかも知れませんね。

【トリビア】初めてコンピュータが歌った歌、デイジー・ベル(First computer to sing - Daisy Bell)

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 デイジー・ベルは、世界で初めてコンピュータが歌った歌として知られる。1961年、ベル研究所のIBM7094が歌った。ヴォーカルはジョン・ケリーとキャロル・ロックボーム (Carol Lockbaum) が、伴奏はマックス・マシューズ (Max Mathews) がプログラミングした。このエピソードから、1968年のSF映画・小説『2001年宇宙の旅』では、分解され機能を喪失しつつあるコンピュータHAL9000がデイジー・ベルの一部を歌うシーンがある。実際の歌声はHAL9000役の声優ダグラス・レイン (Douglas Rain) である。 (引用: デイジー・ベル/wikipedia )  HALのが歌った歌としておなじみの『デイジー・ベル』ですが、その元となったIBM7094が歌った音源がYouTubeにアップされていましたのでご紹介。でも、歌ったコンピュータの型番が「IBM7094」ってモロ「HAL9000」を連想させますね。当然この事実をキューブリックもクラークも知っていたはずですから、「IBMのアルファベットをひとつ前にずらせばHALになる、というのは単なる偶然」なんてホント言い訳にしか聞こえません。公開当時、コンピュータが反乱を起こすという映画の内容に怒って映画からIBMのロゴをはずさせた訳ですから、この事をもしIBMが知ったら下手をすると訴訟等に発展しかねません。その火消しにやっきになってたんでしょうね。